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第十一話「狩り人になったばかりの少年と、そいつに憧れる少年の遣り取りのあれやこれやの件」

 三味線弾きの男はバチを持つ手の力を抜き、一息ついた。

「~フクタロウぉーのーそれはー、初恋なのかしらねええ、と。」

 他愛の無い弾き語りを聞き続ける物好きな者は居らず、皆適当なところで屋台を離れていった。屋台の店主達も客あしらいや金勘定に忙しく、三味線弾きの歌を気にする事も無かった。

「これはなかなか興味深い歌を歌っているではありませんか。」

「違ぇねぇや。おめぇさん、何処をふらついてやがるかと思やぁ、こんなトコに居るたぁなあ。」

 竹筒の水筒に口を付けて喉を潤している三味線弾きの所に背の高い二人の男の影が差した。

「おやおやこれはこれは。」

 三味線弾きの男が顔を上げると、既に仕事を終えたのか私服の藍色の着流しを緩く身に纏った二人の初老の男達――ムロハラの狩部の長と、カズラオカの薬師部の長が三味線弾きを見下ろしていた。

「ヤスっちにチュウどんじゃあございませんか。」

 三味線弾きの男は顎髭を撫でながら二人に微笑み掛けた。

「続きを聞かせろや。」

 カズラオカの薬師部の長――チュウゴロウが金貨を指先で弾き、三味線弾きへと放った。

「面白かったら賽銭は弾むぜ。「歌部うたいべ」の神……。」

「おおっと~。野暮な事は言いっこ無しでござんすよお。あっしはただの名無し宿無しの三味線弾き。物語に意味有り気にそれっぽく配置されただけの雰囲気作り要員で~、それっぽい事を歌ってそれっぽい印象を振りまくだけの、それっぽいエヌピィシィとかいう人物でごぉざそうろうぅ~。」

 三味線弾きはチュウゴロウからの金貨を受け止め、ふざけた口調で歌う様に言い、チュウゴロウがそれ以上何か言うのをやめさせた。

「まあ、たまにはこういう戯れ歌を肴に酒を飲むのも面白いでしょう。」

 狩部の長――ヤスイチロウはそう言ってチュウゴロウと共に近くの屋台の椅子へと腰を下ろし、酒と焼鳥とおでんを注文した。

「では、フクタロウとミツタカの始まりの物語いい~。続きを歌ってみましょうかあ~。」



 残り三頭の森鹿は二頭がやられた事で攻撃性よりも警戒心が強くなっていた様で、山の中でリョウジロウ達と遭遇しても、リョウジロウ達へとある程度攻撃をすると逃げる様になってしまっていた。

 しかし警戒心が強くなった一方で村外れにある畑の作物は食い荒らし、そこに居合わせた村人達へは襲い掛かるという始末に悪い状態になってしまっていた。

 リョウジロウ達は何とか知恵を絞り、罠を作ったり敢えて追い立てる等工夫をしながら何とかまた一頭仕留める事が出来た。

 残り二頭となり少し気の緩み始めた村人達へと、村長とリョウジロウは引き続き気を引き締めて生活する様にと注意を促していた。

 そんな中、今日もミツタカの護衛によってフクタロウ達は畑仕事へと出掛けていた。

 フクタロウ達一家や隣近所のグループの護衛はミツタカで固定される様になっていた。

 フクタロウ以外の子供達は、ミツタカがずっと無愛想で怖そうな雰囲気であるのと、リョウジロウとロクタロウの様に森鹿を仕留めるという様な判り易い強さや活躍が目の前で無い為にミツタカへの関心はすっかり薄れてしまっていた。

 フクタロウを襲った森鹿の仔を斃したのはミツタカではあったが、ミツタカの意向もあって余り言い触らされてはおらず、子供達から関心を持たれなくなったのはミツタカの望むところでもあった。

 フクタロウだけがミツタカのすぐ横を歩き、時々話し掛ける等して懐いていた。

「……ああ、大蜜柑、だいぶ綺麗に剥ける様になった。」

 ミツタカも言葉少なではあったし表情もむすっと無愛想なままではあったが、フクタロウとはそれなりに話をする様にはなっていた。

 自分達の畑へと到着し、フクタロウも父親達と共に作業へと取り掛かった。

 残り二頭と言う事で森鹿が村の内側にある方の畑に出現する可能性はかなり低くなってはいたが、ミツタカは油断せずにフクタロウ達を見守りつつ周囲を警戒していた。

 雑草取りや小石拾いをしながらフクタロウは時々ミツタカのそんな様子を盗み見ていた。

 自分が長男だったし親戚にも年上の従兄弟等は居なかったので、もしも年の近い無愛想な兄が居たらあんな感じなのだろうか――等とフクタロウはそんな空想をしながら雑草取りを続けていた。

 兄ちゃん――村の年上の青年達への今迄の様な漠然とした憧れや性の疼きではなく、具体的な誰かに対しての憧れや体に熱を帯びた疼きを初めて感じながら、フクタロウはミツタカの事をこっそりとそう呼ぶ様になっていた。

 それは、もしかしたらフクタロウにとっての初恋の様なものなのかも知れなかった。

 昼前になり、取り急ぎの作業を終えた皆は帰宅する事にした。

 いつもの様に畑に近い家から順に皆を送り届けている中で、今日はミツタカは母親達からお裾分けを貰う事が続いた。

 丁度漬け物が食べ頃になったとか、干していた山菜が丁度良く水気が抜けたとか――森鹿をやっつけてくれているリョウジロウ達のパーティへのささやかではあったが村人達からの感謝の気持ちだと言う事だった。

 断り過ぎるのも却って失礼だというカヨの教育を思い出し、ミツタカは無愛想ではあったがぼそぼそと礼を言い小さな風呂敷包みを受け取っていった。

 最後のフクタロウの家に着く頃には少しずつの贈り物が積み重なって意外と大きな量になっていた。

「うちもまた干し柿で申し訳無いけど、よろしかったら……。」

 小さな風呂敷包みを三つ四つ両手に持つミツタカを気遣いながらも、フクタロウの母親もおずおずと声を掛けた。

「あ、荷物、運ぶよ……。」

 フクタロウがそう言ってミツタカの持つ風呂敷包みへと軽く手を伸ばした。

 両手が塞がっていてはいざという時に刀を振るえないだろうし、もう少しミツタカと一緒に居たいとフクタロウは知恵を絞ったのだった。

「お前が……?」

 ミツタカはフクタロウの申し出に思わず、じろじろとフクタロウの頭から足まで見てしまった。

 痩せてひょろひょろとした筋肉というものがろくに付いていない様な体では、荷物を頼むのにも躊躇いがあった。

「あ、まあ……それじゃあ、半分頼む。」

 しかし何故かミツタカはフクタロウを拒む気にはなれず、荷物の半分だけを頼む事にした。

「大丈夫なのかい? 狩り人さんに迷惑かけるんじゃないよ……?」

 心配そうにしている母親から干し柿の入った紙袋を預り、フクタロウはミツタカから二つだけ風呂敷包みを受け取った。中身は少量の漬物や干した山菜ではあったが意外とずっしりとした重さがあり、余り腕力の無いフクタロウにとっては手こずるものだった。

「行くか。――ありがとうございました。」

 フクタロウに声を掛け、ミツタカは母親へと軽く会釈をすると村長宅へと戻る事にした。

 途中、フクタロウを一応気遣ってミツタカは一、二度立ち止まり荷物を地面に置いて休憩した。

 フクタロウは何とか休まずに頑張ろうと力んでいたが、ミツタカが立ち止まって休むとそれに従って同じ様に荷物を下ろして休憩した。

 そうしてミツタカとフクタロウが村長の家に辿り着くと、またこの前の様にカヨが戻ってきたところだった。

「あ、この前の……。今日はどうしたの?」

 フクタロウへと微笑みカヨが問い掛けると、横に居たミツタカが眉を寄せた表情でぼそぼそと答えた。

「何か村の人達から俺達にお礼だって。」

「あら……。後でお礼に回らなきゃね。」

 カヨはミツタカとフクタロウの手荷物の量に納得し、頷いた。

 フクタロウから風呂敷包みと紙袋を受け取ると、カヨはフクタロウとミツタカを交互に見て笑い掛けた。

「折角だし、今日もお昼一緒に食べていけばいいわ。リョウジロウは一食位食べなくても平気だし。」

 また本気とも冗談ともつかない事を言いながらカヨはミツタカからも風呂敷包みを取り上げると、フクタロウと共に玄関に待たせ、村長の家へと入っていった。

「おい……!」

 ミツタカが呼び止めたがカヨが聞き届ける事は無かった。

 それからすぐにカヨが弁当箱と大蜜柑を一個ずつ持って二人の所に戻ってきた。

 文句を言っても無駄だと思いながらも、ミツタカは不満気に顔を顰めて弁当箱と大蜜柑を受け取った。

「そんな顔しないの。一人だけでも村の子と仲良く出来ている様で良かったわ。さ、いってらっしゃい。」

 カヨに送り出され、ミツタカとフクタロウは先日の様にまた村長宅の隣の祠のある場所にやってきた。

 ミツタカとまた食事が出来てフクタロウは嬉しかったものの――ミツタカの機嫌を損ねてはいないだろうかとフクタロウは心配しながら後ろを付いていった。

「また大蜜柑か……。まあ贅沢は言えねぇけど……。」

 そんな独り言を言いながら軽い溜息をつき、ミツタカは椿の大木の根元に先に腰を下ろした。

 村の特産ではあったが同時に二、三ヶ月のまあまあ長い期間の保存食の様な位置付けでもあった大蜜柑は村長宅で大量に保管されていた。そろそろ傷み始めると言う事で毎日毎食ミツタカ達にも振舞われていて流石に飽きてきていたのだった。

 フクタロウもその近くに腰を下ろすと早速弁当箱を開いた。

「何か付き合わせて悪かったな。新人の教育の一環だとかで色々とあの人うるせえんだ。」

 大きな握り飯を頬張りながらミツタカは軽く溜息をついた。

「そっ、そんな事無いよ……。」

 兄ちゃんと――ミツタカと一緒に食事が出来て嬉しい。フクタロウはそう思いながら返事をした。

「狩り人って魔獣相手に刀振り回すか、森の奥で何かお宝さがしてりゃいいって思ってたのになあ……。絵草子と全然違ったぜ。」

 大根や白菜の漬物を齧りながらミツタカは自嘲気味に小さく笑いを漏らした。

 狩部が開いている無料の基礎講習受講や、教官の居るパーティへの所属をすっ飛ばして自分の力一つを頼みに活動をしている新人達も居ないではなかったが、早々に失敗をして潰れたり酷い時には命を落とす者も少なくはなかった。

 別の方向の酷さでは悪意を持って利用しようと言う様な者達に付け込まれ、借金塗れにされていい様に使われたり犯罪の片棒を担がされやがては警吏に逮捕される等、やはり決して良い結末にはならなかった。

 出来るだけ多くの知識や技術を学ぶ事で人材を犯罪から守り、適切に育成する事が結局は狩部にとっても狩り人自身にとっても利益になるのだと、狩部の者達は日頃から呼び掛けていた。

 同じ村の一日早く狩り人に登録していたヤスミチからそんな話を聞かされ、ミツタカは慎重に安全策を取る事にしたのだったが。

 幾つも講習を受け、実技を学び、実際のパーティでの活動であれこれ教えられ――と、寺子屋の子供の何倍もの勉強をさせられる事になるとは思ってもみなかった。

「へええ……。」

 ミツタカの愚痴混じりの話もフクタロウは目を輝かせ、じっと聞いていた。

 沢山の事を学ぶのは大変そうではあったが、それも何か恰好いい立派な大人の姿の様だとフクタロウは無邪気に憧れた。

 話し疲れて一息くと、ミツタカは大蜜柑の皮を剥き始めた。

 フクタロウに教えてもらい、毎日毎食食卓に出てくるせいですっかり手早く剥ける様になっていた。

「……。」

 外皮を剥き終わり半分に割ったところでミツタカは一瞬無言で大蜜柑を見つめた。ここから更に薄皮を剥く手間が面倒になってしまった様だった。

「?」

 フクタロウが自分の大蜜柑を剥きながらミツタカへと目を向けると、ミツタカはそのまま薄皮を剥かずに口の中へと放り込んだ。

「……苦くない?」

「ちょっとだけな。でもまあ面倒だしな。」

 フクタロウが尋ねるとミツタカは薄皮ごと大蜜柑の房を噛み締めながら答えた。

「……意外と悪くないな。」

 爽やかでさっぱりとした甘い味と香りの中に薄皮の苦味が仄かに混じり、意外とミツタカの好みに合ったのだった。

「そうなんだ……。」

 フクタロウも面倒がって薄皮ごと食べた事が何度かあったが、少しだけ目先が変わってまあまあ美味しいかも知れないと感じる位で、まだ苦味を充分に楽しむ程には味覚が育ちきってはいなかった。 

「俺も……まあ、ちょっとだけならこの苦いのも好き……かな。」

 背伸びをしようとフクタロウはミツタカの真似をして、今度は薄皮ごと大蜜柑を噛み始めた。 

「そうか……。」

 フクタロウの背伸びに気付いたのか気付いていないのか、ミツタカは軽く頷いた。

 それから空になった弁当箱へと種を吐き出すと、また次の房をちぎった。

 今度は房を開く様に薄皮を途中まで剥くと、中の種を取り出して薄皮ごと口にしたのだった。

「――ええっ? 兄ちゃん、わざわざ種だけのけて薄皮付いたまま食べるの?」

 その様子を見ていたフクタロウは驚いて思わず声を上げてしまった。

「ん?」

 もぐもぐと大蜜柑を咀嚼しながらミツタカは兄ちゃん呼びされた事に軽く首をかしげた。

「あ、……ご、ごめん、なさい……。」

 ここのところ心の中だけではあったがこっそりと兄ちゃんと呼んでいたせいで、思わずそう呼んでしまっていた。

 フクタロウはミツタカを不愉快にさせはしなかったかと、慌てて頭を下げて謝った。

「……馴れ馴れしかったね……。ごめんなさい……。兄ちゃんなんて言って……。」

 しかしミツタカはいつものむすっとした様な表情ではあったが怒ってはいない様だった。

「兄ちゃん――まあ、兄貴、とか、あにさん、とかだよな。」

 男らしい強い男はそう呼ばれて慕われたり頼りにされる。狩り人の絵草子にもその様な事が書かれていた事をミツタカは思い出し、ふっと微かに笑みを浮かべた。

「別にいいぜ。好きに呼んだらいい。」

 兄ちゃん、だと少し押しが弱い様な気もしたが、フクタロウの様な子供から呼ばれるのならばそんなところだろうかと割り切る事にした。

 あっさりと兄ちゃんと呼ぶ事を許されてフクタロウは拍子抜けした様だった。

「え……いいの? 兄ちゃんて呼んでも……。」

「ああ。」

 おずおずと問い掛けてくるフクタロウへとミツタカはあっさりと頷いた。

 相手は年下の子供ではあったが、頼りにされ兄貴分と慕われるのは悪い気はしなかった。

「……へへへ……何か改めて呼ぶのは、何か照れ臭いな……。」

 頬を染めて俯きがちになりながらも、フクタロウは嬉しそうに微笑んだ。

「……に……兄ちゃん……。」

「な、何にも無しに呼ぶな。」

 フクタロウの照れが移ったのか、フクタロウを咎めつつも何故かミツタカもまた顔を赤くしてしまった。

「ご、ごめんなさい……。」

 フクタロウは慌ててまた頭を下げた。

「――いや、まあ、別に……。」

 ミツタカはそう言って誤魔化す様にまた大蜜柑を口に放り込んだ。

 乱暴に咀嚼したせいか一つ二つ種まで噛んでしまい、ミツタカは慌てて吐き出した。

 兄弟という間柄ではないのに兄ちゃんと呼ばれる事は、そういえばミツタカにとっても初めての事だった。

 ミツタカは目の前に座り大蜜柑を食べているフクタロウを見た。

 誰かに好意を持たれ慕われるのは、照れ臭くくすぐったいものがあったものの――それは何だか心地良いものだった。



 翌日の昼過ぎにリョウジロウが仕留めた一頭の森鹿の死骸を背負って、ロクタロウやナミカと共に村長の家へと戻ってきた。

 それを伝え聞いた村人達は畑仕事を半ばにして村長宅へと喜びながら集まった。

 残り一頭。もうすぐ魔獣の脅威を気にせず生活出来る日が近付いてきていると村人達は互いに喜び合った。

 その日の夕方。夕食を終えたフクタロウが家の前で妹と弟がお手玉やでんでん太鼓等で遊ぶのを見守っていると、道の向こうからミツタカがゆっくりと走ってくるのが目に入った。

「兄ちゃん! ……あっ。」

 思わずそう口にしてしまい、何となく弟や妹の前で言うのはまずいかと思ってしまいフクタロウは慌てて口を噤んだ。

 幸い弟達には聞こえていなかった様で、弟のタケサブロウは機嫌良く笑いながらでんでん太鼓を軽く鳴らして回していた。

「おう。」

 ミツタカの方もフクタロウ達の近くまでやって来ると足を止めてフクタロウへと挨拶した。

「あ、狩り人さん。」

 タケサブロウの横で地面に屈み込んでおはじきで遊んでいた妹のフクエもミツタカに気が付いて顔を上げた。

「お、おう。」

 相手が小さな女の子という事もありミツタカはややぎこちなく挨拶をした。

 愛想良く微笑むという様な器用な真似が出来る筈も無く、ミツタカはいつものしかめっ面のまま軽く頭を下げた。

「こ、こんばんは……。」

 やはりミツタカのそんな表情が怖いのか、フクエは何処か怯え気味の硬い声でそう言ってまたおはじきの方へと顔を伏せた。

「えーと見回り? ご苦労様……です。」

 無愛想なミツタカのしかめっ面も既にフクタロウにとっては恐いものではなくなっていた。

「ああ……。走る鍛錬も兼ねてって言われて、走りながら見回りしろって……。」

 森鹿も残り一頭になり、攻撃性は変わらずあるものの群の仲間を失った事で警戒心も強くなっている為、村の内側に出現する可能性は殆ど無くなっていた。

 山を捜索するリョウジロウ達の手伝いをしたいとミツタカはリョウジロウに言ったものの、今回はミツタカが村での立ち回りを学ぶ事も目的の一つであるからと同行は却下された。

 フクタロウを助けた時に森鹿を一人で相手取った事で、却って油断があり危なっかしいとまでリョウジロウやカヨに厳しい事を言われ、不満に思いながらも引き下がるしかなかった。

「凄いや……! 村中ずっと走り回ってたの?」

 ミツタカのそんな内心を知る由も無く、フクタロウは目を輝かせてミツタカを見つめた。

「あ、ああ……。まあな……。」

 フクタロウからの憧れの眼差しに少したじろぎながらも、ミツタカはぼそぼそとそう言って頷いた。

「ぼ……お、俺もそんな風に、なれるかな……。」

 ゆっくりとした速度とはいえ村中を走る体力を既に持っているミツタカを、フクタロウは憧れの目で見続けていた。

 痩せてひょろりとした体格で体力も筋力も無いフクタロウの中に、ミツタカの様になりたいという気持ちが湧き始めていた。

「そうだな……。」

 フクタロウの言葉に上手い返しも思い付かず、ミツタカは曖昧に返事をした。

「まあ、その……頑張れ。」

 フクタロウに上手い言葉を掛けられない事を何故かミツタカは残念に思いながら、そう言うと次の見回り場所へと行く事にした。

「う、うん! 頑張るよ。」

 具体的に何を頑張ればいいのかまでは判ってはいなかったが、フクタロウはミツタカから励まされた事自体に喜びながら去っていくミツタカを見送った。



 翌日。朝食を終えるとフクタロウは父に付いて畑仕事へと出掛けるべく先に家の前へと出た。

 そこに隣の家――と言っても田舎の農村の事で、暫く歩いた先だったが――のハルヨおばさんが小走りで駆けてきた。

「おはようフクちゃん。」

「おはよう。」

 ハルヨはフクタロウへと声を掛けると、そのまま勝手知ったるフクタロウの家の中へと入っていった。

「あらハルちゃん。どうしたんだい?」

 フクタロウの母親が中から姿を現すと、ハルヨは嬉しそうな声を上げて話し始めた。

「行商人のトシイチさんとヒロヨさん夫婦、さっき村に来たんだよ。昼から商売するからよろしくってさ!」

「あら本当!?」

 母親が嬉しそうに声を上げるのを外で聞きながら、フクタロウも笑顔を浮かべた。

 ミナミヤスハラ村へと行商にやって来る者達は何組か居り、中年夫婦のトシイチとヒロヨは古着や布地、また裁縫道具や調理器具等小さな生活用品を扱っており、後は子供向けの薄い絵草子を商っていた。

 夫のトシイチが若い頃は「歌部うたいべ」に所属しており笛が得意で、妻のヒロヨの紙芝居に合わせて吹く笛が良い客寄せになっていた。

 村の外から商品だけでなく娯楽をもたらしてくれる彼等夫婦の行商は、老若問わず村人達から心待ちにされていたのだった。

 午前の畑仕事を終えて昼になり弁当を食べ終わると、父親とフクタロウは家に帰り、家族皆で村長の家へと向かった。

 既に村長宅には、村中の者達が押し掛けたのではないかと思える程大勢が詰め掛けていた。

「何だか久し振りだねえヒロヨさん達。」

「来る途中大丈夫だったかい?」

 村人達から次々に夫婦は話し掛けられ、商品の販売よりも挨拶やお喋りが長くなってしまうのも田舎の村への行商ではよくある事だった。

 五頭の森鹿がミナミヤスハラ村のすぐ近くの山に居座ってしまた事で、暫くの間は村の外部との行き来は制限され行商人達も気安く来る事は出来なくなっていた。

 やっと残り一頭になったという事で、危険もかなり少なくなっただろうと道中を一応は警戒しながらもトシイチ夫婦は村への行商を再開したとの事だった。

 まだ暫くの間は大人達の買物やお喋りが続く様で、連れて来られた子供達は村長の家の広い庭先に集まって思い思いに遊びながら過ごしていた。

 フクエもタケサブロウも隣近所の仲の良い子供達と合流し、おはじきやお手玉、ちょっとした鬼ごっこ等をして遊び始めた。

 一応は長男として弟妹の遊ぶ様子を近くで見守っていると、引っ込み思案なフクタロウも隣近所の歳の近い友達から一応は剣玉や独楽遊びに誘われた。

 だがフクタロウは剣玉も独楽も余り得意では無かった為に、彼等はすぐにフクタロウと遊ぶ事に飽きてしまった様だった。

「……独楽か。」

 そこにミツタカがいつもの無愛想な顔をしながらやってきた。

「あ!」

 兄ちゃん――そう言いかけて、他の皆の手前フクタロウは慌てて口を閉じた。

 別に村の外からやってきた狩り人の事をそう呼んで村の子供が懐いたとしても、特別におかしい事でもない筈だったがフクタロウは何となく気恥ずかしく、兄ちゃんと呼ぶ事を隠してしまっていた。

「あー……。またなフクタロウ。」

 フクタロウ以外の子供達は、やはりむすっとして不機嫌そうで無愛想な少し年上の狩り人の少年が苦手なのか、フクタロウと遊ぶのに飽きたのを幸いにさっさと離れていってしまった。

「う、うん。」

 フクタロウは軽く手を振り、少年達が庭木の大きな楓の下に駆けていくのを見送った。

「あ、何か悪かったな。一緒に遊んでたんじゃないのか?」

 ミツタカが申し訳無さげに軽く眉を寄せるが、フクタロウはむしろ嬉しそうにしながら頭を横に振った。

「いいんだ別に。それより兄ちゃん、今日はどうしたの? 村の見回りとかは?」

 フクタロウが尋ねると、ミツタカは軽く溜息をついた。

「見回りはまた夕方だ。それまではここで村人達の買物の護衛だとさ。」

 村の中心地に近い村長宅に、最早森鹿一頭がわざわざ山の中から襲来する筈も無いが。

 しかし一応は人が多く集まっている場所での警戒の練習だと、カヨからミツタカは指示されたのだった。

「やっぱり他の子供には懐かれないわねえ……。」

 そこにさっきの様子を見ていたのかカヨが苦笑いをしながらやってきた。

「別に構わねぇだろ。愛想振り撒くのは狩り人の仕事じゃねえ。」

 ミツタカはそう言って不機嫌そうに口を引き結んだ。

「はいはい。――あ、みんな! 紙芝居が始まるって言ってたわ!」

 カヨはそんなミツタカの横を通り、庭に居る子供達へと呼び掛けた。

 カヨの呼び掛けを聞き、遊んでいた子供達は皆嬉しそうに顔を上げ、親達の居る村長宅の玄関前へと走り出した。

「あたし達も行きましょうか。」

 子供達の後をゆっくりと歩きながら追うカヨに促され、ミツタカとフクタロウも歩き始めた。

 買い物も終わったらしく、大人達は酒こそ飲んではいなかったものの村長から茶や漬物を振る舞われ互いに楽し気に喋り合っていた。

「今日は沢山お買い物をして下さり有難うございました。お礼に拙くはございますが手前どもの紙芝居をお楽しみ下さいませ。」

 トシイチの奏でる軽快で楽し気な笛の音と、ヒロヨのよく通る声での口上が聞こえ、子供達は急いで集まってきた。

 玄関の前に置かれた荷車の上に縦横一メートル位の大きさの木枠が立てられ、その中に鮮やかな色彩で描かれた鎧武者の姿があった。

 小さな子供達は荷車の前へと座り、年上の子供達はその後ろに陣取った。

 青年達や親達も後ろの方や、紙芝居自体は見えなくても雰囲気は楽しみたいと敷地の端の方で茶を飲みながら座っていた。

「へえ、「狩り人ゴロウザの大蛇退治」か……。」

 村人達に何かあっても対応出来る様にと一番後ろに立っていたミツタカが、鎧武者の横に書かれた題字を懐かし気に見た。

「知ってるの?兄ちゃん。」

 ミツタカの横に立っていたフクタロウが尋ねると、ミツタカは軽く頷いた。

「子供の頃に村に来た旅芸人の中に紙芝居やる奴が居て、それがこんな題名だった。」

「へええ……。」

 そうしている内にも始まりを告げる勇ましい雰囲気の笛の音が鳴らされ、ヒロヨがあらすじを読み上げ始めた。

 物語の内容としてはよくある、旅の狩り人が大蛇の魔獣の被害を受ける村へと通り掛かり、大蛇と戦って村を助けると言う様なものだった。

 何処の絵師が描いたものかは知らないが、紙芝居の中の武者は凛々しく、大蛇はいかにも恐ろしい形相で描かれ、迫力のあるものとなっていた。

 一番後ろで見ていた為にフクタロウは紙芝居の絵をきちんと見る事は出来なかったが、場面毎に合わせた雰囲気の笛を鳴らすトシイチの腕前と、朗々と物語を読み上げるヒロヨの凛と響く声によって他の子供達と同様に物語の世界へと惹き込まれていた。

 紙芝居が終わりその余韻に浸りながらも、夕方が近付き皆は家へと帰っていった。

「面白かったね! ゴロウザ凄い強かった! 本物の狩り人さんもあんなに強いんだよね?」

 紙芝居の余韻に浸りながら、フクタロウも他の子供達の様にはしゃぎながらミツタカへと話し掛けた。

 新人とは言え一応は本物の狩り人が目の前に居ると言う事もあり、フクタロウは他の子供達よりも楽しそうだった。

「あー……まあ、リョウジロウさん達はあれ位強い……かな。」

 少しフクタロウの勢いに困惑しながらミツタカは答え、行商人夫婦が片付けている紙芝居へと目を向けた。

「――強く、ならなきゃな……。」

 ミツタカは小さく呟いた。

 強くならなければ――強い男にならなければ。

 紙芝居の中で村を理不尽に襲う大蛇を勇ましく退けたあの一人旅の狩り人の様に、ミツタカも。

 ニシゾノ村には帰れず――いや帰らず、これから自分一人だけの力で生きていく為には強くあらねばならなかった。



 その翌日。

 行商人夫婦の出立を村長達が見送り、他の村人達もいつも通り畑仕事や家事仕事に取り掛かり始めた。

 リョウジロウ、ロクタロウ、ナミカ、そしてカヨとミツタカもまたその日は山で森鹿探しを行なう事となった。

 残り一頭となった状態で村の滞在が長引くのは良くないという事で、村の生活の正常化の為にも、滞在費用が嵩むのを防ぐ為にも、この辺でパーティ全員で森鹿の駆除に取り掛かる事になったのだった。

 そんな話を大人達のお喋りから聞き取ったフクタロウは、道の向こうに見える小さな山をぼんやりと眺めた。

 村を脅かす森鹿は残り一頭。

 今更ながら、ミツタカ達は仕事でこの村に滞在しているに過ぎないのだと――フクタロウはそれをやっと思い出した。

 フクタロウ自身が仔鹿とは言え森鹿という魔獣に襲われたというのに、その後のミツタカとの兄ちゃん呼びが許されるに至る交流の嬉しさで、その他の事はすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 悪い事だとは子供のフクタロウでも判ってはいたが、このまま森鹿が仕留められずにミツタカがずっと村に居ればいいのにと、そんな事を願ってしまっていた。

 叶う訳の無い子供の他愛の無い願い事――フクタロウもそんな事は判り切っており、その日の夕方に最後の森鹿をリョウジロウ達が仕留めて帰ってきた事で、その願いは叶わないのだと知らされた。

「いやー、めでたい!」

「これでやっと山にも仕事しに行けるなあ。」

「畑仕事も安心だ!」

 村長宅に戻ってきたリョウジロウ達を村長初め大勢の村人達が笑顔で取り囲み、森鹿の駆除の完了を喜び合った。

 村長は少ないながらも保管していた酒樽を倉から出し、皆が夕食の支度をし掛けていた食材を持ち寄ってそのまま祝いの宴会が行なわれる事となった。

 夕暮れも過ぎた頃に駆除完了の知らせを聞いた両親に連れられて、フクタロウも村長宅の宴会にやってきた。

 庭や玄関前に留まらず村長宅の前の道も村人達がむしろを敷いて座り、持ち寄った食事や村長から振る舞われた酒等を飲み食いして楽しんでいた。

「……兄ちゃん……。」

 早々に食事を終え、開け放たれた客間を庭先から眺めながらフクタロウはそっと呟いた。

 客間の上座にリョウジロウ達は座らされ、村長達から酒や食事を供され楽しそうに皆と喋り合っていた。

 ミツタカだけが相変わらず無愛想な表情で、上座ではあったが一番端の場所に座って食事をしていた。

「!」

 ミツタカが何となく庭へと目を遣ると、フクタロウが見ている事に気が付いた。

「――ちょっと出てくる。」

 隣に座るカヨに声を掛けると、ミツタカは席を立って剥かれた大蜜柑を手に庭へと下りてきた。

「よう。」

「兄ちゃん……。」

 食事を終えて家族から離れて庭石に座っていたフクタロウに、ミツタカは声を掛けた。

「向こうで一緒に食べねえか?」

「う、うん!」

 ミツタカが敷地の奥を顎で示すとフクタロウも嬉しそうに頷いた。

 母親に声を掛けてからフクタロウは敷地の奥に歩いていくミツタカの後を追い掛けた。

 敷地を覆う山茶花の生垣の一角が途切れており、そこから隣の敷地の祠のある茂みへと行く事が出来た。

 そこに人の気配は無かったものの、すぐ隣の村長の家や茂みの前の道から楽し気に飲み食いしはしゃぎ合う声が聞こえていた。

 日も暮れて祠の茂みの敷地は暗くなってはいたが、今日はあちこちで蝋燭等が灯されており真っ暗闇という訳ではなかった。

 ミツタカが地面に腰を下ろすと、フクタロウもその近くに腰を下ろした。

「食うか?」

「うん……。」

 ミツタカが差し出したのは既に皮を剥かれた大蜜柑だった。小皿の代わりに大蜜柑の皮に乗せられていた。

 村長の奥さんが剥いたのか、大蜜柑の分厚い皮を途中でちぎらず大きな一枚になる様に仕立てられていた。

 薄皮も剥かれ種も取り除かれていた大蜜柑の大きな房を噛み締めていると、雑味の無い甘く爽やかな柑橘類の香りがフクタロウの口の中一杯に広がり鼻へと抜けた。

「――何だよ、泣くなよ……。」

「泣いてなんか……。」

 溜息をつき困った様にミツタカは間近に座るフクタロウを見た。

 フクタロウは大蜜柑を飲み込み、大きく頭を横に振った。泣いてなんかいない。これは大蜜柑の汁が目と鼻に入ったせいだ。

 座ったままの姿勢でミツタカはそんなフクタロウの前へと近寄ると、森鹿から助けた時と同じ様に着物の袖でフクタロウの顔を拭いてやった。

「兄ちゃん……。」

「ほんとは兄貴とかあにさんて呼ばれる方が、強くて男らしい感じがするけどな……。」

 ミツタカはフクタロウの涙で湿った袖口を軽く捲った。

「あ、絵草子の狩り人さんの話?」

 ミツタカの呟きにフクタロウはミツタカの話していた絵草子の事を思い出した。

 無愛想な主役の狩り人の青年が孤独の中でも強い魔獣を斃し人々を助け活躍する――その物語をミツタカが好んでいるという様な事だった。

 自分がそうした狩り人になりたいとも憧れるともフクタロウは思ってはいなかったが――そうした狩り人に憧れる新人の狩り人の側には居たいと、強く願ってしまった。

 それもまた子供の他愛の無い願い事なのかも知れなかったが。

「――じゃあさ、いつかオレも狩り人になったら兄ちゃんのパーティに入れてくれる? 荷物持ちでも何でもするから。兄ちゃんと一緒に魔獣やっつけたり、見た事も無い位デッカイ宝物を発掘したりしたい!」

 泣き止んだかと思ったら、こいつはいきなり何を言い出すのだろう。

 ミツタカへと身を乗り出してくるフクタロウの様子に、しかしミツタカは驚きながらも悪い気はしなかった。

「そうだなー……。まあ、考えとくよ。」

 フクタロウの必死に訴え掛けてくる姿が微笑ましくも可笑しくなってしまい、ミツタカは知らず笑みを浮かべてしまっていた。

「やった! きっとだよ兄ちゃん!」

 ミツタカが笑顔で返事をしてくれた事に、フクタロウもまた嬉しくなってしまい笑顔でミツタカの手を握っていた。

 狩り人になったばかりの少年と、依頼で赴いた先の村の少年との、よくある他愛の無い遣り取りの一幕だった。





2025-0621

 蒸し暑かったり雨だったり晴れだったりと、気候が安定しないこの時期が真夏よりも意外とやばくて油断ならんですね。

 さて第11話です。回想編長いわ! 実はまだ終わってなくて、ミツタカ十六歳編もあります。取り敢えず12話は現在の話に戻すつもりですが。

 今のとこ初心者の少年達のパーティにお節介焼く話や、フクタロウが性悪娘達に金毟られる話や、そしていよいよ娘っ子達よザマァだぜー、にいちゃあーん、フクタロウウううもう離さないぞおお……と。

 一応十五話から二十話位でさっさと(さっさと?)終わらせたいと思っているのですけど、このエピソードの分量で二十話で終われるかしら……。

 もう早く、脳内で上映されてるナントカの魔獣に半殺しにされてるフクタロウやら、啖呵切ってあれやこれやするミツタカやら、選択肢のなんやかやとか、書き上げたくてたまらんのですよ。

 あ、後、三味線弾きですが本文中に書いた様に、キャラ造形に深い意味は無くて雰囲気作り要員で配置しただけのキャラクターです。

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