第62話 絶望
紀伊から血の気が引いた。
(こいつが秋霖・・・。)
その存在から放たれる気というものは秋涼や秋矢とは比較にならぬほど強く、そして肌に痛みを感じるほど強いものだった。
「鬼族の娘か。ふん、生意気そうな目をしているな。」
男は秋涼をも足元に寄せつけないほど美しい顔をしていたが、一方で全く血の通っていない表情をしていた。
まるで人形のような。
そして彼の存在自体が底知れぬ闇のようであった。
「ふん、しつこい生き物だな、鬼族というのは。見せしめに殺してやろう。」
その言葉を聞いて秋矢は本能的に体を割り込ませた。
何よりも大切な存在を守るために。
「父上おやめ下さい!彼女は僕がしっかり監視します!ですから!」
秋矢は必死に秋霖の腕を掴み訴えた。
一方、紀伊は腰が抜けてしまった。
今まで感じたこともない威圧感。
恐怖だけがが紀伊の体を襲った。
「うるさい。」
秋霖が手を挙げると秋矢の細い体は宙を舞い、民家の土壁に激突した。
壁が砕け秋矢の体が壁にめり込み、土ぼこりが舞った。
「秋矢様!」
紀伊の駆け寄ろうとした体は秋霖に捕らえられ全く動かすことは出来なかった。
それでも叫んだ。
「秋矢様!」
「紀伊!逃げて!」
秋矢もまた紀伊を救いたくて叫んだ。
けれど秋霖はそんな二人をまるで虫けらを見るような目で見て紀伊と共に消えた。
「ここは!」
つれられた場所には記憶があった。
そこは魔城の広間だった。
いつも秋涼が面倒くさそうに腰掛、幹部たちが揃っていた場所。
けれど何かが違った。
秋霖が歩くごとに明かりが灯り、顔が一つ一つ照らし出される。
それは全く知らないものたちだった。
そしてその後ろに知った顔があった。
ただいつもわが道を行っていた彼らは余裕を失い紀伊が連れ帰られたことに動揺しているようだった。
「秋霖様、その子をどうなさるおつもりですか。」
たずねたのは紫醒だった。
「殺す。見せしめにな。これだけ長い生があると余程の興がないとな。さてどうしてやろう。四肢を引きちぎり食わせるか、それとも心をまず壊し、魔物へ生まれ変わらせるか。」
すると声が響いた。
「おやめください!父上!」
秋矢だった。
砂まみれになった少年は紀伊の身を案じながら父の前で跪いた。
「父上お願いです。何でもします。ですから紀伊は助けて下さい。」
秋霖は紀伊の腕を離し、突き飛ばして転がすと笑った。
「面白いことを言う。」
そしてそれが秋霖の何かに触れたようだった。
「何でもするというのは本当だな。」
一縷の光を見せられ秋矢は顔を上げた。
その顔には喜びさえ浮かんでいた。
「紀伊を守れるならなんだって!」
「秋矢様・・・。」
紀伊はその言葉に涙を落とした。
けれどそんな二人をまた秋霖が引き裂いた。
「ならば・・・。」
秋霖は一呼吸置いた。
誰もがその呼吸に全ての望みを賭けた。
けれど、出てきた言葉は、
「私に刃向かう国を潰すのだ、一国残らずな。」
紀伊は耳を疑った。
そしてすぐに叫んだ。
「秋矢様駄目よ!そんなこと絶対しないで。そんなことしたら秋矢様が!秋矢様が人に憎まれる!」
「僕は・・・。」
秋矢は紀伊に笑みを向けた。
一瞬の間、静寂が支配した。
「僕は世界を潰しても・・・それでも紀伊に生きていて欲しいよ。」
その言葉を聞かされて紀伊はどうしようもない後悔に見舞われた。
(このままでは秋矢様が駄目になってしまう・・・。)
「嫌・・・。そんなの。」
紀伊の瞳から涙がとめどなく流れ落ちた。
(一緒に育ってきた秋矢様が、秋霖の代わりに恨まれる。罪も無い人たちがたくさん殺される!)
「お願い・・・やめて。そんなの。」
覚悟はすぐに決まった。
(だったら・・・私が消えればいい。でも、素直にはこの命渡さない!白竜、お願い力を貸して!)
紀伊は心の中でそう叫ぶと呪文を唱えた。
「鬼伊の名において命ずる。出でよ白竜!」
「紀伊!」
紀伊の声に反応し大きな円を描きとてつもない白竜が秋霖を襲った。
その直後、紀伊の目の前は白くなり何も見えなくなった。




