§090 プレ・ブートキャンプ(その頃の農場)
「さてさて、小麦ちゃんはどうなってますかねー」
「お前、植物に名前をつけるタイプ?」
「犬にイヌだの、猫にネコだの名前をつけるのは先輩でしょ?」
カヴァスとアイスレムが、元気に周辺の掃除に向かう中、俺達は鍵を開けて扉を開いた。
最初に植えた、小麦の芽は、すでに10cm程に伸びていた。
正面の畝の左側には、来る度に1本づつカットしている小麦が並んでいて、今になってもリポップしていなかった。
今日の小麦を1本カットすると、定位置で状態を撮影した。
「やっぱ、リポップはしないのかな。もう結構経つよな。……って、三好?」
三好はなにか夢中で手元のタブレットを取り出して、過去の写真を引っ張り出していた。
「おい、どうした?」
「せ、先輩。そこ」
三好が指さした先は、入り口の右側にあたる場所で、木を抜いた後に植えた小麦が芽を出していた所だった。
「なんだよ?」
「ずっと左からカットしていましたから、こないだは、確かにそこをカットしたんです」
「どこ?」
その一列の畝には、カットされた小麦は何処にもなかった。
「お前の気のせいじゃなくて?」
「だから、それを確認していたんですが……ほら」
三好がタブレットに表示した写真には、確かにカットされた小麦が写っていた。
「え? それってもしかして……」
「リポップ……してますね。たぶん」
俺達は顔を見あわせると、お互いの頬をつねりあった。
「いひゃいれす、へんはい」
「いひゃいな」
あまりの衝撃に我を忘れた俺達は、夢でないことを確認すると、今更のように驚いた。
「ええ?! 向こうの小麦とこっちの小麦と何が違うんだ?」
リポップしない小麦――面倒だからNRWとしよう。Non-Repop Wheatだ。リポップする方はRWだ。
植えた時期はNRWの方が早い。RWは、植える場所がなかったため、木を引っこ抜くテストが終わるまで放置していたやつだ。
「場所と種が違いますね」
「場所はわかるが、種?」
「RWは、NRWを植えた後、余った種を柵に引っかけたまま忘れて持ち帰らなかった種なんです」
「つまり種のままダンジョン内に何日か放置されていたってことか?」
「です」
俺達は、その種を、NRWの畝の空いている場所に少しだけ植えた。
そして、保管庫の中に残っていた種を、RWのある場所に同じように植えた。
「これで、芽が出れば、場所と種のどちらが原因かがわかるだろ。だが十中八九――」
「種ですよね」
「だろうな」
種のままDファクターに触れさせておくと、発芽したときそれがダンジョン産だと見なされる。
発芽後はDファクターに触れていても、ダンジョン産だと見なされない、ってのが一番しっくり来る。
とは言え実証は今日植えた種の発芽待ちだ。
「もしそうだとすると次は、どのくらい放置しておけばダンジョン産だとみなされる種になるのか、だな」
「ですね。あと、この種もちょっと調べてみたいんです」
「種の何を?」
「ステータス計測デバイスの試作機があったじゃないですか」
「ああ、あの無駄にハイスペックな」
「そうです。あれにかけて生データを取り出せば、普通の種との違いがわかりませんかね?」
「そうか。あれがDファクターの活動を検出しているとすれば、なにか違いがあるかもな」
「ですよね!」
「よし、時間経過によって何かが失われるかもしれないから、それは保管庫に入れておこう」
「お願いします」
俺は、特になにも考えず、それを保管庫に収納した。
「こうなってくると、動物も確認したいよな」
「家畜ですか?」
「豚とか牛とか、鶏とか。リポップしたらお肉取り放題だぞ?」
「先輩。植物と違って、動物を狩ったら、次にリポップする位置はランダムですよ」
「ああ、そうか……たしかに」
「まあ、野生種みたいな扱いにはなるかもですけど。それ以前にモンスターみたく、狩られた方が黒い光になっちゃったりしませんかね?」
「それはありうるな……」
俺は保管庫から、冷たい水を取り出して、三好に渡した。
少し興奮したので、喉がカラカラだ。
「リポップが確認されたとなると、次の懸念は成長ですよね」
三好はそれを飲んで、リポップした麦を見ながらそう言った。
「成長?」
「だって、先輩。ダンジョン内の動植物は、どれも最初から成体で子供はいませんよ?」
それは確かだ。なにしろ植物は育っていない。それが三好が植物リポップに気がつく原因になったんだ。
ダンジョンの世界に子供のモンスターも見つかってない。
フィクションならゴブリンやオークにはいても良さそうなものだが、発見されたことはない。女性探索者がピーされたという話も聞かなかった。
「カヴァスの小さいのとかがいたら、もうモフモフで可愛いんですけどね。きっと、ケンケンって鳴くんですよ!」
そういや、あいつら生殖は一体どうなってるんだ? そもそも性があるのか? 今度調べて……
「先輩、何か不埒なことを考えていませんか?」
「え? いいや、そんなことはないぞ。ね、念話だって漏れてないだろ?」
「最近、使い方がうまくなりましたもんね。使うときだけ送信をオンにしてるんでしょ?」
「あー、まあ……それはともかくだな。つまり、リポップするようになったら、そのまま成長しないんじゃないか、って懸念か?」
「もしもそうなら永遠に実なんてなりませんよ」
リポップするようになったあの小麦が、その状態のまま固定されるとしたら、そりゃ実がなるはずがない。
「小麦を見る限り、ダンジョン内に持ち込んだ、ダンジョンに属さないものは、そのまま成長してるよな」
「そりゃそうでしょう。もしもそうでなかったら、ダンジョン内で暮らしてさえいれば、不老になっちゃいますよ?」
「そりゃ、世界が震撼するな」
「上層の土地の値段が上がりそうです」
俺は少し不安になって言った。
「さすがにそれはないよな?」
「あの、リポップしない小麦が、成長して実を為した後、その一生を終えるまでは安心できませんけど」
「次にダンジョンがオリジナルを生成したものは、成長せず固定されている」
「してるのかもしれませんけど、寿命の分からないモンスターの、個を識別することも出来ない状態で3年しか経ってないのでわかりません」
「リポップ時に同じものが出来るから、生殖の意味も成長の意味もないのかもしれないが……ところでリポップって、記憶の継承はどうなってるんだ?」
「されてないと思いますけど。でないと、探索者に恨みを持つ個体が大量に出そうですし、段々学習して討伐難易度が上がっていくんじゃないかと……どうしてそんなことを?」
「いや、だってさ。人間がリポップして、記憶を維持していたりしたら、世界は大混乱に陥るぞ?」
「……それは、そうですね。生体認証も、どんなに複雑なパスワードも、全然役に立ちません」
「本人は自分のものだと思ってるかも知れないけどな」
「クローンがネタのSFより酷いことになりそうです」
「まあ、それはともかく、話を戻そう。現状では草のこともあるし、成長しないと仮定しておこう」
「了解です」
「そして問題は、外から持ち込んだが、ダンジョンが自分に属すると判定するようになったものだ」
「種がそうだとすると、ちゃんと芽が出ているんですから成長するんじゃないですか?」
「あの芽の状態まで育ったときに、自分に属すると判断したのかもしれないだろ」
我ながら都合が良すぎると思うが、可能性としてはあり得るのだ。
「うーん……なら、もう少しありそうな可能性がありますよ」
「なんだ?」
「Dファクターによる種の汚染は――」
「待て。汚染はなにか語弊があるな」
表沙汰になったとき、忌避感が先に立ちそうだ。
そう言うと三好は頭を捻った。
「イメージは良くないですけど、他に適当な用語がない気がするんですけど」
「イメージは重要だろ。特に大衆向けの時は」
「まあそうですけど。作用とか影響だと何か違いますし……浸潤?」
「癌をイメージしそうだが、汚染よりはましか」
「もういっそのこと、新しい単語を作っちゃいますか。ダンジョン化を意味する。D化とか」
冗談っぽくそう言った三好の言葉に、俺は笑って応えた。
「なんだか最近Dだらけだな」
「じゃあ、ダンジョンに適応するわけですから……進化?」
「世代は越えてないけど、一応適応進化の範疇と言えるか……それで行くか」
「了解です。ランエボならぬ、ダンエボですね」
「それじゃ、コナミのゲームだよ」
「じゃ、名詞はD進化で」
「結局Dじゃん」
「ともかく、Dファクターによる種の汚……進化は、それがダンジョンの管理対象だというフラグみたいなものがオンになった状態だっていう可能性です」
「? どう違うんだ?」
「いいですか、先輩。ほとんど無数にあるダンジョン内のオブジェクトに対して、ダンジョンが常にその管理を行っているというのは、あまりに煩雑だし現実的じゃないと思うんです」
「まあ、ポーリング(*1)で全オブジェクトを処理するのはリソースの無駄遣いだし、ちょっと現実的じゃないよな」
「です。だから、きっと、イベントドリブンのような方法で管理されているんだと思うんです」
イベントドリブンは、処理対象になんらかのイベントが発生したとき(モンスターのリポップなら、倒されたときだ)に、そのイベントを管理者に通知して処理を行うテクニックだ。
現代ではリアルタイム性が必要とされていないOSは、ほぼ全てがこの技法を採用している。
誰かが画面をタップすると、タップされたというイベントがOSに通知され、そこからタップされたという情報が各アプリに送られて、それぞれ処理されているのだ。
「そして、ダンジョン内のオブジェクトに何かのイベントが発生したとき、その情報は、イベントキューみたいなものに突っ込まれるんですよ」
キューは、データ列の両端からしかデータを出し入れできない構造のことだ。
コンビニのドリンクの陳列ケースは、店員が後ろから順番に入れたボトルを、客が前から順番に取り出す。こういう構造のことをキューと呼ぶ。
ダンジョン内のオブジェクトに起こったイベントは、店員が後ろからボトルを詰めるかのごとく、このキューに入れられ、ダンジョンは客のごとく先に詰められたものから順番に取り出して、それを処理していくということだ。
「それを順番にダンジョンが処理してる?」
「そうです。Dファクターによって進化させられていると、そのイベントがキューに入れられるようになる、と考えるんです。そしておそらくD進化されたことを通知するイベントはないんですよ」
ダンジョンのオブジェクトは、通常ダンジョンが作り出す。
したがって、全てのオブジェクトは最初からD進化しているわけだから、それを通知する意味はないってことか。
「そうして、最初にそのオブジェクトのイベントがダンジョンに通知されたとき――」
「そのオブジェクトのプロパティにエラーがあると、それが修復される――つまり、成長が固定されるってことか!」
「それっぽくないですか?」
俺は大きく頷いた。
「この仮説の正しさは、あのリポップした小麦がこれ以上育たなくなることで、ある程度実証されるな」
「もしこの仮説が正しいとしたら、それはそれで難しい問題があるんですけどね」
「実がなるまで、どうやってダンジョンへの通知を防ぐか、だな」
それは、非常に難易度が高そうだった。なにしろヘタをすると虫に葉を囓られただけでアウトなのだ。ダンジョン内にそんな虫がいるかどうかはわからないが。
「だけどさ、三好」
「なんです?」
「通知されずに成長しきった麦を収穫したとするだろ」
「はい」
「そうすると、おそらくその状態にリポップする」
「それを期待しています」
「なら、そのリポップした小麦の種は、当然ダンジョンが生成したんだから、成長しないよな」
「……究極のクローン防止ですね。F1どころか、雄性不稔より確実です」(*2)
「だけど、初回に収穫された種は、絶対にD進化しているはずだけど、ダンジョンに通知はされていない」
「たぶん、種苗になりますね」
「さらにその種から作られた小麦も、初回生産分は同様だ」
「それも、種苗になりますね」
「つまり、俺達がやるのは、俺達の世界の種を最初にD進化させるだけ! 後のことは無限の初回生産連鎖でOK! つまりは楽!!」
「そういうことですか」
三好が呆れたように笑った。
「いや、永遠に種苗を作り続けなければならないかと、ちょっと焦ってたんだよ」
「世界はヒーローに厳しいですからね」
「まったくだ」
一旦常態化すると、ちょっと休んだだけでも文句を叫ばれたりするからなぁ……それでも頑張るヒーロー達って凄いよな。
「でも先輩。大量の小麦の種をダンジョン内に積み上げて、それを出荷したほうが楽で早くないですか?」
「んん?」
よく考えてみたら、種のD進化を小規模に行わなければならない理由はなにもない。
しかも、その工程に、自分が関わる必要はまったくなかった。
「確かにそうだな……いや、ちょっと待て」
「なんです?」
「もしも、小麦の種が、ダンジョンに放置しておくだけでD進化するんだとしたら、それって、植える必要なくないか?」
単にダンジョンから持ち出すだけでリポップするのでは?
「先輩、もしそうだったとしても、リポップ先はランダムですよ?」
「あ、そうか。代々木でそれを一粒ずつ拾うなんて不可能だし、実証も難しいな……」
しかもリポップした種は、仮説が正しければそのまま育たない。麦になることもないから、麦が生えることで確認することもできないだろう。
「もっとフロア面積の小さなダンジョンがあればな」
「フロア面積が小さなダンジョンはいろいろ使えそうなので探してみますけど、私はリポップしないと思うんですよね」
「その心は?」
「それだと本当に単純な3Dコピー機みたいな扱いになるからです。種を利用するものは全てコピーできることになりますし」
「ダンジョンの矜恃ってやつ?」
「そんなものがあるかどうかは分かりませんけどね」
「いずれにしても、実証が出来た段階で、D進化させるところだけ特許を出願しておきましょう」
そう言って三好は笑顔で今日の実験のメモを取り、写真を撮影した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その頃、キャサリンは結構な速度で外周を走っていた。
『んぉっと!』
時折現れるゴブリンやウルフよりも、木々や密度の高い草むらの方が面倒だったが、回避したりなぎ払ったりすることで、どうにか道は開けていた。
もっとも一番の強敵は、時折現れてはじゃれるように体を寄せてくるグレイシックだったが、キャサリンは草原をペットのイヌと一緒に走っている気分になって楽しかった。
グレイシックとしては、たんにルートを外れそうなキャサリンを元のルートに戻しているだけだったのだが。
『ただ走ってるだけなのに、確かにいい訓練になるかもな』
大きな犬って良いなぁ。ボス、譲ってくれないかな。
犬?と戯れながらランニングしている彼女の姿は、時折2層の探索者によって目撃された。
そうして、彼らの目は、一様に大きく見開かれることになる。
なぜなら彼らにとってそれは、大きなモンスターに女性が襲われているかのようにしか見えなかったからだ。
*1) ポーリング
順番に対象に問い合わせを行うことで全体の対象を管理する原始的な方法。
全体を管理するために100個の対象があれば、最低100回の問い合わせが行われることになる。
大昔、例えばDOS以前では普通の方法だった。
*2)F1・雄性不稔
F1は交雑種のこと。
優れた形質を持ったF1から採種すると、優れた部分が段々無くなっていくので一種のクローン防止になる。
雄性不稔は、1925年、玉葱から発見された、平たく言うと花粉を作らなくなる形質。
大雑把に言うと、この形質があると、採種がとても面倒くさくなる。
ちゃんと研究されたのは40年代。なお、花粉を作らないだけなので、受粉できる。
現代の農業では品種改良等に広く利用されているため、詳しく説明すると文字数がエライことになるので割愛。
2003年に出た、植物育種学 (鵜飼保雄著, 東京大学出版)は、育種学の小史から始まる比較的分かり易い本で、第6章にこの辺の話があるから興味がある方はどーぞ。