皇帝陛下は愛しの側妃を溺愛したい〜こんなに愛しているのに、どうして伝わらないんだい?〜
「飴玉みたいね」
私の不気味な赤い瞳を見つめて、君は微笑んだ。
ろうそくのわずかな灯りに照らされて、亜麻色の髪が揺れて。若草色の瞳が柔らかく弧を描く。そんな君が愛おしくて。
私は目一杯の力で君を抱きしめたんだ──。
* * *
「あれから5年、か」
私の小さな呟きに、補佐官が微笑む。
「ようやく、この日が来ましたね」
「ああ」
「昨夜は眠れましたか?」
「全く眠れなかった。今も心臓が飛び跳ねてどこかへ行ってしまいそうだ」
「それはそれは」
補佐官が可笑しそうに笑うのを横目に見ながら、私は足早に廊下を進んだ。
この先に、彼女がいる。
「それで、例の報告については?」
「確認がとれました。間違いありません」
「……そうか」
私は逸る気持ちを抑えられず、また進む足が速くなる。補佐官はその様子に呆れることもなく、淡々と続けた。
「早急に進めるということでよろしいですね?」
「ああ。早急に、だ」
「かしこまりました」
話している内に、ある部屋に到着した。皇帝の住居である奥棟と執務の場である表部分との間に位置するその部屋は、主に皇帝の私的な客を迎えるために使われる。今日は彼女を迎えるために、色とりどりのバラを飾り、若い女性の好む菓子や珍しい香りのついた茶を準備させた。
(彼女は気に入ってくれただろうか)
宮殿に到着してすぐにこの部屋に通されて、一息ついた頃合いのはずだ。
「皇帝陛下のお越しです」
侍従が告げて、扉が開かれる。
彼女が座っているはずの最高級のソファに目を向けた。だが、そこには誰もいなかった。
首を傾げながら部屋の中に視線をめぐらせれば、彼女は扉のすぐ近くにいた。まるで使用人が控えるように、壁を背にして立っていたのだ。
(ああ、彼女も。大人になったのだな)
瞳の奥が熱くなった。5年前、彼女は17歳だった。幼気だった少女は、少しばかり背が伸びて、体つきも僅かに女性らしくなっている。だが、あの夜と印象は変わらない。華奢で可愛らしく、可憐な花のような女性だ。
「シーラ?」
呼びかけると、彼女の肩がビクリと跳ねて。途端に弾かれたように動いて、私の前に跪いてしまった。華奢な身体がカタカタと震えている。
「申し訳ございません!」
叫ぶように言った彼女に首を傾げる。補佐官も同じだった。
「どうして謝るんだい?」
「今更になって、このように御前に罷り越し……」
「やめてよ!」
彼女の言葉を遮ったのは、舌足らずな子供の声だった。小さな少年が、叫ぶのと同時に私と彼女の間に躍り出る。
「お母様をいじめないで!」
「こら、ロニー!」
たしなめる彼女に構いもせずに、少年は真っ赤な瞳で私を睨み上げた。その瞳をじっと見つめ返すと、少年はじりじりと身じろぎをしたが、それでも彼女の前から動こうとはしなかった。
母親を守るために必死なのだ。
「はじめまして、ロニー」
私がしゃがみこんで少年の顔を覗き込むと、周囲がざわついた。だが、私はそれに構うことなく続ける。
「私は君の父親だ」
「お父様?」
「そうだ。見てごらん。瞳の色が同じだろう?」
「ほんとだ」
私も少年も、ルビーのように真っ赤な瞳を持っている。これは、皇帝の血にかけられた古い魔法の影響だ。血の呪いとも呼ばれている。
「赤い瞳は、皇統を継ぐ者の証だ。君が、次の皇帝になる」
「僕が?」
「そうだ」
少年がきょとんと目を見張って、そして彼女の方を振り返った。
「そうなの?」
彼女の表情がくしゃりと歪んで、若草色の瞳から一筋の涙が落ちた。その様子に私の胸がチクリと痛む。
(帝位に就くことは、必ずしも幸せなことではない)
彼女は、それを判っているのだ。彼女にとっては、今この時は血を分けた息子の悲運の始まりでしかないのかもしれない。
(それでも、もう後戻りはできない)
彼女の子を次の皇帝にする。そう決めたのだから。
「……はい。皇帝陛下のおっしゃるとおりです」
消え入りそうに言って、それきり彼女は黙り込んでしまった。
* * *
5年前、私は地獄のような日々を送っていた。
夜ごとに見知らぬ女性が寝所に送り込まれていたのだ。15歳で即位してから1年間、ほとんど毎晩だ。
『今夜はどこそこの令嬢で、父上はどこそこの誰それで……』と側近に告げられても、困ったように笑うことしかできなかった。彼女らは権力争いの道具として皇帝への捧げものにされ、私はさながら種馬だった。
吐き気がするような毎日に、私の精神は極限まですり減っていた。
そんな中で出会ったのが、彼女だった。
シーラ・コンドレン男爵令嬢。
辺境の貧乏男爵家の令嬢だが、彼女はたいそう美しかった。そこで、とある公爵家が後見したという形で私の寝所にやってきた。
薄い夜着だけをまとってやってきた彼女は、他の令嬢とは明らかに違った。皇帝に怯えることもなく媚びることもなく、まっすぐに見つめてきた。そして、言ったのだ。
『お顔色が悪うございます』と。
彼女は手ずから茶を淹れてくれた。カモミールという優しい香りの茶で、一口、また一口と飲む度に心が凪いでいった。
そして、『まるで飴玉みたいね』と私の赤い瞳を見て微笑んでくれた。私にとっては呪いでしかなかったそれを、初めて愛おしいと思えた。
人生で最も幸せな夜だった。それなのに。
次の日、彼女は忽然と姿を消してしまった。
だが、誰も彼女を探そうとしなかった。父親であるコンドレン男爵すら、だ。『あれは妾に産ませた子でした。陛下に一晩のお情けをいただけて、幸せだったでしょう』と吐き捨てるように告げただけだった。
私にはどうすることもできなかった。即位したばかりで確かな後ろ盾もなく、ただただ臣下たちの権力争いに振り回されるだけの、ひ弱な皇帝だったのだ。
彼女を側妃に迎えたいと言っても、鼻で笑われた。『では、よく似た娘を探してきましょう』と。
そして、次の夜からも寝所に女性が送り込まれ続けた。
……私はその日以降、誰にも触れなかった。皇帝に指一本触れられない女性たちは、朝には涙を流して去って行った。そうしている内に、女性を送り込まれる頻度が3日に一度になり、7日に一度になり、月に一度になり、そしてなくなった。
それでも側妃を迎えるように言われ続けたし、皇后をどうするのかという話題も頻繁に持ち上がった。だが、それらは全て無視し続けた。
(私に必要なのは、力だ)
誰にも何も言わせないだけの力が必要だった。
そうすれば、彼女を手に入れられる。その一心で、この5年間を生きてきたのだった。
* * *
「シーラが、消えた……?」
補佐官からその知らせがもたらされたのは、彼女を側妃として迎えた7日後の今日。彼女の子を正式に皇子とするための儀式である洗礼式を大急ぎで行ったのは、つい昨日のことだ。
「どういうことだ?」
「夜明け頃に、離宮のシーラ様の寝所が空になっていることにメイドが気づきました。寝所にはこれが残されていました」
補佐官が差し出したのは、流麗な文字で綴られた手紙だった。
『皇帝陛下と皇子殿下のご健勝を心からお祈りしております。どうか、私のことはお忘れください』
とだけ書かれていた。まちがいなく、彼女の筆跡だ。
「ロニーは?」
「皇子殿下は、別室でお休みでした」
「では、彼女はロニーを置いて消えたというのか!?」
「はい」
時間は既に正午近くだ。
「なぜ、すぐに報告しなかった」
「警備の担当者が揉み消そうとしたようです。私がご機嫌伺いに離宮を訪ねなければ、露見するまでもっと時間がかかったでしょう。……シーラ様を探されては困る人物がいるのかもしれません」
思わず唸った。
「誰だ」
「見当はついています」
「全てを明らかにしろ」
「承知いたしました」
「あらゆる手を尽くして、シーラの居場所を探せ」
「既に手配しております」
「分かったら知らせろ。……私が迎えに行く」
「はっ」
そうしている内に、扉の外から侍従の声がかかった。来訪者だ。
「コンドレン男爵と、ご息女がおみえです」
と、きた。
補佐官の方を見ると、眉を顰めて頷いた。
「どうやら、あちらの方から来てくれたらしいな」
「そのようですね。どうなさいますか?」
「話を聞いてみようじゃないか」
コンドレン男爵は、いかにも成金といった風情の男だった。5年前は貧しかった男爵家は、皇子の外戚という立場を手に入れたのだ。その立場は権力を、そして金を呼び寄せたのだろう。
そして、彼の息女として紹介された令嬢はシーラとは似ても似つかない、ゴテゴテと飾り立てただけの取り立てて美しくもない娘だった。
「皇帝陛下、こちらは私の娘でして」
男爵が両手をコネコネと握り合わせてヘコヘコと頭を下げる姿に思わず吐きそうになりながらも、とりあえず頷いて先を促した。
「シーラは妾の子ですが、この子は違います。正真正銘、男爵家の娘です。側妃に迎えるならば、やはり血統の確かな娘の方が良いでしょう?」
ネットリとした声で男爵が話し続けるのを聞きながら、私は叫び出したいのを我慢しなければならなかった。
「皇子殿下の洗礼式も無事に終わり、跡継ぎの問題も一旦は解決しました。しかし、皇子殿下の母親が男爵家の妾の娘では格好がつきますまい。その点、この娘であれば問題ございません。殿下にとっては叔母でもありますし」
つまり、彼は洗礼式が終わるのを待っていたのだ。自分の孫が皇帝の子として正式に認められてから、その母親だけをすげ替えるつもりだったのだ。
「ぜひ、この娘を側妃に……、いや皇后に……」
と、男爵が言うと同時に我慢の糸が切れた。補佐官も同じだったのだろう。軽く右手を上げた私に、さっと剣が差し出される。
「へ、陛下?」
──ガララララ。
刃が鞘に当たる音に、男爵とその娘が怯えて後退る。それを追うようにして、私は剣を振り抜いた。
──ガッ。
剣先が床に触れ、絨毯が引き裂かれる。同時に、男爵の髪がパラパラと数本、宙を舞った。
「ひ、ひぃ!!」
情けない声を上げながら腰を抜かした男爵の首筋に刃をあてると、その顔が真っ青に染まる。
「聞くに堪えんな」
小さな声でこぼした私に、補佐官が一つ頷いた。すると、扉の外から続々と騎士たちが入ってきて男爵を拘束していく。
「私の側妃を誘拐した重罪人だ。彼女の居場所を吐くまで拷問しろ」
「そ、そんな!」
男爵が叫んだ。
「あれは勝手に出て行ったのです! 誘拐など……!」
事実だろうと思った。
彼女は優しい人だ。皇子の幸せだとか相応しくないだとか言いくるめられて、自らの足で出て行っただろうことは想像に難くない。
「いいや。貴様が誘拐したのだ。私のシーラを」
自分でもゾクリとするほど低い声が出た。腹の底が冷え切っているのがわかる。
「……捕らえろ」
騎士たちが男爵父娘を拘束して連れて行く。その様子を横目に見ながら私に睨みつけられた騎士たちは気の毒だったかもしれない。
「男爵ごときの独断であるはずがない。裏で糸を引いた者がいるはずだ」
私の言葉に、補佐官が頷いた。
「一人も逃がすな。全て捕えて、徹底的に追い詰めろ」
彼女を傷つけたのだ。殺すだけでは足りない。その罪を、十分に贖わせなければ。
* * *
彼女が見つかったと知らせを受けたのは、その3日後のことだった。どうやら路銀を稼ぎながら移動しているらしく、宿場町の宿屋で働いているところを見つけたらしい。
「……私が贈った宝石は、一つも持っていかなかったのか」
彼女を側妃として迎えてから、毎日のように宝石やドレスを贈った。それらを一つとして持ち出さなかったらしい。
「はい」
「手当として渡した金貨は」
「それも、一枚もお持ちにならなかったようです」
「なんということだ」
馬車に揺られながら補佐官に問いかければ、彼も呆れているようだった。せめて金を持っていれば、こんなに早く見つかることもなかったはずだ。
「彼女らしい」
「そうですね」
補佐官がわずかに身動ぎすると、馬車の床がギシリと音を立てた。私の腕の中で眠る小さな身体がピクリと震えて、慌ててその顔をのぞき込む。
「……眠っているな」
「そのようですね」
ロニーは賢い子だ。親族にシーラに関する悪い噂話を吹き込まれても、一つも真に受けることはなかった。ただ、『お母様を助けて』と涙を流して私に訴えたのだ。彼女が見つかったと知らせを受けた時、この子を連れて迎えに行くべきだと即断した。
「間もなく到着です」
時刻は夜明け前。昨夜は間違いなく例の宿屋で眠りについたらしいと確認している。この時間に訪ねれば、確実に会えるはずだ。
「ロニー」
小さな肩を揺すると、ロニーは赤い目を擦りながらすぐに起き上がった。母親と離れて3日目。彼もほとんど眠れておらず、浅い眠りを繰り返しているとはメイドから聞いていた。痛々しい姿に、胸が痛む。
「お母様に会いに行こう」
そして、連れて帰ろう。
どうして逃げたのか問いたださなければ……、いや、それでは彼女を怯えさせてしまう。
彼女が去る必要などどこにもないと、言い聞かせるのだ。
私が愛しているのは、彼女だけなのだから──。
* * *
私は見目だけが取り柄の、冴えない娘だ。
男爵家の妾の子として生まれ、下女のように働いて過ごしてきた。そんな私に、父が言ったのだ。
『ようやく、家の役に立てるときが来たぞ』と。
引きずられるようにして首都に連れて行かれ、あれよあれよという間に皇帝陛下の寝所に放り込まれた。
皇帝とはいえ16歳の少年が、真っ青な顔で俯いていた。それでも務めを果たそうとする姿が痛々しかった。
思わずそれを指摘した私に気を悪くした様子もなく、私が淹れた茶を美味しいと言ってくれた。美しいルビーの瞳で私を見つめて、そして微笑みかけてくれた。
『飴玉みたいね』
思わずこぼれた失言にも、嬉しそうに微笑んでいた。そんなことを言われたのは初めてだと。
1つ年下の彼の可愛らしい笑みに、彼のことを心から愛おしいと思った。
同時に、これっきりにしなければ、と思った。
私のような女が側にいてはいけない人だから。
そう思って姿を消したのに、彼のことを忘れることはできなかった。彼の子を身ごもったと気づいた時には、心から嬉しいと思った。真っ赤な瞳を持つ赤子を抱いた時、喜びに全身が震えた。この子は彼に愛された証だと思ったから。
そして、恐ろしくもなった。
(もしも、この子の存在が知られたら?)
きっと、権力争いに巻き込まれてしまう。
だから私は必死で逃げ回った。5年間、誰にも見つからないように。
そんなある日、とうとう見つかってしまったのだ。
『君を愛している。どうか、私の側にいてほしい』
そう書かれた手紙を受け取った時、終わりを覚悟した。
彼を愛しいと思うことも、彼の子と共に生きることも。全てを手放さなければならないと、私には分かっていたのだ。
* * *
「お母様!」
夜明けと共に起き出して仕事に取り掛かろうとした時だった。宿の扉が勢いよく開かれて、そこから大勢の騎士がなだれ込んできた。そして、その向こうから愛しい子の声。
「ロニー?」
思わずその名を呼んだ私の胸に、小さな身体が飛び込んできた。
「お母様! お母様!」
ボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らすロニーに、私の目尻が熱くなる。けれど、ダメだ。
「皇子殿下。私のことを、母と呼んではいけません」
「なんで!」
「私などは次の皇帝となられる方の母には、相応しくないのです」
その言葉に、ロニーの表情がクシャリと歪む。
「僕のお母様は、お母様だけだよぉ……!」
小さな子供の小さな叫びに、また胸が締め付けられた。
(この子は、彼との愛の証……。それだけだったはずなのに)
はじめは、ただそれだけの存在だった。母と名乗ることなど烏滸がましい。私は浅ましい女なのだ。
それでも、辛い5年間を共に生きてきた。
離れなければならないと決意したときには、胸が引き裂かれる思いだった。私を母と呼んでくれる幼い笑顔を、本当はずっと見守っていたかった。
(私がいなくなれば、きちんとした後見を持つ方が母親代わりになるわ)
父であるコンドレン男爵の思惑通りに、異母妹がその席を掴むかもしれない。だとしても、その後ろには強い権力を持つ人がつくはずだ。
(そうなれば、ロニーは安全に暮らせる)
そう信じて、この手を放すことに決めたのだ。
それなのに。
(情けない……!)
今私は、愛しい我が子の涙を前にして決意が揺れている。
「ロニーの言う通りだ。その子の母親は、君だけだろう?」
いつの間にか、その人が傍らに立っていた。
「皇帝陛下……っ!」
思わず跪いた私に、皇帝陛下が首を横に振る。
「話をしよう。シーラ」
「いいえ、私は……」
「ロニー、少しだけ2人きりで話をさせてくれるか?」
「はい」
ロニーがきちんと返事をしたのを聞いてから、陛下が私の手を引いた。連れて行かれたのは、客室の一つだ。
(そういえば、お客様は?)
客室が並ぶ階はがらんと人気がなく、従業員の気配すらない。
「この宿は昨日の内に皇室で買い取った。今日は誰も邪魔をしないように命じておいたから、安心していい」
なんでもないことのように言った陛下に、ぎょっと目を剥く。
「そんな」
「心配することはない。事が済めば営業を再開させるし、礼もきちんとする」
「そういうことではなくて」
「では、なんだ?」
陛下は私の手を引いたまま客室の中を進み、そのまま私をベッドに座らせてしまった。
「私のような女のために、こんなことを……」
「ふむ。まず、そこから話をしなければいけないらしいな」
振り返った陛下の手には、ティーポット。わずかに香るカモミールに、思わず目の奥が熱くなる。私にとっては、忘れられない思い出の香りだ。
「シーラ、私は君を愛しているんだ」
思わず首を横に振った。
「思ってもないことをおっしゃらないでください」
失言だと分かっていたが、止まらなかった。
「皇帝陛下ともあろうお方が、私のことを愛しているなど。そんなことは、ありえません」
言い切った私に、陛下が眉を下げる。
「精一杯伝えたと思っていたが、まだ足りなかったらしいな」
話しながら、ゆっくりとティーカップに茶を注ぐ。その様子を、私は涙を堪えながら見ていることしかできなかった。
「手紙を送っただろう?」
「……いただきました」
「『愛しているから側にいてほしい』と、そう書いたはずだ」
「それは、皇子殿下を連れてこいという意味だと……」
「なるほど。そう受け取ったわけか」
「はい」
「君を側妃に迎えてからも、毎日のように花や宝石を贈っただろう?」
「それも、殿下に宛てたものだと」
「メッセージカードを読まなかったのかい?」
「え?」
首を傾げた私に、陛下が小さく舌を打った。
「離宮にも奴らの手先が潜り込んでいたらしいな」
「奴ら?」
「私から君を引き離そうとした連中のことだ。だが、もう何も心配する必要はない。全て片付けたから」
ニコリと笑った陛下にティーカップを差し出されて、思わず受け取ってしまった。こんなことをさせてよい人ではないのに。それだけ、有無を言わせぬ空気が漂っているのだ。
「シーラ、私は君を愛しているんだ」
「しかし……」
「聞いてくれ」
寝台がギシリと音を立てたので、思わず肩が震えた。私の隣に座った陛下が、その様子に苦笑いを浮かべる。
「あの夜、私の瞳を『飴玉みたいだ』と言ってくれただろう?」
「……はい」
「皇帝でもない、呪われた子でもない、一人の人間としての私の姿を見てもらえた気がした。嬉しかったんだ」
促されて、カモミールティーを一口飲んだ。胸の中で溶けた温もりが、全身に広がっていく。
「君がいなくなって、本当はすぐに探そうと思った。だけど、できなかった」
「どうして、ですか?」
「……私には力がなかったから」
「力、ですか?」
「そう。君を見つけ出して私の側妃にしたとしても、君を守れるだけの力がなかった」
15歳で即位したばかりだった陛下は、確かに力がなかった。あのまま私が側妃になっていれば、すぐに権力争いに巻き込まれて殺されていたかもしれない。
「ようやく君を守れるだけの力をつけたから、君を探したんだ。そしたら、僕そっくりの子を連れていると知らせが届いた」
驚いただろう。たった一夜を共にしただけの女が、知らぬ間に自分の子を産んでいたのだ。
「申し訳ございませんでした」
「どうして謝るんだい?」
「勝手に、陛下の御子を産みました」
「謝る必要なんかないよ。……私は、その知らせを聞いた時に喜びで心が震えたんだ」
「え?」
思わず顔を上げれば、陛下が私を見つめていた。赤い瞳がうっとりと揺れている。
「子供がいるなら、君を繋ぎ止められると思った」
目を見開いたまま動かなくなった私の手からティーカップが取り払われた。代わりに、彼の大きな手が私の手をすくい取る。
「卑怯だと笑ってもいい。だけど、どうか分かってほしい。……私が、君を愛していると」
手の甲に口付けられて、赤い瞳に見つめられて、とうとう私は観念するしかなくなった。
「愛してるよ、シーラ」
甘い囁きに、頭がくらくらする。
「もう、どこにも行かせないよ。君はこれから私だけに愛されて生きるんだ。いいね?」
私が小さく頷くと、彼がうっとりと笑みを深くした。まるで少年のような笑みに、5年前に時間が巻き戻ったような気さえした。
(ああ、もう手遅れだったのね)
逞しい腕に抱かれながら、心の中でひとりごちる。
(あの夜に、私も彼も囚われてしまったのだわ)
お互いに。
愛に、囚われてしまったのだ。
それは私たちにとって、最も幸せなことだ──。
* * *
グラスネス帝国の第23代皇帝ナイジェル・ゴドウィンには、皇后がいなかった。ただ一人、男爵家の娘を側妃として迎え、その側妃が産んだ皇子を皇太子として立てた。
周囲は他の側妃を迎えるように勧め、他国の王女や高位貴族の令嬢を皇后として迎えるように働きかけたが、皇帝は頑として受け入れなかった。
『私が愛しているのは、ただ一人だ』と言って……。
その溺愛ぶりは、大陸中に知れ渡ったのだった──。
終
※11/11追記
11/11(金)夜、続編(?)を投稿します!!
お楽しみいただけますと幸いです!!
投稿後、↓にリンクを貼りますので、ぜひ!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
面白いなと思っていただけましたら、ぜひブックマーク、評価、感想などお願いいたします!!
また、他にも異世界恋愛を中心に投稿しています。
他の作品も覗いていただけるとうれしいです!
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ありがとうございました!!