五 背信
その日、夜も更けてから館に戻ってきた息子を、北条隆信は呼びつけた。
「なんか文句でも?」
相変わらず、口のへらない息子だった。
「今日、おまえが後宮で起こした騒ぎ、聞きつけたぞ」
「なんのこと?」
いつもどおりの返事でありながら、一瞬のはっとした表情を彼は見逃さなかった。さらに言をつぐ。
「隠すな。わしは嬉しいんだよ。おまえに分かるかな? 手のうちに、秦成雅以上の人材がいたなど…中臣殿に感謝すればいいんだろうね」
中臣、とその単語が決定的だった。
息子、誠の態度が、そこでがらりと変わった。いままで奔放さを前面に出していたのがうそのように、性根のある目つきで父親を見返す。
「何がいいたいんですか」
「ふん、本性を見せたな。父の足元をすくって面白いか?」
「父? 本気でいってるんですか。俺は、あなたのことを恨んだことしかありませんよ」
「誠。沙枝姫を奪ってこい。この北条の天下で、認めてやる」
「な…! 正気で言ってんですか。だとしたら、あなたも随分焼きが回ったもんですね。俺はこの十年間、打倒北条のためだけに生きてきた人間です」
「正論だな。だが、本心はどうだ? このまま成雅にかっさらわれるのを、指を加えて見ているつもりか? 誠。もう一度いう。沙枝姫をさらってこい。それで和解といこうじゃないか」
「お断りします」
それを最後に、誠は北条の家を出た。この十年、その足元をすくうためだけに住んだ家を。
翌日、北条誠が父親と仲たがいをして家を出たともっぱらのうわさになった。沙枝姫への横恋慕が原因だと、どこからともなくそういう話になった。
けれど、当然ながら、彼に同情するものはいなかった。