シーン11 トモッキーのヒールが折れて、みんなで大騒ぎーーする。
朝から赤いスタッフジャンバーを着た私はパイプ椅子を並べて、並べて、並べまくっている。支給されたコンビニのおにぎりを片手に、たまにスポンサー支給のレモンウォーターを飲みつつ、パイプ椅子をひたすらに並べている。そう言えば、最近見たテレビコマーシャルで、極悪を売りにしていた実在の女子プロレスラーの話がドラマ化されると言っていた。当時の彼女を織り交ぜたコマーシャルには場外乱闘になり、パイプ椅子を相手選手に振り下ろして打ちのめした後、大の字にひっくり返った選手の上に椅子を置くや、椅子に座り込んで唇が真っ黒な口をカッと開け、白い歯を剥き出しにして不適に笑うシーンがあった。そのコマーシャルが流れる度に私は、おどろおどろしくメイクされたその顔に疲弊を感じるようになった。ヒールに向けられる観客の敵意を、彼女はどう受け流していたのだろう…、口さがなく浴びせられる怒号と引き裂くような悲鳴、女子プロレスの知名度を上げたいと思う献身のみではやるせなかったに違いない。彼女はドンドン過激になってゆくパフォーマンスを、冷静に俯瞰視してもいただろう。でなければ、あんなにタイミングよく開いたパイプ椅子の足を対戦相手をまたぐようには置けないだろうし、貫禄十分にはフンズリ返れまい。まかり間違えば、選手の身の上に椅子を置いてしまう可能性だって十二分に考えられる。相手は悶えているのだから。置いてしまった椅子はもうズラせない。身をふんでズラしてしまったら、即、極悪キャラは崩壊だ。だから極悪のキャラは辛かっただろうと思う。なんせ今より人は熱量を持っていた。罵る勇気と正義を信じていた。ウルトラマンが成立していたのだ。一度、悪とか負とかのレッテルを貼った人間に対して、世間の風は冷たかろう。どこまでも、いくらでも、ホワイトの美旗を靡かせていれば許されると思っている。私が所属する会社組織はその小さな縮図に過ぎない。人が変わっても場所が変わっても繰り返される時は繰り返される、所詮、人間は浅ましくも利己的だ、そしてその度に言い訳と文句ばかりが上手くなる。巨漢は鈍いと思われがちだが、悪役レスラーの彼女には神経も身体もトークも瞬発的でセンスがあったはずだ。
「痛ー!!!」
パイプ椅子に指を挟んだ。
「つ!っっ!」と悶える。悶えながらも、そう、確か、そう、彼女は、そう、ダンプ、名前はそう、ダンプ松本!!そう!いま苦痛に悶えている私には、確かにダンプ松本の姿が見えた!!
近くで作業していたエースが「大丈夫ですか!!」と声を上げる。注目が集まったのが嫌で「あっ、ほんのちょっと、しばらくちょっと挟んだだけだ。大丈夫、大丈夫」と挟んだ左手を振りながら声にする。(ノ_<)痛てーーー!マジで、いてーーと心で叫ぶ。だが、知られてはいけない。「椅子一つ、まともに並べられないのか」と思う人が、今日という日に備えたかのようなパリッとしたスーツに、身を包んだ企画部の中にはいるはずだ。赤いスタッフジャンバーを着た総務の私たちと彼らとの共通点は、そう!同じロゴの会社に帰属しているということだけで、彼らは天上人として潤沢な給料を得て選り好みし、スローガンは“みんなで一緒に“だがヒエラルギーのちっちゃな三角に属する資本主義の人びとで、私たちは汗を対価に薄給を頂く立場で選ばれる側。
どこで、その道は別れている??環境、学習、食べ物、育てる人の思考、思い、そんなetcは生まれた時から違う。本人次第だと人は言うけれど、詭弁だ。生まれた時から差別は始まっている。親を選んでこの世に生まれ出たと言う人もいるけれど、そう言える分だけ余裕があるんだ。私には選んだ記憶もなければ、覚えもない。家族に感謝さえされていない。私をATMだと思っている、馬鹿野郎どもだ。クソーー、しかし痛い!!懸命に手を振っていると、「あっ!!あなた」という声と共に無数の足音が私に近づいて来た。そっとその中心部に目を注ぐと、急遽出演が決まって、私たちを会場作りに動員した今をときめく美容家がいた。
「あなた!わかってます!見えないんですか⁈」とその人は言った。私は自分じゃないと思い、すぐさま振り返る。だが、誰もいない。私?私に⁉️私に大スターが言っている。そよぐように目を前に向けた途端に、背後から『シャー』と猫が威嚇するような声がした。大スターは数歩あとずさって、ヒールが“パキッ“と音を立てて折れ、大スターが勢いよく尻餅をつく。取り囲んだ人たちが大スターを助け起こしながら、私に鋭い視線を投げ飛ばしてくる。「あなた、何するの!」と大スターが狼狽える。
『不躾にもわらわに近づきよって』と声がした。
振り向いた、私は本気で振り向いた。
そこには日の光を背に受けた影の吉乃さんが浮遊していた。
私が驚愕している間に、吉乃さんは『そなた、見たな』と言いながら懐剣の紐を解く。その手さばきは早く、次の瞬間にはもうすでに帯刀していた。吉乃さんが刃先を大スターに向けたと同時に、私の背中にぞくりと悪寒が走る。ブルリと身震いした私はその場で固まり、なんでか、大スターと私の間に走り寄って立ちはだかった女性が「この人は何もしていません」と言った。すでに何人もの企画部精鋭が駆けつけ、勇んで、取り囲む大スターの輪は幾重にも大きくなっていた。
立ちはだかった女性が私に振り返る。よしのさんだった。よしのさんだった。
よしのさんはふと私の左手を見て「怪我してるじゃないですか」と呟いて私の目を見た。叱られているような気分になる目つきだった。私は「大したことありません」と囁いてしまう。自分にモジモジ君かよと言いたくなる。視線を前に戻したよしのさんが「その方は、勝手にお一人で転ばれたんですよ。ヒールが折れたみたいです」、皆がよしのさんの視線を辿るようにして、全員の視線が折れたヒールに行き着く中、大スターが「レディの足を凝視するんじゃないわよ!失礼ね!!」と蹴飛ばすように口にする。
「すみません」、「失礼しました」と取り巻きが言い募っている間に、よしのさんは私の右手を取り「手当しましょう、救護テントはどこですか?」と言って歩き出す。そんな私たちの背中に「その赤いジャンバー脱いでいけよ、もう開演してるブースもあるから」と上司の声が飛んできた。「すみません」と頭を下げた私に、エースが「ジャンバー、俺が預かっておきます」と言ってしょっぱい目でよしのさんを見た。私はすごすごとよしのさんの手を離す。ジャンバーを手早く脱ぎながら、“もう一度、よしのさんは手を取ってくれないだろうか“なんて考えていた。




