シーン22 長浜城の門徒さんたち
今夜も私の前に吉乃さんが座っている。吉乃さんは何も言わない。私も何も言わず湯漬けを食べている。するとふいに吉乃さんが「兵糧攻めに耐えかねた長浜城の者が、殿に降伏を申し出たがお許しにならず、顕忍や下間頼旦を含む門徒衆多数が射殺され、多くを斬り捨てられたという」と言ったので、「その兵糧攻めって篠橋城の人たちが長島城に逃がしてくれたら“織田に通じる“と約束してのに破ったからじゃなかった」と私はうる覚えの知識を口にした。吉乃さんは「そうじゃが、最近の殿は戦続きで疲れておられるのか、決断される時、より過激な戦法を選ばれるふしがある。故に我が軍の戦死者も多い。勝ちは勝ちじゃが殺伐とする勝ちどきは心を荒ませる」と晴ない霧に迷い込んだかのような滅入った声質でそう言った。心配しているのだ。と、その声のニュアンスから感じた私は何も返さず、ただただ湯漬けを腹に流し込むようにして食べ、吉乃さんの次なる声を待った。話す、不安を口にするのは吉乃さんの立場を考えれば、そう誰にでもこぼせる事じゃない。この時代に全く関係のない私だからこそ、吉乃さんは言葉を選ばすに話すのだ。
なぜだろう、吉乃さんとこうやって話すようになってから、私の中に諦めからくる放置ではない忍耐力が芽生え、人に対して気配りができるようになった気がする。どこからそんな力が湧いたのか・・・。変化したことといえば・・・私の話を聞き、私を理解し、私を励ましてくれた人との出会い・・・目の前にいるこの人と知り合え・・・この人が私にもたらす信頼を感じたことくらいで・・・。
信頼は今日いまからと思えば出来る事だが、信頼を得るのは生半可なことでは得られない。物販部の人が言っていた“人は購入しない理由を探しながら買い続けている“と。確かにようだ。それはDNAに刻まれた生存本能から来るもので、安全を担保しょうとする本能がそうさせるの事で、生き永らえたいと思うからだ。
吉乃さんが笑っている。私を見て笑う吉乃さんが「そなたいい男になったと自負しておったが、わらわから言わせると若干じゃ、まぁ良い兆しではあるがな」と言った。「失礼だな、きつのっち。刀を振りかぶる力も根性もないけど、これでも考えるは得意な方なんだぞ」と言ってやる。「じゃが、考えたのちに失敗だと思う方を選んでいたのではないか?ならば考えたから間違えたとも言える」と吉乃さん、「確かにそうだけど・・考えないの怖くないですか」と聞いてみる。きつのっちが「先の事をあれこれと考えて不安を抱いて、今日を生きるのは楽しくないであろう。不安か、楽しいか、そなたはどちらに幸せを感ずる?思考は自由じゃ、この世での唯一の自由かもしれぬ。選ぶ自由を誰しもが持っておる。どうじゃ、少しはなんとかなると己を信じてみてはどうじゃ」と言ったので、私はすかさず「それね、楽観主義っていうんだよ。狩猟生活ならまだしも資本主義では競争しなきゃなんないの」と言い返す。すると吉乃さんに「そなたが所属している会社とやらは競争しないではないか、共存しておろうに。それは集団で狩りをしていた頃と何が違うのじゃ」と言われた。
はたと気づく、そうだ。そうだったんだ。
突然、人の気配がして「伏兵にて織田信広さま、織田秀成さま討死。多くの織田一族が戦死したとの事。我が方の被害1000、包囲を突破した敵方の多くが多芸山、北伊勢方面経由で大坂へと向かったゆえ警戒せよとの御下知、この痛撃に殿は屋長島・中江の二城を幾重にも柵で囲んで火攻めにし、城内に残った2万もの男女を焼け死させたとの事。なお、すでに殿は帰陣されました」と女性の声が聞こえ、きっのっちが「敵方、散々たる有様であったか」と聞く。「裸で抜刀する輩もおりますほどに混乱しておりました」と聞いたきつのっちが、「ご苦労であった。そなた薬師をできる限り集めて戻り、我が軍の行き倒れている者を治療し、できる限り帰還させよ」とキリリとする調子で言った吉乃さんの表情は暗い。
「大丈夫?」と声かけすると、吉乃さんが「そなたわらわの事を吉乃さんと呼んだり、きつのっちとのた回ったりしておるようじゃが、どちらかに決めぬのか」と私に聞く。「それはちと御免こうむる」と笑わせたくて言ったが、吉乃さんはシンとする淋しさを離さず「そうか、好きにするが良い。ところでそなた戦場の悲惨を耳にしても、顔色一つ変えぬがなぜじゃ」と言った。「大義とかで殺し合ってるのが純朴に感じるからだよ」と答えた私に私自身も驚いた。吉乃さんが「そなたたちの世界はもう仲良くするのは無理かもしれぬな」とガランとした空虚の声でそう言った。




