シーン26 テーブルドンした、よしのさん。
何もかもが規格外すぎた。
ビールで乾杯せず、いきなり焼酎の水割りを頼んで「かんぱ〜い」と言った途端にグラスを合わせる事なく、ゴクゴクと半分以上を飲んでしまい「いや〜〜ぃ、仕事終わりのこの一杯目はたまらない」とおやじの常套句をオヤジよりも完熟させて言い、テーブルドンしたジョッキーに「君よく冷えててうまかったよ。さすがこの道のプロだねー」と話しかけたよしのさん。私の前に座ったエースはその様子を目を丸くしてその飲みっぷりを見守り、負けじとエースはジョッキをあおって飲み干してみせ、鼻の下に白い泡ひげをつけたまま「いやーー、嬉しいなーーいい飲みぷりですね、よしのさん。今日はあなたについてゆきます」と言った。しまった。エースは酒好きなのだろう、それもそうだろう体育会系男子で、営業だった男で、筋骨隆々のガタイ。酒が強いの全てが揃っている。
よしのさんの努力は、無駄骨に終わった。
それでも諦めないよしのさんは「良かったーー今夜は飲むぞ!!」と破顔するや残った焼酎の水割りをグイグイと飲み干してグラスをカラにし、「大将、おかわりー」と大きな声で注文したよしのさんは完全に、人生の黄昏を酒で紛らわせるおじさんにしか見えなかった。
私はさりげなく水が入ったクラスを隣に座るよしのさんの前にずらし「チェイサーです」と囁いた。するとよしのさんは「いやだなー、そんな簡単に酒なんかに飲まれませんよ」と言って、細めた目で私を見上げ「もしかして心配してくれてます?酒の不始末くらい自分でなんとか出来る女なんですよーーと私」と言った。それを聞いたお誕生席の上司が「いいね、昔そんな女性が沢山いたよ。だがね、勘定は男がするのが当たり前だったんだよねーーよね」と言って、私とエースに視線を合わせようとしたが、私もエースもスルーして気付かぬふりをする。きっとすでに財布を気にしての発言と目配せだったのだろう。セコイおやじだ。よしのさんがそんな上司に言い放つ「覚悟してください。今日は美女二人と飲めるんですから」と言い、上司も「いいねー、ほんとあの頃を彷彿とさせる子だ」と言って、まんざらでもない顔つきでビールを飲み干し、「焼酎をボトルで頼もうか」と自分の斜め右横に座るさちこさんに話しかけ、さちこさんもさちこさんでよしのさんの飲みっぷりとエースの言葉を聞いたからか、早々にジョッキを空けて「そうしましょう、みなさん飲めるみたいですから」と言った。
焼き鳥セット36本とだし巻き玉子、海鮮サラダ、肉じゃが、秋刀魚とししゃも、エイヒレ、きゅうりの浅漬けが一気にテーブルに並べられた。最後にタコの酢の物を置いた定員に「焼酎のボトルとレモンのスライス多めで、炭酸水とお水はピッチャーで、それとアイスペールください」と早口で言ったよしのさんは注文しながらセセリを手に取り、言い終わると一文字にした串を横滑りさせながら一気かせいに食べ始め、串を左手に持ったまま箸をきゅうりにブツ刺して口に運ぶ。
打ち合わせ済みだったのか、いくらなんでもやりすぎだと思ったのか、さちこさんが「逃げないから、そう慌てないで、ゆっくり食べよう」と声をかけたが、振り切っているよしのさんは「何言ってんのさちこ、こういう時は早いもん勝ちなんだから」とデカい声で言って注目が集め、隣に座る私に顔を向けて「ねぇ」と言って同意を求めた。私は手にしていたビールに逃げながら「ですね」とありきたりな回答しかできず、よしのさんに役立たずを披露するハメとなった。「俺もそう思います」と言ったのはエースで、「野球部の合同合宿なんてまさにそうでしたよ、揚げ物と飯粒の争奪戦でした」とまさにマストな回答をする。
私は面白くなかった。今後のよしのさんの援護射撃、救世主の座は・・・エースで決まりだ。話題の宝庫、タイミング、場を盛り下げない気配り、良く聞こえる耳を持ち、営業で鍛えられた観察眼を持っていて、野球場で日々轟かせていただろう声は野太く良く通る・・・クソ!私の敗北は明白だ。エースが持っている数々の武器を私は1つも兼ね備えてはいない。負けるに決まってる。そう思い、負け戦を認めかけていたところに、「お待たせしました」と焼酎セットの一切合切がのるお盆を両手で抱える店員が現れ、「待ってました!社長」と歓迎ムードのよしのさんが手を出し、その腕が華奢で支えきれないと思ったかエースが腰を上げて受け取り、エースの前にある料理皿やジョッキ、取り皿に箸をどかすさちこさんの手さばきは見事で、空いたスペースにお盆を着地させたエースは「ありがとう」とさちこさんに言いながら、よしのさんのジョッキを手にしておかわりを作り始め、さちこさんはエースの取り皿にだし巻き玉子ときゅうりの浅漬けを盛り付けて置き、綺麗な所作でエースの箸を整えた。それを見たエースが「違う皿に肉じゃがも取ってもらえませんか」と頼む。「好きなんですか?」と聞きながら、肉じゃががの大皿に添えてあるチークスプーンに手を伸ばして盛り付け、せっせとおかわりを作っているエースの邪魔にならないタイミングで、取り皿を差し出すさちこさんは繁盛している小料理屋の女将さんのようだった。そんなさちこさんに「私のも頼むよ」と言ったのはポンコツ上司で、「自分でどうぞ。今の時代、飲み会でなんでも女子にしてもらうの良くないですよ」と言ったのはエースで、「今夜は無礼講でしょう」とおどけて返した上司はご機嫌で、さちこさんが「お任せください」と言って上司の取り皿を引き取り、エースはよしのさんのジョッキに焼酎をたっぷりと入れたのを私は見逃さず、ジョッキを掲げたエースが「水と炭酸水どっちがいいですか?」と聞き、よしのさんは「アーニャ、炭酸水が好き!!レモンもあーざいます」とあどけない口調で答えた。
私は“アーニャ“と言ったよしのさんに勝手な親近感を抱き、“はてな、古代はそれていいのかな“と言ったのはユリーシャさんでとなぜかそこで思い出し、出来上がった炭酸割りをよしのさんに手渡そうとしていたエースから、私はジョッキを奪い取って一気飲みした。「なんでー!!」と言ったエースに、「濃く作りすぎだ」と言った私は下戸に近い。すかさず「フハハーン」と言った上司を、私は「違います!」と厳しく躾け、さちこさんに「優しいんだー」と言われた私は「あなたもです、さちこさん。さっき置き場がなくて、困ってるエースを気遣っていたじゃありませんか。見事な差配でした。きっとあなたは誰からも信頼される必殺仕事人だと思いました」と言うと、間髪入れずのよしのさんが「そうなの。さちこっていつもそうなの。優しいし、料理上手だし、上司の信頼も厚くて、嫌なお局ちゃんにはさりげなく意地悪してみんなの仇をとってくれるの」と言った。
ぐらりと酔いが回った私は「そんなことできるなんて素敵です。うちにもいますよ、やな奴。なんでもかんでも責任問題になると、その所在を部下に押し付ける上席の人がいましてね。今じゃその人部長ですよ。同期の誰よりも年俸高いくせに無責任で、その人のやり口がひどくて、経費で落とせる裏方の仕事を嫁や知人に振ってみたり、顧客に一対一で面談申し込んで“00さんの承諾は得ています“とか、“部下の00には言っておきました”とか上席に報告するんですよ。今どきやばくないですか?透明性を欠いた場で部下を説教したり、仕事先と話するの。しかも部下がしくじると”お前がそうしたから“って言うんですよ」と言ったところに、上司が「そのシステムを構築したのは先駆者。あの人はその先駆者を真似して崇拝してるだけ」と口を挟む。「どおりで・・」と呟いたエースは、「手慣れていたわけですね」と言いながら新しいコップに炭酸割りを作っていた。レモンスライスをのせて「どうぞ」とよしのさんに手渡し、「先輩も炭酸割りでいいですか?」と私に聞く。「いただこう」と言ってジョッキとボトルを手に取って自分で焼酎を注ぎ入れていると、すかさずのエースが氷を入れ、炭酸を加えてカラカラとマドラーでかき混ぜてくれた。男前なやつと思いながら、彼を見ていたらさちこさんと目が合った。彼女の目が“でしょ“と私に言っている。
空気感を変えるように明るい声で「かんぱ〜い〜!」とよしのさんが私のジョッキに自分のグラスを合わせてきた。すると「かんぱ〜い」とさちこさんもエースの前にあるジョッキに、カチンと自分のジョッキを軽く合わせる。エースはジョッキを手にして「乾杯」と言ってさちこさんと目を合わせて飲み出し、さちこさんが「肉じゃが好きなんですか?」と聞く。エースは「母が教えてくれた最初の料理でして」と言い、二人は身の上話しに花を咲かせ始めた。「このネギまの、ねぎ、九条ネギです。美味しいですね」と私に話したよしのさんの目はすでに酔っていて焦点が怪しかったが、きっと私も同じようなもんだろうと思いつつ、ねぎまを手に取って頬張り「美味いですね!」と相槌を打った。
「俺、ロックで飲みたい」と言い出した上司に、ほろ酔いの私たちは口々に、「ペースを考えてください」とか、「まだ週の中日ですよ」とか、「水割りでいいから」とエースに釘を刺してみたりして、「好きなように飲ませろよ、金払うのは俺だぞ」と言った上司に、「だから最後までしっかりしてて欲しいんですよ」、「なんか飯もの食べてからにされては」とか言った。「いいから、俺のことはほっといてくれ」と言った上司は黙々と呑みだし、私ちは燦々と会話し飲んで、食べた。
締めで醤油・激辛・ネギ大盛りのラーメンを3つ頼んでシェアする事になった時には、酔いが回ってグタグタな会話が行き交い、一方通行なのは上司だけで、されど上司はその置き去り感を楽しんでいるようにも見え、「みんなで写真撮ってもらいましょ」とエースが言い出し、従業員に頼んでくれたのはさちこさんで、私の肩によしのさんの腕が回され、それを見たさちこさんが真似をしてエースの両肩に手を置き、「チキショウ」と言った上司はダブルピースをして写真に収まった。
店を出たのは12時過ぎで、そばの大通りに出たところで4人揃って「ご馳走様でした」と上司に頭を下げた。身体をふらつかせながら頭を上げたよしのさんが「さちこを送っていたらけますか?」としたったらずな口調でエースに頼むや、ちょうど通りかかったタクシーを道路に出て停め、「危ないよ、よしの」と駆け寄ったさちこさんをタクシーに押し込んだ。振り返ったよしのさんに「エースさ〜ん」と呼ばれたエースは「お先です」としっかりとした口調で言うや、タクシーに乗り込んで窓を開け「ごちそーさまーでしたーー!!!」と大声で叫んだ。ただ酔っ払いだった。タクシーを見送って顔を見合わせた私たちは、どっと疲れが溜まったお互いの顔を見て笑い出し、そんな私たちを見た上司が「なんだ。そういうことか」と呟き、よしのさんが「ありがとうございます」とにこやかに微笑むと、「あなたに似た人に昔、ルビーの指輪を送りました」と言った上司を白けた目つきで見ていた私に、上司は目を向け「お前が責任を持って送っていけよ」と言ながらさっさとタクシーを捕まえて乗り込み、窓を開けると同時に走り出した車から顔を突き出して「老兵は去るのみだーー、ばか野郎!!」と叫んだ。
よく意味がわからないと顔に書いてあるよしのさんに、「どうします?」と聞いた私もやっぱり酔っ払いで、「送っていただけますか」と言ったよしのさんに頷くことしか出来ず、よしのさんが捕まえてくれたタクシーに私はオズオズと乗り込んだ。どこまでもイケてない男である私が「あの、どちら方面でしょう」と聞くと、「大久保です。新大久保駅の近くです」とよしのさんが言った。ええ!と驚きながらもちょっと待てと思い、私が「酔ってないんですか?」と聞くと、「ええ」と答えたよしのさんは「あれぐらいなら」と普段と変わらない口調で言い、「どちら方面ですか」と私に聞いた。「西武の、西武新宿駅の近くです」と私が答えると、「近いじゃないですか!!よかった」とよしのさんは言った。そう、私たちはご近所さんではないけれど、徒歩で6、8分ほどの近い距離に住んでいた。




