第五話「追放された荷物持ちとリーダーが基礎再講習と罰則講習を受けながらも、二人仲良く依頼をこなしている件」
第五話「追放された荷物持ちとリーダーが基礎再講習と罰則講習を受けながらも、二人仲良く依頼をこなしている件」
気絶したフクタロウについては、鍛錬の一環と言う事でミツタカが宿舎まで背負って部屋へと送り届ける様にと長に指示された。
宿舎の部屋に寝かされたフクタロウが目を覚ましたのは朝になってからだった。
それから最後の一週間も午前が武術、午後はスキルの訓練にあてられ何事も無く過ぎていった。
「――という訳で、明日から最後の二日間は一日ずつ実際の仕事をしてもらいましょうか。」
フクタロウとミツタカが今日のスキル訓練を終えて帰り支度をしていたところに、アヤは適当な魔獣の討伐依頼の貼紙を手にやってきた。
「何が、という訳なんだよ……。」
アヤから押し付けられた貼紙に、ミツタカは嫌そうに顔を顰めてから目を走らせた。
森の外周部での仕事で、ミツタカとフクタロウの二人だけでこなすには少しだけ厳しい内容だったが、かといって全く出来ない訳ではないという丁度良くぎりぎりの線のものだった。
初日は増えすぎた森狼という魔獣の駆除で、兎に角、森狼と戦えばいいという内容だった。
二日目は樹木型の魔獣の樹皮と果実の採取という困難ではないものの、少しだけ手の掛かるものだった。
「お仕事の内容自体はあなた達が今迄やってきた様な事だけど、特にフクタロウ君は今回勉強した事がきちんと実践の場で活かせてるかどうか、ちゃんと考えながら行動してちょうだいね。」
「は、はい……。」
ミツタカと二人だけの仕事と言う事で嬉しいと思う反面、今迄の様な背嚢を背負って後を付いて行くだけで済むものではない事に緊張し、フクタロウはまた俯いてしまったが何とか返事をした。
◆
翌朝。
ミツタカは自分の宿で朝食を済ませると、フクタロウを迎えに狩部の宿舎の前へとやってきた。
今日は森狼相手なので怪我をしない様に細筒の袴や着物の上には皮鎧や手甲、鉢金等を身に着けていた。
「お、おはよう……。」
宿舎から出て来たフクタロウも、ミツタカと似た様な恰好をしており、それに護身用の短い木刀といつもの薄汚れた背嚢を背負った姿だった。
「おう。今日はよろしくな。」
「う、うん!」
むすっとしたミツタカの表情は、今迄ヤエカ達と組んでいた時と然程変わらないものではあったが、フクタロウにきちんと挨拶らしき声を掛けてきたのは殆ど初めての事だった。
フクタロウは元気良く返事をし、歩き始めたミツタカの後ろに続いた。
あの神降ろしの日からミツタカが変わった――いや、昔の雰囲気を少しだけ感じさせる様になっていた事を、フクタロウは密かに喜びながら先を歩くミツタカの坊主頭のうなじを見つめていた。
森狼の縄張りはムロハラの町と森の境界に近い外周部の一角で、二人は町から一時間程歩いて依頼で指定された領域へと到着した。
「交代で少し休むか――っクソ。」
森狼の縄張りの少しだけ手前で立ち止まり、小休止を取ろうとミツタカが口にし掛けたところで、早速すぐ近くの茂みから濃緑色の毛を逆立てた森狼が三頭飛び出してきた。
多数相手の場合はお互いに背中をくっ付ける様に向け合って対処するが、三頭位の少ない場合は今迄ヤエカ達と組んでいた時と似た様な感じで前衛のミツタカから少し距離を取る様にと、予め打ち合わせが行なわれていた。
フクタロウは木刀を軽く構えてミツタカの邪魔をしない様に少し離れ、他に乱入して来る魔獣が居ないか周囲に気を配り始めた。
「そうだ。そのままちゃんと辺りの茂みとか注意しとけ。」
「う、うん!」
森狼達を軽く刀の峰で打ち付けながらミツタカはフクタロウへと声を掛けた。
アヤから教えられた事を思い出しながら、フクタロウはぎこちないながらも周囲の茂みに異常が無いか順番に視線を走らせていった。
それからすぐにミツタカは森狼達の脳天へと峰を返さないまま斬撃を浴びせ掛けた。
ギャンギャンッと続け様に三頭から低い悲鳴が上がり、次の瞬間には既に頭部を半ば潰されて絶命していた。
峰打ちとは言え重い金属の塊が叩き付けられる衝撃は、森狼達の頭を潰して命を奪うには充分な力を持っていた。
「さてと。」
ミツタカは刀を仕舞い、解体用の小刀をフクタロウから受け取った。
森狼は毛皮や肉が使えなくもないがさして貴重な素材という訳ではなく、今回の様な駆除依頼の場合は死骸は捨て置かれる事も多かった。
森狼に限らず魔獣の多くは他の魔獣や野生動物、人間等をただ殺したり傷付けたりする為だけに襲い掛かる習性を持っていた。
その為増え過ぎると普通の野生動物の生息を脅かしたり、森から出て人間や家畜を襲ったりするので、定期的に狩り人達が駆除して間引いていた。
「さっき言い掛けたけど、本格的な縄張りに踏み込む前に少し交代で休もう。」
小刀をミツタカはフクタロウへと返しながら辺りを見回した。今のところ森狼や他の魔獣の気配は無かった。
フクタロウは小刀を仕舞った後、ミツタカが寄越してきた森狼の左耳三つを受け取ると巾着袋へと仕舞い込んだ。森狼の討伐証明箇所は左耳となっていた。
先にフクタロウを座って休ませ、ミツタカは帯に差した刀に手を添えたまま周囲の様子を窺う事にした。
「そんなに疲れてないから……。そっちこそ、休んで……。」
草むらの上に胡坐をかいて座っていたフクタロウは、暫くもしない内に立ち上がりミツタカに休む様に告げた。
「いいからもう少し休んどけ。今迄と違って二人だけなんだ。休める内に休むんだ。」
しかしミツタカはそう言ってフクタロウをまた座らせた。
「ご、ごめん……。そうだった……。」
ヤエカ達と組んでいた時のままの、背嚢を背負って後ろでうろうろしているだけの感覚が抜けていなかった事に気付き、フクタロウは慌てて座り直した。
ミツタカと二人だけというのはフクタロウにとっては嬉しく心弾む事ではあったが、組んだ者の一員としてしっかり働かなければならないと、改めて自分に言い聞かせた。
真面目な顔でアヤやミツタカから習った事を頭の中で反芻しているフクタロウの様子を、ミツタカは苦笑しながら間近で見下ろした。
「まあ、今日明日の仕事は実地訓練の延長みたいな感じで送り出された様なもんだしな。そう力まなくても……。」
ミツタカ一人でも、いざとなればフクタロウを守って森狼の二十匹位までならば対処出来る自信はあったが……。
――あたし等が教えた事、全部忘れちまいやがって。
夕食の席で溜息をつきながら寮母のタキがこぼしていた事が、不意にミツタカの脳裏に甦った。
実力の劣る相手と組んだ時の目や気の配り方や、パーティ内の仲間達との連携や、自分が何処でどう動くべきなのか――。
確かに色々と教えてもらっていた筈なのに、ヤエカ達と組んでいたこの一年以上の事を振り返ると、そうした事を気にして動いた事はまるで無かった事をミツタカは今更ながら自覚した。
ミツタカが休憩する番になった時には、然程注意は口にしない様にしてはいたが、ついフクタロウが何処を見て警戒しているか、気が緩んではいないかと見守ってしまっていた。
「えっと……こんな感じで大丈夫……かな……?」
短い木刀を手にしたまま辺りを軽く見回していきながら、フクタロウは自信無さ気にミツタカへと問い掛けた。
フクタロウもミツタカが口うるさくは言わないものの、こちらの様子を注意して見ている事には気が付いていた。
「ああ……。いいと思うぜ。」
「良かった!」
ミツタカからの返事にフクタロウは嬉しそうに微笑み返した。
◆
小休止を終えてミツタカとフクタロウが先へ進むと、五頭程の森狼がまた茂みの向こうから飛び出してきた。
ミツタカがフクタロウに下がる様に指示してすぐに森狼達の頭や腹を斬り付けていき、手早く殺していった。
「そ、そっちの茂みから、何か!」
茂みの中に何か動く物の影が見え、フクタロウが慌てて声を上げた。
五頭を片付け終わってすぐに、ミツタカの左横の生い茂った枝葉の向こう側から三頭の森狼が出現した。
「やっぱりな!」
森狼達の縄張りに侵入したのだから――しかも間引き駆除の依頼が出ている程なのだから、出現率が高いだろうとはミツタカも予想して身構えていた。
だが討ち漏らされた一頭が、ミツタカの刀を躱してその太腿へと噛み付こうと迫って来た。
「っ!!」
ぐっ……と、くぐもった空気が漏れたかの様な森狼の悲鳴の様なものが漏れ、ミツタカの太腿へと牙を立てる前に森狼は、眼前に突然出現した解体用の小刀に上顎から頭を貫かれて息絶えた。
「ああ、助かったぜ。」
刀に付いた血を振り払い、ざっと手拭いで拭き取りながらミツタカはほっと息を吐いた。
「う、うん……。」
フクタロウは言葉少なにミツタカへと頷き返した。
チュウゴロウが話していた様な「異空間収納」の細かい制御はまだ出来る筈も無かったが、ミツタカへと突っ込んでくる森狼の目の前に小刀を収納から取り出して配置する事は何とかフクタロウにも出来た。
後は森狼が自分から小刀へと頭から突っ込んで自滅してくれたのだった。
少し震える手で息絶えた森狼の頭蓋からフクタロウは小刀を抜き取った。
フクタロウだって荷物持ちとはいえ、木刀なり小刀なりで動物型や虫型の魔獣を幾らかは殺してきていたが――何故か、自分のスキルで初めて魔獣を殺した事に奇妙な程生々しく恐ろしい感覚を抱いてしまっていた。
小刀を手にして動物型の魔獣を斬り殺す事の方が、余程直接的に相手の肉が裂け肺や心臓の跳びはねる感触が伝わって来ていた筈だったのに。
「……。」
屈み込んで順番にミツタカが斃した森狼の左耳を切り取っていくフクタロウの側に寄り、ミツタカは少し落ち着かせる様に軽くフクタロウの頭へ手を置いた。
「……?」
手を止めてフクタロウが不審気に顔を上げると、ミツタカはそっと手を放し、ミツタカの方も戸惑った様な様子で誤魔化す様に坊主頭をぼりぼりと掻いた。
「あ、いやすまん。何でもない。」
そう言ってミツタカはフクタロウから少し離れた。
あの神降ろしでこの先の出来事等の知識を流し込まれた日から、どうにもフクタロウを意識してしまう感覚がミツタカの中に生じてしまっていた。
兄貴格として弟分の面倒を見、世話をしてやりたい――それだけではなかったが。
フクタロウと自分との関わり――フクタロウを解雇して追放して、ミツタカが酷い行く末になる云々だけではない、もっと根っこの所からの事を神降ろしで知らされてしまった。
あの時どちらからともなく夢想した、二人で狩り人になって活躍する――形だけではあったが今そんな風な状況になっている事に、戸惑いながらも心の奥底で喜んでしまっている自分が居る。
ミツタカは森の奥へと歩き始めた自分を一生懸命追い掛けて来るフクタロウを振り返り、また目を逸らした。
◆
依頼書にあった巡回の道筋を辿っていく内に、当初予想していたよりは森狼達と遭遇する確率が少なかった事に油断していた頃合いで、ミツタカとフクタロウは三十頭程の群れに出食わしてしまった。
「っっ!!」
「無理に背中合わせにならなくていい! 俺から離れんなよ!」
次々に生臭い涎を垂らして牙を剥き襲い掛かって来る森狼達に、フクタロウは木刀を握り締めたまま声にならない悲鳴を何度か上げてしまっていた。
ミツタカは傍らのフクタロウの肩を引き寄せ、順番に確実に森狼の首を切り飛ばしていった。
フクタロウも何とか木刀を握り直し、一頭二頭、自分に迫って来る森狼を殴り付けた。
フクタロウの腕前では急所を捉えられず致命傷には至らなかったものの、怯んで退いたところをミツタカが追撃し仕留める事が出来た。
フクタロウにとっては随分と長い時間森狼達と戦っていた様な錯覚があったが、実際の所は三十分程の出来事でしかなかった。
「……。」
最後の一頭をミツタカが仕留めたところで、フクタロウははあはあと肩で息をしながら思わずその場に座り込んでしまった。
「ほら、立て。またいつ追加が来るか判んねえぞ。」
「う、うん……!」
多少息を乱しながらも、また何処からか次の森狼が出現しはしないか辺りを注意しながら、ミツタカは座り込んだフクタロウの肩を叩いた。
慌ててふらつきながらもフクタロウは立ち上がり、ミツタカの周囲への警戒の下で森狼達の左耳を切り取る作業を始めた。
「依頼書には、まあ大体二~三十頭って書いてあったから、これで今日は帰るか。」
森狼達の耳の入った布袋をフクタロウが背嚢に仕舞い終えたところで、ミツタカは指定の駆除数を達成したという事で撤収する事にした。
これ以上続けても、疲れ切ったフクタロウを庇って動くミツタカの負担も大きかった。
幸い帰途は森狼にも他の魔獣にも出食わさず、二人は何とか無事に町まで帰る事が出来た。
狩部の受付で依頼完了の報告と手続きを済ませると、ミツタカは兎も角フクタロウの方は殆ど初めて自分もそれなりに戦った事による疲れが酷く、ぼんやりとした様子でふらふらと裏口から出ていった。
「――じゃあ、兄ちゃん……また明日……。」
「……っっ!! ――あっ、ああ……また明日、な……。」
疲労で半分眠り掛けている様な虚ろな目で、フクタロウはそう言うとふらついた足取りで宿舎へと歩き始めた。
自分が何を言ったのかまるで意識していないのだろう。
ミツタカはフクタロウから掛けられた言葉に咄嗟には返事が出来ず、一瞬大きく息が詰まってしまった。
あの時と同じ、声変わりも済んでいた同じ声で兄ちゃんと呼ばれ、様々な思い出が突然にミツタカの脳裡に甦ってきた。
――じゃあさ、いつかオレも狩り人になったら兄ちゃんのパーティに入れてくれる? 荷物持ちでも何でもするから。兄ちゃんと一緒に魔獣やっつけたり、見た事も無い位デッカイ宝物を発掘したりしたい!
あの時の痩せ細った少年の語った夢は――、一年前に歪な形で叶ってしまっていた。
何を、今日夢想していた事が叶ったと浮かれていたのか。
ミツタカは、今更の様に打ちのめされ立ち尽くしていた。
「――ごめんなぁ……。悪い兄ちゃんでよぉ……。」
俯いて漏らされた小さな独り言は、ひどく掠れて湿ってしまっていた。
男らしい、強い男は弱音を漏らしたりしない。どんな事にも心を乱したりしない――そうやって今迄やってきたというのに。
ミツタカは暫くの間、薄汚れた背嚢を背負ったフクタロウのどっしりと筋肉の付いた背中が去っていく様子を見送っていた。
◆
翌日はムロハラの町から歩いて一時間半程の距離にある、森の東側の外周部に二人はやってきた。
昨日と似た様な皮鎧の出で立ちに加えて、今日は小振りの手斧をフクタロウは腰に下げていた。
昨日の木刀の方は背嚢の中に仕舞い込まれており、今日は恐らく出番は無いものと思われた。
慣れない得物を提げていて何となく落ち着かないのか、フクタロウはしきりに手斧に触れては手を離す事を繰り返していた。
「俺も今日は刀が使えねえからなあ……。」
そんなフクタロウを苦笑しながら眺め、ミツタカも自分の帯に差した武器を触った。
今日のミツタカの武器は軽めの鉈だった。
「――ほれ、おいでなすったぞ。」
ミツタカはフクタロウを軽く下がらせて鉈を構えた。
一応は整備された小道の脇から、この辺りの領域に棲息する植物型の魔獣が数体、根の足をうねらせながら出現した。
木の切り株を連想させる縦横一メートル程の大きさの魔獣――魔樹は意外と素早く動き、頭部の鋭利な数本の枝葉を振り立てて襲い掛かって来た。
昨日の森狼とは違い、魔樹は堅い木質の表皮に包まれており斬撃や殴打に強かった。
その為、今日は刀や木刀よりも斧や鉈の方が向いていた。
頭部の枝葉を刈り飛ばし、魔樹の脳天の一ヶ所に二、三度鉈を打ち付けると血液ならぬ樹液を噴き上げて魔樹は息絶えた。
フクタロウも慣れない手付きながらも手斧を振り立てて、何とか一体の魔樹を斃す事が出来た。
「ついでだし、こいつの樹液も少しだけ採ってくか?」
ミツタカがまだどくどくと樹液を脳天から噴き出している魔樹の死骸を指し示した。
魔樹の樹液は糖分を多く含み、煮詰めたものが甘味料として広く使用されていた。
「うん……。」
フクタロウは手斧を腰に下げると、魔樹の死骸の前に屈み込んだ。
軽く手を翳して念じると、噴き出していた樹液は掻き消えてしまった。
少しずつレベルの上がってきた「異空間収納」のスキルの力で、一リットル程の樹液を問題無くフクタロウは収納する事が出来た。
神降ろしによる異世界からの知識により、プラスチックの瓶や密閉チャック付きのビニール袋といった物も少量流通はしていたがまだまだ一般的ではなく、こうした液体の運搬については重く嵩張り割れる恐れのあるガラス瓶や魔獣の胃腸や皮を縫い合わせた水筒が主流だった。
運搬に気を使う面倒な物については特に「異空間収納」が重宝される場面だった。
一先ずこの場の数体の魔樹の樹液十リットル程は、問題無くフクタロウは収納する事が出来た。
「そんだけ回収出来れば、まあまあ金になるな。持ってきた皮袋にも入れれば充分今日の稼ぎになるな。」
「そうだね。」
欲深いミツタカらしいいつもの調子の発言にフクタロウは軽く笑い、ミツタカと共に森の奥へと再び歩き始めた。
◆
依頼書にある数メートルの大きさの樹の魔獣は森の一角に小さな広場を作って聳え立っていた。
ここに来るまでに襲い掛かってきた様な小型の魔樹の様に足を使って動けない事も無かったが、地面に足を兼ねた根を埋めて地中の水や栄養、魔力と言う様なものを吸い上げる事を優先する生態になっていた。
普通の樹と違い、大きく成長した魔樹は胴体内部に真核というものを持ち、それが破壊されない限りは体の大部分を破壊されても短期間で再生する事が出来た。
狩り人への依頼の際には、普段は真核を破壊してはならないと注意があった。
樹皮や果実を安定的に採取出来る様に、ここの魔樹はある意味果樹園の作物の様な扱いを受けていたのだった。
「果実はあれか……。」
魔樹に近寄り過ぎない様に距離を取り、ミツタカは魔樹の幹の中程に葡萄の様に房を作って実っている宝石等の鉱物を思わせる硬質の球を見上げた。
一般的な果実と違い樹皮から直接実っており、魔樹が身じろぎする度にゆさゆさと揺れていた。
「あ……。えーと……。」
魔樹と一先ずは戦おうと鉈を手にして身構え始めたミツタカの横で、何かを思い付いたらしいフクタロウがふと声を上げた。
「ん? どうした?」
ミツタカがフクタロウを見たが、フクタロウは慌てて頭を横に振り、俯きながら少し後ろに下がった。
「ご、ごめん何でもない……。」
その様子に今迄パーティ内でフクタロウを見下してきちんとしたパーティの一員として扱ってこなかった事を思い出し、ミツタカは昨日の事もあり今更の様に胸を傷めた。
強い男、男らしい男はきちんとパーティを率いて、メンバーにもきちんと目を配る――どうしてそうした方向で男らしさにこだわらなかったのだろうか。
「何でもなくは無いだろ。何か思い付いたのか?」
ミツタカから掛けられた言葉にフクタロウは驚いて顔を上げた。
「え、えーと……。」
フクタロウはつかえながらもミツタカに促され、何とか自分の考えを口にする事が出来た。
今回の様な場合は魔樹の気を引く攻撃係と、樹皮や果実を剥ぎ取り続ける係、そして反撃をして動き回る魔樹や仲間の間を縫って剥ぎ取って放り出された樹皮や果実を回収する係――そうした役割分担と連携が基本的で安全なやり方だと狩部の講習でフクタロウは習っていた。
今回はミツタカとフクタロウの二人だけだったので、攻撃と剥ぎ取りの二つはミツタカが担う事になるが――。
「えーと、「異空間収納」で……仕舞い込んですぐ出す、なら、そんなに難しくも無いし消耗も少ないから……。」
理想としては相方が剥ぎ取っていく端から収納していけば危険も少なく確実に素材の回収も出来るのだったが、フクタロウのレベルではまだそこまでの事は出来なかった。
ミツタカの近くで共に行動し、ミツタカが剥ぎ取った樹皮を一度収納し、それを魔樹から離れた適当な場所に放り出す――後で回収し直す手間はあったものの、今のレベルとしてはそれなりに安全に素材を手に出来る方法だった。
「成程なあ。よし、それで試してみるか。」
「え?」
感心しあっさりとフクタロウの案を採用したミツタカの様子に、フクタロウは思わず声を上げてしまった。
まさか自分の考えがあっさりと通るとは思ってもいなかったのだった。
「よし、行くぞ。」
「う、うんっ!」
ミツタカの合図と共にフクタロウも慌てて後を追った。
自分の話をきちんと聞いて、受け入れてくれた――フクタロウは昔自分が願った事が、やっと本当に叶った様な気がして嬉しくなってしまっていた。
二人の接近に気が付いた魔樹が何処から出すのか唸り声の様な音を放ち、堅い筈の胴体を直角近くまで折り曲げて棘に覆われた枝を振り下ろしてきた。
刀よりは重い筈の鉈をミツタカは軽々と振るい、うねる枝を次々に叩き切っていった。
長引くと土の中から足を引き抜いて移動を始める為、手早く対処する必要があった。
高レベルの魔樹は短時間の内にも攻撃用の枝や蔓を再生して戦い続けるが、ここの魔樹はそこまではレベルは高くなく、一通り枝を切り飛ばすと威嚇に体をうねらせたり太い枝で殴ってくる程度で然程手強い相手という訳ではなかった。
「よし、ちゃんと拾えよ。」
鋭い棘による攻撃が無くなったとはいえ、大きな図体それ自体が脅威である為、ミツタカも引き続き油断せずに魔樹の体に鉈を振るい続けた。
砕けた樹皮の破片が辺りに飛び散り、ミツタカの後ろで控えていたフクタロウがそれらを次々に収納していった。
収納した物を任意の場所に取り出す――フクタロウのレベルではまだ遠く離れた場所に出す事は出来なかったが、それでも今居る場所から数メートル後方に樹皮が現れており、充分に安全な場所に出す事が出来ていた。
「っしっ!」
果実の方も何とか切り落とす事が出来た。
この魔樹の果実は樹の成分が結晶化したものが袋状に固まったものなので、生きているものを収納出来ない低レベルの「異空間収納」でもそこだけに意識を集中すれば収納出来る筈だった。
フクタロウがまた前へ進み出て果実の房に意識を集中したところで、魔樹の太い腕の様な枝が振り下ろされてきた。
ミツタカは急いでフクタロウの前に割り込み、鉈を叩き付けて枝の腕を砕いた。
その間にフクタロウは無事果実を後方へと放り出す事に成功した。
「っし、撤収するか。」
視界の端に映った積み重ねられた樹皮と果実の量を確かめ、ミツタカは退却する隙を作る為に魔樹の胴体へと大振りの一撃を放った。
「っ……げっ。」
鉈が魔樹にめり込む手応えに今迄と違う感触があり、ミツタカは慌ててフクタロウの手を引いて後退しようとしたが――全く間に合わなかった。
「うわっ。」
フクタロウも慌てた声を上げてしまった。
魔樹の胴体からは水が勢い良く噴出し、瞬く間に辺りを水浸しにしてしまっていた。
ミツタカの鉈は魔樹が水を吸い上げ貯蔵する管の部分に丁度良く直撃してしまったのだった。
「……すまん。」
頭からずぶ濡れになってしまい、ミツタカは溜息交じりに傍らに立つフクタロウに謝った。
魔樹は貯めていた水分の多くを失ってしまい、既にミツタカ達に攻撃する力は殆ど残っていなかった。
一応はまだ蠢いている魔樹に警戒しながらも、ミツタカはフクタロウの手を引いて水が滴り続ける姿のままその場から離れた。
「手拭いとかは流石に何枚もは持ってきてねえよなあ……。」
適当な木の下に置いていた背嚢の所に戻ると、ミツタカはフクタロウから手を離し、皮鎧の留め具を外して装備や着物を脱ぎ始めた。
頭から水分を被った割には幸い褌までは水は染みてはおらず、皮鎧に守られた箇所は着物もそれ程には濡れていなかった。
「暫く干してりゃ乾くな。」
「う、うん……。」
着物を絞ったり皮鎧や手甲の水分を払いのけたりしているミツタカから顔を逸らし、心持ち離れた所でフクタロウも装備を外して着物を脱ぎ始めた。
フクタロウの方も着物や装備の濡れ具合はミツタカと同様だった。
褌まで濡れていなくて良かった。
フクタロウはほっと安堵して小さく息を吐いた。
「……あ、ちょっと行ってくる……。」
お互い裸で居る事が気詰まりで、手近な木の枝に自分の着物と装備を慌てて干し終えた。
それからフクタロウは誤魔化す様にそう言って、先刻「異空間収納」で移動させていた樹皮と果実を回収する為にその場を離れた。
「お、おう……。」
ミツタカも近くの枝に着物を干しながらフクタロウを見送った。
フクタロウの背嚢から何とか小さな手拭いを一枚見つけ出し、ミツタカはゆっくりとした動きで皮鎧や手甲の水分を拭き取っていった。
フクタロウに敢えて近寄って手伝わない様に、自分の用事を優先していた。
暫くして樹皮や果実を抱えたフクタロウがミツタカの所へと戻ってきた。
「ん?」
フクタロウの抱える荷物の量が思ったより少なかった事にミツタカは軽く首をかしげた。
「あ……思ったより「収納」出来たから……。」
フクタロウは自分の予想よりもスキルのレベルが上がっており、樹液に加えて多くの果実も「異空間収納」で仕舞い込む事が出来た事に少し誇らし気に微笑んだ。
「そっか……。ちゃんと上達してるんだな。」
フクタロウの様子にミツタカも微かに口元を綻ばせた。
褌一丁で草むらの上で胡坐をかいているミツタカから目を逸らし、フクタロウは収納し切れなかった残りの樹皮と果実を背嚢の中へと押し込んだ。
一緒に風呂にも入った事もあるというのに、今更ながら、フクタロウはミツタカの裸の体を意識してしまい落ち着かない気持ちになってしまっていた。
ミツタカの方もフクタロウのそんな様子には気が付かないではなかったが、敢えては触れずに立ち上がった。
「見張りしとくから少し休んどけ。」
水気を拭き取って鞘に納めた鉈を手に、ミツタカはフクタロウに声を掛けると近くの木の幹へともたれかかった。
座り込んだフクタロウからは見えにくい位置になっており、フクタロウも過剰にミツタカの事を意識しない様にという気遣いだった。
「う、うん……。」
何処かほっとした様に頷くフクタロウの横顔を視界の端に見ながら、ミツタカも少し安堵していた。
フクタロウの生乾きの黒い短髪はいつもより毛束が立ち上がり、どっしりとした筋肉の収まった肌は拭き残しの水分と汗とが混ざり合って滲んでいた。
一緒に風呂にも入った事もあるというのに。
ミツタカもまた、何処か落ち着かない気持ちから目を逸らし、辺りから魔獣が襲撃して来ないかどうか警戒を続けた。
◆
それから一時間から二時間程その場で過ごし、生乾きの着物を羽織ると二人は町に帰っていった。
夕暮れの迫る狩部の事務所は、同じ様な日帰りの依頼をこなし終えた狩り人達でごった返していた。
「二日間お疲れ様。」
事務所の玄関をくぐるとすぐにアヤがミツタカとフクタロウを出迎えた。
「今日はあっちで処理をしましょう。」
アヤは奥のスキル相談窓口の方を指し示し、二人を促した。
「いいのかよ。昨日は普通の窓口で手続きしたんだけどよ。」
ミツタカの言葉にもアヤは軽く振り向いて笑い、そのまま奥へと歩き続けた。
「いいのいいの。一応、この三週間の締め括りの話もあるからね。」
建前として公表されているミツタカへの罰則教習とフクタロウへの基礎の再講習――それについての一応の話がある様だった。
ミツタカとフクタロウは大人しくアヤの後へと続いた。
目隠しの観葉植物の大鉢や掲示板の向こうの特殊スキルの相談窓口には、いつもの面子と化したシゲヒサが営業用の笑みを浮かべて待っていた。
「お疲れ様でした。小会議室で長もお待ちです。」
シゲヒサの言葉にミツタカはめんどくさそうに眉を顰め、フクタロウは偉い人間が待っている事に驚いて体を強張らせてしまった。
「と、その前に今日の収穫物を受け取っておきましょう。」
会議室に行こうとするアヤを引き止め、シゲヒサはカウンターの前に立つミツタカとフクタロウへと声を掛けた。
「ああ。――後それと、依頼の物以外にも樹液が手に入った。買取を頼む。で、それの分け前は俺が一でコイツが二の割合で口座に入れといてくれ。」
ミツタカがフクタロウの背を叩きカウンターの前へと促す様子に、シゲヒサと当のフクタロウは思わずミツタカの顔を凝視してしまっていた。
「ふふ。欲張り小僧が随分と思いやり深くなったものねえ。」
三人の様子をアヤだけが面白そうに微笑みながら眺めていた。
「……面倒なもんを運んだ働きに対する正当な報酬だろ。」
今にもミツ坊と呼んで微笑ましいものでも見る様な表情を浮かべそうなアヤに対して、ミツタカはわざと睨み付ける様な目を向け、またすぐに逸らした。
「で、でも……。」
今迄に無い自分の扱いにフクタロウは困惑しながらミツタカとアヤとを何度も見た。
アヤは軽く溜息をつき、フクタロウの前へと近付いた。
「そうね……。フクタロウ君は報酬の適切な相場とか、自分の適切な取り分の事についても勉強しなければならなかったわね……。」
アヤは僅かの間、鋭く咎める視線をミツタカへと送ったが、一応は反省している様だとこの場はこれ以上ミツタカを追求する事はやめた。
役立たずの後方でうろうろするだけの荷物持ちだとフクタロウを見下した扱いをして、狩部で規定された最低限の報酬を渡す事しかミツタカやヤエカ達はしてこなかったのだった。
「その辺りの勉強も、何日か少し追加で教えるから、その話も後でしましょう。」
今迄表沙汰にならなかったフクタロウの境遇を気の毒に思いながら、アヤは優しくフクタロウの肩を叩いた。
「は、はい……。」
何となくアヤがミツタカを責めている様な雰囲気は理解しつつも、フクタロウもどうしていいかは判らず取り敢えず曖昧に頷いた。
それからやっと収穫物の話に戻り、カウンターの前へと別の職員が持ってきた小振りの荷車の上に背嚢と「異空間収納」から魔樹の樹皮と果実を積み上げていった。
「樹液の方はこちらに。」
シゲヒサがカウンターの上に大き目の茶色いガラス瓶を二本取り出して並べた。一本が二リットル程入る物だった。
「あ、ええと……もうちょっと必要……です……。」
フクタロウは申し訳無さそうに俯きがちにシゲヒサへと告げた。
まだ何となくでしか自分の収納している物の分量を把握していなかったが、カウンターの上の瓶だけでは足りない事は判った。
「きちんと数字で把握する練習もしなくてはね。」
アヤが教官らしい事を言いながら苦笑を浮かべた。
「大体十リットル位だったか。」
今日の小型の魔樹と戦った時の事を思い出しながらミツタカが補足した。
「順調にスキルのレベルが上がっていますね。」
フクタロウの上達を喜びながらシゲヒサは追加の瓶をカウンターの下から取り出した。
そうして提出された収穫物の数や分量等を職員のシゲヒサと狩り人のミツタカ達双方での確認を終え、受取証がミツタカへと手渡された。
「では参りましょうか。」
カウンターの間に出入り口の衝立があり、シゲヒサはそれを開けてミツタカ達の側へとやってきた。
「お前さんも来るのかよ。」
うんざりとした表情でミツタカはシゲヒサを見下ろした。
「はい。私も出来れば遠慮したかったのですけどね。」
シゲヒサもまた何処か疲れた様子で溜息交じりにミツタカへと答えた。
アヤとシゲヒサと共にミツタカとフクタロウも長の待つ小会議室へと向かう事にした。
さて第五話です。うわー、この話、プロットのメモ書きに全然書いていなかった、いきなり湧き出て書き加えたエピソードでございます。もっさいガチムチ男子二人が何やかやあれやこれやしている物語が読みた過ぎて予定外の文章を書いてしまいました。しかしオッサンは反省はしていない。
己がしたい様に振舞う。そこに絶対の決まりなど無いのだ……。
後全然関係無い様な有る様な無い様な話ですが(どっちや)、当初はあんまり兄ちゃん呼称に対してねちっこい描写をするつもりは無かったのですが。
たまたまここ最近MRRのアニメを見返していまして、某ガバ×ンツとのクロスオーバー二次創作も書いてみたいなあ等と考えたりもしている最中なんですけど。で、MRRの某双子キャラが作中で少年らしい掠れ気味の声で兄ちゃん連呼しまくりなので心ときめきつつ印象に残ってしまい、それがこの荷物持ち略の執筆にも影響を及ぼしてしまった次第であります。いやはや。
で。まあ、それはそれとして四月末からひいていた風邪ですが、やっと八割位回復しました。中身は殆ど治ったのですが、外見的にはまだ時々咳が出たり痰が絡まる感じが残っていたり、何よりまだ少し鼻詰まり声です。仕事柄電話での話もしょっちゅうしなければならないのに話をしにくくて面倒であります。今回は何とも長引く変な風邪でした。皆様も健康には御気を付け下さいませ……。