終
「と、まあこの歌はこれでおしまい」
語り部の男は、うたい終わったとたんに、人なつっこい笑顔をみせた。
けれど、聞き手であった龍のほうは、文字どおり、他人ごとではなかった。自分の出生の秘話を聞かされたのだ。それが真実かどうかは置いておくとしても。
「あ、あなたは、一体……」
「さあてっと、久しぶりにこんな長い話をうたったら、疲れたよ」
語り部は、よいしょと腰を上げた。
困惑する龍を無視して、箜篌(たて琴)をしまうと、語り部は別れもいわずにすたすたと歩き出した。
「あの、ちょっと待って…待ってください」
龍は慌てて追ったが、語り部はすぐ森の向こうに消えてしまった。
「あの……?」
伸ばした手の行き場をなくした龍は、しばらく呆然と、語り部の消えた方角を見つめていた。手を下ろしたあとも、いつまでも見つめていた。
「龍、ここにいたんだね。捜したよ」
ぽんと肩に置かれた手のひらに、龍は我に返った。
「ちちうえ」
十八年間、彼を慈しんでくれた養父、成雅だった。わざわざ摂政みずから、龍を捜しに来てくれたらしい。龍が勝手に桜宮を抜け出してきたというのに。
「なんだい、幽霊でも見たような顔をして」
「見たんですよ、琴弾きの幽霊を」
「琴弾きの………」
成雅は、そのときなんとも言えぬ表情をみせた。龍が初めて見るものだ。
「そうか。五年ほど前まで、腕のいい琴弾きが前の中臣殿の館にいたんだが…中臣殿が亡くなったときに、彼もどこかへ消えてしまったよ」
成雅は、だれに聞かせるともなくそう言った。なつかしそうに、そう形容するのが一番ぴったりとくる感じがした。
それ以上の気持ちは、龍には推しはかれなかった。
*
都のはずれ、寂れた丘のふもとに、まだそんなに古くない、貧相な墓があった。その前に手を合わせる男が一人。年は、三十のなかばくらい。かたわらには、なにやら大きな包み──どうやらたて琴らしい──がある。
ひとしきり黙祷を捧げたあと、男は一人の青年を思い浮かべた。心の中の彼に語りかける。
「りゅう…龍王よ。知っているか。おまえのお陰で俺たちは救われたということを。感じてくれただろうか…」
あえて語らなかった、その後の許しの物語を。
結局、沙枝を選べなかった誠。そして誠を忘れられずに、生まれた子どもに龍と名づけたいと言った沙枝。それを受け入れ、すべてを愛した成雅。龍の名前にこめられた想い。
それが、伝えたかったのだ。
そこまで考え、ふっと彼は苦笑した。
「分からないものですね。一番先に行くべき人間が、最後になってしまいましたよ」
彼の脳裏には、その墓の主の姿があった。
上を見上げれば、空は高く、都の中心部のほうから音楽が聞こえてくる。即位式の音楽だ。
「中臣様。どこまでいっても、俺は成雅に勝てないみたいです。どうせ、おまえが望んでいた統領親政の実現だよろこべ、とかって言うんですよ、あの人は。沙枝との間に三人も子どもを作るし。人のよさそうな顔をして、意外と執念深い男だと思いません? 息子と二人、旅の草枕もいいかと思っていたのになあ。──ねえ、中臣様。見えていますか?」
そう言って、誠は都のほうに目をやった。そこから桜宮は見えない。
けれど、彼にはその様子をはっきりと思い描くことができた。
桜宮の中心部、『さ』の神がおりたつ桜の神木のもと、『琴を弾く者』が神おろしをして、中臣が新統領即位の祝詞を神に捧げる。
そして、龍王が即位する。二藍の礼服がよく似合っていることだろう。
ああ、桜吹雪が舞っている………。
さの神 おわします
さの神 おわします
天地の 興りし 古より この地を守りし 汝が寵児を 慈しみ給え
その献身を讃え 光を与えたまえ
我は 公正なる 狭間人なり
いま 新たに その御影を 祀らんとす
このもの その名を 龍と称し 龍王と号す────………




