§089 プレ・ブートキャンプ(ダンジョンセクション) 1/11 (fri)
彼女が教官に決まってから3日。
「先輩。そろそろ準備が出来たそうですよ」
「お? 早かったな」
俺達は、ブートキャンプ用に、代々木のダンジョンゲート内にあるレンタルスペース1階の、直接表に出られる部屋を借りていた。
このスペースは、ダンジョンゲートを出ずに利用できるので、ダンジョンに出たり入ったりする我々のプログラムには丁度良かった。
なにしろゲートの出入りは、時間によっては少々面倒なのだ。
そこに、「ぼくたちがかんがえたさいきょーのぷろぐらむ」用の機器を運びこんでセッティングして貰っていた。
「んじゃ、キャシーに連絡するか」
「了解です」
◇◇◇◇◇◇◇◇
それは、面接の日の夜、キャシーにプログラムの詳細を説明した後のことだった。
『え? プログラムを体験したい?』
『はっ! 自分が教えるプログラムを体験しておかないと、うまく教えられるか不安ですので』
「そりゃもっともですね」
「体験はいいけど、地上部分の搬入って、いつ終わるんだ?」
「JDAと、代々木のゲート内施設の部屋をレンタル契約して、今各種機器を設置している最中ですから、あと数日ですかね?」
「なら、キャシーに体験させる時間もあるか」
「プレ・ブートキャンプですね!」
『というわけだから、大丈夫そうだ。たぶん次の日曜あたりに体験できると思うから、それまで資料を読み込んでおいてくれ。後は――』
『休みでいいんじゃないですか? ところでキャシーってどこに泊まってるんです?』
『今日はパークハイアットです』
『パークハイアット!? 高そうだな……』
『サイモン中尉が予約してくれたので』
「そうだ、先輩。あの人達、休暇だからって理由でパークハイアットのスイートにずっといるんですよ?! さすがに4部屋確保しようと思ったら、パークスイートしかないと思いますけど、正規料金で泊まってたら17万ちょっとですよ……」
うん。頭がおかしいんだよ。きっと。
『え? じゃあキャシーも? スイート?』
『いえ、私は、パークデラックスです。一番部屋数も多いですし』
『そうか』
「そういや、キャシーの住居ってどうするんだ?」
「それですけど、近くに良さそうな賃貸の物件を探しておきますから、当面そのままホテルにいて貰いましょう。料金はうち持ちでいいですか?」
「それはいいけどさ、物件と言えば俺の前のアパート、借りっぱなしだけど、あそこは?」
「築50年ですからねぇ……」
「だけど、ホテルじゃ狭いし、くつろげないんじゃないか?」
「先輩……」
三好が可哀想な子供を見るような目つきで俺を見た。
「な、なんだよ」
「先輩のあの部屋って、広さはいくらくらいでしたっけ?」
「えーっと、32㎡くらいだっけ?」
なんかそんな話を前にしたような。
「パークハイアットの、一番狭い部屋は45㎡ですよ」
「ええ?!」
「キャシーのいる、パークデラックスは、55㎡ですから」
「それがスイートじゃない1ベッドの部屋の広さなのかよ?!」
「ハイクラスのホテルにはシングルルームがないですからね」
いや、二人部屋にしたって広いだろ。
へたすりゃ通常の倍くらい……あ、だから値段も倍なのか。
『キャシーは済む場所や広さに希望はありますか?』
『いえ、特には。普通の物件で構いません』
アメリカ人の普通はなぁ……こちとら兎小屋の住人だから。
『では、すぐに用意します。それまでは、そのままハイアットに宿泊していてください。料金はうちで払いますから』
『わかりました。感謝します』
そうして機器の設置には特急料金が支払われ、突貫で行われることになったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
キャシーは連絡を受け取るとすぐに、凄い勢いでやってきた。
あまりに興奮した様子に、俺達は苦笑しながら、彼女を連れて代々木でレンタルした部屋へと向かった。
そのスペースは、ダンジョン内の扱いなので、キャサリン達が使用する銃器も持ち歩ける場所にあった。
「キャシー。今日は日本語でお願い」
「わかりました、ボス」
初回はサイモン達だけど、それ以降は日本人が主体になりそうだし、練習は日本語が良いだろう。
ブートキャンプの手順は、まずステータスを計測するところから始まる。
三好が、キャシーに、設置されたSMD-PROの操作方法を説明しながら言った。
「じゃあ、実際に測定してみますから、先輩、そこに立ってください」
「うぃーっす」
俺が実験台になると言ったとき、キャシーの目が輝いたのを俺は見逃さなかった。
ふっふっふ。もちろん値はメイキングで調整してあるからな。この結果を報告して騙されてくれれば、願ったり叶ったりだ。
「じゃあ、キャシー。さっき言ったとおり、操作して」
「はい」
キャシーが手順通り操作すると、すぐに俺を計測した結果が、ミニプリンタで出力された。
--------
HP 45.12 / MP 32.40
STR 15
VIT 15
INT 14
AGI 16
DEX 15
LUC 15
--------
「名前は表示されないんですか?」
「計測しただけで名前はわからないですよ。Dカードじゃないんですから」
と三好が笑いながら、出力された結果の上に、『芳村圭吾』と書き足した。
「これは、強いのでしょうか?」
「どうかな。大体成人男子の平均が10になるくらいに設定してあるんだ」
調整って言うか、最初からその値だったんだけどな。
「ただ、女子でも8~9くらいですからね。1の差は結構ありますよ。ステータスは2も違えば実感できますから」
「じゃあ、ヨシムラはなかなかやる?」
「普通の探索者並かな。じゃあ、次はキャシーだ」
「OK」
キャサリンが、測定位置に立つと、三好が機器を操作して、測定はすぐに終わった。
「終わったぞ」
「……特に何も感じませんね」
「そりゃあ、ただ計測しただけだからな。身長や体重を測って、ぴかぴかエフェクトが飛び交ったりしたら変だろ」
「確かにそうですけど……あー、It’s quite anti-climactic.」
「そういうのは拍子抜けしたっていうんだ」
「ひょーしぬけした」
キャサリンはそう言い直すと、拍子抜け、拍子抜け、と呟いていた。
彼女の話す日本語に、おかしなところはほとんど無かったが、流石に日本語独特の表現は、やや語彙が足りなかった。
SMD-PROで計測されたキャサリンの数値は実に見事なものだった。
Catherine Mitchell
--------
HP 87.90 / MP 66.70
STR 34
VIT 36
INT 35
AGI 35
DEX 36
LUC 12
--------
「流石はバックアップ。どこが欠けてもすぐにそこを埋められるようなステータス構成だな」
「スポーツなら、補欠は一芸に長じた方が有利って言われますけどね」
「私は昔から、えーっと、Jack-of-all-trades でしたから」
「なんだそれ?」
「Jack of all trades, master of none.っていう諺ですね。多芸は無芸とか器用貧乏とか」
「器用貧乏?」
いや、このパラメータは、器用貧乏なんてレベルじゃないだろ。
これを器用貧乏というなら、ものすごくレベルの高い器用貧乏だが、それはもはやオールラウンダーと言っていいんじゃないだろうか。
「いやいや、キャシー。これは器用貧乏じゃなくて、オールラウンダーって言うんだよ」
「all-rounder?」
「そう。非探索者のトップエンドはオリンピック級でも20は越えないし、40もあったら一種の超人だから」
「先輩は、なんでもできて凄いと言っているんですよ」
「ありがと」
キャシーが少し照れたように下を向いた。
あー、色素が薄い人種は、顔の赤さがめだつって本当だよな。
「で、俺達はキャシーの戦闘スタイルを知らないんだが、どのステータスを伸ばしたいんだ?」
一応訓練成績はみたものの、すべてに渡って好成績だったため実際どんな攻撃が得意なのかわからなかったのだ。
「魔法は使ってみたいですが、オーブがありませんし、今のところは、銃とショートソードサイズのサバイバルナイフです」
主力はM4カービンかM27IARらしい。マリンコーらしいな。(*1)
「サブウェポンは、これです」
そう言って彼女がテーブルの上にごとりと置いたのは、25cmはありそうなごついリボルバーだった。
銃身には、500 S&W MAGNUMの文字が書かれている。
「4インチバレルモデルです。350grの弾を使って、とっさの時の足止めを重視しています」
「私たちが撃ったら、手が折れるヤツですね、これ」
三好がそれを人差し指でつつきながら言った。
こんなのが20層を越えると、あまり効かなくなっていくのか。
「魔法はなぁ……オーブは福利厚生で手にはいるけど、意外と魔法耐性のある敵も多いから……」
「お、オーブが、employee benefits?」
キャサリンは、何かを聞き違えたんじゃないかと不安げに聞き直したが、それに対する答えはにわかには信じられないものだった。
「そうだよ。個人で何十億も払えないだろ、普通」
「いや、それはそうですが……」
彼女の混乱を尻目に、説明は淡々と進んでいった。
「じゃあ、最終的に目指すのは、遠距離は銃で狙撃して、近づくと魔法で牽制しつつ、ショートソードで切り刻むタイプ?」
「まあ、そうですね」
「じゃあ、防御は受け止めるより、躱す感じで」
「はい」
AGI-STR型かな。魔法は牽制なのでそれほど重視しなくて良いだろう。
「魔法の属性は何がいいかな?」
「ぞ、属性?」
「そ。確かナタリーは火だっけ?」
「……そうです」
「水と火と土は心当たりがあるから、考えておいて」
「はぁ……」
自分の世界の常識とは違う、別の何かで動いているような会話に、彼女は、もはや何が何だかわからない様子だった。
「大体方向性は分かったから、パーティを組んだら、さっそくファーストダンジョンセクションに向かおう」
ダンジョンブートキャンプの本プログラムは、ダンジョンセクションと、地上セクションが交互に行われる。
件の効率的な経験値稼ぎのことを説明しないでなんとか取り込めないかと考えたわけだが、実際は、このしち面倒くささが、何かしているという錯覚を引き起こすだろうというもくろみもあった。
ダンジョンセクションは、ランニングだとか座禅だとか、そういうありがちな要素で、少々風変わりでも納得しやすいものが多いのだが、地上セクションは、一体これが何の役に立つんだ? というもので占められている。
それにどんな反応が返ってくるのか少し楽しみだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
パーティを組んで2層に下りた俺達は、すぐに階段から少し離れた位置のスタート地点として目星をつけておいた、少し開けた場所へと移動した。
「最初のダンジョンセクションは、ランニングだ」
「はい。2層の外周、31.4Kmと聞いています」
「そうだ。で、俺達は根性がないので、キャシーと一緒に走ることは出来ない。そこで、三好」
俺は、冷静に聞くと情けない発言をしながら三好を促した。三好は頷くとすぐに、「グレイシック!」と言った。
すると、三好の影から、巨大なヘルハウンドが現れる。
キャサリンは、思わず腰の後ろからM500を取り出して構えようとしたが、俺が銃身を上から押さえて、それを下げさせた。
『おちつけ。あれはペットの犬だ』
『ペット?!』
キャサリンは両手で下げた銃を構えたまま、驚いたように繰り返した。
「ちょっと大きいが、可愛いものだろ?」
そう言って俺はグレイシックの頭をなでた。
お前、三好になでられるときは、へこへこ頭を下げる癖に、俺の時は上げたままなのかよ。
「か、可愛いって……ヘルハウンドじゃないんですか?!」
「よく見ろ。目が赤くないだろ」
そういって、俺はグレイシックの目を指さした。
ヘルハウンドの目は赤い。だがアルスルズのは目は、見ようによっては金色だ。
「た、確かに……」
やっと落ち着いたのか、銃を腰の後ろに戻したキャサリンは、おそるおそるグレイシックに近寄った。
「ほらみろ。ちゃんと首輪もしてるし、渋谷区の鑑札も付いてるだろ」
「あ、かわいい」
思わず彼女が言ったとおり、渋谷区のというよりも東京都の大部分の自治体の犬鑑札は、可愛い犬の形をしている。
普通に世田谷や葛飾あたりのノーマルな形が邪魔にならなくて良いと思うのだが……
それでも杉並の鑑札よりはマシなのかも知れない。なにしろゴルゴ13に狙撃されたかのように、額に穴の開いたなみすけ(*2)なのだ。
「鑑札があるからには、こいつは自治体が認めたペットで、犬だ。いいな、これは、犬だからな」
「は、はい」
キャサリンが、おそるおそる手を出すと、グレイシックはそのてをぺろりとなめた。
「ひっ。あ、味見されたわけじゃないですよね?」
「犬は、普通、人は喰わん。……たぶん」
「たぶん?!」
「先輩、話が進まないからいい加減にして下さい。大丈夫、食べませんよ。ほら、なでてあげて」
「は、はぁ……」
キャサリンは三好に引っ張られて、グレイシックの腹をなでた。
「……さらさらしてて、気持ちが良いです」
「でしょう?」
「で、こいつを見張りにつけておくから、何かあったらこいつに頼れ」
「み、みはり?」
三好が目配せすると、グレイシックは、キャサリンの影に潜り込んだ。
「へ? 一体どこへ?」
そう言ったとたん、キャサリンの影から頭だけ出したグレイシックが、ワフーと鳴いた。
「うわっ……って、なんでこんなことができるんです?」
「そりゃ、ヘルハ……ごほん。日本の犬は多芸なんだ。何しろニンジャの国だからな」
「Oh! ニンジャ!」
やはり外国人にはニンジャだって言っておけばなんでも通る……わけないよな。
納得したのかどうかはわからなかったが、キャサリンは、しばらくグレイシックと親交を深めていた。
「まあ、そういうわけで、そいつをつけておくから、安心して走れ。間違った場所へ行こうとしたときも教えるよう言ってあるから」
「分かりました」
「一周してここまで戻ってきたら、次は地上セクションだから、さっきの部屋まで戻るように」
「了解です」
「ではスタート!」
俺がそう言うと、キャサリンは結構なペースで走り出した。
「あれで31.4Kmも走れるもんか?」
「ステータスが軒並み30を越えてますからね、ひょっとしたら1時間ちょっとで戻ってくるかもしれませんよ」
「そりゃダントツ世界記録だな」
国際マラソンの優勝記録の30Km地点のタイムは1時間26分前後だ。女子なら1時間38分くらいだろう。
悪路でもあるし、いくらなんでもそんなペースで走れるとは思えないけれど、念のために1時間くらいで見ておこう。
「で、私たちはどうします?」
「んー、1時間か……ちょっと農場を覗きに行くか?」
「そうですね。行って戻るくらいなら、大丈夫でしょう」
俺達の農園では、種から育てた麦が芽を出したのだが、カットしても、今のところリポップする様子はなかった。
しばらく様子を見るつもりだが、やはり受精が必要か?と三好と相談しているところなのだ。
俺は、三好のステータスを元に戻すと、農場に向かって走り出した。
*1) マリンコーは、アメリカ海兵隊。
M4カービン / コルトが製造した突撃銃。海兵隊の突撃銃として選定されている。
M27 IAR / H&K社が開発した自動小銃。海兵隊の分隊支援火器として選定されている。
*2) なみすけ
干瓢巻きをモデルに生まれた、杉並区のマスコットキャラ。スギナミザウルス島 (なんだそれは)に住んでいた妖精。
ぐぐれ。