§071 鑑定 12/22 (sat)
6/1に始まった本連載も、今日で丁度1ヶ月です。
皆様のご愛読に支えられてここまで来ることが出来ました。誠にありがとうございます。
また、メッセージボックス等でご教示頂いた皆様にもお礼を申し上げます。
では、引き続きお楽しみ下さい。
「それで完徹したんですか?」
「ふぁい……」
翌朝起きて階下へ降りてみると、三好が鳴瀬さんに怒られていた。
どうやら、収集した俺の全データに対して、なにかの処理を行ったらしいのだが、全然終わらなくてダラダラしていたところを、朝来た鳴瀬さんに見つかって徹夜を怒られたらしい。
超回復って、集中することがなくなると、とたんに仕事をしなくなるんだよな……
「おはよう。なにか立て込んでんの?」
「あ! せんぱーい。PC遅すぎですー。スパコン買ってくださーい」
「はぁ?」
突然何を言い出すんだ、こいつは。
どうやら徹夜でハイになっているらしい。
「いまなら、1ペタFLOPSあたり10億円くらいですかね?」
確かに今なら、来年製造が始まるらしい「京」の後継機だって作れる予算はあるけどさ。あれなら1ペタ1億3千万円くらいだ。
ただし――
「あほか。置く場所がないだろ」
「うえーん」
しょうがないヤツだな。
「確か、京が共用をやってたろ? 会社で素材の構造解析に使えないかと調べたことがあるぞ。確か1日貸し切りで3000万弱だった気が……あれじゃダメなのか?」
「いいですね、それ!」
三好は跳ね起きるようにして、HPCIのサイトを開いた。
HPCIは、High Performance Computing Infrastructure の略で、理研のコンピューターを中心に、国内の大学や研究機関の計算機システムやストレージを利用するための、共用計算環境基盤だ。
つまりは国の補助金で作られたスーパーコンピューターを、みんなで利用できるようにしましたよという組織なのだ。
「へー。HPCIの成果非公開有償って、随時受付なんですね。お金って凄いですねー」
通常無償で利用できる研究系は、年に1回か2回申し込みがあって、審査の結果利用できるかどうかが決まる。
それに対して、産業利用で、利用料を自分達で払う場合は、優先利用が出来て、しかも申し込みは随時なのだ。
「京って、600万ノード時間(*1)まで使えるようですよ。先輩モデルの構築がはかどるなぁー」
いや、いくら自腹の産業利用だからと言って、そんなすぐに使えるはずが……
100GFLOPSくらいですむのなら、エントリー向けのFOCUS(公益財団法人計算科学振興財団)なら、3日くらいでアカウントが発行された気がする。
産業界が、気軽にスパコンを使ってくれるように慣れさせるための組織っぽいし。
「ていうか、先輩。地球シミュレーターってまだ現役なんですね! ああ、ベクトル型って格好いいですよねぇ。こっちも申し込んじゃおっと。ぽちっと」
どうやら、京とそれ以外のHPCは申し込みが異なるようだ。
しかし、三好のやつ、やたらとハイになっているけど、大丈夫か?
「三好、三好。おまえ、ちょっと寝てこい。な」
「きゃー! 日本のスーパーコンピューター使いたい放題ですよ。きゃっほー」
突然立ち上がった三好は、伸ばした両手の平を頭の上で重ねて、クルクルとまわりながら2Fへと上がっていった。
それを俺と鳴瀬さんは呆然と見送っていた。
「三好さん、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。時々ああなるんです」
会社でも高額な試薬の使用許可が出たときに似たような状態になっていたっけ。
それにしても三好のやつ、そんなに大量の計算が必要になるって、一体、何をやってたんだ?
昨日見せられた奇妙な図形を作り出すのに、そんなに計算量が必要だとしたら、デバイスからデータを受け取って計算終了までのラグで役に立たない機器になりかねないぞ。
そんな馬鹿なことをあいつがするとは思えないが。
「ところで」
「はい?」
「先輩モデルってなんです?」
「こ、コンフィデンシャルな案件ですので、三好が起きたら聞いて下さい!」
俺はそう言いながら、心の中で三好に悪態をついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「いや、ホント、お騒がせしました」
一眠りして起きてきた三好は、自分が申し込んだHPCの利用申し込みログを整理しながらそう言った。
「だけど、お前のデスクトップだって相当だろ? モデルの作成にそんなに時間がかかるなら、デバイスから受け取ったデータを計算して返すのにものすごいCPUパワーがいるんじゃないか?」
それじゃ事実上使い物にならないだろう。
「あ、いえ。一旦個々の計算式の係数群を決めてしまえば、計算自体は一瞬ですから。それはいいんですけど」
ん? モデル自体は作られていたんだから、係数はほぼ決まってるって事だ。
「じゃあ、何をやってたんだ?」
「スキルの判別と個人の識別です」
「なに?」
三好は、試作機のカバーを取った。
「流石にテスト用だけあって、試作機は、中島さんが、かなりオーバースペックに作りあげたようなんです」
例えば、超解像用のタイムスライスにしても、どのタイミングが最適か分からないから、240fpsで、全てのデータを取得できるようになっているらしい。
実際に、中島氏が各パラメータの決定のために使用しているのは、0.5秒でせいぜい8枚程度のデータだそうだ。
「オーバースペックにも程があるな」
「まったくです。彼に予算を与えたくない翠先輩の気持ちが、ちょっと理解できますよね」
要求仕様を遥かに超える高性能を作り出すことは素晴らしいが、世の中にはコストパフォーマンスというものがある。大抵、予算は有限なのだ。
「それで?」
「とりあえずフルスペックで情報を取り出してある先輩のパラメータ違いのデータを、いろんな手法でモデル化して、変化がない部分を探してたんですよ」
パラメータが変動しても変化がない部分。
それが存在していて、かつ、個々の人間毎に異なっていれば、個人識別の可能性が生まれるってわけだ。
「それって出来そうなのか?」
「いえ、それが……」
手当たり次第にモデルを作って、目的の部分を探すコードを書いて放置したら、全然戻ってこなくなって、今朝の状況に陥ったというわけだ。
「それってバグで無限ループに陥ってるとかじゃなくてか?」
「一応進行ログは出力されていますから、それはないと思います」
「まあ何らかの理論があるわけじゃないからなぁ」
「しらみつぶしはコンピューター数学の基本ですよ」
無限の対象に対して実行した場合、それで何かが証明できるというわけではないけれど、工業的な利用なら適切な範囲の中での結果がわかりさえすればいいわけだ。
「それにしたって、計算量くらいめどを立ててから実行するだろ」
「うまいこと、O(n^3)くらいのオーダーに押し込めたと思ったんですけどねぇ……HPCIのほうは、どうせすぐにアカウントが発行されたりしないでしょうから、しばらくあのPCは放置しておきましょう」
よさげなモデルが見つかれば、出力してくれるはずだとのことだ。
組み合わせ爆発を説明するお姉さんみたいにならないことを祈ってる。
「それで、お話は終わりましたか?」
俺達の会話が終わるのを、ダイニングテーブルに座ってみていた鳴瀬さんが、話が終わったのを察して話しかけてきた。
「あ、はい」
「そろそろ説明していただけると、専任管理監としても助かるのですが」
腕を組んで目を細める鳴瀬さんは、なかなか冷たい迫力があった。
「先輩。出来る女って感じですよ」
「しかも女王様の風格があるぞ」
「何をごちゃごちゃ言ってるんですか?」
「「あ、はい」」
「コンフィデンシャルだそうですが、何かの計測にも協力させられたようですし、そろそろお話ししていただきたいですね」
「あー、三好?」
俺は困って三好に話を振ってみた。三好は、まあそろそろですよねと言った顔で頷いた。
「どうせ、明日の家族会議で、似たような案件が話し合われると思いますけど……」
「え? 鳴瀬家のですか? それってどういう……」
不思議そうな顔をする鳴瀬さんに、三好はデバイスの目的と、翠先輩との協業について説明した。
鳴瀬さんは最後まで黙って聞いていたが、話が終わると同時に興奮したように聞いてきた。
「ステータスを数値化する? って、本当ですか?!」
「ええ、まあ」
身内が製作したデバイスの話をすっとばして、最初に食いつくのがそこだとは、さすがはJDA職員だ。
「じゃあ、私のも?」
「昨日計測したデータでよければ」
そういって、三好はタブレット上に彼女のデータを呼びだした。
計測値を件のモデルで一致させた後、HP/MPについては、ステータスから計算した値と突き合わせて、あまりに乖離があるようなら、適当に平均を取ったりして丸めるらしい。
xHP や xMP 系のスキルが使われていたら、単純に計算しても値が一致しないし、かなりいい加減でも使用上は問題ないだろうと割り切ったようだ。
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Name 鳴瀬 美晴
HP 23
MP 27
STR 10
VIT 9
INT 15
AGI 9
DEX 13
LUC 11
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興奮した様子で、その数値をしばらく見ていた鳴瀬さんは、少し不安げな表情になって、顔を上げた。
「もしもこの値が正しいとすれば、このデバイスが探索者に与える恩恵は計り知れないと思います」
それはそうだろう。
例えばWDAが、各ダンジョンや各層の推奨ステータスなんてのを発表したら、探索者の負傷率や死亡率は一気に下がる可能性がある。
任意のステータスを伸ばすための訓練方法なんかも、開発されるに違いない。
何かを数値化するということは、対象に対する抽象化を行っていることとほぼ同義だ。
そうしてそれは、物事をシンプルにし、客観性をもたらす。人々は、曖昧な主観から解き放たれ、共通の認識に到る道筋を見いだすのだ。
人々は呪いの世界から解き放たれ、洗練された科学の世界へと入門を果たすだろう。実はそれが新たな呪いへと到る道だったとしても。
試行錯誤の結果を簡単に評価できるようになった人類は、さらなる効率的なダンジョンの攻略へと向かうに違いない。
「だけど、この話はインパクトがありすぎます」
「インパクト?」
「だって、これって……人を格付けしちゃいませんか?」
まあ、そう思うよね。俺達だって、ドラゴンボールごっこを想像した。
「最初はそうかもしれませんが、いずれ、ヘルスメーターと大差ない機器になると思いますよ」
子供のオモチャにするには高価ですし、と笑ってみせた。
ヘルスメーターだって、人間のプロパティの一部を表示する機器だ。だが誰もその値で人類に序列をつけたりはしないだろう。特殊な研究者を除いて。
「体重と一緒にされても」
「実際、体脂肪率と同じようなものですから」
「え? それって一体……」
体脂肪率は、電気の流れやすさで計測されている。
しかし、人間の体の大きさには個人差があるから、単純に電気抵抗値の値だけでそれを測ると誤差がありすぎるのだ。
結局、大量の人間の数値を測って作られたデータベースで値を補正しているわけで、考えてみれば、ステータスの決定も似たようなものだ。
「いずれにしても、人間はすでにあらゆる事で序列化されていますし。長者番付だの、入試の偏差値なんかもそうでしょう?」
「しかしそれは視覚化……」
「されていますよ。入った学校で」
実際人間の序列化はあらゆるところで行われている。それを過度に行ってしまう人がいるこは問題だが、いまさらその基準が一つ増えたくらいどうってことないと言えば言えるだろう。
鳴瀬さんは、諦めたようにため息をつくと、言った。
「それで……このデバイスがステータスを出力するための理論やアルゴリズムは公開されるんですか?」
三好が静かに首を振った。
「しかし、そうしないと信憑性の検証が――」
「鳴瀬さん」
三好は彼女の言葉を遮った。
ダンジョンの中で固めた三好の覚悟が、ついに実行される時が来た。
「これはあくまでも、帰納的にステータスを調べた結果生まれた技術なんです。だから先輩が、体脂肪率に例えたんですよ」
それを聞いた鳴瀬さんは、三好が言った言葉の意味を飲み込めなくて、目を白黒させた。
「き、帰納的?」
「鳴瀬さん、私……」
三好は、鳴瀬さんから視線を外すと間をおいて、芝居っ気たっぷりに緊張感をつり上げた。
そして、テンションがピークに達したとき、視線を素早く鳴瀬さんに戻し、目力を入れて告白した。
「私、鑑定持ちなんです」
その瞬間、オーケストラが投げかけたドミナントに、ドラマティックに応えたピアノの音が響いたような気がした。
シューマンのピアノ協奏曲 Op.54 のオープニングだ。ウルトラセブンの最終回に流れる曲だと言った方が通りが良いかもしれない。
丁度9月の終わりに、リパッティ/カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団のリマスターCDが発売されたのには驚いた。
なにしろスリーブにウルトラセブンが描かれているのだ。
「……え?」
三好があらかじめ用意してあったDカードを取り出して、今聞いたことが信じられずに呆然としている鳴瀬さんに見せた。
鑑定以外のスキルをちゃんと隠しているところが怪しいが、それは今更だ。
鳴瀬さんは、それを確認すると、三好の顔を見て、もう一度Dカードに目をやった。
ダンジョンが出来て3年。それは、世界で初めて「鑑定」が確認された瞬間だった。
同じ頃、三好のデスクのモニタに、ひとつのログが表示されたが、もちろん誰も気がつくことはなかった。
『conformity: MK2538-21104 (1284,7743,6430-1312,6661,6434)』
*1) ノード時間
コンピューターを構成する1ノードを1時間利用すると、1ノード時間となります。
京は88128ノード構成なので、京全体を1時間借りると、88128ノード時間となります。
600万ノード時間は、京全体を68時間ちょっと占有するくらいです。