武器狩り
曰く、東の森の淀みにて佇む大男あり。至急狩られたし。
王都から東へ、街道を馬車で半日。そう田舎ではないが、大都市でもない町がある。通過していく行商人や冒険者たちの足がぱったりと途絶えて、丸ひと月が経った。町の酒場には昼間から入り浸る常連がちらほらと見える。
ひと月前までは、この町の先にある森に獣やらを狩りに行く冒険者どもで繁盛していた店だが。森への立ち入りが禁止されてからは当然ながらその客足も途絶えた。
厨房で店主がため息をついた。商売あがったり。その一言に尽きる。
店の戸が音を立てた。
「いらっしゃい。」
若い男だった。ここでは見ない顔。
縫い跡の目立つぼろぼろのローブをまとい、着込んだ鎧は軽装。肩にかけた弓が唯一の武装に見える。口元は布で隠され、見えるのは目つきの悪いその瞳だけ。
男は店主の前まで歩み寄ると、懐から革袋を二種取り出した。一つは水筒である。
「ここに水と干し肉を。」
短くそう告げ、金貨を二枚置いた。
「お前さん、森へ入るのかい?」
店主は尋ねるが、男は沈黙を保ったままだ。
「今は止めたほうがいい。森の奥の方には、闇があふれて水が澱んでる一帯があるんだけどよ、そこにひと月前から、化け物が居座ってる。人の倍はあんじゃねえかって身の丈の大男が、その身長ぐらいでっかい大剣振り回してんだとよ。」
男は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、店主に見せた。
「それを狩れとの命だ。」
店主は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに感謝と憐みの混じった目に変わった。
「ほう。国の従僕も楽じゃないねえ。」
干し肉と水を詰め終え、革袋を男に返す。店主が受け取った金貨は一枚だけだ。もう一枚は男に押し付けた。
「帰ってきたら、それでうちの飯食っていってくれや。美味いぞ。」
男は小さく息を漏らし、
「楽しみにしていよう。」
と告げて出ていった。隠れていた口元は小さく笑っていたのだろう。
「大将!なんだいあの愛想のないガキは!」
酔っぱらいの呼び声である。事情も知らない酔いどれのオヤジどもが失礼なことを言う。
「お前たち、見てなかったのか?あの朱印つきの羊皮紙、あれは王の勅命だ。」
「え。じゃああのガキ、王様の臣下なのかい?」
「そうさ。しかもただの臣下じゃあない。闇落ち専門の騎士。通称『武器狩り』様だ。」
「えええ!?あんなガキンチョが!?」
「そうだぞ。だから、そのガキってのやめろって。」
興奮冷めやらぬ酔っぱらいと店主の会話は続いた。
闇。人の心を覆い、そして潰すもの。
この世界においてそれは物理的に湧き出ていた。闇の本質はだれにつかめるものでもない。人は、人々に絶望を与えるそれを総称して闇と定義した。
故に姿かたちは時により異なる。ある時は虫のように湧き出で、ある時は強大な蛇のような姿を模し、またある時はヘドロのように地にまとわりつく。
放置すれば営みに影響が出るようなものを放置できうるわけもなし。それゆえに王国は闇の討伐のために五つの騎士団を設立した。設立以来、数多の闇を葬り去ってきた彼らは王国の英雄である。
だが、本質のわからぬそれは常に形や性質を変えて彼らと相対する。当然、犠牲も多い。通常、闇に飲まれた人間というのは自我を失い、心身ともに崩壊する。闇の一部に溶けるのだ。だが、なまじ精神力が強い人間が闇に飲まれると、これが厄介なのである。自我を失うが、体はその場に残り、それは闇に従う。これが『闇落ち』。もとの力が強力故に闇落ちした人間を殺すのは困難を極める。
そこで、闇落ちを殺す専門の騎士団が新たに設立された。隠れた第六騎士団。総勢わずか一名。ただ闇落ちした同胞を殺し、そして対象の武器のみを持ち帰る。ついたあだ名が『武器狩り』。名も明かさぬ彼は、愚直に勅命を遂行するのであった。
昼間だというのに、妙に薄暗い空。闇との距離が近づいている証であろう。一度歩みを止め、火を作る。焚き火を手早く形作ると、そこから松明に火を移した。水筒の水と靴底で焚き火を消火すると、松明の明かりを頼りにさらに奥へと進む。
空が夕暮れのように暗くなったころ、それは現れた。
噂に違わぬ上背。そして、傷がつき刃こぼれも見られる巨大な剣。闇落ちした討伐対象である。鎧はなく、強靭な肉体の上に薄い肌着のみが残っている。それゆえ、武器と身体の重量が異様に際立っている。
大男は、黒く濁った眼をこちらに向けると、ゆっくりと大剣を中段に構えた。あれだけの大きさの剣をぶれることなく構えるとはなんという腕力だろうか。
すかさず男も弓を構え、すぐさま一射。大男は剣を盾にしてはじく。
あれならば、盾にもできるか。男は感心した。そして考えを巡らせる。弓矢の攻撃が通りにくいとすれば、手元にある二本の短剣で攻めるしかない。とはいえだ。
男は一度距離を詰める。大剣の間合いの一歩分外。足を踏み入れた瞬間、目の前を大男の剣が通り抜けた。
短剣で攻撃を行うとすればこの間合いの中をさらに詰めなければならない。いかにして抜けようか。
思慮を巡らせていたその時、大男が動く。
腰を低く落とし、大剣は身体の右側、地面すれすれに。薙ぎ払いの構え。特に足を刈りにくる。そして、今一歩の踏み込みと同時に刃を旋回させる。
迫りくる質量の塊に、後方へとステップを踏もうとした。だが、大剣の長さはそれで逃れられるものではない。男は足に力を込めて垂直に飛び上がった。足元を通り過ぎる刃。
空中で弓をつがえ、頭部めがけて引き絞る。手を放そうとしたとき、彼は異様な光景を見た。目の前に足が迫っていたのだ。
大男は大剣を旋回させた勢いをそのままに、後ろ回し蹴りへと派生させていたのである。
だが男の動きもなかなかに人間離れしている。目の前に迫った足に対して体を捻り、海老反るように背面で回し蹴りを回避した。しかも相手の首元に一射を浴びせながら。
大男はさらに蹴った足に軸を移し、後方に流れた大剣を大きく振りかぶって前方に叩きつける。着地と同時に襲い来る刃に、あえて前方に滑り込むことでかわす。振り切った大男の腕に短剣で傷をつけることを忘れずに。
大男はさらなる攻撃を繰り出そうとした。妙な違和感に気が付き、両の手を見つめる。大剣が持ち上がらない。握ることができないのである。最後に男が切り裂いた部位は両腕の腱。指が曲がらずに、ものを握ることができなくなってしまった。
男は隙を見逃さなかった。一瞬硬直した大男のその身体を、壁を蹴りあがるが如く駆けあがる。そして首元に二太刀。
どす黒い鮮血が流れ、大男はそのまま崩れ落ちた。
その身体は流砂のように溶けて消え失せる。残ったのは地面に突き刺さった大剣だけだ。
男は静かにその大剣を拾い上げると、背負うようにして担いだ。
そのまま、ゆっくりと森のはずれ、町の方角へと歩き始めた。
日が沈みかけた頃、店の外から大きなものを引きずるような音が聞こえた。気になった店主は、表から通りを見まわす。森のほうから、昼頃に出会った武器狩りが歩いてきていた。巨大な大剣を背負って、地面に引きずりながらも歩いていた。
「おう!兄ちゃん!無事か!」
店主は駆け寄る。男は無言である。
店主は男の身体を見まわした。ローブはもともとボロボロであり、怪我をしているのか判断が付きづらい。外から見てもわかるほどの流血はないため、無事ではあるのだろう。
「しっかし、でっけえなそれ。それを持ってきたってことは、あいつは倒したのかい?」
男は小さく頷く。
店主は満面の笑みで男の肩を二回ほど叩いた。
「おお!ありがとな!これで人通りも元に戻るってもんだ!じゃあ約束通り、うちの店で食ってけよ。俺からの礼だ、お代はいらねえ。」
店主に腕を引かれて、男は昼にやってきた酒場に入る。
昼間から飲んでいた客は同じ席で眠っていた。人入りは昼より増え、席の半分ほどが埋まっていた。皆、男の風貌と、巨大な大剣に怪訝な目を向けている。
「おっかねえな…。」
「みすぼらしい格好の冒険者ね…。」
口々に噂をする。店主はカウンターに誘導すると、すぐに調理を始めた。
男は大剣を床に置き、席に着いた。静かに、ただ座っている。店主はそんな彼に声をかける。
「わりいな、兄ちゃん。」
男は店主の謝罪の意図がわからなかった。
「何がだ。」
「いや、居心地悪いだろ。無理やり連れてきて悪いことしちまったなって。」
調理の手を止めはしないが、言葉と表情に悔いが見える。
「慣れている。気にするな。」
「そうかい。それなら良いんだけどよ。」
手早く調理を済ませ、男の前に皿が並ぶ。
香辛料を漬け込んだ焼き鳥。キノコのスープ。野菜の炒め物。パン。
「こんなものしかないが、まあ食ってくれや。」
男の目は驚きで見開かれていた。
「…いただこう。」
「おう。」
口元の布を外し、ゆっくりと食べ始める。初めは味わうように咀嚼をしていたが、次第に腕の回転が上がっていく。がつがつと勢いよく口に詰め込んでいく男の様を見て、店主はうれしくなった。
「おかわりいるかい?」
男は無言で頷いた。
次々と出される皿をものの見事に完食してみせた男。酔っぱらいたちが起きるまで食べ続けていた。
ふーっとため息をつき、久しぶりに満腹になった腹を眺める。
「あれ?武器狩りの兄ちゃん帰って来てたんか。」
酔っぱらいたちが起き上がり、男に声をかける。酔っぱらいは彼の足元に転がる大剣に気が付き、ふらつく足取りで駆け寄った。
「おお!あのバケモン、倒してくれたんか!ありがとな!」
「ようやっと、客入りが戻るってもんよ!」
「これで宿が再開できるぞお。」
酒気の帯びた声で、しかししっかりと感謝を告げる。周りの客も、彼が武器狩りであったことに気が付き、感謝を告げた。
男は終始、
「命に従っただけだ。」
と返していたが、感謝の声は止まなかった。
「泊まってはいかねえのか?」
店主は店の外で男に尋ねる。男は日も暮れたなか、あの大剣を背負って帰るらしい。
「早く王都に戻って報告せねばならんからな。」
「明日の朝、馬車を待ってもよかろうに。」
「この街道が開通したことも知らずに誰が馬車を通す。」
「はは。それもそうか。」
男は暗闇の街道へと目を向ける。
「気を付けてな。また来いよ。」
「できれば、来ないほうがいいな。」
「兄ちゃんの仕事考えたら、そうか。じゃあ、二度と来るなよ!」
店主は笑う。
男も、小さく息を吐き、
「ああ、二度と来たくない。」
といった。布の下の口はしっかりと笑みを形作っていたようだ。
二日後。王都にたどり着くと、彼はまっすぐ王城に向かった。
城門を守る兵は、彼の姿を見るだけで門を開ける。その目には恐怖と軽蔑があった。城内でも同じ目を向けられる。
重たい荷物を背負い、階段を上ることがそう愚かに見えているわけではない。彼の風貌が醜いわけではない。
闇落ちを狩る、彼の汚れたその手が恐ろしいのだ。
まっすぐ謁見の間に向かうと、すでに国王はそこに座っていた。
男は焦ることなく静かに跪き、大剣を献上する。
「任務の完了を報告いたします。」
「大儀であった。」
国王はゆっくりと頷き、彼を眺める。そして尋ねた。
「して、褒美は
「こちらの大剣を頂きたく。」
「いつも通りか。よかろう。」
「ありがたく。では失礼いたします。」
男は大剣を再び背負い、踵を返す。振り返ることはなかった。
男が出ていき、静まり返った室内で、国王は小さくつぶやいた。
「気味の悪い男よの。無欲、無感情、もはや生気すら感じぬ。あれも闇に落ちてはいまいだろうか。」
一兵卒にしては大きな部屋、騎士団長としてはあまりにも小さな部屋が彼の自宅だ。兵舎自体、他の五つの騎士団とは離れた場所にある。
扉を開けると生活感のまるでない部屋が現れる。必要最低限のものすら無いような無機質な部屋の中に、きれいに整頓されて並べられた数々の武器。さながら鍛冶屋のようだ。
男は大剣を壁の一角に立てかけるとその正面に座った。
月明りだけが照らす部屋の中で、彼は静かに声をかける。
「お待たせ。さあ、お前はどんな話を聴かせてくれるんだ。」