最終話 虹のたもとで クルックーと鳴いたねこ。
時は矢のように過ぎ去りて…。
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薄く目を開けた私の手を最愛の人が握りしめた。「あなた・・、あなた!!私はここにいます」と美しい目から涙を流していた。ああ、…、そうか。人はその時、人生を振り返ると聞いたことがある…。
私は夢を見ていた。
ごま塩頭になったエースとふくよかになったさちこさんも来てくれている。二人は出会ったあの日から半年後に結婚して二男二女をもうけ、今では8人の孫を持つ大家族だ。
ポンコツ上司は企画部のあの人を最後まで追い越せず、惜しまれながらでもなく定年を迎え、東京で出来た人間関係の一切合切を断ち切り、1人故郷でもない長野に移住したという。誰もその消息は知らない。あれからの上司も何につけても適当で無責任な人だったが、このポンコツ上司がいなかったら今も、私は私を悔いながら生きていただろう、感謝だ。
父は母よりも先に死に、車椅子に乗った母はいま私の足にすがりながら「おとうちゃん、おとうちゃん」と言っている。連れて行くしかないだろう。これ以上、迷惑をかけたくはない。葬式続きになって申し訳ないがおいてゆけば、残して行く人たちの苦労は計り知れない。認知症とは何と残酷な病なのだろう・・持って生まれた自我だけが最後まで居座る。欲望だけを連呼させる。その言動にこんな人に、こんな人の子に・・と・・疑念を抱く・・が、そうじゃないと、病気なのだと心痛の上に忍耐を強いられ、認知を失った人に・・・道徳心を認知させられる。
恐る恐る足元を見てみるとやっぱり来ていた吉乃さん。今もその美貌は衰え知らずでの吉乃さんの横に、うんん、あの顔は、、のっぺりとした能面が黒装束で立っていた。し、し、死神になったのか!・・・、吉乃さんが能面に頷くと私は宙に浮いた。ベットに横たわる私が見える。私は私の手を引いている吉乃さんの手を引っ張った。振り返った吉乃さんに、「まだ、お願いごと聞いてもらってないよね」と言った。「そうじゃな、叶えてなかったな」と吉乃さん。
「絶対叶えてほしいんだけど」
「何じゃ?」
「また地球に生まれたい。そしてまたあの人を愛したい」
こんないい場面を邪魔したのは、
ガラリ!!と激しくドアを開けたのはトモッキーで、トモッキーはその霊感を遺憾無く発揮して私たちを見つけ、「なに!さっさと行ってんのよ!少しは待つってこと知らないの!!」と声を張り上げたと思ったら泣き出し、ボロボロと涙を流しながらも吉乃さんを見つめ「よろしくお願いします」と頭を下げてくれた。頭を上げたトモッキーはマスカラが滲む目で死神を睨め付け「あんた、もう悪さしてないでしょうね」と男声ですごんだ。吉乃さんの後ろに身を潜めた死神がコクリと頷く。そして、ともっきーはゆっくりと私を見るや「よしののことは心配しなくていいから、さっさと行きなさい」と言い、すぐに「あっーっ!ちょっと待って!私の時も3人で迎えにきてくれる?」と言った。
大きく頷くととモッキーは泣きぐずれそうになりながらも、「行って!あとは任せて!」と私たちを追い払うようにサッサっと両手を振り、ベットに取り縋って泣いている妻により寄ってくれた。今もトモッキーは売れっ子starだ。
「迎えの時間じゃ」と微笑んだ吉乃さんが加速する。雲の間を抜け青空に出た私たちが見たのは虹の袂に立つ多くの人たちで、その中に江田島で教官をしていた頃の父が、よしのの腕の中で息を引き取ったねこが、叔父が、叔母が、ばーちゃんが、じーちゃんが・・・迎えに来てくれていた。私の胸元にねこが飛んで来る。「久しぶりだね、ねこ。元気だったかい」と話しかけると、「クルックー」と愛くるしく鳴いた。抱きしめるとあの頃と変わらない感触に涙があふれる。お前は見ていてくれたんだね。
「ちょっと待ってよ!」と息急く声が聞こえ、振り返った私たちに駆け寄ってきたのはウチクラストアで働いていた頃の母で、母がもっとも母らしく一番生き生きと生きていた時代の母で、「ああ、しんど」と言った母に、「早くない」と言ったら、「葬式代一回で済むだろう」と母らしい答えが返ってきた。死んだ親戚一同が大きな声で笑う中、父がそっと母に寄り添った。母の顔に笑顔が満ちる。
死ぬのも悪くないよ、よしの。
了




