シーン18 企画部は強引にトモッキーぶち打ち込んだもんだから大慌てしてるよ。
席に着くと私の真向かいに座ったエースが「先輩もナポリタン」と聞いてんのか、呟いてんのか、嘆きにも聞こえるような声で言った。
「ほら、俺、左手使えないから」と左手の中指の包帯を見せると、
「あっ、そうでした」となぜか嬉しげに言ったエースに
「そういえば、トモッキーさん。長期入院するみたいですね」とエースの隣に座るさちこさんが話を振った。
「えっ!」と言ってしまった私に、「そうなんですよ、先輩。病状は未発表なんですが、運悪く今日発売の春文砲が重なっちゃって」と説明したエースが前屈みになり、自然と私たちも身をよせ会い、そんな私たちの顔をぐるりと見渡したエースが「師匠だった人が独占告白してるんですよ。運転してたトモッキーが事故を起こして、車外に出る時に自分の利き手を踏みつけたって。単独事故だったらしくて、わざとぶつけたんじゃないかとも語ってるんです。後部座席から出なきゃいけないほど、運転席のドアは凹んでなかったって、わざと膝で肘を踏んだって言ってるんですよ。事故現場の写真も、あれは警察関係者からでしょうね。載ってるんですよ。助手席は大破してるんですけどね。運転席側は無傷に見えるんです、その写真がまた」と言ったところに、「お話中すみません、お先に煮込みハンバーグから」と言った従業員がカートを引きながら現れ、エースとさちこさんが身を引きながら手を上げ、ジュジュと油を飛ばすステーキ皿が2つ並んで机の上に置かれた。それを眺めたエースが「やっぱ、美味そう」とさちこさんと目を合わせる。エースに「ありがとうございます」と言った従業員がナポリタンを置きながら、その視線を私に向け「左手どうされたんですか?」と聞く。
「パイプ椅子に挟んだんです」と小さく答えると、「痛っ!それホント痛いやつじゃないですか」と鼻筋にシワを寄せた従業員が「もしかして、左手お使いになれないからナポリタンにされたんですか?」と私に聞く。「いや、今日はナポリタンと決めてたんです。こないだうまそうだったので」とよしのさんの言葉を真似ていうと、よしのさんが「私もです」と続け、聞いた従業員が「そうだったんですね。失礼しました。実は父、あっ、オーナーシェフはナポリタンを売りにしたかったらしいんです。言ったら喜びます」と言って、朝の森の息吹のような笑顔で頬を綻ばせた。
「いただきます」と合唱して食べ始めると、早速のエースがウィスターソースに、たっぷり浸したひとかけらのハンバーグを飯の上にのせ、大きくすくって口へと運ぶ。ゆっくりと味わいながら咀嚼して「幸せすぎる!」と歓喜し、さちこさんの「本当に!」と追随した表情は神を見たかのようだった。人の幸せの表情を見たのはいつ以来だったか・・・。そしてさちこさんは「春文デジタルに登録してるんですけど、事故で手首を骨折してるところに肘を踏まれて、肩が脱臼して腕が上がらなくなったって書いてありました。本当にわざとやったんですかね」と話を戻した。「そうそう、そう書いてあったね」と言ったエースと「とも」と珍しく言葉がぶつかったよしのさんに、エースが「どうぞ」と言って譲り、エースに微笑んだよしのさんが麺をフォークに巻き付けながら「ともっきーさんて、笑ってても目が怖いんですよね、黒目が黒すぎて」と言った。
私は魔の者がついてるから闇の色なのか・・と考え、吉乃さんの「あの者が願ったから」と言った言葉を思い出して背筋が冷たくなった。私の左隣に座るよしのさんが「どうしました?痛むんですか?」と言って私の左手を見た。「痛み止めが切れたんですかね」と言って誤魔化すと、よしのさんが「帰りにドラスト寄りましょう」と言ったので、私が「一人でいけますよ」というと、「私も目薬を買いたいんです。ドライアイで午後つらくなるんです」とよしのさん、そのよしのさんを見ていたエースが「俺はなんもないけど、お供します」と何がおかしかったのか笑みを浮かべ、「私が行かないわけには行かなくなったじゃない」と締めたさちこさんがブロッコリーを頬張った。
カラーンとドアベルが鳴って入ってきた上司が、私たちを見てホッと一息ついた。安心したのか???と思っていると、お誕生席の椅子を見るなり上司が「俺?俺がここに座るの⁉️恥ずすぎるんだけど、なんかお見合いの仕切り役みたいじゃないかな、俺」とスッとボケたことをぬかす。私は咳き込みそうになって、口の中のものを慌てて飲み込んで水を飲み「なんだったんですか?電話?」と話をずらす為に聞いた。「そうそう、昨日のイベントの冠が春文砲に触発されたのか、トモッキーに損害賠償請求するって言い出して、あそこ大手だからほら、それが表面化すると、トモッキーさんが抱えてるCMも腰砕けになるんじゃないかって、上層部が懸念してね。発端がうちのイベントだから、なんとかうちの会社名が出ないようにしようって話でさ。椅子並べてたらあの人が勝手に近寄ってきて、勝手にヒールが折れて転んだんですって説明してたんだよ。迷惑千万だよね。まだ入院先でうわ言いってるらしいよ」と一気に話して、寄って来た従業員に「何が一番早いかな?」と声をかけた。
「一日限定10食のビストロオーズスペシャルですかね」と従業員
「それにしょう」と即答した上司が、
下世話な笑みを浮かべ「ところで春文砲読んだ?」と私たちに聞く。
「その話、今、たった今、してたとこですよ」とエースが応じて、
「企画部は強引にトモッキーぶち打ち込んだもんだから大慌てしてるよ。なんの為の経費使っての記者さん達との月例懇親会だよ。こういう時に助けてくれないのが大名商売しかできないウチらしいけどね。基本オーダーされなきゃ仕事来ないもんね。優秀な奴から先に転職していくし、もらった仕事さばくだけなら誰にでもできるちゅうねん」と言った上司が、「中年は俺か」と言って高らかに笑った。
「ありがとうございます。すみません、ご迷惑をおかけして」と頭を下げると、「お礼ならよしのさんに言いなよ。あの時マジで間に入ってくれてなきゃ、今ごろ企画部のあいつに生贄にされてたよ、きみ」と言った上司が、よしのさんに視線を送り「一泡吹かせてやったからスッキリしたけどね、俺は。よしのさんのおかげだよ、ありがとね」と言って、私たちを見るなり「さてさて、今日は仕事したからランチ代、経費使って奢ってやるからみんな好きなもん、飲み食いしていいぞ!」と豪語した。その堂々たるセコさにエースが「夜どっか飲みに行きましょうよ」とすかさず申し入れ、「そうだね、そうしょう。どう?今晩空いてるの、みんなは?」とその場で聞くほどに機嫌が良かった。「今度飲みにゆこう」と言わなかっただけ、この人は誠実なのかもしれない。




