第35話 ちょっとしたドキドキ
「起きろ夜明けだ。」
朝もやの中、散歩を終えた巳鬼は宿でまだ深い眠りに入っている男女を見るとため息混じりに声をかけた。
しかし、何度声を掛けられても二人は起きる気配もなく、ただただ眠っていた。
それが神経を逆撫でした。
「全く最近の若い者は。」
その声に反応したのか紀伊がモソモソと布団の中で動いていた。
「おや、起きる気があるのかい。」
喜んだのもつかの間、そのまま紀伊が寝返りを打ちお尻を掻くのを見てとうとう頭に血管の筋を立てて大声で怒鳴った。
「起きろ馬鹿者!」
「うわっ!」
二人が声に驚き、飛び起きると巳鬼は満足そうに頷いた。
「全く!」
「おはよう・・・ございます。」
紀伊が意味も分らぬまま眠そうな目をこする一方、大芝はパチリと目が開いたようだった。
「お前達は旅をしているという自覚があるのか。すぐに行くぞ!ぐずぐずするな!お前達!」
「え?まだ、夜も明けてないし。」
「ああ?」
「紀伊、歯向かうな。」
「だね!は、はい!すぐ支度します!」
これ以上雷が落ちるのを怖れ、二人は急いで用意を始めた。
「今日からは青龍国の王都へ向かう。青龍国は竜の国、鬼族とも親交が深かった。王都の廟に鬼族が一人いる。」
「そうなんですか。是非行きます。」
紀伊が頷くと巳鬼はさっさと一人宿を後にした。
これ以上、怒らせることを避けたい紀伊は何とか用意ぐらい早く済ませてしまいたかったが、急ぐと逆に帯すら満足に締められず、
「おい、早くしろよ!」
大芝にまでさき越されてしまった。
「ちょっと、待って!」
空しい声だけが部屋に響いた。
紀伊が取るものもとりあえず転がるように外に出ると巳鬼は馬に自分の荷物を積んでいた。
「あれ、師匠。それ私の馬。」
「お前達はそっちの馬にのりな。」
「そんな師匠。私が師匠と乗りますから。」
「何だと?それでは私が狭いだろ。お前の物は私の物だよ。」
巳鬼は堂々と言ってのけた。
(わ、そんな理論、言う人いるんだ!)
紀伊は文句を言いたかったが、その後の災難を考えため息をついて同意を求めるように大芝を見た。
大芝も困ったように首をかしげ、結局再び二人で首をかしげたが、早く乗れと巳鬼にせかされて大芝のそばへと寄ってゆく。
大芝は紀伊に手を伸ばし馬に乗せた。
「重い。」
「はあ?どこがどう?」
「お腹周りとほっぺた。」
「き〜!ムカツク!」
大芝の大きな手に引き上げられ、前に乗せてもらった紀伊はほんの少し心がときめいた。
(ちょっと、これ恥ずかしいんだけど。)
こんな風に男と二人で馬に乗るなんて初めてだった。
幼馴染達と出かけるときは必ず一人一頭の馬にのっていたし、もし仮にのることがあってもドキドキの対象ではなかった。
するとそんな紀伊の気持ちを知ってか知らずか後ろにいた大芝が突然、紀伊の体に手を回した。
「ちょ!ちょっと何?」
「いいだろ。少しくらい。」
「何よ。」
「あったかいな。紀伊は。」
「へ?」
何とも思っていなかったはずなのに、こんな風に体をくっつけそんなことを言われればドキドキしてしまう。
「な、何?」
「人肌って、いいなやっぱり。」
「ちょ!ちょっと!苦しい!」
すると大芝はそんな紀伊の頬に自分の頬をくっつけた。
冷たい頬も紀伊の頬に触れたところから少しずつぬくもってゆく。
「暫く、このままな。」
「ええ?」
赤らむ紀伊の顔はいつもよりも熱かった。
(こ、困るよ!ちょっと!)
「子供ってやっぱり体温高いな・・・。」
大芝の一言に紀伊は眉間に皺を寄せた。
「いつまでも子ども扱いすんなあ!」
「紀伊から手紙届いたって本当?」
秋矢は扉を蹴破る勢いで駆け込んできた。
中では兄とその恋人が長いすに腰掛けて手紙に目を走らせていた。
「ええ。今は青龍国にいるんですって。」
「まずい、まずいぞ。これは!」
秋涼は穏やかに微笑む花梨の隣で悲鳴を上げた。
「な、なんだ!この魔城を敵視する男っていうのは!」
「あ、兄上、落ち着いて。僕にも読ませて。ほらほら。」
花梨は秋矢に手紙を渡すと、秋涼の耳元でささやいた。
「どうするの?もしかしたら紀伊がこの男と恋に落ちていたら?」
「はあ?」
次に素っ頓狂な声を上げたのは秋矢だった。
「何それ!なんだよ!それ!」
慌てて紀伊からの手紙に目を走らせる。
すると最後の部分が不自然に切り取られていた。
「ちょっと!最後んところ何破ってんのさ紀伊!何書こうとしてたのさ!詳しく書いてよ!ああ〜!」
「お。おちついて秋矢。」
兄弟で奇声をあげ続ける姿を花梨は呆れたように見ていたが、後ろにまた違う気配を感じた。
「だから、言ったのです。ここから出すべきではないと。そう言っているのに。」
「あら、紫醒・・・。あなたまで。」
「なのにこの馬鹿王は・・・。」
「紫醒、落ち着きなさい。」
収集がつかないところにまた収集のつかない者が入ってきた。
「何〜何〜?この遊び、悲鳴上げればいいの?」
「紫端、ちょっと。余計ややこしいから!」
「きゃああ〜。」




