第7話 紀伊の家族
平争の城は城といっても圧倒させるような高さがあるわけではなく、どこまでも続く黒い屋根の平屋だった。
その見渡すことのできぬ長さがまるで横たわった蛇を連想させた。
「どこまで続くんだ、この城。」
「さあ?走ってみてはどうです?」
軽口を叩き合う紅雷と紫奈の隣で、柳糸が一歩前へと出た。
「ようこそいらっしゃいました・・・。」
「魔城の主よりの書簡をお持ちいたしました。」
中年の男が恭しく紀伊たちに挨拶をし、柳糸が外向的な挨拶をしている間、紀伊はキョロキョロと目を動かした。
警戒したわけではなく、興味からだった。
着いた時刻が深夜にも関わらず、城内は煌々と灯りが灯り中年の男の後ろに二列になって兵士が並んでいた。
逆に彼らの視線は監視するような視線だった。
紀伊はそれから逃れるように紅雷の背に隠れてるようにして息をついた。
「ん?」
「壁になってて。」
「緊張してんのか?いいじゃねえか、見せとけよ」
「いいの!」
緊張というよりは自分の中の何かが叩いているような落ち着かない気持ち悪さがあった。
それは馬車に乗っていた時よりも城に来てからの方が激しくなっていた。
今までこんな感覚味わったことがなかった。
気にしたことがなかった第六感というものが妙に働いている気がした。
(変な感じ)
突然、頭の中がぐるぐると回り出した。
それと同時に自分の視界もぐらつき始める。
「何・・・。これ、気持ち悪」
紀伊が俯いてふらつくと紅雷が腕を支えた。
「大丈夫か?」
紀伊の細い顎を冷汗が伝い地面に落ちた。
答えようとするがもう呼吸もできない。
柳糸も紀伊の異変に気がつくと話を区切り中年の男に願い出た。
「申し訳ありません。楽師が馬車で酔ってしまいまして、もしよろしければ」
「ああ気づきませんで。部屋にご案内しましょう。後で薬師も連れて参りましょう」
中年の男、この国の外務大臣は表情もかえず侍女に部屋へ案内させた。
「捕まってろよ」
紅雷が難なく紀伊を抱き上げ早足でその後ろをついてゆく。
紫奈が覗き込むと紀伊は息も絶え絶えに苦しそうにぐったりしていた。
「とにかく早く寝かせましょう?」
「ああ、そうだな。申し訳あありません。では、今日は休ませていただきます。」
「ええ。では細かいことは明日から」
柳糸は頭を下げて紅雷の後を追いかけた。
「紀伊、うまくやってるかな」
池のほとりで少年は一人空を見上げていた。
「こんなところにいたのか。母上と夕食食べ終えたのか?」
「うん。食べた。でも、紀伊が・・・誰もいないと寂しいもんだね。秋涼兄上。皆、僕のこと子供扱いしてさ。一緒に出仕させてくれたらよかったのに!絶対僕のほうが紀伊よりしっかりしてるし」
秋涼は弟の隣に立って一緒に星を見上げた。
「紀伊だってしっかりしたさ。俺と花梨説き伏せてなんたって一人暮らしはじめたんだからな」
「よく兄上が手放したね。・・・本当は僕が紀伊をお嫁さんにして、二人で暮らそうと思ってたのにさ。あっさり、一人暮らしするんだもん。その上、その為の荷物運びまでさせられて」
すると秋涼は隣で涙をポロポロ落とした。
「手放せると思ってるのか!もう、紀伊がいない家なんて寂しくて寂しくて。どれだけ俺が毎日枕を濡らしてるか。でも泣くと花梨ウザイってめちゃくちゃ怒るし」
「わ、わかった。ごめんて、兄上」
秋涼の背を撫でる弟はそれでも寂しげに呟いた。
「早く、皆帰ってきて欲しいな。僕、皆で馬鹿やるのが一番楽しいんだ」
「本当だな。返ってきて欲しいな」
「なら、任命しないでよ」
紫奈は手拭いを冷やし紀伊の頭にのせて紀伊の顔を覗き込んだ。
「血の気のない顔してますね。」
「本当に車酔いか?」
紅雷も紫奈の隣に来ると紀伊の顔を覗き込んだ。
「失礼致します。」
扉を叩く音がした後、小太りの男が部屋へと入ってきた。
「薬師でございます。車で酔われたとか」
薬師は紀伊の隣まで来ると布団の中から手を取り脈をみる。
そして暫く首筋など触れたりしていた。
「変なところ触ったらぶっ殺すぞ!」
紅雷は聞こえるように独り言を言うと、薬師は肩を震わせ、怯えたように小さくなった。
そして一刻も早くここから出たいというかのように手早く診断して息を吐いた。
「・・・ふむ。おそらく・・・貧血でしょう」
薬師は紀伊の手を布団に戻しながら震える声で呟いた。
「少し休めば元気になられます。後は滋養によい薬を出しておきます」
「そうですか有り難うございます」
柳糸はその怯えを取り除くかのように丁重に礼を言い、薬師を部屋の外まで見送った。
薬師が帰った後、怒鳴りだしたのは紅雷だった。
「貧血な訳無いだろ!」
けれど納得のいかない紅雷は紫奈を見て足を踏みならした。
「私に怒らないで下さいよ!」
紫奈も心配そうに紀伊に目をやった。
三人の記憶には紀伊が病気をしたという記憶はない。
大体、自分たちの一族に病気などなく、人間である母親たちがたまに何か不調を訴えることがあっても倒れる人間など見るのは初めてだった。
「お前ら、もめるな。紀伊が起きる」
紀伊のこととなると二人は黙りこんだ。
紅雷は気を揉みすぎ自分が疲れたのか椅子に座り、紫奈は窓枠にもたれて紀伊の様子を見ていた。
柳糸は少しため息をつくと、用意してあった茶器でお茶を入れた。
部屋に香ばしいお茶の香りが立ちこめる。
柳糸は盆に乗せて、二人にお茶を渡してやると、紀伊のそばに座った。
柳糸が頭を撫でてやると紀伊はうっすら目を開けた。
「大丈夫か?」
柳糸が紀伊に掛けた声をきっかけにして紫奈と紅雷も寄ってくる。
「頭の中が・・・ぐるぐるしてたけど・・・。もう良いみたい」
体を起こした紀伊に紅雷が自分の持っていたお茶を渡すと、ニコッと笑って紀伊は受け取った。
「心配掛けてごめんね・・・。もう大丈夫だよ」
そう言いながらまだ少し辛そうに笑う紀伊を三人は心配そうに見つめていた。




