第45話 邪悪な何か
「ん?うわっ!」
馬から落ちそうになって目が覚めた紀伊の腕を大芝が握った。
その強い力のおかげでかろうじて紀伊は落馬を免れ、そのまま引き上げられた。
「あっ、ありがとう大芝・・・。ちょっと寝てた?」
「ちょっと?五時間程寝てたよ。」
「昨日寝たのが遅かったのよ。仕方ないでしょ。」
「はいはい。」
前では巳鬼と時鬼がまだイチャイチャと体を寄せ合い馬に乗っていた。
「全く近頃の年寄りは。場所をわきまえなさい!」
「いいつけてやろう。」
「ああ〜だめえ。殺されちゃうよ。」
紀伊が懇願すると大芝は声をあげて笑った。
一行は李国に向かって朱雀国の田園を進んでいた。
目の前に広がるのはのどかな何気ない田園の日常。
その平穏な景色は紀伊にとっても心休まるものだったはずだった。
が、突然、巳鬼がイチャイチャするのをやめて顔をあげる。
表情からしてまるで自分の耳元を何かが通り過ぎたかのような、何かを探る顔だった。
何を感じることもなかった紀伊もまた鳥たちが一斉に飛んでいく光景を見た。
「どうした?」
「あなた・・・。今の気が付いた?」
「え?」
巳鬼の問いかけに時鬼が周りを見渡す。
けれど目立った変化は何もない。
「何があったっていうんだい?」
「今、感じたの。禍々しい…、」
その時だった。
地面が何かに押されているように激しく動いた。
「地震?」
紀伊が叫ぶと大芝は馬から素早くおり、紀伊を下ろして伏せた。
立っていられないぐらいの振動。
視界の向こうの方で山が崩れるのが見えた。
「大芝。どういうこと?」
「分からない!ってか、何だよ!あれ!」
紀伊達の目の前でも地割れが起こった。
「まずいねえ!」
巳鬼が急いで風神に皆を乗せた。
風神に乗ると揺れは感じなかったが、地面は木のざわめきや水田の水の波紋から見てまだ揺れているようだった。
「師匠。これは?」
「何かが目覚めた。邪悪な何かがね。」
「邪悪?・・・邪悪って何が。」
「あるだろう。邪悪なものが。」
紀伊は少し考えてある結論に達した。
「まさか・・・秋霖様の封印が解けた?」
「あの魔王か・・・。」
時鬼が苦々しそうに吐き捨てる隣で巳鬼は何かを考え込んでいた。
「今日から竜は封印だ。たちまち居場所が分かって殺されるぞ。お前の父母のように。」
紀伊は恐ろしかった。
自分の命が狙われる、まさにその時が来たような気がした。
魔城の池の前で秋涼はただ立っていた。
「秋涼様。」
後ろに立っていた黒雷は静かに池の中央で起こる波紋に視線を向けていた。
剣の柄に手をかけながら、ただ出てくるものを切り捨てようと。
そして前に立つ秋涼は静かだった。
「父上!」
柳糸は地下の一室で一本の水晶の柱でできた結界を守っていた父へと駆け寄り、すぐに自分の魔力をつぎ込もうとした。
「よせ!お前も手を貸したとなれば殺される!お前は一刻も早く離れろ!」
「そんな!それでは父上が!」
「それはあの時私たちが決めたことだ!お前は行け!」
「でも!」
霜月の手の甲の皮膚が裂け血が毀れた。
「お前だって本当はあいつらと行きたかったんだろう?行って助けてやれ!」
「しかし!」
「集中力を乱すな!」
怒鳴りつけられ柳糸の肩が驚きからか揺れた。
逆に足がすくんで動けなくなりそうだった。
彼もまた尋常ではない空気に呑まれつつあった。
そんな柳糸の肩を誰かが叩いた。
「え?」
振り返るなり頬に強烈な拳を見舞われ頭がぐらつく。
「な・・・。」
衝撃に堪えられず膝をつくとその腕を紫端が支えた。
「ああ〜ごめん。振り回すだけのつもりだったのに、当たっちゃったあ。ごめんね、りゅうちゃん。」
「おじ・・・さん。」
「どうしたの?どっかで休憩する?じゃあ、行ってらっしゃい。」
「くっそ・・・。」
柳糸が紫端に呟く前に姿は消えていた。
「りゅうちゃん、頼むよ。なっちとこうちゃんと・・・皆できいちゃん助けてあげてね。」
「・・・紫端、ここはもうもたない・・・。」
「はいは〜い。仕方ないなあ。まあ、息子の目の前で父親の体裂けちゃ嫌だもんね。結界破れると同時に秋涼様の下へ飛ばすよ?」
「ああ・・・。」
霜月の甲がさらに裂けようとした瞬間、紫奈は霜月の体を掴み消えた。
紫醒はただ木の札の前に立っていた。
書かれていたのは紀伊の母、雅鬼の名前。
そしてその隣にはあの彼らが命を落とす前に一度だけあった紀伊と同じ目をした父親の名前。
「心配するな。君たちのかわりに君たちの子供は私達が守る。」
秋涼の元へと姿を戻すとすでに幹部たちは全員秋涼の後ろへと揃っていた。
「ああ、兄上。お帰り〜。こんな時にどこいってたのさあ?」
「ああ。少し・・・。大丈夫か?霜月。」
「ああ、舐めておけばなおる。」
傷はふさがっていたが、毀れた血はまだそのままになっていた。
黒雷の鍔なりに皆、池に目を向けた。
池には巨大な渦ができていた。
その上空にも黒い雲がうずをまき、風が刺すように痛みを伴った。
「・・・復活した。」
秋涼は目を開けると両手に気を溜めた。
黒雷は剣を抜き両手で構え、霜月が秋涼へと結界を張った。
紫醒と紫端は上空へとあがって構えた。
「さてと・・・じゃあ、俺は。」
尚浴は四方を見渡した。
「・・・嫌な気が集まってくる。」
「行くぞ。お前たち。」
秋涼の言葉にそれぞれが魔法を池の中へと打ち込んだ。




