シーン4 デミ缶じゃなくてね
その店の四面の壁にはレンガタイルが貼られ、赤茶色のヨーロピアンな椅子が並んでいて、古い洋館を思わせるレトロ感だった。煮込みハンバーグが出て来るまでの間、上司が「成形し終わったハンバーグを油でツルツルにコーティングするんだって、油で表面を覆うことで焼いているときの破裂も防げるし、肉汁を逃さないように表面を焼きかためるのにもいいらしい。効率的だよね、カロリーは気になるけど。ソースはさ、デミ缶じゃなくてね、ガストリックを使ってるんだって、ガストリックっていうのは秘密の調味料でね、ビーフシチューやハヤシライスとかでも使うんだけど、深みのある大人の味にソースを早変わりさせるらしんだよ、すんばらしいよね」とエースくんに説明していた。
相槌を打ちながら聞いていたエースくんが「デミ缶じゃないんですか楽しみです。母が夜勤明けの日に作ってました。中濃ソースに砂糖やらケチャップやら、ああっ、そうそう、バターを贅沢に使って、香ばしい匂いがキッチンからすると、今夜は煮込みハンバーグだってわかったんです。懐かしいな」と言って、私の顔をさっと見て「あっ、すみません。自分ばっかり話して」と申し訳なさそうに口にした。「あっ、そんな事思ってないよ」と言いながら、エースくんがそんな事ってどんな事って思うだろうと気を咎めつつ、話の矛先を変えたい私は「お母様はお元気なの?」と聞いた。「俺が中学2年の時、勤務先の病院で倒れてまして看護師だったんですけど、前日まで元気が弾むように生きてたのに、そのままあっという間に亡くなりました。シングルマザーだったんで俺と弟とは母方の祖母に引き取られたんです。部活も出来なくなって環境が一変して、今思うと、よく対応できたなって思います」笑顔でスルスルと悲壮感なくエースくんは話した。
「あっ、なんかごめん」私は内心でしまったと思いながら小さく言った。「いやいやぁー、確かにバイトしながらの苦学でしたが、母の頑張りを見てたんで、今の俺があるんですよ」と間髪入れずのエースくん。「部活何やってたの?」と上司が耳障りのいい声で聞くと、「野球です。セカンドだったんですよ。高校も強豪校に特待で入れるかもって監督が言われてて、母の負担を、えっと家計を助けられるって思ってたんですけど、道具代とか遠征とかで迷惑かけてたんで」と快活口調で話すエースくんは流石の営業畑出身だ。エースくんは自分の生い立ちを話し慣れていた。何度となく、幾度も先方様にトークしたのだろう。上司が「だから献身が周りに圧力になりがちって書いてあったんだね」と余計なことをさらりとこぼした瞬間、あっと衝撃を受けて目をお見開き、言葉を失ったエースくんが下を向く。「あっ、ごめん、ごめんなさい」と上司が取り繕ったが、もう遅い。
「…、あいつが…そう書いたんですか…、あのくそ部長。逆競合が発生するって知らなかったあいつが、下の奴に謝りに行かせようとしてて、経験不足だとどう考えても揉めるのわかってたんで、俺が行きますって…。下の子に様子というか、行かせるの間違ってるでしょ。俺、初動が遅れているって共有してもらえてなくて、くそ、そんな風に申し送りされてたんですか…俺」と絞り出したエースくんに、「事情によって見る角度と保身が働くからね。なすり付けが上手い人でもあるし」と上司は労うような口調で説明した。確かエースくんの元上司と、うちのポンコツ上司は同期入社なはず、、と考えていた私の前に大盛りライスが置かれた。手を引きながら「ライス、150円でおかわり自由になりますから」と従業員。爪の手入れが行き届き綺麗だと印象付ける手をした人だった。その人は普通盛りを上司の前に置きながら「いつもありがとうございます」と言い、エースくんに「お待たせしています、うち初めてですよね、あと2分ほどで煮込みハンバーグ出来上がります。ご飯と同じタイミングでお持ち出来なくてごめんなさい」と言った。厨房から「三番さんの煮込みハンバーグ3つ出すよー」と声がする。振り返って「はーい」と答えた従業員が、エースくんに視線を戻して「上がったみたいです。今持ってきますね」と言って踵を返した。その背を見送っていたエースくんが「どうして、いつも、懸命に働く人より、何も言わない人の方が評価されるんですかね」とポツリとつぶやいた。「そうだね。平和だからだよ」と私もなんでかポツリとこぼしていた。上司が私の顔を見る。私は「そう思いません?」と上司に聞いた。上司は「さぁー、どうかな」と言いやがった。この人は、このポンコツは、忘れていた。ほんと何もかも俯瞰視しかしないクソ傍観者だった。
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ジュウジュウといまだ焦がすステーキ皿から、食欲を誘うソースの香りがほとばしっていた。テーブルに置かれてゆく煮込みハンバーグを無言で見つめていた私たちは、上司の「食べようか」との声を合図にフォークとナイフを手に取る。美味い。やっぱり美味い。美味すぎる。米が進むいけない系の味わいだ。ハンバーグはカレーと同じで魔法が使える。ガツガツとはしたなく食べていた私が、ふとエースくんの横顔を見ると、エースくんは泣いていた。泣きながらガツガツ食べていた。