第十五話「新人でなくなり自分の行く先を苛立ち迷い続ける青春に突入した件」
第十五話「新人でなくなり自分の行く先を苛立ち迷い続ける青春に突入した件」
「あ~あーフクタロウは十三歳~。いつまでも子供のままでは居られず~。」
三味線弾きの青年は暫くの間地面に腰を下ろして三味線を弾いていたが、ふと何かを思い出した様に手を止めて顔を上げた。
「そう言えばチュウどんは今日戻ってくる筈でやんしたねえ。」
そんな独り言を漏らしながら三味線弾きはいきなり立ち上がると歩き始め、街道の途中で分かれ道を曲がり森の方角へと歩き始めた。
その頃チュウゴロウは森の最奥から第十八層まで戻って来たものの、左半身に大怪我を負ってしまい安全地帯として整備された小屋にやっと辿り着く事が出来たところだった。
「やれやれ、参ったやねどうも。」
片手で兜を脱いで白髪の角刈り頭を掻き、チュウゴロウは厳つい顔を歪ませた。
簡素なログハウスといった風情の小屋へと這う様にして入り、大きく息を吐いて板敷の床へと座り込んだ。
一応は鎧帷子に丸兜――ヘルメットの様な物――も着込み、手甲や鉄板入りの履き物等、充分に防御に配慮した装束を着込んではいたものの、最奥近くに蠢く魔獣達にとっては何も身に着けていないに等しいものだった。
疲労によるごく僅かな隙を突かれ、左半身を噛み砕かれかけたところをチュウゴロウはぎりぎりで脱出し逃げ延びる事が出来たのだった。
「帰り着くのは夜中――ぎりぎり今日ってトコかねえ。」
チュウゴロウは痛みに顔を顰めつつも、無事な右手で「異空間収納」から高位の回復薬の小瓶を取り出すと器用に片手で蓋を回し開けた。
薔薇の香りと色を持つ薬液を左半身へと大雑把に振り掛けると、ゆっくりと怪我が治り始めた。
今回作ろうとしている「エリクサア」程ではなくとも、外用や内用問わず使用すればその場で治癒の始まる様な回復薬はこの世界では高級品で、中堅以上の狩り人が御守り代わりに何とか一つ二つ買う事が出来る様な物だった。
チュウゴロウの場合は材料の調達の段階から自分で出来るので、そうした高級品も自作して今回の探索では大量に用意していた。
ゆっくりではあるものの傷口が塞がり手足の肉が再生を始めたので、チュウゴロウはやっと安堵の息を吐いた。
六畳程の部屋が二つあるだけの避難小屋は片隅に保存食や応急処置用の医薬品の入った木箱が置かれているだけで、最近誰か来たのか蓋が開けられたままになっていた。
中の食料も減っていたが、「異空間収納」に大量の食料や飲料を保管しているチュウゴロウにとっては何の問題も無かった。
「メシ食ってちょっと休んだら帰るかねえ。」
近所の居酒屋で飲食するかの様な気軽な独り言を漏らし、「異空間収納」から野菜や肉を甘辛く炒めた料理の盛り付けられた盆や香ばしい茶のたっぷりと入った薬缶を床の上に取り出した。
劣化せずに保管出来るレベルに至っている為に、それらは出来たて淹れたての状態でチュウゴロウの目の前に現れた。
チュウゴロウが箸を伸ばしたところで小屋の扉の向こうから三味線の音が聞こえてきた。
「ん?」
訝し気に扉へと顔を向けたが、魔獣の徘徊するこんな森の奥まった層に気安く来る者は限られている為、すぐにチュウゴロウは警戒を解いた。
「お怪我が治るまでの間、一曲如何ですかねえ。」
古びた木の扉を開けて姿を現したのはいつもの三味線弾きだった。
「わざわざ出張演奏かい。ありがてぇこったねぇ。」
甘辛いタレの絡んだ肉や野菜を頬張りながら、チュウゴロウは三味線弾きへと苦笑を向けた。
「そろそろ次の話を聞かせたくなりやしてねぇ。」
三味線弾きの青年は薄く伸びた顎髭を撫でながらチュウゴロウの向かいへと腰を下ろした。
「そうかい。そんなら少しの間聞かせてくんな。」
チュウゴロウの言葉に三味線弾きは機嫌良く頷くと、バチを構え直し演奏を始めた。
「さてえーミツタカ十六歳~、フクタロウは十三歳いい。若く傷付き易い青少年の~青春をおおー。」
◆
ミツタカ達が森鹿の群を駆除してミナミヤスハラ村を去り、村には再び平穏な日常が戻った。
そのまま何事も無く月日は流れ、フクタロウは十三歳になった。
ミツタカへの憧れや慕わしさを胸に秘めたまま、いつかまた会える日を夢見て日々を過ごしていく内に少しずつ背も伸び、体に筋肉も付き始めようとしていた。
相変わらず無口で人見知りではあったが、真面目な働き者として家族や村人達からは好ましく思われていた。
「そろそろフクタロウやタカヤスとかの嫁さんの話もしなきゃなあ。」
「そうだなー。ウチのイチカもおませでなあ。マサキチかサイチロウかヒロタカの内の誰かにするとか何とか今の内から品定めだよ全くもう。」
両親や隣近所の者達が楽しそうに、フクタロウやフクタロウに近い年頃の少年少女達の嫁や婿をどうするかと喋り合う事も多くなってきた。
昔ながらの農村であるミナミヤスハラ村も村人達の結婚の年齢は早い傾向にあり、この世界の成人と見做される十四~十六歳頃に結婚や婚約をする者も多かった。
「まだ……いいよ。そんな、お嫁さんなんて……。」
両親や親戚、隣近所の者達から半分は本気で勧められる嫁候補の娘達の話を、俯きたどたどしい言葉ではあったがフクタロウは何とか拒んではいた。
「まあその内、嫌でも誰かと結婚しなきゃならんからなー。」
「いい娘さんを探さなきゃねえ。」
しかし両親や皆はフクタロウの拒否も本気にはせず、まだ十三歳の子供と成人の間の中途半端な年頃の者の言う事だからと、またすぐに嫁取りの話を繰り返した。
「――おお、いいなあ。アキ兄、モモ姉と結婚かよ!」
「うまい事やりやがったなあ。」
フクタロウの近所の年上の――十六、七の村の若者達も一組、二組と結婚や婚約が決まったとか、そんな話題も周囲の子供達から上がる事も多くなり始めた。
そんな周りの変化にフクタロウは戸惑い、次第に息苦しく窮屈さを感じ始め、より無口になり日々を過ごす様になっていた。
その年の秋。農作物の収穫が終わり村の農作業も一先ずは一段落した頃に、村の次男三男の少年達の内、十四、五歳を迎えた者達が独立の為に村を出ていくという話が聞かれる様になってきた。
その辺りの事情はミツタカの育ったニシゾノ村と同様で、家や財産を継げない次男三男達が手に職を付けて生きていく為に村を出ていくというものだった。
ただミナミヤスハラ村の場合は長男が村の外の世界を見てみたいと出ていく事については、短期間ならばかなり大目に見られていた。余り裕福ではないという村の経済的事情もあり、村の外に出て仕送りをしてもらったり、村に役立つ技術や知識を持ち帰ったり、余所の土地の嫁を連れ帰ったりする事で村の発展に役立つならば……と、村長達は考えていた様だった。
「――俺とトウジロウとシンゴロウはムロハラで、ヒロサブロウとヒサミチはシラグチで狩り人で……、後、ヒサキチは「薬師部」だっけ?」
ニシゾノ村でミツタカが村の仲間達から進路を聞かされた様に、ここでもまた独立を目の前に控えた少年達が期待や憧れ半分、緊張や恐れ半分に自分達の進路を、刈り取りの終わった田の隅に座り込んで語り合っていた。
彼等の弟や弟分達に交じってフクタロウも彼等の話を聞いていた。
狩り人――懐かしく慕わしい、温かな気持ちを胸にフクタロウはその単語を聞いていた。
ミツタカはムロハラという町の狩部に所属する狩り人だと言っていた。
トシキチとトウジロウとシンゴロウの様にムロハラに行けば、自分もミツタカに会える――まだ漠然としたものでしかなかったが、今迄ただぼんやりと憧れていただけのものが、彼等の進路の話を聞く事で少しずつ具体的な形を取ろうとしている事をフクタロウは感じていた。
その夜。家族で夕食を食べているところに隣の――といっても田舎の村の事で、幾らか離れた場所にあったが――ハルヨおばさんが訪ねてきた。
「あー、ごめんなさいね。ご飯時に……。」
土間の入り口で風呂敷包みを手にハルヨは出迎えたフクタロウの母へと謝った。
「いいのよいいのよ。でもどうしたの?」
フクタロウの母が尋ねると、ハルヨは少し得意気に風呂敷包みを解いて中身を見せた。
風呂敷の中には薄桃色や薄水色の毛糸で織られた首巻――余所の世界で言うマフラーの様な物が入っていた。
「ユウコがお返しにって。ほら、先月子供が生まれた時に皆でお祝い贈ったでしょ? あんたとあたしと、お揃いの柄でって前から織って用意してくれてたんだって。」
ユウコというのは余所の村に嫁入りしたハルヨの末の娘で、先月出産したのだという。
出産祝いを贈るのは村の決まり事となっていたので、彼女は予め母とその仲の良い友達への返礼の贈り物を用意していたのだった。
「有難うねえ。嬉しいわねえ。お礼を伝えといてね。」
フクタロウの母は首巻をしっかりと手に取ってハルヨへと微笑んだ。
「――ああ、そうそう。それはそうと、ここに来る途中、マサヨさんと会って聞いたんだけどさ、そこの二軒隣のカスケさんとこの穀潰し嫁がさあ……。」
母とハルヨはそのまま隣近所の者達の噂話に興じ始めた。
何処そこの嫁は子供も産めないのに何年も居座っているとか、こっちの家の子無し夫婦は夫の方がアレが役立たずとか。折角結婚したというのに、嫁さんが、夫が、姑が、舅が可哀想なもんだ等々――。
食事をしながら聞くともなしに聞こえてくる母親達のお喋りは、フクタロウの食欲を失わせ心を暗くさせた。
最後の方は無理矢理口の中に押し込む様にして食事を終えると、フクタロウは早々に寝床へと引っ込んだ。
母親達にとっては娯楽代わりの他愛の無いお喋りだったのだろう。
しかし結婚した後の、子作りの事や夫婦の夜の事まで噂話のネタにされる――その事はフクタロウの心により一層暗い影を落としてしまっていた。
両親も、隣近所の人達も皆、素朴な心根で優しい人達ではあったが。
けれどもその優しい表情で悪気無く他人の家の内情を噂話として娯楽の種にしてしまう。
――村は、決して温かく楽しいだけの世界ではないのだと……。善いとか悪いとか、正しいとか正しくないとかいう事では無いけれども。フクタロウは複雑な思いを抱きながら、少しずつそうした事を理解し始めていた。
女に興味の無い自分はそもそも結婚したい訳ではさらさら無いし、皆に言われるままに無理矢理に結婚したとしても、女の人相手に自分のあそこは絶対に役立つ事は無い――。
――あそこん家の夫婦は旦那さんのナニが役立たずだって噂よ。奥さんも可哀想にねえ。旦那が悪いのに奥さんが姑から詰られてるっていうじゃないのさ。
フクタロウは薄い布団を頭から被り、先程の母親達の面白おかしく語り合う噂話を頭の中から追い出そうと強く目を閉じた。
いずれ自分も結婚したらあんな風に面白おかしく噂されてしまうのだろうか。
自分の結婚相手の娘さんは何も悪くはないのに、さっきの噂話の様に自分の母から悪く言われてしまうのだろうか。
取り留めも無くそんな思いがフクタロウの中に湧いていき、いつまでも消えなかった。
――兄ちゃん……。
何処か縋る様にフクタロウはミツタカの事を思い浮かべていた。
無性にミツタカに会いたい――そう思う内にフクタロウは眠り込んでいた。
◆
ミナミヤスハラ村等、ムロハラから見て南側の地域には何も問題は無かったが、西側の地域には農作物の病虫害が多発し、それが二年続いていた。
烏の魔獣が森の奥の層から病気に感染した魔獣の卵や毛皮を第一層に持ち出したせいだとも、奥の層からのはぐれの魔獣が行き倒れてその体内の寄生虫から病気が広まったとも、様々な憶測や噂が飛び交ったがはっきりした原因は判らないままだった。
ムロハラの町の西隣のニシゾノ村もまた、二年続けての病害虫の発生により農作物に大きな被害があった。
ミツタカの実家も村全体への援助に蓄えを放出し、経済的に困窮してしまっていた――と、町にやって来る商人達の噂話がミツタカの耳にも入っていた。
「――これ、お前んトコの村じゃなかったか?」
今日の依頼を終えて帰る途中で、狩部の依頼掲示板の前で立ち止まったロクタロウが一枚の貼り紙を何気無く指差した。
「あらホント。」
ナミカやカヨもロクタロウの指し示す貼紙へと目を向けた。
その紙には「ニシゾノ村への荷運びの警護依頼」と書いてあった。荷物の中身はニシゾノ村の村長が「薬師部」で購入した農薬や土壌の消毒薬等だった。
ムロハラの町の隣に位置する村とはいえ歩きでは半日足らずの時間が掛かり、その道中に魔獣や盗賊が全然出現しないという訳ではなかったので護衛を雇う事はよくある事だった。
まだ病虫害の大発生の被害が続く中で、村長は少しでも村の被害を減らそうと高価な薬を頼った様だった。
「……そうだな。」
ミツタカは一瞥しただけで面白くもなさそうに呟いて歩き出した。
「こないだ魔獣の大物仕留めたばかりだし、たまにはこういう小口の依頼もいいんじゃない? ほら、ミツタカの里帰りも兼ねてさ。近くの村だしさ。」
「あ、いいわね、それ。」
まだ掲示板を眺めているナミカの提案に、カヨも笑顔を浮かべた。
「――やめてくれ! もし受けても俺は行かないからなッ!!」
ミツタカが立ち止まって振り返り、ナミカとカヨの話を怒鳴り声で打ち消した。
ミツタカの不意の怒鳴り声に一瞬だけ掲示板の近くは静まり返り、周囲の狩り人達の視線がミツタカ達へと集まった。
「ご、ごめん。……そんなに怒んなくても……。」
ナミカは少し引き攣った笑みを浮かべながらもミツタカへと謝った。
「――悪ィ。」
思わず怒鳴ってしまったミツタカの方もばつの悪そうな表情で視線を逸らし、ナミカ達へと再び背を向けるとさっさと歩き去っていった。
「相変わらず可愛気が無いわねえ。」
「リョウジロウんトコの新人教育ちゃんと上手くいってんのか? ――って確かもう二年位は経ってるから新人でもねえか。」
「やれやれ~。もちっと愛想良くしろっての~。」
呆れ半分、からかい半分の声が周りの狩り人達からカヨ達へと掛けられた。
ミツタカの無愛想な事や周囲に余り馴染もうとしない気質は、既にムロハラの狩り人達の間には広まっていた。
「やっぱり何か訳有りなんだろ。余計なお節介にならない様に気を付けろよ。」
去っていくミツタカの背中を見送りながらロクタロウはカヨとナミカへと注意をした。
「そう……? でも……。」
どうしてあんなに頑ななのだろう。
二年前に受け持った当初から比べても、最近は益々無愛想になり、更に壁を高くしているかの様なミツタカの態度や雰囲気を、カヨやナミカは心配し気遣いつつも疑問にも思う様になっていた。
当初の教育用の短期間のパーティ加入期間もとっくに過ぎていたが、そのまま継続して所属する場合もよくある事だった。
ミツタカの場合も脱退して他のパーティに移る事も無いまま現状継続の所属が続いていた。
無愛想で他人に壁を作っているという事もあり、余所のパーティも積極的には引き受けたがらないという事情もあったが。
――とは言え、折角仲間になったのだから何とか力になれないものか――カヨやナミカは善意から心配していた。
そんなカヨ達の思い遣りを理解しない訳ではなかったが、それはミツタカにとっては煩わしく余計な世話だとも思えるものでもあった。
一人でいつもの食堂に入り、不機嫌な表情を隠そうともせずにミツタカはカウンターの席へと腰を下ろした。
ミツタカが不機嫌な理由は今日のナミカ達の事だけではなかった。
――三日程前にミツタカの許に母から手紙が届いていた。それにはニシゾノ村の困窮した近況が書かれており、そろそろこの機会に父を手伝う為に――家を継ぐ為に帰ってこないか。イチクラ村に居る遠縁の家の娘さんを嫁に貰うという話も進めている等々。
そして、お見合いの前段階として、その娘さんがミツタカの人となりを確かめにムロハラに行く準備をしている――と。
自分の意思とは関係無く親達の決めた事柄の不愉快さと、村に戻らずこれからも今の生活を続けていけるだろうかという不安とで、ミツタカはずっと落ち着かず苛々し続けていた。
「おまちどう。」
店主がカウンターの向こうから定食の乗った盆を差し出してきた。
それを無言で受け取り食事を始めたものの――気持ちが落ち着かないせいか、味が何も感じられなかった。
ミツタカはそれでも黙々と肉や野菜を口の中に押し込み食事を続けた。
――嫁を貰い、子供を産ませて男は一人前なんだ。家族を養って田畑を守っていくというのが真っ当な人間の営みってもんなんだ。
十四歳の時に狩り人になりたいと父親に告げた時に殴られ、諭された時の事が不意にミツタカの脳裡に甦った。
あの時の悲しみと苛立ちも甦り、ミツタカはきつく口の中の肉と野菜を噛み締め飲み下した。
何が当たり前の事で、何が真っ当な事なのだろうか。
自分は嫁を貰いたいとは――女とどうにかなりたいとは全く思えない。それが自分の中での当たり前の事だというのに。
女に何の興味も魅力も感じない。このまま無理矢理に結婚したとしても女相手に何も出来ないししたくない。子供を作る事も出来る筈がない。
「ごっそさん。勘定置いとくぜ。」
ミツタカの横で、食事を終えた客の青年がカウンターの上に小銭を置いて店主へと声を掛けた。
何気なく目を向けるとミツタカより二つ三つ程年上らしい、やはり依頼帰りらしい汗や土で少し汚れた狩り人の青年だった。
武器や防具は宿にでも置いて来ているのだろう。大きく袖捲りをした薄手の布地の着流しから見える浅黒く太い腕や足にミツタカはつい見入ってしまっていた。
この様な青年とならお付き合いというものも前向きに考えられるというのに――。
考えても仕方無いと、ミツタカは溜息を漏らし、再び食事を始めた。
「――生姜焼き定食一つ。」
「あいよ。」
聞き慣れた声が店主に注文し、隣の席に腰を下ろした。
ミツタカが顔を上げると、リョウジロウがカウンターの棚に置かれていたセルフサービスの割箸とグラスを手元に引き寄せていた。
「お疲れさん。」
「……お疲れ様です。」
そう言って笑い掛けるリョウジロウにミツタカはぼそっと呟く様に返した。
まだ少し食べ残していたが宿舎に帰ろうとミツタカは立ち上がり掛けたが、リョウジロウは笑いながらミツタカの腕を掴んで引き留めた。
「まあまあ、待てよ。何か奢ってやるからよ。」
一見細身の腕の意外と強い力でミツタカは押し留められた。
優男とでも言えばいいのだろうか。細身ですらりと背が高く整った顔立ちのリョウジロウは見掛けに寄らず、刀だけではなく重量のある種類の両刃剣を使いこなす剣士だった。
パーティのリーダーであるリョウジロウには何となく逆らえず、ミツタカはそのまま席に座り直した。
「――おっちゃん、単品、小皿で塊煮込み追加。」
「あいよ。」
リョウジロウがミツタカの分の追加注文をするのを横で聞きながら、ミツタカは定食の残りへと再び箸を伸ばした。
程無くして生姜焼き定食の盆がリョウジロウへと差し出され、リョウジロウは機嫌良く笑みを浮かべながら箸を付け始めた。
いつもより何処か上機嫌で――浮付いた空気を醸し出している事にミツタカは気が付いた。
ミツタカの訝し気な視線に気付き、リョウジロウは生姜焼きの肉を齧りながらミツタカへと話し掛けた。
「あ、多分明後日からウチのパーティ休暇取るからな。」
「多分?」
リョウジロウの言葉に箸を止め、ミツタカは首をかしげた。
「ああ、今晩、カヨとちゃんとした話を付けるから。まあ、何も問題は無い筈だから明後日にシラグチに出発して、その後キタコウジに――。」
「え? は?」
話が見えず戸惑うミツタカの様子に気付き、リョウジロウは箸を止めてミツタカへと顔を向けた。
「あ、悪ィな。俺、カヨと結婚するからさ。」
「!!」
へらへらと嬉しそうににやけた笑顔で告げられたリョウジロウの言葉に、ミツタカは驚きに目を見開いて大きく肩を震わせてしまった。
「おや、リョウさんやっとおカヨちゃんと結婚かい。そりゃめでたいねえ。」
塊煮込みを盛り付けた皿をカウンターの向こうから差し出しながら、店主がリョウジロウへと笑い掛けてきた。
皿を受け取りながらミツタカは暫くの間、呆然とリョウジロウの顔を見つめていた。
リョウジロウとカヨが所謂彼氏彼女の間柄のお付き合いをしているというのはミツタカも一応知っていた。ミツタカがパーティに加入する以前から、絵草子や芝居の様な恋心が大きく燃え上がってどうこうと言う様な事は無かったものの、穏やかでありながらもしっかりと深い信頼関係で結び付いたお付き合いが続いていたと――。
リョウジロウが話すところによると、腐れ縁のなあなあの付き合いで今迄来てしまった一面も否定出来ず、カヨがもうすぐ二十六歳の誕生日を迎えるという時期になり、先日それとなく自分達のこれからの事等を尋ねてみたという。
――それならちゃんとした話を、今晩改めて聞かせて欲しいわね。
やっとか、と何処か呆れた様にしながらも嬉しそうにカヨは答えた。
この世界の農村や漁村等では結婚の年齢は早い傾向にあったが、町で暮らしながらも生活が安定しない事も少なくない狩り人達は結婚が遅い者も珍しくはなかった。
暮らしも安定せず、結婚の縁にも巡り合えずという事で独身のままの狩り人も少なからず居り、ミツタカはそうした者達に紛れて生きていこうとも無意識に考えていた。
「そうか……。おめでとうさん。」
ミツタカはでれでれと嬉しそうに笑みを浮かべるリョウジロウへと祝いの言葉を掛けた。
改めての話と言いながらも、恐らくは特には問題も無くリョウジロウの結婚の申入れをカヨは承諾するだろう。
おめでとう――おめでたい事で。
狩り人としての教育を引き受けてくれて今も世話になっているリョウジロウ達の幸せな話を喜び、祝う気持ちも勿論嘘ではないし強く感じてはいるものの。
何処か遠い世界の話でしかない様な、虚しく空々しい思いもまたミツタカの中で淀んでいた。
◆
翌日はリョウジロウとカヨがシラグチの町へと出発する為の荷物の準備等の為に、パーティの活動は急遽休みと言う事になった。
早朝に宿舎に知らせに来たのはロクタロウとナミカの二人だった。
「――判った。」
ミツタカはそれだけ答えるとさっさと宿舎の中へと戻った。
「あ、ちょっと。あたし達、これからリョウジロウ達へのお祝い買いに出掛けるんだけど一緒に――。」
ナミカがミツタカを呼び止めようとしたが、ミツタカはそのまま引き戸を閉めて自分の部屋へと戻った。
「もう。何よあいつ。」
ミツタカの相変わらずの無愛想な様子に、ナミカは小さく溜息をついて閉じられた引き戸を軽く睨んだ。
「訳有りそうなヤツに構い過ぎるのも相手に迷惑だろ? お前等その辺もちっと加減しろ。」
ロクタロウが溜息をついてナミカの肩を叩き、引き戸の向こうのミツタカへと気遣わし気な目を向けた。
ミツタカの事情を勿論ロクタロウは知る由も無かったが、ナミカやカヨの善意の心配が却ってミツタカを追い詰めはしないかと気懸りには思っていた。
「それより朝飯食ったらモモノハ通り行こうぜ。お前に買ってやりたかったやつ入荷したって連絡があって――。」
「え? 本当? 嬉しい!!」
そんな事を話しながらロクタロウとナミカは宿舎の前から去っていった。
暫くの間ミツタカは部屋でごろごろとしていたが、いつまでもそうしているのも落ち着かず、何となく外の空気を吸いに出ていく事にした。
先刻のロクタロウとナミカも何処かの同じ村の出身の幼馴染と言っていた。彼等は二十二歳と二十一歳――そろそろ結婚しようかという話を、依頼の道中の他愛の無いお喋りの中で断片的に聞いた覚えがあった。
「……クソっ。」
パーティ内の二組のカップルの醸し出す浮付いた空気を思い出し、ミツタカは思わず腹立ち紛れに宿舎の玄関近くのゴミ箱を蹴り付けた。
何処に行くという当ても無く、いつもの習慣で狩部の裏口から中に入り依頼掲示板の方へと足を向けていた。
初心者向けや単独活動をしている者達向けの依頼を貼った壁の近くには、パーティ員募集について書かれたものが多く貼られていた。狩り人としての活動を始めたばかりの者や単独活動の方針を切り替えようと考えている者達の目に付き易い様にという狩部の事務局の配慮の様だった。
「――募集、意外と多いんだな。」
ミツタカはそう独り言を呟き、何となく順番にパーティ員募集の貼紙を見ていった。
新人だったミツタカの教育の為に所属させてもらい色々と世話になったが、カヨやナミカの善意の心配を有難く思うものの段々と息苦しく窮屈さも感じ始めてきた事だし――その内今のパーティを脱退する事も考えた方がいいだろうか……。
ミツタカは暫くの間ぼんやりと掲示板を眺めていた。
結局やりたい事も行きたい所も無いまま、そのまま昼まで狩部の鍛錬場で軽い筋力訓練や剣の素振りを行ない、いつもの定食屋で昼食を食べると宿舎へと戻った。
「お帰り。また手紙が届いてるよ。今さっき受け取ったところだよ。」
ミツタカが玄関から中に入ると、寮母のタキが食堂から恰幅の良い体を揺らしながら廊下へと出てきた。
「有難うございます。」
タキから封書を受け取るとミツタカは足取りも重く自室へと戻り、嫌々ながらも中をあらためた。
また母親からの手紙で、イチクラ村の遠縁のサエカという娘がシラグチの町を経由してムロハラに向かう段取りが出来たと書かれていた。
――そして、もうミツタカも何も知らない子供ではないし、ミツタカが継ぐ事になる家の事をきちんと知ってもらわねばならないと言う事で、母は父には内緒で家の事情について書き足していた。
二年前からの病虫害によってニシゾノ村の田畑は全滅に近い状態になっている事。村長の家だけでなく、財産を持っているミツタカの実家を含む豪農と言われる三つ程の家もこの危機を乗り越える為に金銭的な協力をし続けてきたものの限界が近付いている事。
そこに遠縁のイチクラ村の村長の家から援助や農作物の取引の申し出があり、ついでに丁度年頃になった娘の縁談も一緒に纏めたいという話も出た。
その話だけを聞くと政略結婚の様にも聞こえてしまうが、親戚同士の酒の席での口約束の様なものではあったが、昔から何度か自分達の子供をいつか結婚させたいと語り合っていたので今回の事は丁度いい機会だと両方の家は納得しているとの事だった
「っ……ふっざけるな……っっ!!」
ミツタカは手紙を破り捨て、思わず手近な壁を殴り付けてしまった。
建物は古かったが安普請という訳ではなかったので多少の凹みは出来たが、ミツタカの拳の方がむしろ強く痛んだ。
「何だい、どうしたってのさ?」
そのまま部屋を飛び出すと、心配そうに声を掛けてくるタキに構わずミツタカは外へと走り出した。
何処に行くという当てがある訳ではなかったが、部屋でじっとしている事は出来なかった。
結婚が家同士の話で決められる場合もあるとはミツタカも一応は知っていた。
金持ちの農家ではなくても近所付き合いや親戚付き合いの延長で、添い遂げて暮らしていく内に情も湧くだろうと言う様な、当人達同士の気持ちが固まるよりも先に周囲からの所謂世話焼きによって結婚する――させられる事もまた村での生活の中では珍しい事でもなかった。
そうやって結婚した者達は全てが上手くいったという訳ではないのだろうが、かと言って皆が皆不幸になってしまったという訳でもなく、それなりに家族としての情も湧き温かく楽しく暮らしているといったところだった。
それがニシゾノ村を初め、多くの農村や漁村、いやムロハラやシラグチ、カズラオカの様な町で暮らす者達の間の多くでも当たり前と考えられていた。
だからミツタカも嫁を貰えば家の後継ぎとしての自覚も出来、嫁や子供を守り、田畑を守って生きていくに違いない――ミツタカの両親や親戚達はそんな風に考えていた。
ミツタカの生まれついての在り方は、決してそうしたものに馴染む事が出来ないというのに。
暫くの間ミツタカは険しい顔のまま町を歩き続けていた。
◆
翌日の朝、リョウジロウとカヨは自分達の結婚についての報告を両親達にする為に、まずはリョウジロウの両親の居るシラグチの町へと出立した。
大方の予想通り、昨夜のリョウジロウとカヨの結婚についての話し合いは特に問題がある筈も無く、やっと一つの区切りが付いたと二人共すっきりとした表情をしていた。
「じゃあ留守はよろしくな。」
着流しの上に軽く胸当てを装着しただけの軽装でリョウジロウはロクタロウ達に笑い掛けた。
一応ミツタカも見送りにやって来ていたが、昨日の母からの手紙の件で寝付けず顔色は余り良くはなかった。
「何だ? 寝不足か?」
ミツタカの顔色に気が付き、リョウジロウは心配気にミツタカへと目を向けた。
「何でもない。――餞別。」
ミツタカはリョウジロウを不機嫌そうに軽く睨み返し、ぼそっと呟きながら小さな紙袋をリョウジロウの手に押し付けた。
「あ、「婆ちゃん干し」か。ありがとよ。」
紙袋の中を軽く覗き、ミツタカへとリョウジロウは笑い返した。
「ま、ミツタカらしいわね。――あたし達からはこれ。」
ナミカの手からカヨへと、滑らかで艶のある質感の赤い皮革の小箱が渡された。
「やだ! これ、回復魔法の魔石じゃないの! 高かったんじゃないの? そんな、気を使わなくても良かったのに……。悪いわ……。」
小箱を開けて中を確かめたカヨが驚きに目を見開き、申し訳無さそうに眉根を寄せナミカとロクタロウを見た。
「いいのよ。あたしが贈りたかったから買ったの。あなた、ずっと気にしてたでしょ? ごめんね、あたしの自己満足! 使わなかったら売って新婚の生活費の足しにすればいいから!」
「ナミカ……。有難う……。」
カヨは皮の小箱を手にしたまま涙ぐみ、思わずナミカへと抱き付いていた。
ナミカからの贈り物は、微量の回復魔法を数か月間持続して放出する機能を付けて加工された魔石だった。特に妊娠中に身に着ける事で母体の体調を安定させる働きを持っていた。
カヨとナミカの長い付き合いの中で女性同士のみの話として、カヨは体質的に難産になる可能性があると医師から診断された事があると打ち明けた事があった。
その為、結婚を焦らず腐れ縁のなあなあの付き合いをリョウジロウと続けてしまっていた。
難産になるかも知れない、であって、必ずという程でもないのだから、金は掛かるかも知れないが医者や魔術師や呪術師達の力や道具を頼ってみよう。それでも駄目であれば子供は望まない――と、昨夜の話の中でリョウジロウはそうカヨへと告げたのだった。
それに縁があれば養子という手もある。リョウジロウの亡き祖父も狩り人だった両親を依頼中の事故で亡くし、仲間の狩り人の養子となって生きてきたという。
ちょっとした事故や魔獣との戦いで命を落とす事も珍しい事ではない狩り人達の間では、生き残った年少の狩り人や、遺された狩り人の子供が誰かの養子になったりする事もまた珍しい事ではなかった。
子供は縁があれば妊娠で授かるだろうし、養子でも授かるだろう。なるようになるさ――優男の相変わらずのふわふわした言い草ではあったが、その向こうに見える意外と真っ直ぐな気性にカヨは惹かれていたのだった。
「ほんとに有難うね……。」
カヨは滲んだ涙を拭くと、背負い袋に小箱をしっかりと仕舞い込んだ。
女性同士の何か大事な話だったのだろうと察してロクタロウとミツタカは余計な口は挟まなかった。
だが――やはり、ミツタカはカヨ達の温かな遣り取りを、何処か遠い世界の出来事の様に見つめていた。
「ちょっと湿っぽくなっちまったけど、ちょっくら出掛けてくるぜ。」
カヨの肩へと手を回し、リョウジロウがミツタカ達へと明るく笑い掛けた。
「おうおう、さっさと行って来い。そんでカヨの両親に殴られて来い!」
ロクタロウも笑い返し、わざとらしくリョウジロウの尻を叩いた。
そうしてリョウジロウとカヨはまずはシラグチの町へと出発したのだった。
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2025-0915
取り敢えず生存報告的な何かなんかな感じで、途中まで書けている分だけ投稿です。
後日、完成したら一旦削除して投稿し直します。あらかじめご了承ください。
何とか一応無事に事件や事故も起こさずに旅行から帰宅しましてございます。たった一泊だけの滞在で2-3時間だけの用件でしたが色々と考えさせられたり諸行無常的な何かなんかとかまあ色々ありました。何か何か。
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2025-0924
何とか書き上がりましたので削除して差し替えたと言う事でひとつ。
ここ何日か急に気温が下がり過ごし易くなってきましたが、アタシはまだまだ不調です。まあ真夏の一時期のとんでもない状態と比べると、まあ……3ミリか4ミリ位はましになった……筈。
さて第15話、湿ったしんどい話の読者側からしたら読み飛ばしパートです。書く側としても明るくからっとした話とか、イモ臭い雄臭いガチムチ男子達がイチャコラ以下略な話を書きたいのですが、ついつい書き込んでしまいました。書いていて作者の心情悪い意味で反映し過ぎ的ななんかなんかです。若い頃の、周囲からの結婚の圧力で心身が削られ傷付いていくあの嫌な圧迫感を思い出してしまいました。ノンケの方の結婚にまつわる諸事情についても多様な背景や苦悩がある筈なのに、何ですかね、あの、男と女がカップルになって家庭を形成し子供を産む、というお話一本だけで全てを説得しようとする、物語ろうとする価値観て。