調査編① 凶刃の持ち主は
「後頭部から細い針で一突きだと?」
翌日、J市内の研究所で起きた殺人事件の調査のため訪れた同市警察署所属の甲原慎太は、鑑識班からの説明を受けて首を捻った。
被害者は同研究所の新島重三。学会でも有名な微生物学の権威らしい。J市に赴任してから研究所のことは耳にタコができるほど上層部から聞かされた。国内の分子生物学発展をリードする主要研究所の一つらしい。
そんな超がつくほどのエリート研究所のお偉いさんが、殺された。
後頭部から細い針のような凶器で一突きにされて。
「現場は密室で、出入口も窓も施錠されていました」
ジャケットを羽織った部下が手帳を捲りながら言った。
「通報は誰が?」
「同じ研究室に所属する研究員の一人です。今朝出勤して鍵がかかっていたため合鍵で開錠したところ、血まみれの被害者を発見して通報したと」
ちなみに、マスターキーは守衛室に保管されていて、昨夜、守衛は誰にも渡さなかったと話している。死亡推定時刻は昨日の十九時~二十一時と、鑑識班が早速弾き出していた。
「研究員はいるのか?」
「別室に」
現場検証する鑑識班の背中を見やり、甲原も自分の仕事を開始することにした。念のため懇意にしている探偵事務所に連絡を取っておいた。昼過ぎには到着できるという。
アフロディーテ探偵事務所とかいう、最近設立されたばかりの探偵事務所だ。
「――ええ。合鍵は所属研究員全員が持っています」
甲原は控え室で待機していた新島研究室所属の三人の研究員を睨むように見つめた。
はじめに第一発見者、紅一点の渋木佐知。三十代で、被害者のことを尊敬する真面目そうな研究員だ。黒髪を一本に結っており、ショックのためか、視線を左右に彷徨わせている。第一発見者なので無理もないか、と甲原は思った。
「まさか、殺されるなんてな」
所属研究員の一人、立花耕哉がややぶっきらぼうに言った。四十代後半で、短髪には白髪が混じっている。一瞬見せた冷徹な視線を甲原は見逃さなかった。
「あなたは被害者とは度々トラブルになっていたそうですね」
立花は黙り込んだ。三人の中では一番の古株にあたる。培養するサンプルの研究方針について被害者と口論することも多々あったという。
「だ、だからなんだよ。俺は殺してないからな刑事さん」
口を噤んだ彼の横で、最後の一人である新人の楠鉄次郎が困ったような表情を浮かべている。二十代後半で、今年大手企業から引き抜かれた優秀な人材だという。
「現場は密室でした。しかし、合鍵があれば被害者を殺害後、鍵をかけて密室をつくることができる」
甲原は、守衛がマスターキーを所持しており昨夜は使用していないことを説明した。
「つまり、俺たちの中に犯人がいるってことかよ?」
立花が激高した。「守衛が殺したんじゃないのか!」とまくしたてる。
守衛はJ市警備会社から派遣された一本木昭。昨夜の警備中、誰にもマスターキーを渡していないと証言済みだ。
「なにより、外部の警備員に被害者を殺害する動機がない」
「はっ、どうだか」と立花は言って、首を振った。
「皆さん、昨夜の十九時~二十一時はどちらに?」
甲原は早速、三人のアリバイを問うた。部下は三人を見つめ、手帳にペンを向けている。
「その時間なら家でメシ食っていたな。なんなら妻に訊いてくれ」
立花は不機嫌そうに言った。部下が彼の家の自宅と電話番号をメモする。
「私は、その……」
佐知は言いにくそうに視線を下げた。しばらくして、意を決したように頭を上げる。
「一人でカラオケに行っていましたっ!」
全員の視線が彼女に集まった。しどろもどろになる彼女を楠が「ぼ、僕もたまに行くことありますよ!」とフォローした。少しはホッとしたのか、佐知は嬉しそうに微笑んだ。甲原はペンが止まっていた部下を促した。慌てて佐知が楽しんでいたというカラオケ店を記す。
「僕は定食屋で夕食を」
楠は律儀にレシートを取り出した。日付は昨日の十九時三十分過ぎだった。レシートを溜め、一週間分の消費額を算出するのが日課だという。夕食後は実家に帰宅したと結んだ。
三人ともアリバイは問題ないか……と甲原が無精髭目立つ顎に手を当てたときだった。
「その、昨日の十八時過ぎなのですが――」と佐知が言った。「先生は一人、研究室に閉じこもりました」
「閉じこもった?」
不思議に思った甲原が詳しく問うた。
「新島博士、たまになのですが、集中してサンプルを観察したいときに研究室に閉じこもる癖がありまして。昨日も閉じこもったので、私たちは早上がりしたんです」
甲原は殺害現場になった顕微鏡エリアを思い出した。黒や白の斑点が浮かぶシャーレが何個も散らばっていた。
佐知の確認に、残りの二人も頷いた。「全く困った爺さんだよ」と立花が余計な一言を添えた。
「そのとき、鍵は?」
「先生が室内から閉めました。それを確認して、私達は帰宅しました」
つまり、密室となった研究室に被害者自らが閉じこもったことになる。
このタイミングを待って、犯人は密室に侵入し被害者を殺害。再び密室をつくって逃亡したのだろうか。
それには合鍵かマスターキーの使用が不可欠だ。しかし現時点で使われた証拠はない。
――全く、推理小説じゃあるまいし。
仮に第三者が合鍵を持っていたのなら犯行は可能だ。犯人は研究員以外の誰かだろうか。
甲原は首を振った。
第一、第三者がここまで侵入することは困難だ。守衛室の前を通ることになるし、監視カメラも回っている。
首を捻ったとき、控室のドアがノックされた。
話を聞いた部下が戻って甲原に耳打ちした。
「例の探偵さんが到着したもようです」