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七 春宵

一番の難関かと思われた父は、あっさりと誠を館に入れた。


「ごくろうだった」


 わざわざ誠を出迎えて、ひとこと。

 父が、誠の行動の意味を分からないはずがない。それなのに。その表情に焦りはなかった。


「なぜ…?」

「それより、まず沙枝姫のための部屋が必要だな。すぐに用意させよう。おまえも、すこし休むがいい」

「ち…父上……?」

「おまえのおかげで、よい花道ができた。おまえは、父をいじめているつもりが、感謝されることをしたのさ」


 そんなはずはない。

 誠は、どう返したらよいのか、分からなくなった。

 最後まで手放されることのない、隆信のプライド。はじめから負けると分かっている戦を、彼はするだろう。最後の一人になるまで。そして、けして降伏などしないのだ。

 華々しく、自分で幕をおろすのだ。

 最後の賭けに負けたから。

 そう、統領一族の暗殺は、彼の最後の賭けだった。財力を失くし、反逆疑惑で地位と兵力を失った北条が天下に君臨しつづけるためには、有力氏族たちをまとめあげてしまう、統領という存在があってはならなかったのだ。だから一掃しようとした。

 ところが誠が沙枝を連れてかえってしまった。すべての有力氏族たちが、秦氏のもとにつどい、兵を挙げるだろう。

 統領の奪還をかかげて、いまや謀反人となった北条に、一丸となって襲いかかってくる。そして、いまの北条には、世界中を敵にまわして勝つ力は残っていない。

 どのくらい、じっと向かい合っていたのだろう。「お部屋のご用意が整いました」という侍女の声で、二人は別れた。

 誠は沙枝を部屋へと運び、隆信は…自室にかえったのだろうか。

 寝台にねかせて、ほどなくしてから沙枝は目覚めた。


「気分は?」


 寝台から距離をおいて、誠は尋ねた。

 少女はしばらく応えない。やはり、まだ信じられないというようすだった。


「あなた…リュウなの?」

「そうだよ」


 肯定してやる。


「素顔の俺は、きれいじゃない?」

「………ううん。素顔のほうが好きよ。わたし、あなたのことなんにも知らなかったのね」


 沙枝は、知らなかった、とそのことを純粋に悲しんでいるように見えた。

 ふいに沙枝は顔を両手でおおった。


「どうした?」

「ごめんなさい…ごめんなさい。あなたを恨んでいるの。北条のあなたを。でも…」


 きらいになれない。

 口に出されなかった言葉。それが、せつない。


「秦氏が兵を挙げるはずだ。じきにこの館は落ちるだろう。そのあいだ、不自由がないようにはするつもりだ。要望があればだれにでも言ってくれたらいい」

「りゅ…あなた、すべて分かっていて…?」

「俺は北条を倒すためだけにこの十年、生きてきた人間だ。それだけのことだよ」

「よく…分からないわ。わたし、意味が分からない」

「すこし眠るか? 眠れないんなら、子守歌がわりに話をしてやるよ」

「やさしいリュウなのね」


 沙枝がそうこぼした。誠を見ていてたまらなくなったかのように。沙枝には、彼が北条の人間だとは思えなかった。


「目を閉じて」


 そっと寝台の端に腰をおろして、誠はしずかに昔話をした。

 十年前、彼の母親が北条のやり方に反発していて、隆信に自害においこまれてしまったこと。それで家を出て斉藤淳に拾われたこと。淳にリュウという名前をもらって、彼とともに活動してきたこと。正統な統領による親政を理想としてきたこと。


「……沙枝」


 話が終わったところで、誠は一度その名を呼んでみた。返答はない。そのまぶたは、かたく閉じられているようだった。


「おやすみ」


 誠は腰をあげた。と、そのとき彼を引きとめる少女の手。


「なんだ、まだ起きてたのか」

「待って。もうちょっとだけそばに…そばにいて」

「親の敵の顔なんて、見ていたくないだろ」

「…お願いよ」

「前にも言っただろう、俺は男なんだ」

「そんなの、わたし、最初からきっと分かってた」


  *


 沙枝姫の略奪から、半月。秦氏が挙兵したが、北条側の粘りもなかなか侮れるものではなく、暦は如月に移っていた。

 世間からは極悪人と評される北条だが、北条に仕える兵士たちにとっては、命を捧げたいと思える良き雇い主だった。だからこその、最強武力だったのだ。彼らを放逐せず、最後まで道連れを決めた当主・北条隆信に、彼らはさらに心酔し、忠誠を誓った。『われら、決して二君にまみえず』──と。




「見事ね。知らなかったわ。北条の館にこんな立派な桜があったなんて」


 鈴のような声が静かな部屋に響いた。

 開け放たれた窓の向こうに、館の者たちが『桜の庭』と呼ぶ庭があり、中心には桜の大木が立っていた。

 外では激しい戦闘が行われているというのに、館の中は、まるで切り離された異空間のように静寂を保っていた。


「うちの親父の趣味。桜が散ったあと、踏みつけにして喜んでんだ」


 本当なのか冗談なのか分からないことを、誠が言った。


「まあ、今年はそんな暇もないだろうし、もう満足してるだろうけどな」


 二人のことを後悔しているようにも聞き取れる言葉。

 沙枝は、黙って彼を抱きしめた。

 この半月、二人はほとんど一緒にいた。どのみち、同じ館の中。離れてはいられなかったのだ。そして、それは沙枝の願いでもあった。

 せめて一緒にいられるあいだは、そばにいて、と。


「沙枝。俺さ…親父のこと、最後まで、一点だって許せないだろうと思ってた。けどどうしてだろうな。今になって愛されていたのかもしれないと思うよ」


 父なりの愛情で。

 この半月、隆信は沙枝姫に手をかけなかった。こうなってしまたら、沙枝を殺すことが勝ち残る唯一の道だったというのに。息子の横恋慕など無視して。


「誠…あと何日?」

「やめよう、日にちを数えるのは」


 誠は言った。先はないと、分かっていたから数えたくなかった。そうね、と沙枝もうなずく。

 けれど、日にちを数えずにはいられない、沙枝の気持ちを彼は分かっていなかった。


「ね、誠。お願いがあるの」

「なんなりと?」

「わたしを連れていって」

「? どこに? 館の外は無理だよ。もう秦氏の兵がそこまで来てる」


 秦氏の兵のいるところまで脱出させてほしいんだろうか、と思いながら、そこまでは口にしなかった。


「そうね…だから、お迎えが来る前に、一緒に連れてって」

「沙枝…おまえ」

「本気。本気で言ってるのよ。わたし、あなたについていきたいの」


 彼女が本気であることは、その声で分かった。彼がリュウだったころと変わらず、まっすぐ見つめてくる瞳にも、迷いはない。

 しかし。


「沙枝。自分の立場を忘れちゃいけない」

「どうして? わたしがいなくたって、まつりあげる誰かはいるわ。でもわたしは…わたしには、あなたしかいないのよ」

「成雅殿は! あいつは、おまえを助けるために、今がんばってんだぜ?」

「それがどうしたっていうの?」


 そのときの沙枝の潤んだ声が、誠の後悔をさそった。なだめるつもりが、ただの言い訳の羅列になってしまった……。

 沙枝はふっと息をつき、そして誠を見た。


「結局、最後まであなたはわたしよりも国を取るのね。この半月、そばにいてくれたのだって、その罪滅ぼしなんだわ」

「ちがう!」

「なにが違うのよ、いくじなし。わたしを攫うんなら、最後まで攫い通してよ!」


 違うと、くりかえせなかった。

 最初から、奪いきることなどできなかったのだから。沙枝を道連れになんかできないのだから。

 誠は、その中にも、純粋に彼女に生きていてほしいと願う気持ちもあることに、そのとき気づいた。しかし、それは言葉にならず、感情の行き場をなくした彼は、少女を抱いた。

 桜の花びらがひとひら、部屋の中に舞い込んできた。




「わたし、桜なんかきらいよ………」


  *


 落城は、やけに遅かった。

 桜の花が散り始め、若葉がのぞきはじめたころになった。

 秦氏の軍勢がなだれこんでくるのと同時に、館の一角から火の手があがった。その位置から、誠は父が自刃したことを悟った。

 それまでは奇跡的にしずかだった館も、一気に喧騒にのまれた。沙枝を捜す声も聞こえる。


「さて、と。俺も最後にひと仕事しないと」

「なにをするつもりなの?」

「ただで成雅殿に持ってかれるのも、しゃくだからな」

「まこと…」


 沙枝のことばを、彼は唇で遮った。彼女の願いは、彼の決心を崩すから。


「またな」

「そっ…それでお別れのつもりなの?」

「おまえ、それ以外の言葉じゃ許してくれないだろ?」

「だからって、うそつくの」

「いいだろ、俺は嘘つきなんだ」

「いや…嫌、わたし、あなたについてく」

「沙枝」


 飛びついてきた沙枝を誠が受け止めたとき。

 扉が開いて、二人の空間が破られた。


「沙枝……」


 信じられない、という表情の成雅がいた。

 なぜ沙枝が北条誠に「ついていく」と言うのだ? 切実な目を誠に向けているのだ?

 これでは、横槍をいれているのは成雅のほうではないか!


「やるよ」


 誠は乱暴に、沙枝を成雅のほうに突き飛ばした。そして剣を抜く。


「最後のひと勝負といこうじゃないか」

「いや、やめて! 成雅兄さま、誠を殺さないで!」

「その女、さっさとどっかにやれよ!」


 たまりかねた誠が叫んだ。そのひと声で、秦氏の兵が動く。


「沙枝姫様、保護いたします」

「いや、いや! まことっ!」


 力づくで引っぱっていかれながら、沙枝は最後まで誠の名を呼びつづけた。

 やがて少女の声も聞こえなくなり、誠と成雅だけが残った。


「僕は一度、君に言ったな。沙枝を惑わすなと」

「ああ」


 誠は成雅の推測を肯定する。『琴弾き』のリュウが自分であった、と。

 成雅が剣を抜いた。本気の構えだ。沙枝を愛するものとして。


「いくぜ、成雅!」


 キンッ…!

 鋭い剣の音がひびいた。腕は、誠のほうが上。しかし、それにも負けない気迫が、このときの成雅にはあった。

 分かっていたのだ。これは、成雅が勝たなければならない勝負なのだと。

 剣の音だけが、室内にこだました。

 合わせて、引いて。また合わせる。真剣勝負。

 そのとき、開け放たれた扉から、一陣の風がおどりこんできた。

 カキンッ!

 弾け飛ぶ、一本の剣。それを、誠はぼんやりと見送った。彼の一瞬の注意、けれど決定的な隙を生んだものが床に散っていた。


「なぜ……放棄するっ!」


 叫んだのは、成雅だった。


「沙枝が欲しいんだろ? 好きなんだろっ? 彼女を守ったのは、おまえじゃないか!」


 誠がなにかに気をとられなければ、成雅が勝てたはずはなかった。それが成雅にはあきらめに見えた。最初から、誠が死に場所を求めていることは分かっていたから。だから、余計に悔しかった。

 どこまでいっても、誠には勝てない。

 反対に、誠はしずかな目をしていた。床に降り積もった桜の花びらを手にとる。一陣の風が運んできたもの。


「俺は…父を見限って、中臣様に教えをいただいたときから、正しい血筋の統領による親政だけを考えてきたんだ」


 これは、そのときから決まっていた彼の運命。

 父とともに滅ぶ。ずっとその覚悟で活動してきたのだ。悔いはなかった。


「……俺を、らくにしてくれないか?」


 誠の嘆願を受けて、成雅はぎゅっと剣の柄を握りなおした。


  *


 沙枝姫は、桜宮に戻ったあと、秦成雅との婚儀をやり直した。

 北条一門の氏族たちは、流刑などの処罰を受けた。北条に作られた暗黒の時代は幕を閉じたのである。

 北条の失脚に暗躍した中臣、斉藤淳は、沙枝の即位後、位を甥に譲って都の片隅に引っ込んだ。塾もやめてしまった。その分、彼の教え子たちが宮廷で活躍することになる。

 また、即位の前に、沙枝は男児を出産した。北条誠の落し物だった。彼女は生まれた男児に、まわりの反対を押し切って、龍と名づけた。世間の人々は、恨みからだろうと解釈した。

 しかし、ほかの面では、彼女はまったく完璧な母だった。成雅との間にできた子どもたちと分け隔てなく愛し、育てた。

 統領としては、夫成雅を摂政に、たくさんの人の声を聞きながら、国を治めた。

 今、山門の都はかつてなかったほどの華やかさに満ちている………。


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