シーン23 エースなのか!!
次の朝、地下鉄を降りて会社へと徒歩で向かっていると、「センパーイ、おはようございます」と後ろから飛んで来た。私が振り返るとエースか和かに駆け寄って来る。「おはよう。今日も元気だね。ハロ」とふざけてみたが「なんすか?それ?」とエースには通じなかった。世代間ギャップ。私ももうおじさんだ。並んで歩くエースに「ところで先輩、LINE読んでます?」と聞かれ、「いや」と応えると、「ですよね、既読4だったからきっとそうだと思いました」とエース、スマホをスーツの内ポケットから取り出して、クリックしてからようやく気づいた。
焼き鳥“、よしのさんがリクエストした焼き鳥を忘れていた。
エース“本日の飲み会キャンセル願います。緊急事案が浮上しました“
上司“ごめんねー、3人とも残業だね、よろしくどうぞ”
よしのさん“気になさらないで下さい”
上司“ありがとねーー、今度埋め合わせするから“
さちこさん“絶対ですよ“とガッツポーズのスタンプ一つ
エース“飲めるの楽しみにしてたのに、残念です“泣き顔スタンプ
さちこさん“私もーー“
私はすっかり忘れていた。
なんたる失態。
さりとて私には頻繁にLINEする友はおらず、LINEはひたすら父の生存確認で使うツールでしかなく、着信を確認する習慣もなければ、定期的にスマホをのぞくエチケットすらない。エースが「焼き鳥食べたかったなー」とぼやく。「そうだな」と社交辞令の軽さで応えると、エースが「俺、よしのさんと友達以上になりたいと思ってます」と言った。いきなりの告白にえっと思いつつ視線を向けると、エースは「好みなんですよねー、あの控えめな感じ」と空を見上げてつぶやいた。きっとエースの目には青空に浮かぶただの雲さえ、よしのさんの顔に見えているのだろう。
他にも着信していた。繋がっているのは父と高校の同窓会、母の介護担当者、そしてここ最近加わったグループLINEの4つだけのはずが一つ増えていた。この猫のアイコン誰だ⁉️なぜか私は周りを見回し・・た。恐る恐るクリックしてみる。よ、よしの…さん!エースの顔を思わず見た。盛大なあくびを放ったエースは「3時間しか寝てなくて、」と呑気だ。私はスマホを握りしめる。
するとエースが「靴ひもがほどけそうですよ」と私の足元に視線を落としたままで言う。私も視線を落として「先に行ってくれ」と言いながらしゃがみ込み、エースが「そうさせてもらいます、ああ、そうだ」と言って振り向き「昼早めに出てカツ丼食べに行きましょうよ」と言ったので私は頷いた。靴ひもを解きながら歩き出したエースを見る。快活な歩みだった。希望が見えているかのような歩調だった。若さがうかがえる足取りだった。20代は駆け足を望む。周りを気にせず、己を信じ、出来ないことは自分の努力が足りないと思う清さがある。私が失ったもの、信じなくなった事、損しかしないと妬ましく遠ざけた純情。その全てをエースは持っている。
よしのさんはなんと言ってきているのだろう・・・。最後に会ったのはドラスト・・さちこさんの事を気にかけ、追いかけ、私に振り向きもしなかった。
革の靴ひもをしっかりと結び直して立ち上がる。さちこさんは「好きなの。だから今夜協力して」と言っていた・・・私を⁉️・・・いや、それはない。私はうだつの上がらない中年だ・・・ならば・・上司か!・・されど・・天地がひっくり返ってもそれだけはない。あの人はポンコツだ。あの人のポンコツぷりは誰もがしっ・・いや、知らない。社外の人にはわからない。最古参の噂話は社内でしか囁かれない。ポンコツの外面は天下一品だ。あの人のポンコツっぷりは一緒に仕事してみないとわからない。仕事先の提案をあれこれとした打ち合わせもせずに、思案も、知識も、上への相談もないままに「わかりました」と簡単に請け負うらしい。そして社に持ち帰って根回するが穴を指摘され、五分五分の契約内容ではない上に、儲けが出ないと判断されて頓挫する。そして相手から抗議がくる。対面を保ちたい会社から事情説明を求められ、耳障りの良い言葉ばかりを並べ立てて説明するが、相手先が語る話とは完全に食い違い、整合性もなく、最後は「そんなつもりで言ったんじゃありません」と釈明するらしい。社員への00ハラ、コンプライアンス、なんとか侵害を恐れる会社はそれ以上の追求はしない。上位が赴き相手先に謝罪して事を丸く納めるが、ポンコツが仕事をすればするほどその数だけ同じ事案を引き起こし、そのうち誰もが「あいつはやばい」と関わりを持たなくなったという。それでもそう簡単に解雇するわけにはいかない。ポンコツの不備を問えばその上、そのまた上の使用者責任が問われる結果となるからだ。穏便に総務へと配属されて久しい上司は、この小さな世界の勝利者だ。さしたる仕事も責任も負わない立場なれど給与に健康保険、国民年金に厚生年金までもが安泰だ。会社組織とはなんと素晴らしいシステムなのだろう。資本主義万歳!雇用均等法に幸あれ!それに部下である私はポンコツがもたらすという生煮えの洗礼は受けた事がない。なにせ私たちの仕事は社内の雑用で、外部の人との関わりは皆無に近いし、しかも取扱うのは主に物だからどう取り扱おうが文句が出ない。
はてさて愚痴はこのぐらいにして話をさちこさんに戻そう。さちこさんの想い人はエース、、、エースなのか!あり得る。歳の頃も釣り合う・・・だが、もしかしてよしのさんも・・・エースを。だから私にLINEシテキタ・・・。さちこさんが思いを遂げる前になんとかして欲しいと、、いう、、相談。致し方ない・・。エースはオロナミンCに匹敵するほどに元気溌剌な青年なのだから。恐る恐る猫のアイコンをクリックする。
“ご相談したき事がありまして、明日のお昼、あのリストランテにてお会いできませんか?“
ドキリと心臓が跳ね上がる。“やっぱりそうだった”
“承知しました。ご連絡が遅くなりまして申し訳ない“
と当たり障りない言葉を選んで送信する。
私はなんと良い人なのだろう。
なんと善人なのだろう。
人の恋路を邪魔して馬に蹴られるを選ばず、無自覚に相談に乗ろうとしている私は、ハタと気づいて枯れススキなみにうなだれた。




