シーン10 ホントですか?
店から出た私たちは連れ立って歩いていた。なんとなく手足を投げ出すようにして歩くさちこさんが「異業種交流っていいですね。良かったら、たまにランチしませんか?」と普通に言った。さちこさんの警戒心の硬さを知っている私は若干面食らった。一度心を開いたらどこまでも信じてしまうタイプなのだろうか…。この世界で何かとそんな役回りを担うタイプ、「私ばっかり」と呟きながらもがんばってしまうタイプ。だから、たまに環境を変えてみたいと思い“たまにはランチ“と言った気がした。さちこさんの横顔をチラ見しながら、そんな事を考えていた私はよしのさんの視線を感じ、ふと視線を移すとよしのさんは俯いてしまった。女性に対して不躾な眼差しだと思われたのだろうか…、誤解だ。またも誤解された。だが、しかし、どう説明すればいい…、何をどこから弁解しても、言えば、言うほど、墓穴を掘ってしまうに違いないという思いが勝ってしまう。視線を落とした私の目にあくせくとハエの死骸を運ぶ蟻が映った。踏み潰さないようにと右に避けたら、前を歩くエースの踵を蹴ってしまった。「あっ」と声を上げて振り返ったエースに、「すまない。蟻がいて」と謝ったら、エースが「ホントですか?」と言った。立ち止まった私は大人気なくも指で指し示す。これ以上の誤解を受けたくなかったからだ。この世界に復帰し立ての私の導火線は極端に短かい。らしい。
座り込んで見ているエースが「蟻にしてみたら、ハエって重いんだろうな」と言った。なんとなく立ち止まってその様子を目ている私たちに、上司が「グループLINE作りましょうか?」と言い、さちこさんは「えっと」と言いながら小脇に抱えている黒皮のバックからスマホを取り出し、「よしの⁈」と言ってよしのさんに催促する。よしのさんはいまだ蟻を見ているエースに視線を送っていて、聞こえていなかったようで、その普通のありさまを目にした私の心に微かな翳りが落ちた。“そうだよなー“と思っている私に上司が「お前も」と言ったので、私は上着の内ポケットからスマホを取り出した。
スマホを手にしたエースが「転属先で意思疎通また1からかって、朝、ちょっと気持ち落ちたんです。皆さんに元気もらいました。俺もランチしたいです」と元気ハツラツの声を響かせ、「元気が一番」と言った上司が、さちこさんに視線を送り「これからもよろしくね」と言いながら、スラックスの右ポケットにスマホを突っ込んだ。ジャケットとセットアップのスラックス。腹も出ていなければ禿げ上がってもいないからこそのスタイリング。こうやって陽の下で見て見れば、誰もポンコツだとは思わない。なぜこの人は“ポンコツ“の道を選んだのだろう…。噂なら知っている。最古参の話によると“プレゼンの日に事故って、急遽引き継いだのが今の営業部長で、その年のベスト・オブ・コングラッシュに選ばれたのも営業部長で、今もその大型契約は継続している。企画立案、打ち合わせに、社内調整済みの案件は人のものへ移行し、評価され、10数年ものあいだ利益を産み続けている。腐るのには十分な理由だ。懸命に運んでも女王蟻の元に餌を届ける蟻の方が、女王蟻の覚えはいい。いつの間にかに交差点に着いていて、私たちは二手に別れた。
途端に私のスマホが振動する。男3人歩きながら、一斉にスマホを取り出して画面を眺める。グループLINEによしのさんから“煮込みハンバーグ美味しかったです“との文面と猫がぺこりと頭を下げているスタンプが送られて来ていた。続けて、さちこさんの「また行きたいです」のお言葉とミッキーマウスのペコリスタンプ、続けてエース、続けて上司、私は完全に出遅れてしまっていた。とりとなった私は無難にも熱心にもなれず、黒猫が“何卒…。“と言っているスタンプ1つを送った。道すがら“…“は必要だったかと気になり始め、“何卒“と言い切りにしなかったのはなぜだったかと自問自答して見れば、慣れていないだけだと行き着いてハタと慄いた。かまってちゃん⁈との受け取りになったのではないか…、、…が、そう考えればもう我慢できず、スマホを覗いてみると主にさちこさんとエースのやり取りの中に、たまに上司、ほんのたまによしこさんと続いていた。私の“…“は誰も気にしていなかった。安堵のため息を漏らす、今日を生きていると実感する。
社に帰ってみると白板に“明日のイベントスタッフ、急遽の発注あり。部総出となりました。場所00区00町希望記念公園、屋外イベント会場、各自机の上にあるスタッフジャンバー着用となります。なお、会場作りの為、早出となります“との告知が出ていた。




