シーン1 シリウスが見ていた。
いつからなのだろうか、この閉塞感は。戦争に負けて全ての価値観がアメリカ的に作り替えられてから、、、いや違う。そこから目覚ましい復興を遂げ、この国は再び経済大国への道を歩き始め、ゴッホの絵を買ってみたり、アメリカの象徴と言われていたビルを手中に収め、顰蹙を買うほどに繁栄していたはずだ。
てな事を考えながら見上げた夜空には、今夜もシリウスが赤く輝いている。昔、その昔、大昔、大いなる夢を抱いて大海を、大陸を、旅する人を導いて来た星よ、この国は一体どうしてしちまったんだ。ふと問いかけてみたらくしゃみが出た。そんな事で頭を悩ますなとの肩叩きか…。まっ、そんなもんさと考えながら部屋に入ってみると、猫が眠たげな目で私を見た。「はい、はい。寒い中、外に出ていたからですね」と話しかけながら、お愛想程度に撫でた猫は「そんなのいらないから」と目つきを迷惑視線に変えて私を眺めている。
猫でさえ、こうも意思疎通ができるのに、ホントどうかしてる。
いやね、こうも愚痴っているのはですね、聞いてくださいよ、私がおかしいのかと思う事が多すぎるんですよ。あれは、、そうだな、発端の種は20年くらい前にはもう、すでに蒔かれていたんだと思う、そう、そう、ある人の言葉を聞いた時に感じた違和感が最初でした。ああ、そうだ、そうだよ。私の上司だったこのある人はこう言ったです。「お前がそう話したから、こう書かれたんだよ。だから改稿してもらうのは無理だから」、その瞬間、私は「あなたの仕事は何ですか」と思ってしまったのです。いーや、私も若かったし、無知でしたよーー、確かにーー。今考えてみるともう少し何とかできたでしょと思いますよーー、ホントそう思うよ。ただね、あなたの仕事は調整するのが、、、と思いながらも、若かった私は自己反省の達人で、自己肯定感も低く、そして自分へと矢を向けるのが大得意で、だってそう育てられたのだからしょうがないでしょーーー、とにかく上司の言葉をごもっともって思って「すみません。今後気をつけます」と頭を下げたんですよ。
その上司はね、そのあと、太っ腹のクライアントを掴んでとんとん拍子で出世の階段を上っていきましたよーーー、すごいですねーー、会社員としての志が素晴らしい人で、会議で上場が決まった時「みんなーー、うちの株買ってた方がいいぞ!」と威勢良く飛んで来た声は、もう私に向けられたものではもちろんはなくって、彼のなかで私はすでに失敗した使えない奴で、引きずり回されて鼻が緩んだ堕馬という烙印を押していたのを私は知ってましたよーーー、残念ですが、そうなのです。この小さな社会でディカバリーは無理なのです。経費節約、売り上げ重視がもっとうで、人材は腐るほどにあちこちから次から次へと派遣される来るのですから、変えはいくらでもいるんです。
この小さな社会も元上司の彼が作ったものでして、それを伝統芸能のように忠実に引き継いでいる人たちが重宝されていて、小さな社会に今があるのも、彼が引いたレールとルールを着実に継承してきた賜物です。当然、彼に疎まれた私は川下に流されて、今じゃ、どうでもいい仕事ばかりするようになりました。
さてさて、今の私の上司はもちろんポンコツです。私と同じ部署なのだから、当たり前の話ですけどーー。この人は妙な才能を持っていて、手にする、触れるもの全てを一旦クラッシュさせてしまうのです、天才的に。心根が悪いわけではない。ただ、その場しのぎの言い訳をするから筋が通らなくなり、またアーティスト顔負けの創造性でその場を凌ぐから、事があらぬ方向に展開してなおのこと拗らせてしまうんです。それに物腰の柔らかい声と話し方をするもんだから、みんな魔法にかかられたように「ですよね」と言ったっきり黙り込んでしまうのです。みんなもみんなで何とかハラとか、叱りつけてたんだよとか、言い方きついよねとか言われたくないから、ネタ提供にならないように押し並べて口を閉ざすを選ぶんですよ。それに変に関わってのとばっちりなんて嫌でしょ。私の上司はホント天才てす。今では私どもの部署に、複雑かつ繊細さが求められる仕事を頼む人はいなくなりました。おかげさまで、年間を通して定時帰宅は保証されています。
そしてこの小さな社会には噂を広める天才もいて、この人はこの世界の最古参で、誰とでも普通に話せる人で、新人の頃、この人の手を借りて危機を脱した経験がある人がほとんどで、助けてもらった恩義ある人の話は遮れず、この人が話終わるまで聞かざるおえないのです。ですから自ずと小さな社会の事情通になってしまうのです。人は怖いもので、仕入れた情報を知らず知らずのうちに伝達してしまううんですよ。生存本能なのか…、身を守ためなのか…、これこそが共存共栄なのか、だとしたら…、怖すぎる話です。
ああ、また余計なことを…、考えてしまっていた。私も小さな社会と歩調を合わせねば…、これ以上、はみ出したくはないし、考えるな、悟るな、目立つな、行動するな、この4つの神示を守ってさえあれば生活は保証されているのだから。さあ、明日も7時起きだ。くだらない事はもうさておき、風呂に入って寝るとしょう。