第18話 間者と魔城の日常
軌刃は一人ぶらぶらと魔城の中を歩いていた。
悪趣味な庭にお供達が待たされており、皆苦しんだ顔をした人間の石像を珍しそうに眺めていた。
そう自分たちにとってはこんな場所なのだ。
不気味で不吉で、忌み嫌われた場所。
そんなところで育てられた紀伊という少女。
自分と同じ色の髪をして、自分と同じ目の色で笑う少女。
そして自分と同じ境遇の彼女。
軌刃は考える前にもう目つきが変わっていた。
平争の兵士の目に。
「暇だなあ。出仕たって、仕事なんてないに等しいもんな。」
「ええ。そうですねえ。まあ、外務官になれば各地を飛び回れますが、ここではねえ。武官っていったって、入ってくるのは魔物たちが退治してくれるし、書類だって生き字引が何人もいるからいらないし。」
紅雷と紫奈はあてがわれた一部屋で項垂れていた。
「よし!紀伊の家に遊びにいくか!」
「ええ、それが一番ですね。」
すると部屋の隅で誰かが立ち上がった。
二人は引きつった顔をする。
それは紅雷の父親であり、今この城でもっとも怖いといわれる人物だった。
黒い瞳がまるで獲物を見るように二人を捕らえ、短く刈られた髪がまるで肉食獣を想像させた。
「おい。」
「え?何、親父。」
「遊んでる暇があるなら、稽古しろ。」
「あ、うん。するする。な紫奈!」
「え、ええ。そうですよね。しますとも。」
飛び出ようとした二人は新たに部屋に入ってきた男に行く手をさえぎられた。
「何?どこ行くの?」
「ああ、父上、稽古をしようと思っています。」
「へえ。そう。」
紫奈の父、紫端はあまり興味なさそうに椅子に腰掛けるとわざわざ魔城で一番怖いといわれる男の前に座って体を伸ばした。
「暇だねえ。」
「だったら、稽古でもしてこい。」
「やだよ〜。何でわざわざ体動かさないといけないわけ?面倒じゃん。あ〜暇。誰か遊んでくれないかな。ねえ、ねえ、こうちゃん、なっち、父上とすごろくでもする?」
「いえ、父上、私たちは稽古に。では。」
なっちと呼ばれた紫奈は父に丁重に断ると外へと出て行った。
「ちぇ、つまんないの。ねえねえ、暇じゃない?遊ぼうよ。こくりん。」
「誰が!こくりんだ!」
目の前にいた紅雷の父、黒雷は剣を抜くと目の前の男に切りかかった。
「きゃあ、怖いい。殺されるぅ。」
そしてまるで鬼ごっこのように走り回り始めた。
そんな時、扉が開いて少女が顔を出した。
「あ!きぃちゃん、発見!」
「え!わ!」
目の前にいる紫端とその後ろで剣を振り上げている黒雷に気がつくと紀伊は慌てて扉を閉めた。
扉の向こうからは楽しそうな紫端の声と怒り狂ったような黒雷の声が聞こえていた。
「も〜おじさんたちまた、追いかけっこ?」
紀伊は巻き込まれないように、その場をから歩き出した。
幹部と紀伊たちが呼ぶ人間は五人。
一番魔力の強い年長の紫醒。
そして紫醒の弟で、紫醒の次に魔力の強い紫奈の父、紫端。
この二人が魔城の魔物の管理をしていた。
武術を得意とする紅雷の父、黒雷。
内政を担当する柳糸の父、霜月。
外務を担当する尚浴。
彼らは秋涼に任命されたわけでもなく、ただ生まれたときからそばにいるというだけで、自分達の能力を理解し、自分達で役割を決めていた。
彼ら自身、もともと以前の魔城の主の付き人たちを親に持っていたが、秋涼が魔城の主を封印するのと同時に自分達の親も各地に封印したのだと紀伊は聞いた。
暫く歩くと楽しそうな子供の声と女の声が聞こえた。
紀伊はその知った声の主の方へと足を進めた。
魔城の西のはしには秋矢の家があった。
秋矢とその母の家が。
けれどここは完全に孤立していた。
「こんにちは!」
紀伊が顔を出すと土いじりをしていた秋矢が嬉しそうに顔を上げた。
「紀伊!母上、紀伊ですよ。」
すると後ろにいた女性は顔を上げて紀伊に微笑みかけた。
紀伊も女性に微笑みかけると紀伊は秋矢の隣にしゃがんだ。
「何、今日は何?」
「今日は蓮華!」
秋矢は耕した土の上に種を植えてゆく。
紀伊も秋矢の手から種を取るとそのあたりに蒔いた。
「ちょっと、あのね、規則正しく蒔いてよ。」
「いいじゃない。緑化計画に支障はないって。」
緑化計画とたいそうな名前をつけているがもっぱら活動しているのは秋矢と紀伊そして花梨の三人だけだった。
計画内容はこの城のいたるところを緑と花でいっぱいにしようというもの。
「もう、大雑把だな。」
「細かすぎるのよ!」
紀伊は振り返ると自分たちを見つめている女性に微笑みかけた。
秋涼の母でもあるこの女性は少し心を病んでいた。
前魔王である秋涼の父、秋霖を深く愛していた彼女は息子秋涼がその父を封じたとき悲しみのあまり息子を憎むようになったと紀伊は聞かされていた。
そしてその時、彼女は秋矢を妊娠していた。
秋矢が生まれてすぐは彼女は秋涼にも花梨にも会おうとはしなかったが、花梨が秋矢の遊び相手として紀伊を連れて行って少しずつ彼女の心は解かれていった。
けれど秋涼と彼女のわだかまりはまだなくならない。
それはこの城に住む全てのものが知っていた。
「さてと、今日の緑化計画終わり!」
二人が立ち上がると女性は二人に胡桃入りのお菓子を用意してくれていた。
紀伊は手を洗うとお茶の席に着いた。
「このお菓子、大好き。花梨様のもおいしいけど、おば様のもすごくおいしい。」
「あの子にこのお菓子を教えたのは私だから。」
「あ、そうなんですか?」
「ねえねえ、聞いた?平争のやつら来てるんだって。」
「あ、うん。みたいだね。」
「ねえ、後でちょっかいかけに行ってみる?」
「秋矢様、ダメだよ。いつまでも子供みたいなこといってちゃ!皆お仕事できてるんだから!」
「なんか紀伊に言われると複雑。」
秋矢はお菓子にかじりつくと、お菓子がおいしいと伝えるかのように母に微笑みかけた。