§092 ラストページの波紋 1/14 (mon)
「ひー。キャシーのやつ、なんであんなに真剣なんだよ……」
先日のプレキャンプからキャサリンは、自分のステータスを上げることに味を占めて、毎日のように俺(俺達ではない。三好は裏切り者なのだ。ポットにメチャ苦茶だけは作ってくれたが)を借りだした。
その結果、キャシーのステータスは、狙ったとおりAGI-STR型の結構凄い値になっていた。
--------
HP 87.90 -> 126.00
MP 66.70 -> 74.80
STR 34 -> 61
VIT 36 -> 42
INT 35 -> 38
AGI 35 -> 62
DEX 36 -> 39
LUC 12
--------
まだ、60ポイント以上余剰があったが、3日もずっと付き合わされれば充分だ。
AGIーSTRだけでなく、一応VITやINT、それにDEXのセットも体験していたから、一応教官という職業は忘れてなかったようだ。
INTの禅と、DEXの糸通しだけは2度とやろうとしなかったのがおかしかった。
もはやあれはテストじゃなくて鍛錬だよ。鍛錬マニアというのは恐ろしい。
「お疲れ様です」
部屋に入ると、先に来ていた鳴瀬さんがそう言った。
ここはいつものJDA市ヶ谷の会議室だ。
今日の午前中は、オーブの受け渡しがあるからと、キャシーの魔の手から逃げ出してきたのだ。
キャシーは、じゃあ午後からと言っていたが却下だ。いや、明日が本番なんだから、1日くらい休もうよ、ホントに。
「先輩、お疲れ様です」
「あ、裏切り者がいるぞ」
「失礼ですね! 私はこれでも会社の代表ですから。先輩と違って教官の訓練に延々付き合うほど暇じゃないんですー」
「週末だったろうが」
「我が社はブラックなので、週末関係ありませーん」
従業員がいないから、どんなにブラックでも関係ないのです。あははははーと、三好が開き直っていた。
その時、会議室のドアがノックされて、四角形な人が入ってきた。確か、斎賀課長だっけ?
「みなさんもうおそろいでしたか。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
と三好がにこやかに挨拶していた。
「まだ時間ではありませんが、全員揃いましたので、取引を開始しますか?」
「お願いします」
そうして、いつも通りの形式で、オーブの取引が開始された。
なんと、今回のオーブのうち3つ。マイニングと促成と水魔法を落札したのはJDAだったのだ。
「いや、会計年度の終盤に来て、凄い収入が出来てしまったので、使っておかないと税金で持って行かれるだけですからね」
と、うちが払った手数料の事を仄めかしながら斎賀課長がにこやかに言ったが、JDAの税制がどうなっているか知らないし、冗談なのか本気なのかよく分からなかった。
しかし3個で、7,957,900,000 JPY(税込)のお金をJDAが払ったのだけは事実だった。
「で、次のご相談ですが」
「は?」
つつがなく取引が終了した後、斎賀課長がさらに良い笑顔で、俺達に言った。
「この3個のオーブをお預かりいただいても?」
そういや、そんな契約があったな……俺は視線で三好に是非を問うてみたが、視線で仕方ありませんねと返されただけだった。
「わかりました。ではオーブの特徴を記載した所定の契約書を――」
「こちらに」
そう言って、彼はすでに準備されていた契約書に、オーブカウントを確かめながら書き込んで差し出してきた。
「準備がよろしいようで」
「スムースな取引を心がけております」
その書類を確認した後、三好がサインして捺印した。これで契約は完了だ。
「ではお預かりいたします。引き出しは所定の手続きで行ってください」
三好はそう言いながらオーブを俺に渡した。
俺はそれを、バッグに入れ、どの角度からカメラに撮られていたとしても見えない位置で保管庫に収納した。
「ではこれで取引は本当に終了です。本日はありがとうございました」
鳴瀬さんが閉会の挨拶をして、取引は終了したが、俺は、つい斎賀課長に向かって言った。
「お預かりするのはかまいませんが、マイニングは早いうちに使われた方が良いですよ」
「なぜです?」
「それなりの個数が産出すると思われますから」
「それは、あっという間に2個を用意したチームからの助言ですか?」
「いえ、ダンジョンの意思ですかね?」
「意思?」
「鉱物採取にオーブが必要である以上、ある程度の個数が算出しないと意味が薄いと思いませんか?」
「それがダンジョンの意思だと?」
「まあ、そんな気がするだけです。Gランク冒険者の勘みたいなものですよ」
と俺は自虐気味に言って笑った。
斎賀課長は黙って俺を見ていたが、「ご助言承りました」と頭を下げて出て行った。
「先輩は、意外と余計な事しいですからね」
「いや、ゲノーモスが1日にどのくらい狩られているのかしらないけど、流石にそろそろドロップするだろ? 1/10000に30億オーバーってのは、ちょっと罪悪感が……」
「JDAもうまいこと日本に売りつけるでしょうし、日本も外交に利用しそうだから、どこも損しませんよ、たぶん」
最後の1つのマイニングは、DADらしいアカウントが落札していたが、受け取りが遅れるが大丈夫かという連絡があったきり音沙汰がない。
明日サイモンに会ったら文句のひとつも言ってやろう。
「じゃ、俺達も帰るか」
「あ、私はちょっと、明日の本番のためにお買い物に行ってきます」
「あんまり酷いことはするなよ。お前、時々度を越えることがあるからなぁ……」
「こんな常識人の私に向かって失礼ですね」
「ワサビツーンは酷かったぞ?」
「……さて、じゃ、行ってきます!」
そう言って三好は出て行った。
「鳴瀬さんは?」
「えーっと。ちょっと芳村さんにご相談が」
彼女はきょろきょろしながらそう言った。
何かここでは話し辛いことなのかもしれない。
「じゃ、戻りながらお話をお聞きしましょうか」
その日は全国的に高気圧に覆われた、とても良い天気の一日だった。
それでも気温は10度を下回り、JDAの建物を出ると、吐く息が白かった。
市谷八幡町の横断歩道を渡った俺達は、いつものように市ヶ谷駅方面に進まず、右へ折れて四谷方面に足を進めた。
正面に遠く、コモレ四谷の四谷タワーが伸び始めている。来年度中に完成予定で2020年に開業するらしい、四ッ谷駅前再開発の目玉のビルだ。
充分にJDAのビルから離れた頃、鳴瀬さんが切り出した。
「それで、芳村さん。例のクリンゴン語なんですが……」
そういえば、あれから1週間が経っているが、ラストページはヒブンリークスに掲載されていなかった。
「どうしました?」
「それが……」
そういって、鳴瀬さんはその訳文が表示されたタブレットをバッグから取り出して差し出してきた。
俺達は、外濠公園の総合グラウンド脇の小径に入ると、グラウンドの柵に寄りかかりながら、それを読んだ。
「自動翻訳した内容があまりにあまりだったので、念のためにKLIに紹介して貰った方に翻訳を依頼したんです。もちろん固有名詞は適当に修正しましたけど」
そこに書かれていた、『地球の同胞諸君に告ぐ』で始まっている文章には、今までの碑文とはまったく別のインパクトがあった。
「ヒブンリークスが、ただ翻訳を発表するだけで、その内容には関知しないという建前なのは分かっていますけど、それって、発表しても良いものでしょうか?」
そこには、ダンジョンの出現と3年前ネバダで行われていた実験の因果関係を仄めかすような内容が書かれていた。そうして、これ以上のことが知りたければ――
「マナーハウスの書斎に来い?」
マナーハウスって、どこの? まさか……
「さまよえる館は、どうも彼の母方のマナーハウスっぽいんです。サンタクルーズの近郊で、モントレー湾を臨む場所に建っていた18世紀風の古い建物だったらしいのですが、89年の地震で被害を受けて、現在では売却され失われているようです。彼の若い頃の写真に一部写っていました」
鳴瀬さんがアルバムを立ち上げると、そこには、画質の良くない写真が何枚かサムネールで表示されていた。そのうちの一枚を開くと、どうやらタイラー博士が学生だった頃の写真のようで、友人と思われる人物と一緒に笑顔でフレームに収まっていた。
「この写真は?」
「一緒に写っている友人の方が、3年前事故が起こったことを悲しんでSNSにアップしていたものです」
その背景に写っている屋敷のエントランスには、確かに見覚えがあった。
「似てますよね?」
控えめに鳴瀬さんが聞いてくる。
「少なくとも写真に写っている部分は、とても」
と俺も控えめに答えた。
なんの裏付けもなくこれを掲載してしまえば、USの強い反発を買う可能性がある。
それが異界言語で書かれていたなら、抗弁もできるだろうが、肝心な部分はクリンゴン語で書かれていたのだ。後から誰かが書き足したと主張されたとき、反論が難しかった。
もしかして、だからこんな言語で記したのか?
道の先からお爺さんが歩いてくるのが見える。
鳴瀬さんにタブレットを返すと、俺達の身の回りで、おそらく一番それについて知っている可能性がある男に電話を入れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『それで? 明日は例のキャンプだろ? 前日にいきなり来てくれって、いったい何事だ?』
三好に例のコーヒーを入れてくれと頼むと、サイモンはソファーの上で身を乗り出して聞いてきた。
『サイモンさん。タイラー博士はご存じですか?』
『タイラー? セオドア=ナナセ=タイラー博士か?』
『そうです』
サイモンは、乗りだした身を引いて、ソファーに背を預けると、足を組んだ。
『セオドア=ナナセ=タイラー博士。享年47歳。素粒子物理学の専門家』
サイモンは、何かを思い出すかのように話し始めた。
『3年前は、ネバダのエリア51を中心に作られた、グルーム・レイク素粒子原子核研究機構の所長だった男だ。身長は5フィート8インチ弱だから、アメリカ人としては少し低いな』
そこで、三好が持ってきたコーヒーを受け取ると、そのかぐわしい匂いを楽しむように香りを嗅いで、それを一口、口にすると、満足そうな笑みを浮かべた。
『研究に関しては非常に粘り強く、人によっては偏執狂的だと評したヤツもいる。全体的には穏やかな性格で、愛称はテッドだ』
彼はカップを皿に戻して、テーブルに置いた。
『それで、彼は本当に亡くなったんですか?』
『どういう意味だ? 当時の事故のことは知ってるだろ?』
『ええ、確かあの事故って、超大型加速器が稼働している真っ最中にダンジョンが出現して、施設が破壊され加速器用のトンネルが丸ごとダンジョン化したんですよね?』
『そうだ。事故直後のレスキューの映像は見たが、あれで生き残っているやつがいたとしたら、そいつはクリプトン星の出身か、ダンジョンに属するモンスターだな』
『それで、彼の遺体は確認されたんですか?』
『どうして、そんなことに興味を持つ?』
俺とサイモンはテーブル越しに、視線を戦わせた。
「三好、例のタブレットを」
「どうぞ。英訳もしてあります」
『これはまだヒブンリークスにアップされていない碑文の訳文です』
そう言って、俺はタブレットを彼に差し出した。
彼は黙ってそれを受け取ると、内容を確認した。
『これは間違いなくダンジョンから出たのか?』
『ここだけの話、さまよえる館産ですよ。もっともそこのサインが本物かどうかは、俺達には確認できませんでしたけど』
『我々はこれをサイトに掲載するべきかどうかを、とても悩んでいるのです。それでご相談を』
『アズサ。もう一杯貰えるかな』
『いいですよ。先輩は?』
『あ、じゃあ俺も』
『了解です』
そう言って三好がダイニングへと向かった。
『ここから先は、公開されていない情報になる。当然他言は無用だ』
『……わかりました』
『ヨシムラの疑問だが、タイラー博士の遺体は確認されていない。というより、コントロール室にいた全員の遺体は確認されていない』
『誰も確認に行ってないという意味ですか?』
サイモンは、軽く頭を振って話を続けた。
『事故が起こった直後、空軍の部隊が救助に突入した。エリア51は空軍基地だからな』
『コントロールへ向かうエレベータ類は完全に停止していて動かなかったため、最初はコントロールからもっとも近い、ボールド山の西側にある非常口から突入した。だが……』
『だが?』
『いきなりトロルに遭遇して、一瞬で蹴散らされたそうだ』
サイモンは肩をすくめて仕方なさそうに言った。
『そのせいで、しばらくは誰も救助に向かえなかったし、入ることすら困難だった』
『DADってその救助が目的で設立されたんですよね?』
『そうだ。だが、短期間で組織を用意できるはずがないし、相手が何なのかハッキリしない状態では、装備も満足に選定できないだろ?』
『無理に突っ込ませても被害が増すだけだ。俺達が入ったのは、事件が起こってから2週間は経ってからだった』
『それで、コントロールルームには?』
『行ったぜ、一応な』
サイモンはその時の様子を思い出すように目を閉じた。
『ザ・リングには、メインの加速器とならんで移動用の側道が造られていて、20m置きに加速器のトンネルと繋がってるんだ』
『側道は5m程のトンネルだから、さすがにエイブラムスは持ち込めないが、M1135ストライカーNBCRVにM2のCROWをくっつけたやつが非常口が設置されている垂直の巨大な通風口からつり下げられて搬入された』
M1135ストライカーNBC RVは、放射能・生物・化学汚染が考えられる場所で活動するために作られた、検知・観測用車両だ。
M2のCROWは、要するにM2を遠隔で操作して発射するためのシステムで、M2は12.7mm弾をばらまく重機関銃の傑作だ。
『もちろんUターンは不可能だが、中がどうなってるか分からない以上、環境調査用にこいつが持ち込まれたわけだ。ま、俺達にとっちゃ、M2の運搬用だな。どっかの大隊の虎の子のはずのこいつが、スムースにぶんどってこられたってことが、事態の重大さを物語ってた』
『そういや、他の装備も陸軍系だったな。牽引でM141 BDMとAT-4が多数積まれたカーゴが用意されていた。なにしろ最初にであったモンスターに、5.56mmは、ヘの役にも立たなかったらしいからな』
『それで?』
『俺達は側道をそれほどスピードを出さずに進んだ。崩落でもしてたら事だからな』
『幸い、NBC関係の異常は検知されなかった。が、モンスターの密度は結構なもので、ハースタルの改良版(*1)とは言え、M2の銃身は結構ヤバかったぜ』
『今にして思えば、エンジン音によってきてたんだろうが、その時は必死で気がつかなかったな』
『ともかく俺達は、コントロールルームの入り口に到達した』
『電源は落ちていて真っ暗だった。ドアの鍵は開いていてが、ライトで照らされた範囲には、特に荒らされた形跡は無かった』
『2週間も経つんだ、どんな状態であれ、酷い腐臭を覚悟して室内に入ったが、少しほこり臭いくらいで、異常な匂いは感じられなかった。ただ、微かに青臭い匂いがしたな』
『青臭い匂い?』
『ああ、激しい雷の後のような、オゾン臭に似ていたかもしれん』
『とにかく俺達は注意深く各部屋を探索しながら、コントロールルームへと向かった』
『道中あれほど襲ってきていたモンスターは、どういうわけか室内にはいなかった』
『そして、そこで働いていた大勢のスタッフや、その死体も、全く見かけなかった。俺達はスタッフがまとめて何処かの部屋に非難したんだろうと考えたわけだ』
彼はカップの縁をなぞるように、記憶を辿って行った。
『そうして、どの部屋にも誰もいないことを確認した俺達は、コントロールルームへと移動した』
『コントロールルームが最奥だったんですか?』
『いや、入り口に鍵がかかってたんで、最後に回したんだ』
『鍵?』
『作戦中の入室を行わせないために内側から鍵がかかる構造なのさ』
『外からは?』
『開けられない。普通はな』
『つまり、スタッフが中で籠城していた?』
『ま、素直に考えりゃそうだな。もちろん俺達もそう考えた。残念ながらノックに返事はなかったけどな』
『それで?』
『そりゃ、ブリーチング用のライフルグレネードで吹き飛ばして開けたさ。スラッグなんかじゃどうにもならない扉だしな』
『俺達は結構悲惨な状況も想像していた。なにしろ、水も食料も満足にない状態で2週間、大勢がひとつの部屋に閉じこもってたんだ。……想像できるだろ?』
『ああ』
確かに、食人行為くらいは起こっていてもおかしくない状況だ。
『だが内部には……』
サイモンが少し言い淀むと、俺に視線を合わせていった。
『誰もいなかったんだ。まるで綺麗に空気に溶けて無くなったみたいだった。とにかく誰の遺体も見つからなかった』
『鍵は内部からしか掛けられない?』
『そうだ』
『だけど誰もいなかった』
『そうだ』
『通風口は?』
『調べたが、人が入れるようなサイズじゃないし、もちろん入り口は閉まってた』
『何かが……そう、スライムみたいなやつが通風口から入ってきて、遺体を綺麗に食べて出てったとか?』
『それなら何かの痕跡が残りそうなものだろ。何かが這った後とかな。薄く積もった埃の上には、本当に何の痕跡も無かったんだ』
『コントロールルームを出て、リングを歩いて出て行ったとか?』
内側から鍵がかかっている状態で、そんなことは不可能だと思うが、と前置きしてから、サイモンは言った。
『ザ・リングは、コントロールルーム周辺が、普通のダンジョンで言う1層にあたる。そして、反対側に行くほど下層扱いだ。俺達が下りた非常口は距離から考えればせいぜい数層ってレベルだな』
それはつまり、わずか数層でもM2やAT-4でやっとなモンスターがウロウロしているダンジョンだってことだ。代々木で言うなら、20層より下層がスタート地点ってことだ。
訓練も受けていない科学者が、集団でそこを通過するなんてことは、考えるまでもなく不可能だろう。
そこまで考えて、俺はふと思い直した。
俺達は、タイラー博士が本当に死んでいるのかどうかを確認したかっただけで、ザ・リングで何が起こったのかは、そもそも関係のない話だった。もちろん興味はあるが。
『つまり、タイラー博士の死は確認されていないってことですよね?』
『状況的には真っ黒だが……物理的な証拠はないな』
『じゃあ、この碑文は……』
『ヨシムラはタイラー博士が、ザ・リングの何処かにある、さまよえる館か、他のダンジョンか、はたまた我々のあずかり知らないどこかの場所に繋がる出口から出て行ったと、そう言いたいのか?』
『地上だってあるでしょう?』
『それはあり得ない』
事故の時点から、エリア51は厳戒態勢らしい。
地下からの出口も限られいるし、それはダンジョンの入口でもあるため、24時間見張られていて、ひとりで脱出することすら難しいのに、スタッフ全員で脱出など絶対に不可能だそうだ。
『ともかく、俺には特に言いたいことなんかありませんよ。単にこの碑文を公開するにあたって、その信憑性を確認したかっただけですから』
サイモンはしばらく何かを考えていたが、唐突に行った。
『これは俺の独り言だが……』
『なんです、いきなり?』
サイモンはその質問に答えず、あくまで独り言のように言葉を続けた。
『3年前の事故は、実験中の施設にダンジョンが発生した事になっているが――当時の記録を見る限り、実験の結果ダンジョンが発生したようにも見えるんだ』
『……ええ?』
なんだそれ?!
もしもそれが本当なら、ダンジョン災害を引き起こした原因はUSにあるってことか?
『ま、所詮は俺の雑感だし、ただの独り言だけどな』
サイモンは目の前に俺がいることに初めて気がついたかのように、こちらを見た。
『つまり?』
『公開は控えた方が良いだろう。いままでの話も、ここ限りってことで』
『なんでそんなことを俺達に?』
『言わなきゃ公開しちゃうだろ、お前ら。それはUSにとっても、お前らにとっても不幸な結果になりかねない』
『俺達が義憤に駆られて、自らを省みず社会正義に身を投じる可能性は?』
『ゼロだな。そんな短絡的思考が何を招くか分からないほどのバカならこんな話はしていないし、そもそも俺はそんな話なんかしていないからな。ヨシムラの妄想じゃないか?』
彼はニヤリと悪戯っぽく笑った。
『そりゃどうも』
『しかし、上が異界言語理解の取得に異常に躍起になってたり、その後は、ヒブンリークスをやたら気にしてたわけがなんとなくわかったぜ。ヤバイ内容がダンジョン内にあるかもしれないと恐れてたのかもな』
『で、それを知ったサイモンさんは、これから?』
『そりゃ当面、お前らのプログラムを受けるさ。それが済んだら、マイニングを手に入れて、あとは機会があったら、ちょっとタイラー博士?に会いに行くことにするよ』
彼の行動原理は良くも悪くもシンプルだ。
翻って俺達と来たら、あっちふらふらこっちふらふらだからなぁ……いや、これは臨機応変で柔軟な対応って言うんだ。そうに決まってる。
『あ! マイニングで思い出しましたけど、DAD、一体いつになったらオーブの受け取りに来るんです?』
『それなぁ……DoDの横槍で、使用者が決まらないんだってよ』
『もう、落札権利剥奪しちゃいますよ……オーブを集めるタイミングだってあるんですから』
『残念だったな。今度から受領期間の制限を契約書に入れておけよ』
サイモンが涼しい顔をしながら言った。つまり今は入ってないって事だろう。
失敗したなぁ……受け取りに来ないと、預かってるのと同じ事になるとは。
『さて。お話のケリはつきましたか?』
『たぶんな。アズサのコーヒーは最高だった。また飲みに来ても?』
『かまいませんよ』
『サンキュー。それじゃ、俺は帰るぜ。明日はよろしくな』
そう言って立ち上がったサイモンは、俺達と握手をすると、上機嫌で事務所を出て行った。
まさか、ここを喫茶店だと認識したんじゃないだろうな。
「いやー、思ったよりもヤバそうな話でしたね」
「ヤバそう、なんてもんじゃないだろ。とりあえず最終ページにはダンジョン攻略に重要な要素は書かれてないし、公開は止めておこうぜ」
「いきなり、ヒブンリークスのアイデンティティが危機を迎えそうですけど?」
「ヒブンリークスのアイデンティティは、世界に波風が立たないように先に手当てしちゃうぜ、だろ?」
誰かに何かの判断材料を与える場合は、良くも悪くも事実を全部オープンにした方がいいとは思うけど、これは判断材料というよりも中傷材料だし、しかも反論の余地が大いにある。
なにしろクリンゴン語なのだ。
俺達がそれを付け加えてUSを貶めようとしているなんてストーリーが、容易に作られるのが目に見えるようだ。
じゃあ、ザ・リングで詳細な調査を、となったところで、どうやら非常に強力なモンスターが徘徊しているらしいそこを、きちんと探索できる人間は、人類の中にはいそうになかった。今のところ。
俺達に出来ることと言えば、せいぜいが口をつぐむことだけだろう。
それで利益を得る者も、不利益を被る者も、ほとんど存在しないだろうし、小市民に多くを求めるなっての。
三好は少し考えていたが、確かにと笑った。
「鳴瀬さんへの説明は任せましたよ?」
「え? 俺?」
「だって、私、聞いてない部分がありますもん」
「くっ。そう来たか」
「じゃ、このページは、とりあえずオクラってことで」
鳴瀬さんへの説明か。
彼女自身も迷ってたようだから、公開しないことに問題はないだろうけど、問題は何処まで話すかだよな。もっとも全部話さないと、USの葛藤が理解できないわけで……
そうして、俺はしばらく悩むことになるのだった
*1) ハースタルの改良版
FNハースタルはベルギーの銃器メーカー。
M2の銃身を簡単に交換できるようにした、M2HB-QCB (M2 Heavy Barrel-Quick Change Barrel) を開発した。
銃身温度が上がった後の、ヘッドスペースやタイミング調整も不要になっている。