第12話 不思議な玉
「さあ、帰り支度だ。」
紅雷は荷物を持ち上げる。紅雷の荷物は明らかに来た時よりも増えていた。
「何をそんなに買ったんだ?」
柳糸が尋ねると、紅雷は食い物だと答えた。
紫奈は紫奈で服を買い込んでいた。
紀伊は自分の部屋でぼうっと窓の外に出て月を見ていた。
(今度会えるのはいつだろう。)
もしかしたら一生会えないのかも知れない。
離れるとなると負の考えだけが自分の中を占めてゆく。
(そんなの嫌。)
紀伊は勢いよく走り出した。
王宮の長い廊下を走っていると角で人にぶつかり紀伊は後ろに吹っ飛んだ。
手をつき、体を守ると、相手が声を掛けてきた。
「おや、仔猫ちゃん。会いに来てくれたのかな。嬉しいよ。」
(嫌な奴だ!)
紀伊が警戒する前に真壁は紀伊の腕を掴み壁に押しつけた。
「やめて下さい。人を呼びますよ。」
「呼んでもいいよ。愛し合う二人の姿を見せ付けられるだけだけどね。」
紀伊の訴えは全く聞いて貰えなかった。
男は驚くほど滑らかな動きで紀伊の自由を奪うと、強引に唇を寄せた。
そして這うようなヌルッとした感覚を唇の上に感じた。
紀伊の腕は怒りのあまり震え、開いたままの目は相手を睨み付けていた。
「真壁様!」
名を呼ばれて真壁は唇を離す。
音もなく現れた軌刃は紀伊の存在に気が付くと、真壁を一瞥した。
「昨日も侍女に手を出され、今日もですか・・・。それもこの方は魔城の専属楽師の方でしょう。」
「わかっている。少し相手をしてやっただけだ。お前はいつもうるさいよ。じゃあね、子猫ちゃん。はあ、愛し合う二人には障害が多いものだね。」
まるで何事もなかったかのように余韻すら残さず真壁は去っていった。
後に取り残された二人は何を言えば良いか分からなかった。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは軌刃だった。
「君が行く前に会おうと思って・・・部屋に行こうと。」
目の前の紀伊はひたすら唇をこすっていた。
「初めてだったのに・・・。」
「気持ちがない口付けには意味がないよ。」
「でも・・・。」
一筋流れた紀伊の涙をを軌刃はそっとぬぐった。
「初めては・・・あなたがよかったのに。」
「そんなこと忘れて、俺の・・俺だけ見て。考えて。俺も、君しか見ないし、考えたくないんだ。」
軌刃に強く抱きしめられて紀伊は言われたとおり瞳を閉じて、軌刃という今、自分にぬくもりをくれる男の存在を強く意識した。
その瞬間だった。
自分の中から何かが突き上げてきた。
瞼の裏に浮かぶのは黒い炎。
それははじめは曖昧模糊としたものであったが、次第にそれは形を整え、竜へと姿を変えてゆく。
けれど竜は苦しいのか何度ものた打ち回り、最後に紀伊を見つけると紀伊に口を開けて迫ってきた。
(何!)
紀伊が慌てて目を開くと、白い炎が上がっていた。
「!軌刃さん!」
それ以上に紀伊は目の前の愛しい男が黒い炎に包まれていることに驚き声を上げた。
紀伊の声に男は目を開くと、自分の体を包む炎に驚いたように目を見開き、炎が立ち上る天を見上げた。
その白と黒の炎は頭上でゆるく交わるとそのまま二人を包み込んだ。
「これは・・・君が?」
軌刃はそう紀伊に問いかけた。
「違うわ。」
自分は魔法なんて使えない。
すると軌刃は紀伊を自分の体で炎から守ろうと抱き寄せた。
けれど紀伊は抱きしめられながら、右手をその炎へと伸ばしてみた。
それは炎ではなく何か『気』のようなものだった。
しばらく二人を包んでいた白と黒の気の塊はやがてまた二つに分かれると球体になり、地面に落ちた。
紀伊は軌刃と視線を合わすと、お互いその落ちた珠を拾った。
紀伊の手を伸ばしたそれは透明の水晶のようだった。
けれどその中に小さな黒い竜がうごめいていた。
「動いてる。」
「ああ、こっちは、白竜だ。」
軌刃が見せた珠の中には先ほど紀伊が見た黒い竜と同じ形をした白い竜がうごめいていた。
「これは一体・・・。」
「これは何?」
紀伊はその物体が不思議と恐くなかった。
むしろ守り神にさえ思えた。
今から離れる二人をつないぐ守り神に。
「これ・・・お守りかな?」
「え?」
「これを持っていれば・・・また会えますよね。」
紀伊が気利に微笑みながら尋ねるとと軌刃はもう一度水晶を眺め、そして紀伊に視線を戻した。
「そうだね。必ず。会える。・・・これが・・・運命だと思うから。」
「運命?」
「ああ、俺たちは出会うべくして出会ったんだって。必ず会える。君のご両親のように。必ず。」
「ええ。」
紀伊はその言葉を聞いて軌刃の胸に頭を押し付けた。
「必ず会いに行くから。」
(どうして・・・この人は私の欲しい言葉が分かるんだろう。)
「あんな森の奥で待っててもいいの?」
紀伊が見上げるとそれ以上軌刃は何を言うこともなく頷いた。
「じゃあ・・・待ってます。でも・・・待っても来てくださらなかったら私、ここに来ますから!いっぱい悪い気持ち引き連れて会いに来ますから!」
「ええ。必ず会いに行きます。
そう言って微笑んでくれた顔が紀伊にとっての宝物になった。