プロローグ
プロローグ
夕暮れの空を、烏が何羽か鳴きながら森へと飛んでいた。
飛び去る烏達が見下ろすムロハラの町は、小さくもなく大きくもなく。
木造瓦葺の大小の建物が、ひしめき合うでもなく疎らでもなく、丁度良い按配に建ち並んでいた。
町の真ん中の大通りには商業者の組合である「商部」、薬を扱う薬師達の組合の「薬師部」、魔法や呪術を修めた術者達の「呪部」――そして、魔獣を狩ったり薬草を採ったり、他にも町の用事をよろず引き受けて日銭を稼いでいる狩り人達の所属する「狩部」の事務所が軒を連ねていた。
狩部の建物の向かいには大きくはあったが古びた居酒屋があり、今日も白い割烹着を身に着けたおかみさんが店先に暖簾を掛け、開店準備をしていた。
暖簾を掛け終わり、おかみさんが引き戸を大きく開け放したところで、待ち構えていた仕事帰りの腹を減らした狩り人達が次々に店へと入っていった。
軽く拭っただけの、まだ魔獣の血のこびり付いている鎧帷子や兜を身に着けたままの者も多く、店内は広くはあったが彼等の汗や血の匂いがすぐに辺りに立ち込めていた。
だがおかみさんも客同士も気にする事も無く、次々にテーブルへと運ばれる酒や料理の強い匂いと楽し気に語り合う声にそれらの匂いは打ち消されていった。
◆
「――だからぁ。アタシらもだいぶレベル上がってきたしー。そろそろ荷運びのヤツもレベル高いヤツに雇い直したいと考えてるワケなのよー。」
「そうよねー。いつまでもレベルの低い役立たず雇ってるなんてカッコ悪いよねー。」
大勢の狩り人の客達が思い思いに飲食や会話を楽しんでいる店内。
その一隅で、五人掛の円卓に陣取った一つのパーティの者達が、大き目の碗で思い思いに酒を飲みながら仲間の一人の大柄な青年に詰る様な声を掛けていた。
黒い短髪を軽く逆立ててはいるものの、垂れ目がちで団子鼻の人の良さそうな顔立ちの大柄な青年はフクタロウ。
今、彼を解雇しようと酒を飲みながら詰っている一人はすらりと背も高く、薄化粧ではあっても整った目鼻立ちは美しく華やかな雰囲気を感じさせている若い女性ヤエカ。
ヤエカに同調してフクタロウへと蔑みの目を向けているのは、少し外にはねた癖毛のおかっぱ頭の、小柄で丸く幼い顔立ちの少女ヨシヒメ。
成り行きを見守りつつ黙って酒を飲みつつも、やはりフクタロウには侮蔑の眼差しを向けている大柄で丸みを帯びた――肥満少し手前の体型で止まっている中年女性のササメ。
そして蔑んでこそいないものの、やはりフクタロウには厳しい目を向けながらササメと同じく成り行きを黙って見ている丸刈り頭に幾つか切り傷の跡の残る強面の青年ミツタカ。
この五人が一応はミツタカをリーダーとするパーティの面子だった。
「そろそろ、ただ荷物背負って後ろウロウロするだけのヤツから、スキル持ってたり一緒に戦えたりする荷物持ち欲しいと思ってたのよねー。」
酒が回り始め頬を赤くしながらヤエカは、新しいアクセサリーや化粧品を欲しがるのと変わらない様な調子でパーティの新しいメンバーを欲しがっていた。
「そうそう。今日だってコイツ庇ってミツタカ怪我してたじゃん。あたしの動きの邪魔にもなったし。足手まといよねー。」
魔獣との戦闘の際の自分の動きを邪魔された事を思い出し、ヨシヒメも吐き捨てる様にそう言って可愛らしく頬を膨らませた。
「もう、解雇よ解雇。コイツ今日でおしまい!」
酔いの回り始めた赤い顔でヤエカが大きな声を上げ、乾杯をする様に酒の入った大碗を掲げた。
「おいおい。流石にそこまで即行でコイツクビにしなくても……。」
魚の揚げ物を摘まみながら苦笑交じりにミツタカがヤエカを宥めた。
「いいわよ。この程度のヤツ。もっと使える人を雇い直しましょうよ。」
だが横からヨシヒメが口を挟み、成り行きを見ていたササメも頷いていた。
「ヤエカとヨシヒメの言う通りよ。コイツ鈍臭くてパーティの連携に邪魔な事が多いもの。」
ササメにも切り捨てられ、反論も出来ないままフクタロウは大きな図体を丸めて俯くばかりだった。
「しかしなあ……。」
解雇自体には反対ではなかったが、すぐにレベルの高い荷物持ちが加入してくれるかどうかも判らなかったので、即賛成出来る訳でもなくミツタカは困惑しながら酒臭い溜息をついた。
「しかしじゃないわよお。デキる男なら即断即決。アンタ、このパーティのリーダーでしょ。デキる強い男は時には何かを切り捨てる決断もしなきゃなんないのよ!」
ヤエカはたっぷりと酒の入った徳利を突き出し、ミツタカの空になっていた碗へと注ぎ込んだ。
「そうそう。か弱いあたしらを守る為には男らしくすぱっと決めなきゃね。」
そう言ってヨシヒメは店員が新しく持ってきた肉の揚げ物の大皿をミツタカの前へとどんと置いた。
「さ! リーダーから言ってあげなさいな。あんたは解雇だって。」
ミツタカの隣の席でササメが頬杖をつきながら、ミツタカとフクタロウを交互に眺めていた。
「お、おう。そうだな。」
女性達から促され、段々とミツタカもその気になっていった。
デキる男。男らしい。強い男。そうした言葉にミツタカは調子付き、顔を上げると俯いたままのフクタロウを強く睨み付けた。
「フクタロウは今日限り解雇だ! 一応餞別はやるからとっとと田舎に帰れ。」
ミツタカからの通告に弾かれた様に顔を上げ、フクタロウは垂れた目を更に垂れさせて今にも泣きそうな表情をミツタカ達へと向けていた。
「そ、そんな……。」
◆
フクタロウを詰り解雇する様子は周りの客達からは大して気にもされず、よくあるパーティ内の揉め事として聞き流されていた。
フクタロウ達の近くの一人掛けの小さな席に腰を下ろしていた紺色の着流し姿の青年は、彼等の様子を見るとも無しに眺めつつ酒を飲み、菜っ葉の漬物だけをちびちびと齧っていた。
「――それは~よくある物語。」
フクタロウ達の近くに座っていた青年の席から、べべんっと、三味線のバチを軽く弾く音が聞こえた。
お猪口を置いてバチを手に取り、青年は手慰みに三味線をゆっくりと鳴らし始めた。
フクタロウ達の遣り取りを大して気にしていない様に、三味線弾きの髭面の青年の事も客達は気にした様子も無かった。
客達が聞いている様な聞いていない様な、三味線の弾き語りはゆっくりと続けられていった。
「――無限の数の可能性で、無限の数に枝分かれした。無限の数の世界の、無限の数の物語。」
誰に聞かせるでもなく青年は節くれ立った大きな手でバチを動かし続けた。
「――その中の、物の数にも入らない、些細な一つの数の物語。それはよくある物語。」
少しだけ三味線の音は大きく早く鳴らされるものの、しかし早くなり過ぎずうるさくなり過ぎない様に抑えられつつ歌は続いていった。
「それは和風の風俗文化の世界の様で。武士に忍者に僧侶に術師。数多の誰かになり切って、面白おかしい冒険活劇遊戯の世界。」
いつの間にか居酒屋の喧騒も何処か遠くに去ってしまったかの様な、フクタロウ達の遣り取りも止まってしまったかの様な錯覚が客達にはあった。
「面白おかしく華々しく。世界を遊び駆ける主役達の、そんな物語の片隅に。そっと置かれた小さく些細な出来事があったとさ。主役達はそれに関わろうが関わるまいが、どっちでもいい程度の取るに足らない些細な出来事――。」
客達すらも居るのか居ないのか。それすらも気に掛ける様子も無く、青年はただ楽し気に三味線を弾き続けていた。
「それは狩りを遊ぶ集まりの、所謂二軍三軍の面子を加入させる為の小さな物語。――主役達にはきっと選択肢が現れる。彼を仲間にしますか。ハイ、イイエ。――しかし最初に謳わなかったか。無限の数の可能性。無限の数に物語は枝分かれ。誰の前にも分かれ道。誰の前にも選択肢。」
青年は軽く息を吐いて息継ぎをし、軽く二度バチをゆっくりと弾いた。
「――だから無限の数に枝分かれした、無限の数のハイとイイエがあったとさ。」
青年はバチを机に置き、酒で喉の渇きを癒した後、またフクタロウ達の座っている席へと目を向けた。
――フクタロウを仲間にしますか?
――ハイ。