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 即位式をひかえた新王は、物思いに囚われていた。

 蒼い空を、純白のわた雲が流れて行く。

 山門(やまと)の都、通称『桜宮(さくらのみや)』と呼ばれる宮廷の一殿舎の端近(はしちか)だった。太子(世継)の私室ともいえる建物である。


「本当に俺が統領(とうりょう)になるんだろうか」

「は? いまさらなにをおっしゃいます。この国に、『龍王』の即位を祝福しないものなど、一人としておりませんよ」


 十七、八の青年太子のうしろにいた、中年の官吏(かんり)(役人)は、あまりにも当たり前のことを聞かれて、なかばあきれた。

 この年、十八歳になる『龍王』は、先の女帝の長子で、政治に明るく、思いやりにあふれた聡明な青年だった。普通なら庶民のつかう『りゅう』という卑俗な名も、民の受けの良さのひとつで、彼はみんなから『龍王』と慕われていた。


「あなたさまなら、先帝の治世を上回る政治がお摂りになれますよ。こう申してはなんですが、(さき)の統領は女帝であらせられましたから、摂政どのにすべてを委託しておられた。久しぶりの統領の親政に、歴史学者たちもわいております」

「だが、俺がいつ道を踏み外すか、誰にもいえない」

「まさか! あなたさまが道を踏み外すなど、考えられません。第一、本当に道を踏み外すようなお人は、そんなことを考えませんよ」


 人の良い官吏の言葉に、龍は首をふった。


「人のうわさに戸口は立てられぬ。俺がなにも知らないと思っているのか」

「龍王…それは」


 官吏が言葉をつまらせたそのとき、若い娘たちの矯正がひびいてきた。


「龍王さま、即位のお式のときの衣装をお持ちいたしました」

「お衣装合わせを」


 矯正はすぐに押し入ってきて、占領を始めた。統領付きの侍女として宮廷にあがった美少女たち。采女(うねめ)である。みな、十四から十七歳の花ざかりで、龍王の身の回りの世話をしながら、妃になる日を夢見ている。


「では、わたくしはこれにて」


 楽しそうに衣装を広げ出した娘たちに圧倒されたのか、官吏はそそくさと退出した。残された龍は、彼女たちの人形となった。

 おとなしくなされるままになりながら、龍はひとり三十路をすぎた女性に目をやった。


(はぎ)も大変だな」

「やんちゃな太子さまのお世話にくらべましたら、これくらい、なんでもございません」


 ぴしゃりと返されて、龍は肩をすくめた。これだから小さい頃から面倒をかけてきた乳母には頭があがらない。

 本当に俺が統領になるのか。

 先刻、官吏にもらした言葉を、彼はもう一度心の中でくりかえした。

 だれもその答えを持っていない気がした。


「はい、これでよろしいですよ」


 ふいに、現実にひきもどす萩の声がした。

 二藍(ふたあい)の衣に鬱金(うこん)色の帯がよく映えて、龍を凛々しく見せていた。


「どうかな?」

「摂政様にお見せしていらしては? 萩には、これ以上文句をつけるところはございません」

「ああ、そうする」


 龍は素直に萩にしたがった。

 これで少女たちから解放されるし、晴れの日の衣装を摂政に見せたかった。

 女帝の夫として、摂政職を見事にこなした人。龍のことを、だれよりもいつくしみ、大きな愛情でつつんでくれた人。龍の大切な父。彼をがっかりさせるようなことはできないという気持ちが、今日まで龍を支えてきたのだ。

 摂政は、宮廷のほぼ中央にそびえる桜の神木のもとにたたずんでいた。


「父上」

「龍か。ほう…なかなか、さまになっているな」


 龍の正装を、彼はそう評した。

 もう四十に近いのだが、あたたかい微笑みは、昔と変わらずまぶしい。


「父上は、ここでなにをしていらっしゃったのですか?」

「いや、すこし祈りをね」

「いのり? 父上が、ですか?」

「意外かな」

「ええ、意外です。あまり『さ』の神を信奉していらっしゃいませんでしたから」

「おいおい、こんなところでそうはっきり言うなよ」


 祟られるだろう、という摂政に、龍は笑った。

 彼は、神を信じてはいるが、当てにはしていないという人だった。その分かどうかはわからないが、生きている人間を大切にする人だった。それが、彼がだれからも慕われる理由だろう。


「龍……()()()()()()()()()()()()()。良い、治世を」

「はい、父上。この(たま)()の神木に誓って」


  *


 (さき)の統領の崩御から喪に服すこと一年。

 山門の都は、新しい統領の誕生に、騒然としていた。

 普段の倍の市が並び、毎夜のお祭り騒ぎがくりかえされた。旅人も、商人も、このときとばかりに都に押し寄せてきて、統領の即位を祝った。

 この異常なほどの熱気は、即位するのが龍王であるということも大きかっただろう。

 即位に関係した忙しいスケジュールの合間をぬって、龍はいまは亡き前の統領の塚を訪れた。塚は、都のはずれ、森の中につくられていたため、都の喧騒に無縁だった。

 そこに先客が一人。

 どうやら旅の語り部(吟遊詩人)らしき男性が、塚に寄り添うように体を休めていた。目を閉じてじっと動かない様子は、眠っているようでもある。

 しかし、草を踏み分ける靴音に、その人物は身体を起こした。

 年の頃は、三十のなかばだろうか。


「あ…起こしてしまいましたか?」


 龍が先に口を開いた。


「いや……もとから起きていた。あんたさんは、この塚の主人の家族かい?」


 男が言った。その塚がだれのものか知らないらしい。それは、統領のものというには、あまりに質素だから。


「息子です」


 年上の男性に対して、龍のことばづかいは丁寧になった。


「あなたは、ここで休憩なさっていたんですよね。いまから都へ?」

「ああ、統領様の即位式を見に」

「そうですか。いま都はそれで大騒ぎです。俺なんかは、ここみたいな静かな場所が恋しくなって仕方ありません」

「へえ……。じゃあ、この静かな場所で、一曲いかがです? 一応、(うたい)を商売にしている人間として、リクエストがあるならお答えするよ。恋の話に、鬼退治。山門のお人なら、地方のめずらしい話がいいかい?」


 龍の服装は明らかに氏族(貴族階級)の略装だったのだが、語り部は気にするふうもなかった。その気安さがなんだか嬉しくて、龍は一曲頼むことにした。


「いえ、山門の話を。……俺が生まれる前くらいの都の話をお願いできませんか? どんなものでもいいんです」

「というと、あれだね。北条(きたじょう)の圧政の頃の話が聞きたいのかな」


 返ってきたのは、どんぴしゃりの答えだった。


「はい、それです」

「あんたさんが生まれる前の都の話っていったら、それくらいしかないからねえ。いいよ、おあつらえ向きのがある。ただし、途中でストップはなしだよ。語り部ってやつは、謡に生命を注ぎ込むからね」


 その語り部の口調が、あまりにも他人ごとで、龍は思わず唇の端をほころばせた。


「ところで、今度の統領は、『龍王』のほうかい?」

「そうですよ」


 なにを隠そう、語り部の目の前にいる、龍本人だ。


「そうかい。あんたは龍王の名前をどう思う?」


 語り部は奇妙なことを聞いた。


「龍王の『りゅう』って名前ですか?」

「おう」

「そうですね……統領にしては、庶民的な名前だと思いますけど」

「おまけに恨みがこもっている、か」

「それは事実だと思いますよ」


 肯定を返した龍に、語り部はどこか遠い目をした。


「なら、すこし長くなるけど……その暗黒の時代、北条にぶつかっていった人物について、うたおう」


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