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一 鬼火

 その昔、山門(やまと)の都は、北条(きたじょう)という一族に支配されていた。

 統領(とうりょう)はおれども飾り程度でしかなく、北条の一門が宮廷の要職を独占したのだ。しかも始末に負えないことに、彼らは、その絶大なる武力で、他を押さえこんだ。

 四方を山に囲まれた都は、広いとはいいがたく、地方からも隔離された高みのような場所だった。その中をある一色に染めようとするのは容易だったわけである。

 抵抗しようものなら、都を出ていくしかない。そして、どんなに灰色の、抑圧された都でも、(ひな)びた地方よりはマシだと思う人は多かった。

 北条は、武力を背景に、恐怖の管理政治を行った。

 隠れる場所のない都で、人々は血と汗と涙を流しながら、従うしかなかった。統領でさえ止めることの出来ない、北条の暴走。一体、だれが止められるというのだろうか──その思いが人々の中にあきらめを植えつけた。

 そうして、北条の暗黒時代と呼ばれる時代は完成された。

 これは、そんな時代の話である。


  *


 その日、桜宮(さくらのみや)(御所)では鬼火が出たというので、祓えの儀式が行われていた。

 鬼火は不吉なことの前兆と言われる。それが、神木の桜や、後宮にほど近い『梅の庭』だったため、人々の不安をあおったのだ。

 その梅の庭からすこし離れた蔵の前。

 神おろしの琴の音がやんで、それに応えていた鶯のさえずりも消えたころ、地面がつぶやいた。


「……終わったわね………」


 幼さの残る、少女の声だった。

 ぎょっとしてあたりをうかがうと、椿の植え込みの反対側。桜宮の東の建春門(けんしゅんもん)も見えるところに、声の主は寝転がっていた。

 上等の絹を惜しげもなく土の上に投げ出し、口紅のひとつもつけずに、空を仰いでいた。年の頃は十…二、三だろうか?

 宮廷にこんな鄙(田舎)まるだしの采女がいるとは聞いたこともない。妃の小間づかいといったところか。


「お嬢さん、こんなところで日向ぼっこ?」

「あら、神官さん。お祓いごくろうさま。とてもいい琴の音だったわ。また聞かせてね」


 衣装から、彼が『琴を弾く者』だと知ったのだろう、少女は全開の笑顔で言った。


「穢れがないと、俺の出番もないの。ぶっそうなやつだな、おまえ」


 しかも神職者を前にして、臆する様子もない。まだ若い神官は、思わず普段の話し方で不機嫌に応じた。

 少女が笑う。


「あなたも、神官さんらしくないわ。あの繊細な琴の音がうそみたい。でも良く見れば、顔立ちはいいのね。演奏に負けないくらいお上品で、あたしなんかよりよっぽど色っぽいわ」


 今度こそ、彼は破顔した。こんなにぽんぽんものをいう娘は初めてだった。

 いわゆる、宮廷における女性の正装──髪を双髻そうけいに結い、白粉をして紅をひき、女性の着物である茜色の背子からぎぬを身にまとった彼は、たしかに隣の少女よりよほど魅力的だった。もちろんそれは、彼の趣味でやっているものではない。『琴を弾く者』は、女装するのが通例なのだ。


「おまえさんもな、化粧して黙ってりゃ、三年後には公達の間でもてはやされるぜ」

「あら、三年後なの?」

「…なんだ、ずうずうしい。今すぐもてはやしてもらえると思ってんのか?」

「だってわたし、もう十五よ」

「へっ? 十五? それで?」

「信じてないわね、本当なんだから!」


 怒った声。どうやら、本当に十五歳ならしい。


「そういう神官さんは?」

「俺? いくつだと思う?」

「化粧してるもの、分からないわ。でも二十にはなってないでしょ?」

「まあな。十八だ」

「やっぱり。めずらしくない? 十代で琴弾きの役目を負うなんて。まあ、見た目は神官さんくらいのほうがいいとは思うけど。こないだなんて、四十すぎのおじさんが女装してやってるんだもの、幻滅したわ」


 少女は、意外と宮廷のことに詳しい。


「それはどうも」


 と、とりあえず彼は言っておいた。


「ところで、そういう十五のお嬢さんは、こんなところで寝転がっていて、恥ずかしくないわけ? 建春門から丸見えじゃないか」

「いいの、いやがらせだから。わたしのことを大捜ししたあげくに、待ちくたびれて寝てしまったわたしを見つけさせるのよ」


 いったい誰がこんな少女をわざわざ捜しにくるというのか。


「待ちくたびれて…って、さっきの転がり方じゃあ、非常識な子どもがだだをこねてるのと変わらないと思うけどね」


 そう返し、彼ははっとした。悪びれるところのない少女の瞳。その澄んだ黒に見覚えがあった。


「沙…枝、姫さま?」

「あら、つまんない。ばれちゃった」

「は? え……と、あの……っ?」


 脳裏にひらめいた名を口にしたものの、すぐには事態がのみこめなくて、混乱した。

 桜宮(さくらのみや)沙枝(さえ)姫といったら、都で一、二を争う美姫として定評がある。宴では父親のかげに隠れ、人々の輪の中には入ってこないのだが、桜色の礼服が似合う、清楚な感じの美少女だった。

 それが、紅ひとつはかなければ、これである。

 詐欺だ、絶対さぎだ。女の化粧なんて金輪際信じられない。

 そんな彼の動揺はさておき。やまぶき色の、色気もなにもない衣が絶妙な目の前の少女は、にっこりと小悪魔的に唇を動かした。


「うふふ、父さま、きっといまごろ大慌てしてるわね」


 父さま、つまり、現統領。

 沙枝姫が父親にべったりだというのは有名な話だったが、まさか天下の統領を慌てさせて、捜し回らせてまでいたとは。


「しょうがない人だな…」


 彼はそのとき、彼女が気安く口をきくことなどできない、統領家の姫君だということを忘れていた。すでにくしゃくしゃに乱れている髪を、さらにくしゃくしゃにする。


「やりすぎは、嫌われるぞ」

「だって、今日は梅見(うめみ)の宴をするはずだったのよ。梅がいまちょうどいいころだから。それなのに鬼火のせいで中止よ! ちょっとくらい、困ればいいんだわ」

「まったく、なりは小間づかいでも、中身はしっかり姫君だな」

「なりは小間づかいは余計よ」

「宮廷の奥深くにいて、統領さま以外の人間には人見知りする、神経質なお姫さまじゃなかったのかよ」

「知らないわよ、わたしだって、こんなふうに口をきくの、父さまと兄さま以外で初めてなんだから」

「あ…そう、それはそれは光栄です」

「なによ、その口のきき方は! 敬語なんて使わないでよ、普通にしゃべってよ!」


 いや、このうえなく身分の高い姫君にそういわれても。

 そこで、笑いになった。敬語を使って怒る姫君。お子さまで、わがままな沙枝姫。


「ちょ…もう、笑わないでよ」


 沙枝は彼の腕をたたいたが、それは怒っている仕草ではありえなかった。


「名前…あなた、名前なんていうの?」

「リュウ。ただの、リュウ。中臣(なかとみ)様に拾っていただかなかったら、とっくに死んでたはずの人間」


 束の間、リュウと沙枝は見つめあう。

 そして沙枝が、背の高い彼の目をまっすぐに見つめてなにかを言いかけたとき、その声は降ってきた。


「リュウ…、リュウ。いないのか?」


 大人の男性の声だ。


「あ…やべ、中臣様が呼んでる」

「また……! また、来てね」

「ああ」


 別れを聞き分けていながら、自分に向けられる淋しげな瞳がリュウの心に焼きついた。




中臣(なかとみ)様、俺はここにいますよ」

「リュウ、先に帰ったかと思ったぞ」


 桜宮の祭祀を司る斉藤一族の家長を務め、中臣(神官の長官)の仕事をこなす淳が、すねた口調で言った。子どものように無邪気な笑顔がまた、見るものの怒気をそぐ。年は三十をこえているはずなのだが。

 笑顔はすぐに、悪だくみしている子どもの表情に変わった。


「今夜、仕事だ」


  *


 その夜、月は雲の陰に隠れて出なかった。

 ひそかに謀を行うものには、おあつらえ向きの闇夜だ。

 リュウは、華やかな衣装を脱いで、今度は黒衣に身をつつんでいた。

 ターゲットは北条の館。基本的に周りのものを信用していない北条隆信は、大事な書類は自分の館に保存していた。

 それを盗み出すのがリュウの仕事。昼間の神官の顔など、カモフラージュにすぎない。

 リュウなるものは、このために生きているのだから。


「まったく、抜けてるよなあ。大事な書類がすこしずつ入れ替わってることにも気づかないなんて」


 リュウはいつもながら、簡単に書庫に忍び込み、その日の収穫を中臣、斉藤淳のもとへ届けた。

 リュウが盗み出してきた書類を淳が写し、複写のほうを戻しておく。

 やがてその本物は、北条を追い落とす切り札として使われることになる。それはまだ水面下の活動。北条隆信でさえ、その事態には気づきそこねていた。


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