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第九話「飲み屋通りで三味線弾きが誰かと誰かの昔話を酔っ払い相手に弾き語っている件」

第九話「飲み屋通りで三味線弾きが誰かと誰かの昔話を酔っ払い相手に弾き語っている件」


「あ……、ええと。」

 彼女達だけでなく、この場の誰もが言葉に詰まり少しの間立ち尽くしてしまっていた。

 食堂から現れた女性の内の一人は少しアヤに似た顔立ちの中年女性で、アヤと違いショートカットに軽いパーマを掛けていた。もう一人はミツタカやフクタロウと同年代位の細身の、肩まで掛かる長めの髪を後ろで軽く赤いリボンで結わえた若い女性だった。

 皆が戸惑っている空気を感じ取りながら、アヤの後ろでフクタロウは酒瓶を抱えたまま自分はここに居てもいいのか、どうしたものかと成り行きを見ていた。

「……御無沙汰です。」

 低い声で呟く様にミツタカが二人の女性へと挨拶をした。

「あ、ええ……。お久し振り。元気だった……?」

 中年女性――アヤの従姉妹のカヨが、何処か労わるかの様な響きを滲ませてミツタカへと声を掛けた。

「ああ……。まあそれなりに。」

 ミツタカは軽く頷き、そのまま視線を落とした。

「あ、ええと、フクタロウ君、ごめんね。ええと、こっちがあたしの従姉妹のカヨ。シラグチっていう町の狩部の職員をしているの。それで、こっちはサエカさん。イチクラ村に住んでいて、大きな薬草の農家のおかみさんで――ええと、まああたし達の昔馴染み。」

 硬く沈みがちな空気を誤魔化す様に明るい声を上げながら、アヤはフクタロウを振り返って二人の女性を紹介した。

「こっちはフクタロウ君。荷物持ち職よ。今どんどんレベルを上げてるから、その内ムロハラで一番の荷物持ちになるわよ。」

「よ……よろしく……。」

 アヤの紹介に慌ててフクタロウはカヨとサエカへと頭を下げた。

 彼女等もぎこちないながらも微笑み、フクタロウへと頭を下げた。

「でもどうしたのよ二人共。今日の昼前にこっちに着いたばかりでしょ? 用事は済んだの?」

 明るい表情を取り繕いながらのアヤの問いに、カヨとサエカもまた少し硬い笑みを浮かべながらもタキの方を振り返った。

「まあね。続きは明日ってところ。で、久し振りにタキ婆と飲みたくてお土産持ってきたの。」

 カヨが食堂の中を振り返り、長机の上の既に空になりかけている酒瓶や菓子折りへと目を向けた。

 カズラオカの薬師部の長からシラグチの町の薬師部と狩部を通じてイチクラ村で栽培されている薬草の急な買取の依頼があり、サエカは納品の為に人足達とカズラオカの町に行っていた。

 カヨもシラグチの狩部や薬師部とカズラオカの狩部や薬師部との遣り取りの為にサエカに同行していた。

 ムロハラへはカヨは私用で頼まれ事があり、サエカの方は出張ついでの寄り道としてムロハラでも薬師部に軽い商売の話をしようとカヨに付いてやってきたとの事だった。

「あー……。成程。オヤッサンのせいか……。」

 アヤは今日のこの巡り合わせの遠因となった薬師部の長――チュウゴロウへと心の中で軽く蹴りを入れていた。

 イチクラ村はシラグチの町のすぐ隣にあり、薬草栽培の盛んな土地だった。

 チュウゴロウは例の超高級回復薬の材料集めの為に、イチクラ村にも薬草の買取依頼を出したのだろう。

「――あー、あたし達はそろそろ帰るね。余り遅くなってもタキ婆に悪いし……。」

 カヨの言い訳染みた言葉にサエカとタキも頷いた。

「そうね……。あたしも明日はここの薬師部に出掛けるし……。」

「久し振りに二人と飲めて楽しかったよ。また来てちょうだいよ。」

 タキはカヨとサエカの背を軽く叩き、笑いながら玄関へと促した。

「ごめんね二人共。ちょっと飲みがてらこの子達と仕事の話するつもりだったのよ。」

 玄関を出ようとするカヨとサエカへとアヤは道を譲りながら、軽く手を合わせて謝った。

「いいのいいの。あ、明日、狩部の事務所に顔出すね。アヤ教官殿にちょっと頼み事あってね。」

「判った。」

 カヨがそうアヤへと声を掛け、先に外へと出た。

「それじゃあ、お邪魔しました。」

 サエカもアヤやミツタカへと挨拶をしてその前を通り過ぎようとした。

「ああ……。何か悪かったな……。」

 ミツタカはサエカへと小さく声を掛け、視線を落とした。

「ううん……。」

 サエカはそっと微笑んで頭を軽く横に振った。結わえた髪と赤いリボンも軽く揺れていた。

「――旦那は今回は一緒じゃないのか……?」

 何かしら世間話らしきものを、と、ミツタカはありきたりの事を何とか口にしたが、何を口にしても空々しい様な気がしてしまっていた。

「旦那は村で子供と留守番よ。――あ、今年で五つになってね、ほんの簡単な畑仕事は手伝ってくれる様になってね……。おっ父う大好きなもんだから、おっ母あが出張でも寂しがらなくてねえ、あたしの方が寂しいわー。」

 ミツタカに合わせて世間話を返したが、サエカの家族の事を語る微笑みは柔らかく温かかった。

「そうか……。良かった……。」

 サエカが幸せそうで良かった。

 かつて自分が結果的に傷付けてしまった女性の、今は落ち着いて幸せな家庭を築いている様子にミツタカの強張っていた表情が少しだけ柔らかくなっていた。 

「じゃあ……。あなたも元気でね……。」

「――あ、ああ……。」

 ミツタカはぎこちなく頷き、サエカも皆に頭を下げ外へと出ていった。



 カヨとサエカを見送り終えて、ミツタカとフクタロウはアヤに促されて食堂の方へと入っていった。

 ミツタカは何事か考え事をしているのか、何処か沈みがちで硬い雰囲気のまま黙り込んでいた。

 あのサエカという人と以前に何かあったのだろうか――フクタロウはミツタカの事を心配しつつ、自らの心の内に何とも言い様の無い落ち着かなさも感じてしまっていた。

「仕事の話ならあたしは引っ込んどくよ。用があったら呼んどくれよ。」

 長机の酒瓶や湯呑、菓子折り等を手早く片付けるとタキは食堂の向かいの自室へと帰っていった。

「あ、豆だけ食べようかしら。」

 フクタロウが机の上に置いた酒瓶と紙袋へとアヤは手を伸ばし、小袋に入っていた煎り豆を小皿へと取り出した。

 フクタロウとミツタカが並んで座り、その向かい側にアヤは豆を齧りながら腰を下ろした。

「――五歳――。六年、か。」

 ミツタカが彼女を拒絶し、そのすぐ後に彼女の家は別の家から婿を取っていたので、子供は一年後位に生まれたのだろう。

 机の上に視線を落としたまま、ミツタカはふと呟きを漏らしていた。

 ミツタカの言葉に思わずフクタロウは横を向き、ミツタカの横顔を凝視してしまった。

「ん? あ、ああすまん。知り合いの子供が成長するのは早いなあってな……。」

 心配そうに自分を見つめるフクタロウの姿に気が付き、ミツタカは慌てて顔を上げた。

「――ああ、あのサエカって人――昔のな、無理矢理決められた許嫁だった人だよ。まあ、俺が全然あの人の事、結婚相手としては好きじゃなくてな。結局破談にしてもらって……。」

「!!」

 結婚という言葉にフクタロウも驚き、思わず大きく肩を震わせてミツタカの顔を更に凝視してしまっていた。

 アヤもまた、それはミツタカの触れられて欲しくない事ではなかったかと、フクタロウと同じ様に凝視してしまった。

「……何だよ。もう気にしてねえって言っただろ……。昔の事だよ。六年前は充分昔だよ。」

 アヤの表情に気付き、ミツタカは溜息をついた。

「そう……ね……。」

 ――俺が結婚したくねぇ……出来ねぇってのが、そんなに悪い事なのか!? おかしい事なのかよっ!?

 ――あんたらの当たり前に、そこまでして付き合わなきゃなんねぇのかよっ!?

 ――俺は女とは……。

「六年は……昔よね……。」

 アヤは曖昧に微笑み、ミツタカを見た。

 彼は六年前、この世界では一人前の成人だと見做される十六歳ではあったが――世間の事はまだろくに判らなかったし、自身に降りかかる理不尽さをはねのける強さもまだ持ち合わせてはいなかった。

 アヤは自分達の善意の無知がまだ若い彼を傷付けてしまった事を、決して忘れる事は出来なかった。

「……そ、そんな事が、あったんだ……。」

 ミツタカとアヤの何気無い風を装いながらも、何処か硬く沈みがちな表情を交互に見ながらフクタロウはただ呆然とし、戸惑う事しか出来なかった。



 それから一応はアヤはフクタロウへと、狩部の窓口でミツタカに話したチュウゴロウからの薬草運びの依頼について説明したものの――カヨとサエカの事があり、説明するアヤも聞いているフクタロウも何処か落ち着かず、話に集中し切れなかった。

 多分近い内にチュウゴロウから正式に依頼の話が来るだろうから、受けるかどうか考えておいて欲しい――と、今夜のところは早々に解散する事になった。

 フクタロウとタキに見送られ、アヤとミツタカは夜の狩部の事務所の裏通りを帰っていった。

「すまなかったねえ。折角の仕事の話、きちんと出来なかったんじゃないかい?」

 アヤとミツタカの去っていく後ろ姿を見つめながら、タキは小さな溜息をついた。

「え……と、その……。」

 ミツタカの昔の許嫁の事が気になってしまい、確かにフクタロウは仕事の話に集中する事が出来なかった。

 この世界では十六歳前後が成人と見做される年頃で、結婚の話がその頃に出るのも珍しい事ではなかった。

 ――フクタロウもその位の年頃には両親や親戚から縁談を世話される事も多く、息苦しく追い詰められる様な気持ちで日々を生きていた事を思い出していた。

「前にちらっとだけ言っただろう? あたし達があの子をあんな風にしちまった――傷付けちまったって。……あの子にその気は全く無いのにサエカとの結婚を、あたし達が調子に乗ってあの子に強く勧めてしまってねえ……。」

 タキは遠ざかっていくミツタカの後ろ姿をまだ見つめながら、何処か懺悔の様にフクタロウへと話し掛けていた。

「そう……だったんですか……。」

 フクタロウは何処か寂し気に呟き、傍らに立つタキを見た。

 ミツタカがフクタロウと同じかどうかまではフクタロウには判らなかったが。

 しかし、明るく宿舎の新人達やフクタロウの世話を焼く善良なこの老女もまた、誰かと誰かが結婚してそれで幸せになるものだと思い込む――ミナミヤスハラ村の両親や親戚達と同じところがあったのだと今知らされた。

 それは決して悪い事ではないし、多くの人々にとっては当たり前の事ではあったが――それはフクタロウの様な者を息苦しく生き辛くさせるものでもあった。その事に今更ながらフクタロウは遣り切れない思いを感じてしまった。

 男と女が一つの番になって家庭を作り子供を産む――そうして生きていく事が当たり前の事だと信じて疑わない――。目の前に居る相手が、それ以外の場所で息を潜めて生きている事等、夢にも思ってはいない……。  

 フクタロウが自分へと向ける眼差しに滲むものにタキは何かしら気が付いた様で、タキもまた寂し気に悲し気にそっと溜息をついた。

「あたし等も、これでもそれなりに、あの子の時に幾らかは学んだつもりだけどねえ……。でも……あの子を傷付けちまった事は変わらないからねえ……。」

 ミツタカとアヤの姿が通りの向こうに消え、タキはフクタロウを振り返り呟いた。

「……。」

 タキに返す言葉が見つからず戸惑い口を噤むフクタロウに、タキは優しい微笑みを向け、

「さ、戸締りしなきゃね。入ろうか。――ああ、今更だけど結構汚れてるわよね。お風呂まだお湯残ってるから入ってらっしゃい。」

 フクタロウの背を叩いて中へと促した。



 ミツタカとアヤは宿舎を出て暫くの間無言で歩き続けていた。

 何処か気詰まりで重い様な空気が二人の間にあったが、先にミツタカが何も気にしていない風に口を開いた。

「そういやサエカの子供の話しか聞いてなかったけど、カヨさんの方の子供も同じ年位だったっけ

……?」

 六年前、ミツタカの所属していたパーティに居たカヨは同じパーティの剣士の男性と結婚する事になり、狩り人稼業を引退してシラグチの町で新居を構えて暮らし始めた。

 最近になって子供を育てる傍ら、生活費の足しに余所の世界でいうパートタイムでシラグチの町の狩部の事務職として働く様になった――と、カヨの従姉妹であるアヤから、何かの折に聞くとも無しにミツタカは聞かされていた。

「そうね……。サエカさんと同じ位の時期に生まれたらしくて、時々手紙の遣り取りもしてるみたいね……。」

 アヤの返事を聞きながら、ミツタカはふと顔を上げた。

 今夜は薄曇りの様で、暗い夜空に星は数える程しか見えていなかった。

 近くに建ち並ぶ家々の向こう側の表通りからは、まだ営業している屋台や居酒屋の明かりが見えており、賑やかに飲み食いする者達の声が微かに聞こえてきていた。

「そうか……。」

 ミツタカはそれだけを呟いてそっと息を吐き、また前を向いて歩き始めた。

 そうする内にミツタカは自分の宿が見える所まで戻ってきた。

「――それじゃあ。」

 そう言って宿へと帰っていくミツタカにアヤもそっと返事をした。

「お休みなさい……。」

 ――あいつにはもう少ししたらもっといい事がある筈なんだ!

 他の宿泊客と共に宿の暖簾をくぐるミツタカの後ろ姿を見送りながら、今日狩部の窓口でミツタカが言っていた言葉をアヤは不意に思い出した。

 フクタロウにはこれから何か、彼にとって良い事があると言うが。

 ……ミツタカにもどうか、これから何か良い事があるようにとアヤは願わずにはいられなかった。



「さてさてええ~やっぱりこれは~よくある物語いい~。」

 タキとフクタロウが宿舎の戸締りをし、ミツタカもアヤもそれぞれの宿に帰った後――。

 飲み屋や屋台が並ぶ町の一角で髭面の三味線弾きが、誰に向けてでもなく好きな様に三味線を鳴らしていた。

「おいおい兄さん、いいのかい? 実在の人間の名前使っちゃまずいんじゃないのかい?」

「狩り人達の権利保護とか何とかで、ヒボーチューショーとか、メイヨキソンとか、今時狩部のお偉方がうるせえんじゃねえのかい?」

「ミツタカってあいつだろー? 欲張り業突く張りの。」

 三味線弾きの歌う内容が耳に入り、通りをほろ酔いで機嫌良く歩いていた何人かの狩り人の男女がからかう様に声を掛けてきた。

「ははは。たまたま似た名前の人間の話を歌ってるのかも知れませんし、そうじゃあないのかも知れません。まあ、ただの戯言譫言、絵空事にござんすよー。」

 三味線弾きの男は薄く伸びた顎の無精髭を撫でながら笑っていた。

「さてええ。ミツタカ、タカミツ、ミカタツ、ミタカツ……。どっかの誰かの、有ったかも知れないし無かったかも知れない、取るに足らないよくある昔のお話さね~。」

 余り大きな音を出さない様に気遣いつつ、男は小気味良くバチを操り歌い始めた。

「昔々、ほんの僅かなその昔、ムロハラの町の隣にあるニシゾノ村にそんな名前の男の子が居りました~。」



 ムロハラのすぐ隣にはニシゾノという農村があった。

 ミツタカはその村の村長でこそなかったが豪農に数えられる大きな家の長男として生まれ育った。 

 よく居るやんちゃで活発な男子として、村の他の子供達と共に農作業の手伝いをしつつも野を駆け遊び回り十四歳まで過ごしてきた。

 その位の年頃になると男子も女子も体が大人に向けて成長し始め、良くも悪くも性別問わず自分や他人の体に興味も出始めた。

 また、十六歳頃の成人の歳に合わせて結婚の話が出る事も多く、若者になりかけの子供達の話題の中に、誰が誰を好きだとか、時には即物的に、誰が性的に魅力的だとか――そうしたものも占める様になっていた。

 そんな風に生活を送るミツタカにも家の後継ぎとして、イチクラ村にいる遠い親戚筋の誰それをいずれは嫁に貰おうかという様な話を、両親や叔父叔母といった親戚達から時々聞かされる事もあった。

 ろくに現実感も無く、いずれ大人になったらそうなるのだろう――という程度の漠然とした意識でミツタカも両親の話を受け止めていた……が。

「――おおーっ、マツジロウ、もじゃもじゃじゃねえかー。」

「だろー? もう皮だって剥けるし、子種だって出るんだぜ。」

「俺だってこないだ出るようになったぜ。キモチイイけど何かくっせえのなー。」

 夏だったか秋だったかは記憶も朧気だったが、夏か秋の村祭りの夜、祭を終えて子供達だけで村の共同浴場に汗を流しに行った時の事。

 大人になりかけの男子達が風呂で全裸で集まれば、互いの体の成長具合に話がいくのも当然の流れではあった。

 ミツタカは積極的に話に加わる事は無かったが、笑いながら相槌を打ち、時にはふざけて誰かの尻を叩いたりもしていた。

 何という事も無い、ふざけ合いながらの入浴だったが――。

「馬ッ鹿おめー、何硬くしてんだよー。」

「しゃーねーだろー。おめえがチカコのおっぱいがどうとか言うもんだからよー。」

 何人かが村の少し年上の女の子達の裸がどうとかと話し始めたせいで、彼等の股間がのぼせてしまっていた。

「――……!」

 隠しもせずに硬くなったものを目の前でふざけて振り回したりするマツジロウやウメノスケに苦笑していた筈だったのに――ミツタカはその時、彼等の裸の体から目が離せなくなっていた。

 生育の早い部類らしくマツジロウやウメノスケ、他にも二、三人の子供達は既に背も伸びて体幹もがっしりとし始め筋肉も付き始めていた。

 大人の男の臭いをさせ始めていた彼等の下半身の中心もまた、ずっしりと太さと重さを持ち始め黒々とした茂みを生やし始めていた。

 そうした彼等の姿に、何の前触れも理由も無くミツタカは惹き付けられ――彼らが股間を熱くしている理由とは全く違う原因によって、ミツタカもまた熱くなってしまっていた。

「わ、悪い、何かのぼせた……。先に上がる。」

 手拭いで前を隠すのと湯船から上がるのとを慌てて同時に行ない、ミツタカは逃げる様に脱衣所へと向かった。

「お、おい、ミツタカ。」

「大丈夫か?」

 マツジロウ達が心配そうに声を掛けて来るが、ミツタカは適当に返事をすると急いで着物を着て家へと帰っていった。

 ――その日以来、ミツタカは漠然とではあったが、自分が他の者達とは何かが違うのだという事を自覚し始めた。

 それからさして日も経たない内に、他の者達と違って村の娘達ではなくマツジロウやウメノスケ、トシヒロ、ヤスミチ……彼等の裸や股間を想像してしか精を放っていない――いや、そうでないと放てない事で、ミツタカは自分が皆とはやはり何かが違うのだと嫌でも自覚させられた。

 そうした自覚の後では、両親達から聞かされる後継ぎや嫁取りの話も、村の友達が話す好きな女の子の話等も、ただただ息苦しく窮屈なものにしか感じられなくなってしまっていた。

「――狩部?」

「おう! 俺は三男だし、ムロハラの町にでも出て狩り人になって稼ぐんだ。もう今年か来年にでも出て行くつもりだしな。」

 そんなある日、ヤスミチ達を中心とした農家や猟師の家等の次男三男達が来年再来年に成人の歳を迎える前に、自分達のこれからの身の振り方をどうするかと話し合っている所にミツタカは出くわした。

「俺は商部で働く。村によく行商のキチジさんとツナコさんの夫婦が来るだろ? あの人達みたいにあちこち行ってみたいんだ。」

「俺はコウカダイの町で狩り人だな。爺ちゃんが餞別にって弓をくれた!」

 ヒノモトの国は大部分の地域で庶民から武家や公家に至るまで長子相続が原則だった。

 その為、生家の財産を継げない次男や三男の多くは、生まれた村を出て他の町や村で何かしらの職について働く事が人生における定番の道筋となっていた。

 そのまま他の土地で結婚し家庭を持つ者も居たし、何年かの後に妻子を連れて村に戻り暮らす者も居た。

「狩り人か……。」

 絵草子や村に来る行商人や旅芸人の話でしか知らなかったが、鎧を着て刀を持ち魔獣と戦ったり、そうでなくても森や山に分け入り、海に漕ぎ出し、依頼された素材やお宝を探したりする者達だと言う事だった。

 狩り人でなくても、商部の行商人や商店の店員、薬師部の薬師、呪部の魔術師や呪術師、そしてそれらを支えて「部」の中で働く者達。

 世の中には農家で田畑を耕す以外にも様々な仕事や生き方があるのだと、その時初めてミツタカは実感した。

 ヤスミチ達の話に、村にこのまま居続けるよりは何処かに出て行きたいという気持ちが、ミツタカの中にはっきりと芽生え始めていた。

「阿呆かお前はァァッッ!!」

 何日かの後にミツタカが両親に、ヤスミチ達の様に一度は町に出て働いてみたいと告げたところ――返ってきたのは父親の張り手と拳骨だった。

「お前は長男だ! 長男は決められた嫁さんを貰ってこの家を継ぐのが役目だろうが!!」

 嫁を貰い、何人か子供を産んでもらい、田畑を守って皆で末永く幸せに暮らしていく――。それがずっと当たり前に続けられてきた、真っ当な人間というものの生き方なのだと。

 父も母もそうミツタカを窘め、宥め、ミツタカの話を聞こうとはしなかった。

 嫁――女性と言うものに皆の様な好意を持つ事が出来ない自分は、既に両親の言う真っ当な人間ではないのだろう。

 その夜、ミツタカは布団の中で声を殺して泣いた。

 そして秋の作物の収穫を終えた時期に、ヤスミチ達三、四人の者達が十五歳になるのを待たずに早々に家を出て独立する――ムロハラや他の町に出て狩部や商部に入って働く為に村を出て行く事になった。

 彼等を見送った次の日の夜、小さな風呂敷包みに着物や貯金を纏めてミツタカもまたこっそりと人目を忍んで出て行く事にした。

「――ミツタカ……。これ、おっ父うから……。」

 家の裏口から忍び足で出たところに母親が待っていた。

 母親から手渡された小さな巾着袋には幾らかの金子が入っていた。

 長男が家を継ぐのは当たり前ではあるものの、外の世界への憧れは村の若者皆にある事で、一度は村の外へと働きに出ていく長男も少なくはないという母親の話だった。

「おっ父うの従兄弟もあたしの従兄弟も長男なのにムロハラやシラグチに出て行っていたのよ……。」

 それで親戚の者達が後継ぎの事を心配し気苦労が多かった様子を見ていたので、父はミツタカの話にかっとなったのだと母は苦笑しながらミツタカに教えた。

「向こうでいいお嫁さん見つけたら連れて帰ってらっしゃいな。楽しみにしてるわ。」

「……!」

 家を出たいという我が子の我儘を見逃し、餞別さえ送ってくれ――その事に有難くは思うものの。

 夜逃げの様な出立を彼等なりの愛情で見送ってくれるものの――その愛情にミツタカは応えたくても決して応える事は出来なかった。

 有難いと思う一方で、両親を冷えて強張った目で見つめている自分の心をはっきりと感じてしまっていた。

 ただ黙って母に頭を下げ、ミツタカは夜道をムロハラへと向かって走り出した。

 もう村には戻らないし、戻る事は出来ない。

 それだけを何度も心の中で繰り返し、何度も暗がりの中で転び、それでも走り続けた。

 翌朝ムロハラの町へと着き、狩部に狩り人として登録してもらいミツタカの新しい生活が始まった。

 先に登録していたヤスミチには驚かれたが、ヤスミチもまた親戚の家の伯父だか大伯父だかがかつて長男でありながら一時期家を飛び出していた事があったと、ミツタカの事はすぐに納得した様だった。

 当時もムロハラの狩部は狩り人の人材の保護や育成に良心的で、ヤスミチ達の様な農家の次男三男や、ミツタカの様な訳有りの長男といった若者達を教育する為に、教官の様な役割を持たせた者の居るパーティへの加入を勧めていた。

 そうしてミツタカが加入したパーティではカヨが新人指導の役目を持ち、カヨやその従姉妹のアヤ達との付き合いが始まったのだった。

 ヤスミチの方は二ヶ月程経つと、遠征先の他の町の狩部の者達に気に入られ、その町の狩部に移籍する事になった。

 こうして十四歳でニシゾノ村を出てムロハラの町の狩部で狩り人となったミツタカは、半年程様々な依頼をこなし、カヨ達に狩り人としての知識や技能を教えられていった。



「――と、まああ~これが彼の始まりの物語~。これもよくある物語ー。」

 通りを照らす提灯の薄赤い光の下で、三味線弾きがべんっとバチを軽く弾いて一息ついた。

 流しの三味線弾きの他愛の無い歌や語りはさして通行人の興味を惹いている訳ではなく、立ち止まり、また去っていき、ミツタカの物語は聞くともなしに聞き流されていた。

「――ミツタカが男色かよ……。三味線の兄さんよ、本人に聞かれたらぶん殴られるぜ。」

 近くの屋台に居座って酒を飲んでいた狩り人の男が苦笑しながら、三味線弾きへと小銭を放った。

 この世界でも男色の者は居ない訳ではなかったが、表立って公言している者も少なく、何処か憚られ隠されがちなものだった。

 男女が愛し合って結ばれるものだという価値観が大多数を占めており――相手を男色だと言う事は時には侮辱しているものだと受け取られる事も多かった……。

「こういう語り歌は変な名前にしといた方が無難よねえ。」

 酒の屋台の隣で営業している焼鳥屋の屋台のおかみさんが客の食べ終わった皿を片付けながら笑った。

「ま、ミツタカなら名前の使用料寄越せって言うんじゃねえか?」

「ちげえねえなあ。」

 客の男達が酒を飲みながら明るい笑い声を上げた。

 そんな男達へと三味線弾きは曖昧な笑みを向け、再びバチを構えて三味線を持ち直すと次の歌を歌い始めた。

「はてさてっえ~。一方その頃おお~。ミナミヤスハラ村にはーフクタロウという男の子が~居ましたとさあああ……。」 

 三味線弾きの歌に聴衆の男達は軽く噴き出した。

「おいおい、今度は荷物持ちかよ。」

「ホントいいのかねえー。」

 彼等の声に軽く笑みを浮かべ、三味線弾きはフクタロウの事を歌い始めた。



 ミナミヤスハラ村はムロハラの町から南西に下った場所にある小さな山の麓にある小さな村だった。

 余り裕福ではない村は大蜜柑や野菜を栽培して何とか現金収入を得て暮らしを立てていた。

 フクタロウはそんな村のよくある小さな農家の長男として生まれ育った。

 今でこそどっしりと厚みのある筋肉質な体になっていたが、十一~十二歳頃までのフクタロウは痩せてひょろひょろした弱々しい体格の子供だった。

「ほれ、もっと食べろ。」

「しっかり食べて働けば、きっと体も大きくなるさ。」

 農作業の昼休憩で皆で木陰で昼飯を食べながら、年上の青年達がフクタロウ達年少の子供達へと声を掛けた。

 フクタロウに限らずその位の年の子供はまだ体が出来上がっておらず、そう言って声を掛ける事はよくある事だった。

「う、うん……。」

 フクタロウは呟く様に返事をして俯き、握り飯を口にした。

 子供達の面倒を見るのと彼等に農作業の指示をするのを兼ねた役割を持たされた青年達は、互いに或いは子供達と他愛の無いお喋りをしながら大きな握り飯を幾つも平らげていた。

 沢山食べて沢山働けば自分もあんな体になれるのだろうか。

 真夏でなくても晴れた日に田畑や果樹園で働いていればすぐに汗まみれ、土まみれになってしまう。青年達は着物の上を脱いで腰に巻き付けたり、褌一丁の姿で一日中働いていた。

 昼食時の今も、軽く拭っただけの土の跡が肌に残る褌だけの姿で、フクタロウの横で彼等は胡坐をかいていた。

 既にフクタロウは、彼等のそんな姿を単純な大人への憧れだけではない――体の芯に熱を帯びた疼きを持つ様な憧れの目で見る様になってしまっていた。

「ん? フクタロウはホント、無口だなあ。」

「まあ、うるさく喋るよりはいいんじゃないか? 寡黙な男というのは女に頼りにされるもんだしなあ。」

「へいへい。言ってろ。」

 そう言って笑い合う青年達の話を横で聞きながら、フクタロウはちらちらと彼等の裸の体を盗み見る事がやめられなかった。

 フクタロウの体がまだ未熟な内から、その心は既に村の他の子供達とは違う方を向いて育ち始めていた。

 七、八歳の頃から村の子供達は簡単な農作業の手伝いをさせるのと、忙しい大人達から子供を預かり面倒を見る子守とを兼ねて、三歳位から七歳位の子供達はひとまとめにされて昼間は決まった田畑や果樹園に集められていた。

 子守の役割を持たされた村の青年や少女達に面倒を見られる中で――フクタロウは少女達よりも青年達の姿に強く惹き付けられてしまっていた。

 青年達の体や――股間に強く惹き付けられ、何だかよく判らないなりに自分の体や心がもぞもぞと落ち着かなくなってしまう事が、村の中では普通ではないと言う事に早熟なフクタロウの心はすぐに気が付いた。

 自然と、無口になり俯きがちで、根っこの所では他人に心を開かない子供へとフクタロウは成長していった。

 そしてフクタロウが十一歳になった頃、村外れの村と山との境界に何処から来たのか森鹿の小さな群が出没する様になった。

 森鹿は森の奥の領域で普段は棲息しているが、他の魔獣に追われたり、同じ森鹿の他の群との競争に敗れる等して人間の暮らす領域に迷い込んでくる事もあった。

 ミナミヤスハラ村の様な農村にとっては、草食の魔獣の方が森狼等よりも厄介な存在だった。

 森狼も人間や家畜を襲う危険なものではあった。

 だが、森鹿は森から出て来た個体や群はより攻撃的で気性が荒くなっており、人間等を襲う上に農作物を食い荒らすという、命と財産の両方を脅かす疫病神の様な存在でしかなかった。

 近所の誰それが畑で襲われた、誰それは命懸けで追い払い大怪我をした――。

 フクタロウの様な子供達は安全の為に一日中家の中に居るか、裕福ではないなりに一応は大きな家を持つ村長の家で昼間は預けられる等して過ごしていた。

 森鹿の群は何日経っても余所に去る気配も無く、村の大事な働き手である若者達にも何人か怪我人が続いたと言う事で、村長は村の為に蓄えていた金子を使いムロハラの町の狩部に助けを求める事にした。

 ムロハラの狩部が派遣したのは、後にカヨの夫となる剣士リョウジロウの率いるパーティだった。





2025-0608

 梅雨も目前、蒸し暑い日々が続いております。ヲカマのオッサンは相変わらず心身不調ですが何とか生きています。

 さて第九話、読む側からしたら重く湿っぽい調子の話なんで読み飛ばしパートかしらねえ等と思いつつ、誰の為でもない、いつも何よりも自分を喜ばせる為に書いている物語なので――と言いつつ、書く方もちょっと面倒でしんどかったりはします。

 書いていて……あれ? 悪役ガチムチ男子? 悪役……? 一応プロット練り始め当初は後で改心するにしてももうちょっとテンプレっぽく悪い事したり他人から恨みを買う様な事をしてもまあまあ平気なイメージでのキャラ作りをしていた筈なんですが。

 これはちょっと作者であるヲカマのオッサンの心情をキャラクターに混ぜ過ぎてしまったなあと少し反省です。ただまあ、今時のゲイの人達の事はよく知りませんけども、アタシが少年~青年を過ごした時代の田舎の空気感ていうのはこんな所がありました。

 何と言うか、世の中の大多数の人々の価値観として男女がくっついて一つのペアになる事が当たり前だっていう、……それが当たり前だっていう前提。当たり前が当たり前であるが故に当たり前に属している人々がむしろ善意でアタシの様な者達を自覚無く圧迫し、時には傷付ける。

 そんな息苦しさを作品に反映してみました。

 っていうか、この後書き、むしろ「更年期のヲカマのおじさんの愚痴やうわごとの垂れ流し」でやれって内容ですわね……。


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