表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カオス ある会社員の告白  作者: 國生さゆり
24/31

シーン24 どうしてあんなにも楽しげに、高らかに、人の不幸を噂できるのだろうか・・



 「ええーー」と不満の声を漏らしたエースを上司に押し付けて、「睡眠不足で豚カツは中年の俺には無理だから」と拒んだ私はよしのさんが待つ、いや違う・・まだ11時前だ。私が待つであろうリストランテに向かったが、赤信号の交差点で立ち止まってたちまちの目眩に襲われ、心ならずもうずくまってしまった。ささやかな吉乃さんの声を耳にする「よいか、願えばまたここに、今この時に立ち戻ることができる。心して覚えておけ」、「いいから今は邪魔せずに、このまま行かせてくれ。わかったからきつのっち」私は争う声でそう言った。ぐらぐらと揺らいでいた視界がいきなりクリアになった。トモッキーを労わりたくなった。耐え難い目眩だ。いまだトモッキーは入院先で苦しんでいると最古参から聞いたのはついさっきの事で、どうしてあんなにも楽しげに、高らかに、人の不幸を噂できるのだろうか・・と考えてみたら、誰かが言っていた・・・“幸せじゃないから“という言葉を思い出した。確かにそうだ。あの人も過去を悔いながら今を生きている・・・だけなのだ。私は意を決して立ち上がり、そして歩み出す。




 心配してのことだとわかっていながらも「きつのっち、今はそちらも大変な時期だ。私のことは心配しなくていいから」と呟く。聞こえているはずなのに、もう吉乃さんの声は聞こえてこなかった。聡明な女性だ。「ありがとう、きつのっち」とささやいた言葉が風にさらわれてゆく。きっと吉乃さんの仕業なのだろう。




 ドアを開けた私を従業員がいつもの席に案内してくれる。礼儀を重んじる私は、あれ、、そうだったってけ…と思いながらも席に着き「二人です。今日は」キリリと告げていた。「承知しました」と言って頷いた従業員が目を見張って私を見ている。そう、今日の私はひと味もふた味も違った。なぜなら私には使命があるからだ。よしのさんの願いを聞き入れ、その思いを遂げさせるという使命が・・・。残念極まりないが、意中の相手ではない私の心がよしのさんに届くはずもない。まして私は自分がイケてる男ではないと自覚している。ならば・・・協調するしか・・ない・・。よしのさんがエースを想う心に。




 結婚を考えていたあの人だって、、、きっとそう思って、イケてない私から奴に乗り換えたに違いない。どうして2つあるベットの壁側のシーツだけが乱れていたのか・・・それに気づいていながらも、私は誘われるままに乱れたシーツの上で彼女を抱いた。いつもそうだ。今もそうだ。あとになってはたとその理由に気づいて傷つく。彼女はもう一つ部屋を借りる金がもったいないと考えて、ツインベットルームにしたのだろうし、私を軽んじてもいて、はたまたわざわざ部屋を移動するのもめんどくさかったに違いない。私をそんな環境に置くことをあの人に許した私は、自分を粗末に扱うことも許したのだ。若かった、あの人も私も若かった。忘却の脳裏にエースの揚々たる背中が見えた。譲るしかないだろう。諦めるしかないだろう。彼はまだ折れていない。そんなエースといた方がよしのさんも幸せになるだろうから。カラ〜ンと軽やかに鳴ったドアベルと共によしのさんは現れた。やっぱり目元がきつのっちに似ている。私は右手を挙げて微笑んだ。まるで恋人を待つ男のように微笑んでいた。



 私は・・恋に・・落ちたのだろうか・・。

 そうだ、この感覚はオチている。

 


 愚かだと思うがいい。

 そう、愚か者しかこの世では恋に落ちない。

 わかるかい、諸君。



 合理性と利害と保身が渦巻くこの世界ではオチるは負けを意味するのだよ。彼女が近づいてくる。彼女が私の前に座る。彼女が言う。「今日は何を食べますか?」と。私は微笑んで彼女に聞く。「あなたは何にしますか?」と。自分でも驚くほど優しい声で聞いていた。




 「煮込みハンバーグにします」と小さな声で答えた彼女が、「お時間を割いて頂きましてありがとうございます」と口火を切った。さぁ、聞こう、彼女の願いを。私は黙って聞いていられるだろうか・・、口を挟まずにいられるだろうか・・・、彼を、エースを、コケ落とさずに聞いていられるだろうか・・私は・・私でいられるだろうか。




 テーブルに置かれた水に口をつける彼女を見ながら、「煮込みハンバーグを2つ」と従業員に告げる。緊張しているのは私だけではないと悟りつつ告げた。従業員に「お水のおかわりをお持ちしましょうか?」と聞かれた彼女は「お願いします」と答えたあと、「あの、ライス少なめでお願いします」と言った。「承知しました」と言って小さく頭を下げ、立ち去った従業員の背中を見ていた。するとよしのさんは私の目線を追ってチラリと振り返り、その視線を私にそろりと戻して「昨日はお忙しかったでしょう?」と言った。ワイドショーかネットニュース、YouTubeを見たのだろうと思いつつ「なかなか方針が決まらなくて、ウチはその・・ああいうことに慣れていない会社ですから・・」と応えると、曖昧に顔を上げた彼女が「いろんな受け止め方をする方々がいますから・・・何がきっかけで炎上するか分かりませんもんね」どこか冷たい感じを受ける表情でそう口にした。その言い方が気になりながらも「あの時、あなたがああ言ってくれなかったら、私は責任を取らされて今ごろ吊し上げられていたでしょう。ありがとうございました」と言って頭を下げると、不透明に揺れ動く笑みを浮かべたよしのさんが「・・あの方、父の弟で私の叔父にあたる人のお弟子さんだったんです」と言った。ギョッと驚き「もしかしてトモッキーさんのこと⁈」と勢い任せで聞いた私に、よしのさんは「ええ」と短くゆっくりと答えて頷いた。




 「小さい頃、叔父はよく私の家に来ていて、叔父の身の回りの世話もしていたあの方も連れて来ていたんです。今とは感じが違って控えめな人でした。よく私の髪を編んでくれて、、子供心に嬉しかったのを覚えています」と彼女は控えめな口調でそう言った。吉乃さんにトモッキーの願掛けの話を聞かされた時、私は師匠だったその人のその後を無性に知りたくなった。なのに、ここ最近のゴタゴタで私の在宅時間は極端に短く、ネコの顔すらろくに見ていない始末で、疲れ果てた私にはネット検索する気力もなかった。今思えば、知りたいと思ったのは何かの縁を感じていたからで、私は知らず知らずのうちに未来を予知していたのかもしれない・・きっとそうだ。吉乃さんの出現以来、私はスピリチュアルを信じている。胡散臭いとか、どうせ統計学だろうとか、ジェスチャーを読む行動心理学に決まってるとか疑う心はくつがえった。




 今ならわかる“偶然は必然で“、鳥が鳴くのも、道端の花に目が止まるのも、偶然に風が吹くのも、天気予報が外れて雨が降るのも何かの前触れで、サインなのだと思うようになった。あえて言うならよしのさんとの出会いもその延長線上で、用意されていた事だったと思っている。馬鹿げた考えだと君は思うかい?




「おじさんはお元気ですか?」と聞いた私に、「独占告白の記事をご覧になりましたか?」と聞いたよしのさんの表情は暗かった。恥じているのだろうと勝手に推測した私は、すぐさま先読みのシャアでもなんでもなく、ただのおせっかいなおっさんでしかないと深く反省し「いえ」と応えた。「叔父は苦学して美容師になったんです。毛先に近づくほどに長くするレイヤーカットが得意で、上下でいくつもの層を作って、ヘアスタイルを整えていくのが本当に上手だった。地方紙に何度も紹介されて、いつか東京で店を持つのが夢だと言ってました。ですが、事故に遭ってからは働きたくても働けず、今は障害者支給で暮らしています」よしのさんはコップに手を伸ばしたが、水はわずかしか残っていなかった。私は「これをどうぞ。口はつけていません、よかったら」と自分の前にあったコップを押し出した。出来れば手渡したかったが…、それは恐れ多いと考えた私は弱虫なのか・・腰抜けなのか・・・意気地なしなのか・・。「ありがとうございます」とコップを手にしたよしのさんの笑顔は寂しげで、私は目を伏せた。




 そこへ「お待たせしました。油が飛びます。気をつけてくださいね」と言いながら私たちの前にステーキ皿が置かれだし、よしのさんのコップを見て「あっ、お水、失礼しました」と言った従業員が水差しをとりに行き、戻ってくるや「私って忘れっほくて」と言いながら水を継ぎ足した。テーブルから彼女が離れるまで私たちは無言だった。沈黙の中、煮込みハンバーグを美味だと知っている私の腹の虫が不覚にも鳴る。哀れ「すみません。朝食を食べ損ねてしまって。あなたが深刻な話を打ち明けてくれているの時に、デリカシーに欠けるおっさんでほんとすいません」と私は早口で言い立て、そんな私を見ていたよしのさんが「私こそ、暗い気持ちにされるようなお話をしてごめんなさい。実は私もお腹ペコペコなんです。食べながら話していいですか?」と言ってくれた。今度は恋心がキュンと鳴る。平静を装った私は「もちろんです」と言い、切り崩したハンバーグにウィスタソースをからめていると、「こんなお話するつもりじゃなかったんです」と言ったよしのさんが人参のグラッセを頬張った。が、途端にホクホクと頬を膨らませて「あ、熱い」と同情を引く涙目で言い、コップをあたふたと手渡した私に、「あじがろうございまず」と言って水を飲んだ。




 「あー、びっくりした」と笑顔のよしのさんはきっと舌を、いや口の中じゅうを火傷したに違いない。「フーゥ、フーゥ」と丹念に冷まし、ステーキ皿にのる美味なる食材をより小さく切り分けて口に運んでいる。私もゆっくり食べながら「お話って」と切り出す。よしのさんは潔いのか「さちこがエースさんを好きになって、二人をカップルにする為に手伝って欲しいんです」とさっぱりとした調子で言った。私は飲み込んだばかりのブロッコリが喉に詰まり、「すみません」と言いながら水を探すが、よしのさんに差し出したのを思い出し、私が口をつけるわけにはいかんと強引に飲み込んで「あなたではなく、さちこさんがですか?」と確認してしまった私を見て、よしのさんの目が笑いだす。華やかに、魅力的に。だが私は用心深いのだ。なんで、なんで笑ってると考えている。そんな私によしのさんは「さちこが、エースさんを好きなんです」と反復横跳びを指示するコーチのように繰り返した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ