第84話 性質の悪い男
次の朝、紀伊は周の顔が見られなかった。
紀伊は顔をあげることもなく支度を整えると、呼吸を整え椅子に座った。
周も用意を調え、紀伊に声をかけた。
「行こうか・・・。」
「うん・・・。」
重い空気が二人を包んだ。
今まで見てきた黄金色の田圃にも、美味しそうな肉まんじゅうにも紀伊は惹かれることはなかった。
紀伊はただ自分の大切な者を失う恐怖と、周への不安を募らせていた。
(周は一体何者なんだろう。この顔、この姿・・・。魔城の人?だとしたら何故私に近づいたの?私を殺すため?私を愛してくれているというのも嘘?)
いつもはどんな時でも愛してる、好きだと聞ける周の言葉は今日に限っては一度も出てこなかった。
ただ紀伊の手を握る手の強さはいつもより強くて、紀伊もその手をただ握り返した。
道は平争王都への最後の峠にさしかかり、鬱蒼と生い茂る木と烏の鳴き声しか感じられなかった。
・・・そのはずであった。
不意に周が馬を止めた。
紀伊は何事か分からず、顔をあげ初めて周を見た。
追った周の視線の先には魔物。
つまり、秋霖の作りあげた黒い体に黄色い目を持った何かが二人を囲んでいた。
それは狼、熊、人間、様々な形をして涎を垂らしつつ二人を睨んでいた。
「追っ手か・・・。」
周の小さな声が聞こえた。
そして周は紀伊を馬上に残し、素早くひとり馬から降りると腰から提げていた剣を抜いた。
魔物には恐怖や恐れなどなく、ただ指令どおり二人めがけて襲いかかった。
「周!」
紀伊が声を出すと共に、周は一太刀で瞬時に魔物を四匹斬った。
「強い。」
紀伊はその恋人の姿に目を奪われた。
周は炎の魔法や氷の魔法までも駆使し、紀伊が曲刀を抜くまでもなく、あっという間に魔物を全て片づけた。
そしてその姿を見て紀伊は確信した。
(周は・・・人間じゃない・・・。やっぱり魔城の者だ。)
「周は、魔城の者なんだね・・・。」
紀伊は馬から下りると周の目をまっすぐ見つめながら訊いた。
答えはない。
「どうして?どうして私の側にいるの?ねえ。」
周はやはり何も言わなかった。
「ねえ、答えてよ!答えてったら!」
紀伊は周の袖を掴みながら詰め寄ったが、周は何も言うことなく剣についた魔物の緑色の体液を振り払い、剣を鞘に収めた。
紀伊はもう耐えられなかった、周に対する不満と不安が頂点に達した。
「言ってくれないと分からないよ!こんなんじゃあ、周のこと信じられないよ。私、もう駄目だよ。こんなに好きになったのに!どうして!」
紀伊は周を掴んでいた手を離し、その場に座り込んでただ泣いた。
「紀伊、俺は・・・。」
周が何か言いかけたところに何かの気配が現れた。
視線を上げてその気配をすぐに確認する。
「子猫ちゃん!」
紀伊はやっと声で取り巻くものに気がついて顔をあげた。
周りの木の上には平争の兵士、中には軌刃と真壁の姿もあった。
「軌刃・・・?軌刃!」
紀伊はこらえきれず、木から下りてきた軌刃に飛びついた。
軌刃もまたすぐに紀伊を抱きしめてくれた。
「紀伊!無事だったか?心配していたんだ。昨日、朱雀国より内密の連絡があって、退治屋の館が襲われたって・・・。」
「何?どういうこと?襲われたって?」
「魔城からの刺客が放たれ皆、捕まったと。」
(刺客が放たれ・・・?刺客?)
紀伊は周を見つめた。
(まさかこの人は私に向けられた刺客?)
紀伊の視線に気がついた真壁は軌刃と紀伊の前に立った。
「真壁様、下がってください、この男は!」
「軌刃、お前も気がついたか。こいつ・・・。」
真壁が見つめるその男は、つい先日、自分達の討伐会議に突然現れ、歯向かうなと言い残した男だったからだ。
「まだ、この国にいたか。」
周は静かに真壁を見てから、青い顔をしている紀伊へと目を向けた。
「子猫ちゃん、大丈夫か?こんなたちの悪い男の相手をすることはない。」
「周?」
問いかける紀伊を軌刃がきつく抱きしめた。
(だめもう訳がわからな…い。気持ち悪い。)
「紀伊、俺は!」
言おうとした周の言葉を全て聴くことができなかった。
紀伊はその場で気を失った。




