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3. 臨時雇用②

 午後はシィナと共にエスタの部屋を準備したり、買い出しに出かけたりして過ごした。

 母と共に出かけると、昨日とは全く違った村の景色を見ることができて、エスタは新鮮さと懐かしさで、足取りも軽くなる。あれこれと言い合いながらの買い物は久しぶりで、すっかり買いすぎてしまった。

「靴を買うのを忘れたねぇ」

「えっ?買ったよ」

 エスタが左手に持っている袋を示すと、シィナがにやりと笑う。

「すっかり雪のない生活に慣れちまったんだね。まぁ、明日すぐ降ることはないだろ」

 そうだった。エスタはすっかり忘れていたが、ハルマ村は冬が深くなると雪が降る。豪雪と呼ばれるほどではないものの、すぐに溶ける量でもない。

「他にもなんか買い忘れがありそうだね。あたしの次の休みにでも買いに行こうか」

「うん」

 夕暮れを背に親子並んで家に戻る。

 ようやく荷物を下ろせると、エスタは疲れ切った腕で扉を開け、中へ入ると背の高い男性がいた。一瞬身構えたが、よくよく見れば上の弟、ジニである。

 彼もエスタを凝視し、かちりと耳にはまっている金属の飾りを外す手を止めて、

「姉さん……!?はぁ?何してんだよ、仕事は?」

 と、声を上げる。ジニもちょうど帰ってきたところだったのか、脱いだ上着は長椅子にかけられ、いくつかの装飾品がテーブルに置かれていた。

 正装に身を包んだジニは、人好きするような柔和な顔立ちの立派な男性だが、中身はエスタのよく知る、かわいい弟のままらしい。

 思わずにやけそうになるところをぐっとこらえ、エスタは真面目な顔でシィナを振り返った。

「母さん、ジニがフォルテと全く同じこと言ってる」

「あー二人ともあんたのこと大好きだからね」

 面倒くさそうにシィナは笑って、購入品をどさりとテーブルに置く。

「嬉しいんだろ。エスタ、付き合ってやんな」

「そっ…そんなことは、どうでもいいんだよ!」

 まるで思春期の男の子のような反応に、我慢できずエスタも笑顔になってしまった。

「……あのねジニ、ちょっと長めの休暇をもらったのよ。しばらくゆっくりしようと思って」

 エスタの言葉に、感情が全開だったジニが、わかりやすく真顔になる。嫌な予感がした。

「…へぇ、いつまでいられんの?」

「冬が終わるまでとは思ってるけど……」

「なるほど……いいじゃん」

 ひとり頷き、ジニは思い出したように再び耳飾りを外し始めた。

「いいって…なにがいいの?」

「いや?姉さんを穀潰しにしとくのはもったいねぇなと思って」

「ジニ」

 諌めるようなシィナの声に、ジニは肩を竦めただけだった。そのまま彼は黙り込み、外した装飾品を小箱に収めていく。

 ジニが何かを考えているであろうことは明白だったが、特に言及はしない。エスタにヤブをつつく趣味はないのだ。

 弟と埒のあかない話をしても時間の無駄だと思い、エスタは買ってきた荷物を部屋に運びいれることにする。

 シィナが用意してくれたのは、昔から気に入っていた日当たりの良い二階の部屋である。元はシィナの仕事部屋だったそこは、さほど広くはないものの、窓が大きく、街の様子がよく見えた。

 エスタの荷物のほとんどが衣類ではあるものの、厚手の冬用のものばかりだ。予想よりも整理には時間がかかってしまった。夕食の準備が進んでいるのか、香辛料のいい匂いがする。

「姉さん、暇なら明日からでも働かねぇか?」

 整理を終えて階段を下りると、待ち構えていたジニにそう声をかけられる。着替えて軽装になった彼は、もう暗くなってきたというのに出かけるのだろうか。使い込まれた鞄を手に、上着を着込んでいた。

「ジニ、エスタをもう少しゆっくりさせてやんな」

 シィナの声が飛ぶが、ジニは全く引かない。エスタの前に立ちふさがったまま、彼は少しだけ口元を歪める。

「そりゃわかってんだけどさ」

 使命感をうっすらと滲ませた、職務を負う者としての顔をした弟をまじまじと見つめ、エスタは少しだけ微笑んだ。

「忙しいの?」

「暇な日なんてねぇよ」

「……やだ、ジニがかっこつけてる」

 心に留めておこうと思った言葉は、気がつかずに声になって漏れていた。

「姉さん」

 恥ずかしさで顔を赤くしたジニに、エスタは両手を合わせた。

「ごめんごめん、ついかわいくて。私にできることなら手伝うから」

 ジニは一呼吸おいて目を閉じ、眉間にしわを寄せたまま口を開く。

「……温泉の所有権で、ちょっと揉めてんだよ」

「なんでいまさら?資源として村の財産になってないの?それともアレスの所有になってるとか…?」 

 ぱっと思いつく限りの疑問を口にすると、みるみるうちにジニは口元を緩める。つい今しがたの顰め面などなかったかのように、晴れやかな顔でエスタの両手をぎゅっと握った。

「そのへんはまた明日にでも説明する。じゃ、引き受けてくれるってことでヨロシク!俺、役場に行ってくる!」

 早口で告げると、颯爽と出ていってしまった。

 エスタはやや呆然としたまま、椅子を引き寄せゆっくりと腰掛ける。

「ジニって本当に忙しいのね…」

「まぁね。夜遅くに帰ってくることもザラだ。うちの子どもたちは本当によく働くよ」

「両親ともによく働いてるからじゃない?」

「家族揃って貧乏性ってことかい?」

「そう…なるのかな」

 シィナはちらりとエスタを見た。

「あんたがその最たる例ってやつだね」

「五年も顔を見せないし?」

「そうだね。みんなエスタに会いたかったんだよ」

 素直に嬉しいと思う反面、もっと帰ってくればよかったと後悔もあった。

 エスタは長らく自分のことしか考えていなかったのだ。家族も故郷も王都で働く自分にとっては遠く、心の中で勝手に都合の良い存在に変化させてしまっていたのだろう。

 どんなに栄えて名のある観光地になろうと、ひとりひとりにそれぞれ生活があり、毎日何かしらの問題に直面し、悩みも苦しみも喜びも、すべてを包括して生きている。

 そんな簡単で単純なことを、すっかり忘れていた。

 盲目的に、稼ぐ方法を得た故郷の村は、幸せで平和になったのだと思い込んでいた。

「ねぇ、母さん」

 呼びかけると、シィナは食事を運びながら横顔で返事をする。

「なんだい?」

「……ええとね、私さ、まだ間に合うかな」

「?…何に対してだい?」

「……なんか村のこといろいろ…」

「はははっ!何を言い出すかと思えば」

 声を上げて、母は明るく笑う。

「ばかだね。いつだって、どこに行ったって、あんたはこの村に根ざしているし、いくつになってもあたしの娘だよ。しかも、王都でたくさんの経験を得て、せっかくの休暇は村で働くって?お人好しすぎて騙されないか心配になるよ!」

 さてと、とシィナはグラスを二つテーブルに並べた。小さな褐色の瓶の栓を抜き、ゆっくりと傾けると、トクトクと心惹かれる音を響かせながら、透明な液体を注いでくれる。

 幸せそうににこにこ笑うシィナを見て、エスタは思い出した。母は類まれなる酒飲みだということを。

「そのうちヴァイスが帰ってくるだろう。先に始めようか」

 ずらりと肴が並んだテーブルに、母娘で向かい合って座り、それぞれグラスを持った。

「おかえり、エスタ」

「うん、乾杯」

 母に倣って口をつけた酒は、信じられないくらいにキレのある辛口だ。とてつもなくおいしい。エスタは思わず飲み干して、ほうと息をつく。

「ただいま母さん…」

 そして上目遣いでシィナに甘える。

「私、もう一杯飲みたいな」

 シィナの笑い声が食卓に響いた。夜はまだまだこれからだ。

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