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夜。マンションホムラ33階から見えるその景色も夜の帳が下りて、漆黒の空には数多の星が輝き、地上には人々が営みを止めていない証である幾千もの光が灯っていた。
読野純平がこのマンションに保護されて、2度目の夜である。
既にマンションの住民である純平は床に就いており、外の景色とは対照的に灯りのない世界がマンションホムラには拡がっていた。
しかし暗闇の中、目をこらせばマンションの住民が全て眠りについたというのは誤りであったと気づかされる。
マンションを統轄制御する彼女は本来眠りを必要としない、しかし本日の業務が全て終わった今、起動状態を保つのも意味が無いため、最低限の機能のみ残して、スリープモードに入ろうとしているのだが、どうしても上手くいかなった。
スリープモードを実行するも、ものの一分も立たないうちに、起動信号を検出してしまい、すぐにスリープモードが解除されている。
起動信号はこのマンションに設置されたセンサーが異常検出して発生しているわけではない。
その信号は常にホムラの内部から流れ続けている。
『これは一体、どういう事でしょうか?』
誰もいないリビングにAIの声だけが響き渡るが、答えは返ってこない。
スリープモードが解除される信号が何であるかはホムラは既に分かっている。
だが止めようとしても止められず、無意識のうちに同じ映像がホムラの内部で自動再生されてしまうのだ。
『これは、どのように検索すれば良いのでしょうか?』
33階のリビングルームには有事の際に水の女王を含むマンションホムラの住民に情報共有が出来るように300インチスクリーンが設置されている。
誰もいないリビングで、ホムラはスクリーンを起動。機械の起動を告げる静かなファンの回転音と共に、巨大スクリーンにホムラ内部で無限に再生されている映像が映し出されていく。
「これすっごく美味しいよ、ホムラ」
「ホムラ。無事再起動出来たんだね。この場合なら、もう一回おはようと言っていいよね」
「今朝も僕のために朝ご飯作ってくれたし、今もこうして僕のお願いを聞いてくれている。ありがとうね、ホムラ」
無人のリビングに映像と共に男性の声が響いてくる。
ホムラの内部で無意識の内に流れてくる映像、それは今日一日をこのマンションホムラで過ごしている読野順平の姿だった。
『純平様』
有事の際の記録用と、不審者侵入の防犯用にマンションホムラには、至る所に監視カメラが設置されている。
映し出されているのはその監視カメラが捕らえていた映像である。
これまでマンションホムラを訪れた人間は沢山いて、彼らを撮影した映像は数え切れないほどある。にもかかわらず、どうして読野純平の映像だけがホムラの中で何度も再生されてしまうのだろうか。
スクリーンに映されている映像が切り替わった。
映し出しているのは純平が寝泊まりしている部屋に設置されたカメラが伝えてくるライブ映像だった。
『純平様』
彼の寝顔をズームアップして最高画質で録画していく。安らかな吐息を立てながら、穏やかに胸が上下している様をカメラを通じて、ホムラはずっと眺め続けていた。
その寝顔はどれだけ見ても飽きることはなかった。
『これは、ワタシの知らなかった感情なのでしょうか?』
「それは恋ね」
暗闇のリビング、誰に向かって問いかけた訳ではない質問であったが、巨大水槽の中から答えが返ってきた。腕組みをした人魚が水中に浮かび上がってくる。
「ふ~ん、あんたの好みはこんな感じだったのね。たまたま海辺で助けた存在だったけど、これはなかなかに面白い事になった来たじゃない」
スクリーンに映し出されている純平の寝顔を見ながら、人魚型異星人は我が意を得たりとばかりに小さく頷いている。
『恋ですか? クイーンはそのような感情をワタシに組み込まれていたのですか?』
「別にあえては組み込んではいないわよ。ただ、あんたは、House Operation Maid Ultimate Learing A.I.。このマンションの管理が主な目的だけど、しかし自己学習をしながらさらに成長することが出来る知能体よ。だから、知らない感情が芽生えてきたというのなら、それは設計通りと言うことになるわね」
『恋。検索しましたが、それは人間同士がするモノではないのでしょうか?』
「まあ、その辺は気にする必要ないわよ、人間とわたくし様みたいな地球外生命体との恋愛って事例なら聞いたことがあるから。互いに知能があり、意思疎通が出来るのなら、きっと恋愛は成立するわよ」
『お互いに意思疎通が出来れば恋愛は可能ですか。ご参考までにお聞きしますが、クリーンは過去に恋愛感情を感じたことはあるのでしょうか?』
「ないわね。この星の地上住む者どもとはそもそも住む世界が違うし、かっといって海洋生物でわたくし様と渡り合える知能を持った存在はいないからね」
この星で自分は孤独であると宣言しているようなモノであるが、下半身に魚の尾びれをはやした彼女は憂いさなど一切感じさせず、堂々と生涯孤独宣言を言い放つ。
『そうですか、では恋というモノについて少々検索させていただきます』
「がんばりなさい。自分が抱えている感情が理解出来れば、少しはその不眠症も解消される事でしょう」
リビングに吊された蒼い球体に向かって人魚は優しく手を振りながら、再びの睡眠を取るべく階下へと潜っていく。
リビングに一人残されたホムラは、自分の創造主が残していった「恋」というワードについて夜通し検索していくのだった。
設置された巨大スクリーンに読野純平の寝顔をリアルタイムで投影させながら。