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カオス ある会社員の告白  作者: 國生さゆり
12/31

シーン12 痛かったですね、後爪郭に血豆が出来てます。


 先んじて歩く私はよしこさんの気配を背中で感じつつゆく。“よしのさんはどこまで着いてくるつもりなのだろう…“と考えながら歩いていると視界に、テントから白衣を脱ぎながら出て来た男性が映った。“トイレか“と思いながらすれ違う。途端によしのさんの声が聞こえる。「あの、怪我をしてしまった人をお連れしたんですけど、、」と。振り向けばそこに「すみません!イベント出演者が倒れたと連絡がありまして、意識が混濁しているようなのです。あなたの連れて来た方って」と携帯を握りしめた白衣の人が、私を見つけ「どうされました?」と私に聞く。



 左手を見せるとその人は「痛かったでしょう、これは、、」と言い、顔を厳しく整えつつ「申し訳ありませんが、意識のない方を優先させてください。あのテントに看護師がいます」と言って指差した。早朝、私が担当して椅子を並べたテントだった。「あそこで治療を受けていてください」、「主催している会社の者です。出演者を優先されてください」と言うと、「すみません。優劣なんかつけてしまいまして」モゴモゴと言い訳でもするように言った白衣の人を、私はかっこいいと思った。気持ちに正直な人は、尊厳を大切にしてる人は、汚れちまった悲しみを抱える私にとって眩しい存在だ。生きにくいだろうにと正直に思う。きっと私を見ているはずのきつのっちは、あの美貌に見る者に問いかけるような笑みを浮かべているだろう。なぜだかそう直感した。白衣の人が小走りに走り出す。



 テントの中に入って行くと、忙しく立ち働いている看護師によしのさんが「診ていただけますか?」と声をかけた。慈愛の人よしのさんは積極的だ。きっと私の事なかれ主義を見抜いて、もどかしいのだろう。私は心うちで「ホントすまない」と呟く。「意気地なしでホントごめん」と謝る。看護師は机の上を整えながら「どうされたました?」と透き通る朝の空気のような爽やかさで言った。私が「作業中に指を挟んでしまって」と小さく答えると、振り返った看護師は「座って下さい」と言い、私は机のそばに置いてある丸椅子に腰掛けながら左手を見せた。すると看護師は私の手を取りつつ「痛かったですね、後爪郭こうそうかくに血豆が出来てます」と言った。「えっ!」とすぐさま声を上げたのはよしのさんで、看護師はよしのさんの顔を見るなり「今はひたすら冷やすしかないです」と言い、クーラーボックスから保冷剤を取り出し始め、手近にあったガーゼで保冷剤を包みながら「まずは消毒しましょう。あと30分ほどで先生はいらっしゃいます。冷やしながらお待ちくださいね」と言った。どこかなだめる口ぶりだった。看護師は勘違いしている。私とよしのさんの関係性を間違った解釈でみている。よしのさんはちょいとおせっかいで、私は口下手なだけだ。


 

 「お怪我された場所は、爪の最重要部位の爪母を保護する役割を担っているんです。くさび型の形状となって、その背面は指の背側の皮膚となります。強い刺激や圧を加えるのは危険な箇所です。後爪郭が変形したり、凸凹をつくるなどして、伸びることがあるので注意が必要です」と説明しながら消毒し始め、「痛くないですか?」と言って私を見た看護師の視点はどこか虚ろだった。なぜかと考えれば、ふと現実を見過ぎたからだという言葉が心に浮かぶ。頑張っている人は直視した報いを受けるのが、この世界の謗りだ。醜い習わし。よしのさんが私の顔を覗き込み「しみませんか?」と聞く。「ええ、心に沁みています」と私はピンセットを器用に使う看護師の手元を見つめながら、虚に応えていた。看護師が視線を上げてよしのさんの顔色を見る。怪訝な顔つきのよしのさんに、看護師が「怪我をすると痛みを鈍らせるために、エンドルフィンという物質を脳が放出するんです。今はあまり、痛みを感じていないのかもしれません」と言った。私は笑う。厳かに思う。これが怪我の功名か、、、。よしのさんが居て、看護師に面倒をかけている私は口角を上げて笑っている。うだつの上がらない会社員が二人の女性に、甲斐甲斐しくお世話をかけていると思えば笑えた。




 保冷剤を左手に当て「これ以上は必要ありません」と言った私に、看護師は「イブプロフェンは炎症を抑えながら痛みを軽減する効果があります。腫れを伴う血豆にも適しているんです。病院に行く時間が今日なければ、市販薬の軟膏で対応してください」と言った。「承知しました」となぜかよしのさんが応え、そのよしのさんの横顔をみていた私のLINEが鳴った。上司からだった。



 “治療が終わったら、帰社してくれないか?今日の総出でクレーム係が不足しているらしい”との応せだった。“わかりました。帰社します”と打ち返して私は丸椅子から立ち上がる。「あっ、みーつけた!」と言ったさちこさんが、私たちに駆け寄ってきた。





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