第30話 現れた女
次の朝、燦々と降り注ぐ太陽の光の下で紀伊は目を覚ました。
眠い目をこすりながら周りを見ても大芝の姿はなかった。
紀伊は立ち上がり一人で村の中を歩いていた。
目の前には高くそびえる山。
紀伊はその山を巻く藁で編まれた注連縄に触れてみたくなった。
歩く方向を変え歩いてゆく。
自分の背丈よりも太い注連縄に近づいてゆくとは木の札が立ててあった。
そこには名前が書かれていた。
そして見ると注連縄の至る所にその札は刺してあった。
「何・・・これ?」
「誰だお前は。」
紀伊はいきなり声に、驚き振り返った。
白い布が風で揺れた。
「誰・・・?」
そこにいたのは白い麻の服をすっきり着こなした若い女だった。
女の茶色の髪、目からして鬼族であることには間違いなさそうであった。
「あの、私。紀伊って言います。」
「ああ、あの双子の片割れか、大きくなったな。」
女は無表情に呟くと、紀伊についてくるようにと目でいいつけた。
紀伊がつれられ歩いてゆくと大芝が急いで走ってくるのが見えた。
そんな大芝の手には水の入った水筒があった。
「おいてかれたのかと思った、水汲んできてくれてたの?」
「ああ。」
「ありがとう。」
大芝は突如現れた女の方に目をやった。
女は大芝を冷たい目で見るとはき捨てるように言い放った。
「人間か・・・。」
そう呟くと二人についてくるように言った。
二人は顔を見合わせ、後に続いた。
女の家は山の中腹の洞窟にあった。
足を踏み入れると、太い骨が散乱し、大きな瓶があった。
そして二人の目をひいたのは部屋の真ん中に置かれ、何かを煮込んでいる大きな鍋だった。
中は緑で、何とも言い難い匂いがした。
「その辺に座れ。」
紀伊と大芝は再び顔を見合わせるとその場に座った。
下にはやわらかい敷物が敷いてあったが、そのすぐ下は土の感触がした。
「お前いくつになった。」
女は今採ってきたのであろう籠の中に入っていた草を瓶に入れると紀伊に尋ねた。
「十六です。」
「そうか、片割れはどうしている?」
「平争にいます。」
「生きているのか・・・。それは良かった。」
紀伊はこの女は誰なのか思い出せなかった。
「あの、鬼族の方・・・ですよね。」
「覚えていないか、お前を取り上げたのは私だぞ。まあいい、私は巳鬼。この村のまじない師だった。」
「まじない師・・・。」
「ああ、私は族長の命令で昔からここに住み、色々なことを見てきた。本当に長い間。お前たちや、お前たちの両親・・・だが、もう数人しか残っていまい。」
巳鬼はそう言うと寂しそうにため息をついた。
紀伊は巳鬼と名乗ったこの女を見ていた。
巳鬼の目はそれ程大きくなく、切れ長のスラッとした目をしていた。
しかしその目に宿る光はもう消え失せ、この世に何の未練もないように見えた。
巳鬼は紀伊の視線に気が付くと声をかけた。
「どうした。」
紀伊は一度視線をはずすとうつむいたが、すぐに顔を上げた。
「あの、どうしたら竜を出せるのですか?教えてください!私、白竜持ってます!それ、使えるんですよね。」
「呪文を唱えるのだ。」
「何て言えばいいんですか。」
紀伊は身を乗り出し巳鬼に尋ねた。
「まあ、待て。後で教えてやろう。」
紀伊の質問はあっさり切り捨てられた。
紀伊はやきもきしながら巳鬼にもう一つ尋ねた。
「私のお父さんとお母さんはどんな人でした。」
巳鬼は視線を落とし、目を閉じた。
「そうか・・・お前、そんなには覚えていないか。」
「はい。」
「私はあの二人は幸せにしてやりたかった。希望だったんだよ。あの若い二人が。」
巳鬼は額に手を当てた。
「雅鬼は良い子だった。よく私の手伝いもしてくれたし、よく笑う子だった。一方、忠鬼は本当に毎日いたずらばっかりして私に怒られるこだったが、正義感の強い子でな。・・・二人は昔から許嫁だった。二人はよく喧嘩して、でも笑う声がよく響いていた。」
初めて自分の父の名前を知った。
魔城で育ち皆の記憶に残っている母、雅鬼とは違い、平争の兵士とだけしか知らない父の名が忠鬼であり、どんな人物であったかを初めて知った。
もう顔を思い出せない父と母はこの村で確かに生活していたのだ。
「幸せそうでしたか?」
「ああ、幸せだったろう。」
ただその一言だった。
大鍋の火がはぜた。
紀伊もそれ以上何も訊かなかった。
聞いてしまうと余計辛くなるように思えた。
巳鬼は気を取り直したようにさじですくった黄色の粉を大鍋に入れかき混ぜ口の端を持ち上げた。
「朝食はまだだろう。食べると良い。」
「え?あの!」
嫌な予感がして紀伊は断ろうとし、大芝は立ち上がって逃げようとしていたが、巳鬼の目に睨まれ二人はおとなしくその場に座り込んだ。
「近頃の若い者は好き嫌いばかりいいよって!私の子供の頃は何でも食べたものだ!」
文句を言いながら器に入れ、大釜の汁を出してくれた。
紀伊の器にはトカゲのしっぽが見え、大芝の鍋には豚の鼻が入っていた。
「サンサンじゃ、ねえだろうな?」
「・・・頂きます。」
二人は一口、口をつけてみた。
草のような味が口中に広がった。
「健康に良いぞ。たくさん食べると良い。」
紀伊は咽た、どう頑張っても飲みこむことはできないように思えた。
それでも残すことは許されないように思え、もう一口口につけた。
(うええ。)
「これはこの村の伝統料理で?」
大芝の問いに巳鬼はあっけらかんと答えた。
「いや、私が考えたんだ。文句があるのか?」
大芝は滅相もないと首を振ると、おとなしく食事を取った。




