第1話 序章
はるか太古、大陸にはもともと青龍・白虎・朱雀・玄武をそれぞれあがめる四国しか存在しなかった。
民は皆四神の加護のもと豊かな生活を送り、自分たちの国の王を信頼し敬っていた。
王も又、民のことを考えた立派な王が政治を行っていた。
人口の増加に伴い、四神を信仰しない者たちが現れ、そんな者たちは四国を出、僻地を開墾しそこで自分たちの国を作り、四国に敬意を払い対立することなく暮らすようになった。
しかし、ある国の出現でその状況は一変する。
その国の出現は突然だった。
人々が寝静まったある夜、突然大陸を全てを蒸発させるのかと思うほどの強烈な光が空から降り注いだ。
そして、大陸の西の不毛地帯に闇よりもさらに黒い巨大な妖気がまるで蛇のようにとぐろを巻きながら広大な森を飲み込みはじめた。
そして日が昇る頃にはそれはそこに存在していた。
巨大な暗黒の城が。
四国はすぐに調査隊を派遣し、その城を調べようとした。
一体何故こんなものが一晩のうちに出来上がったのか。
城に入った人間はすぐに四国に戻ってきた。
しかしその姿は人間と呼べるものではなかった。
屍が戻ってきたのである。
中には何かに食いちぎられ体の一部を失った者、腐敗の始まったもの、
まるで地獄絵図に描かれているような姿で四国に戻ってきたのである。
四国の王たちは協力し屍の侵入を食い止めたが、人々の心には強烈な印象を植え付けた。
そして、こう呼ぶようになった。
魔物の棲む城……魔城と。
その後、数百年で魔城は大陸に存在した小国、十五国潰し、大陸で絶大な力を持っていた四国の領土の大半を奪い大陸に君臨するようになった。
闇の中にろうそくの明かりだけがぽうっと浮かび上がる。
「魔城の者は皆、強い魔力を持ち、年を取ることもなく、恐ろしく美しい容姿をし、人間をたぶらかしては生け贄に……」
青年は体が震えるあまり読むことができなくなった。
声も心なしか震えているようだった。
それと同じ頃、遠くの方からカツンカツンと足音が響いてきた。
小さな子供の瞳がその足音に気がついたのか扉のある左へと微かに動く。
青年はそれに気がつきさらに声を出した。
「可愛いから生贄にされるかもしれないな」
子供は耳を小さな両手でふさいで首を振った。
足音が部屋の前で止まった。
耳を塞いでいても足音が聞こえていたのだろう。
子供はきつく目を閉じ、首をすくめた。
と、同時に勢いよく扉が開いた。
「きゃあ!」
女の子の悲鳴が部屋の中で響く。
それと同時に女の声も部屋に響いた。
「こら秋涼!また紀伊にろくでもないこと聞かせたんでしょ」
気の強そうな黒い目をした若い女性が青年の方へ歩き、そのまま青年を通り越し、その後ろにある御簾を勢いよくあげた。
外からの日の光が差し込んだ。
部屋には黒い髪の二十代前半の姿をした男と栗色の髪の小さな子供が机を挟んで座っていた。
そして女は秋涼と呼ばれた男の前でおびえた目にいっぱい涙をためている子供に気がつくと抱き上げあやした。
「よしよしもう怖くないからね」
「ぶっ!もうダメ」
秋涼という男は黒い目をまるで子供のように細め美しい顔をクシャクシャにして腹を抱えて笑う。
「たぶらかしては生け贄にって、誰が言ってんだよ。どんな想像力だ?馬鹿かこいつら」
男は本を机に投げると子供の頬を優しくつねった。
「紀伊のこのプニプニほっぺ、食べたらおいしいかな」
「おいしくないもん」
紀伊は抵抗するように自分を抱き上げる女の胸元にうずもった。
「生贄か……そう言えば、お前もそういわれてるのかな?」
秋涼は紀伊と呼ばれた子供をあやす女を見て言う。
「さあ、どうかな?」
女は紀伊を抱きながら、視線を反らすように窓の外を見る。
外には黒い鳥が二羽飛んでいた。
「ほら、鳥さん飛んでるよ」
紀伊に見えるように指で示してやると、紀伊も手を伸ばしてつかもうとする。
「あ、いっちゃった」
「さてと、おやつの時間よ、手を洗ってらっしゃい」
女が優しく微笑みながら紀伊を床に降ろすと、紀伊は急いで奥へと走っていった。
「しかし、勝手にこんな本、書くやついるんだな」
そういって秋涼はもう一度本を持ち上げるとペラペラと本をめくってみた。
「そんな本どうしたのよ」
女は下ろした長い黒髪を耳にかけると三人分のお茶の用意をしながら秋涼に尋ねた。
「この前、朱雀国を歩いてたら、本屋で売ってたのさ」
秋涼は本を開いたまま立ち上がり、そしてお茶を入れている女の前に来て、本を見せた。
「『朱雀国王の養女も拐かされた。』だってさ。これ、花梨のことだ。」
しかし花梨という女は興味がないのか本には目もくれず、自分で焼いた胡桃入りの焼き菓子をお皿にのせていた。
「あれからもう五十年だもんな」
秋涼は花梨の気を引こうとしみじみと呟く。
しかし花梨は秋涼を無視し続けていた。
「おなかへった」
紀伊は濡れた手ふって走ってくる。
「ほら、手を拭きなさい」
花梨が洗いたての布巾をわたすと紀伊はごしごしと小さな手を拭き、ニコッと笑って椅子に座った。
そして机にあるお菓子に目を輝かせた。
「わーい、おいしそう。たべてもいい?」
「ええ」
紀伊は花梨の許可が出るとすぐに手を伸ばしてお菓子を取る。
「俺も」
秋涼も本を机に置き、椅子に座ると手を伸ばしお菓子を取り、すぐに口に運んだ。
「おいしーね」
紀伊が笑いかけると秋涼も花梨も笑顔を向ける。
一つ目をもう食べ終わった秋涼は二つ目を手に取り、名残惜しそうに立ち上がった。
「じゃ、そろそろ仕事行ってくるよ、紀伊、今日も一緒に寝ような」
「うん」
紀伊はまだ一つ目を一生懸命ほおばりながら頷く。
「行ってらっしゃい」
花梨は紀伊に向けた笑顔の十分の一も見せることなく秋涼を見送った。
秋涼が二個目のお菓子をほおばりながら扉を開けると秋涼という男とさほど年の変わらない姿をした男が眉間にしわを寄せて立っていた。
「何か用か?」
モゴモゴと口に入れたお菓子を食べながら尋ねる。
「用がなければこんな所にはいませんよ」
男はまるで作り上げられたかのように美しい、けれど人間味のない冷たい表情をしていた。
まっすぐに伸びた黒い髪がさらにその冷たさを印象付けた。
そして先に歩いていく秋涼の後について、花に囲まれた廊下を歩く。
「『魔物の棲む城』にこんなに花を植えて……」
男はため息をついた。
「花梨も紀伊も花のたくさん咲いた庭が好きなんだよ」
スタスタと歩きながら、秋涼はお菓子を食べ終わり、パンパンと両手を合わせてお菓子のカスを払い落とした。
「その紀伊のことですよ」
男はさらに深刻そうな顔をした。
「わかっている。あの子は貴重な生き残り、反魔城感情を植え付けないようにしてるさ」
秋涼もわざと深刻な顔をしてみせた。
しかし今自分が反魔城感情を植え付けるような本を読んでいたことを秋涼は思いだし、頭をポリポリと掻く。
男は冷たい顔を一瞬にして崩し立ち止まり、切なそうな顔をした。
「大丈夫だ、私を信じろ紫醒」
秋涼がそう言い張ると、紫醒の目は疑わしい者を見る目になる。
「なんだお前……、疑ってるのか?」
秋涼が訊いても紫醒は肯定も否定もせずただ黙々と歩く。
「大丈夫、花梨が良い子に育ててくれる。人間らしい良い子にな」
「分かっていますよ。私はあなたを信じています」
紫醒は秋涼を追い抜き歩いていく。
「あなたはこの魔城の王なのですから」
そういうと男は音もなく消えた。