§067 Dファクター 12/15 (sat)
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以前の部分は徐々に修正するかも知れませんが、今は放置します。
ex. エクスプローラー メンバー 等
昨夜10層まで戻った俺達は、そこで一泊した後、早朝に出発して、午前中のうちに地上へと帰還した。
「ただいまー」
「あ、お帰りなさい。どうでした?」
すっかり事務所に馴染んでいる鳴瀬さんが、まるで昔からここで働いているみたいな自然さで、俺達を出迎えてくれた。
「ばっちり確かめてきましたよ」
「え? マイニングを手に入れられたんですか?」
いとも簡単そうに、未知スキルを手に入れてくる俺達に、鳴瀬さんは訝るような顔をした。
「ええ、まあ、なんとか」
俺達は、ゲノーモスがマイニングをドロップすることや、20層でその効果を確認したことなどを報告した。
「しかも使われたんですか!? 大丈夫でしたか!?」
未知のスキルの使用には危険が伴う。
今の俺達には鑑定があるからそうでもないが、鑑定を手に入れる前から、名前だけ見て平気で使ってたような気がするな。
超回復なんて、不死と同様、体がスライム状になっちゃう罠だったとしてもおかしくなかった。
初心者の蛮勇? いいや、純粋な科学的好奇心ですよ。
歴史上なにかを確かめるのに、自分の体を使うことは、多くの科学者がやってきた。科学者の前に「クレージーな」と付く場合がほとんどだが。
どうしても試したいことがあり、自分でその結果を確信している場合、その科学者はリスクテイカーとなりがちだ。
自分自身を使う限り、ヘルシンキ宣言(*1)にも抵触しない。
1956年、心臓カテーテルによってノーベル生理学・医学賞を受賞したヴェルナー・フォルスマンは、研修医時代に、自分の左腕の大静脈から右心房へと尿カテーテルを挿入してみた。
その実験のせいで病院は解雇されたが、30年後にノーベル賞を受賞することになる。
近いところでは、ダンジョンが現れた年に、マイケル・スミスが、自分自身を実験台にした研究を行っている。
蜂に刺されたとき、どこが一番痛いのかを検証したのだ。
一番痛かったのは鼻の穴だったそうだが、彼はそれで、迷誉ある生理学・昆虫学賞を受賞して10兆の金を誇らしげに受け取った。
例えそれがイグノーベル賞で2015年のジンバブエドルだったとしても。
なお、1993年にノーベル化学賞を受賞したカナダ人とは、もちろん別人だ。
今にして思えば思慮が足りなかったかも知れないが、考えても結論のでない事柄は実際に試すしかないのだ。
「ええ。鉱物ドロップ以外の影響は、特にないようですよ」
鳴瀬さんは安心したように息を吐いたが、次の瞬間「ドロップも確かめられたんですか?」と驚いていた。
「20層だけですけどね」
俺はバックパックからを装って、バナジウムのインゴットを取り出した。
流石に保管や収納のことは話していないからだ。
「20層でドロップするのはバナジウムでした」
「バナジウム!?」
バナジウムは、俺達が勤めていた化学系の領域でも使われるレアメタルだが、需要の大半は、製鋼添加剤としての利用だろう。
価格は1kgで1万円弱くらいだったはずだ。金なら1gで5千円弱するんだから、文字通り桁が違う。
「? 確かに高騰していますけど、それほど高価とも言えないでしょう?」
「先輩、それは純度の低いものの話ですよ。ダンジョンのやることですから、これって最低でもフォーナインクラスのインゴットだと思いませんか?」
フォーナインは99.99%ということだ。4Nと書いたりもする。
古いオーディオマニアなら、スピーカーケーブルに6Nだの7Nだののケーブルを使っていたはずだ。
ダンジョンのドロップアイテムで、名称がバナジウムだと書かれているのだから、ヘタをすれば100%バナジウムのインゴットだろう。
「そうだな。もしかしたら、100%の可能性もあるかもな」
「でしょ。現実に、そんな金属バナジウムありませんて」
バナジウムは地球上にそこそこ存在している資源だが、なにしろ鉱床の品位(*2)が低い。
しかも、高純度金属バナジウムを得るための効率の良い画期的な手法は確立されていない。純度を上げれば上げるほど高価になるそうだ。
「99.7%~99.9%でも、1kgで8万円~11万円くらいの差があるんです」
「へー。意外とするんだな」
「トン単位の仕入れ価格ですよ。小売りだったら関東化学の4Nキューブなんか、100gで10万円もしますからね」
キロ100万は凄いな。1ドロップならヒールポーション(1)と同じくらいだ。て言うか、10倍は酷くないか?
それでも金には遠く及ばないが。
「価格はともかく、資源としては、南アフリカと中国とロシアに偏在してますから、安定供給や安全保障という観点からは大ニュースじゃないですか」
ああ、そう言う観点もあるか。確かに国家としては重要だろう。
「しかし、所詮は1kgのインゴットですからね。需要を大きく満たすのは難しくないですか?」
「前の会社にあったちょっと前の資料だと、金属バナジウムの年間需要は千トンくらいだそうですよ。需要の中心であるフェロバナジウムはもちろん除いてですが」
「それを全部をモンスターでまかなおうとしたら、金属バナジウム分だけで300万体討伐する必要があるぞ?」
それを聞いて鳴瀬さんが不思議な顔をした。
「え? それって計算が……」
「普通だと、ドロップ率が3体に1個くらいなんです」と三好が補足した。
さすがに1日8200体以上狩るのはなぁ……100チームで挑んでも、1チーム平均82体の討伐は辛そうだ。あの層、寒いし。
「代々木だけでまかなおうとしたらそうですけど、日本には結構ダンジョンがありますから」と鳴瀬さんが言った。
そう言えば、それも結構な謎なんだよな。
世界中にある36だか37だかのエリアの内、発見されているものが80くらいとされているが、日本には踏破された超浅深度のものも含めれば9個のダンジョンが存在する。
レアメタルよろしく、偏在には理由があるはずだが、現時点ではよく分かっていない。
他の国には人跡未踏の場所が多く、単に見つかっていないだけとも考えられているが、それにしても偏りすぎだと思う。
とはいえ、20層でバナジウムが産出するのは代々木だけだろうが、他のダンジョンの別の層にあるかも知れないのは確かだ。
「ともかく、RU22-0012の内容は証明されたわけですよね」
「少なくとも20層は」
そのとき三好の携帯が振動した。
「あ、ちょっとすみません。翠先輩っぽいです」と言って、ダイニングの方へと離れていった。
「それで、やっぱり公開はクリスマスですか?」
鳴瀬さんは上司への報告のタイミングがあるから、気が気じゃないだろう。
「準備が終わるのがそのくらいですからね。ただ、そう焦らなくても、マイニングは代々木なら結構な個数が得られると思いますよ」
なにしろ 1/10,000 なのだ。オーブの出現率としては群を抜いて高い。その上、あの無限涌きだ。
高レベルの魔法持ちなら楽勝だろう。あの場所なら強力な銃器も持ち込めそうだしな。
「どうしてわかるんです?」
「今回も、3日でゲットできましたからね」
「それはDパワーズさんだけ……いえ、わかりました。そういえば、こっちも、大体整理が終わりましたよ」
鳴瀬さんが資料の詰まったタブレットを渡してくれた。
それによると、現在碑文は266枚が報告されていて、うち161枚がダンジョンマニュアルっぽい物で、82枚が歴史書っぽい物、そうして残り23枚が意味不明な物だそうだ。
そして、内容的にダブっていると思われるものが、40%くらいあるらしい。
「266枚って、思ったよりも多いですね」
「平均すると、毎年1つのダンジョンから1枚発見される位なんですけどね」
ああ、そうか。毎年80枚でも3年で240枚なのか。
「そう言われると、なんだか少ないような気がしてきました」
「実際は、深層に行くほど発見頻度が上がっているので、今後はペースが上がるかも知れません」
被りも増えて混乱するかも知れませんけど、と鳴瀬さんが肩をすくめた。
碑文の発見は、モンスタードロップもあるそうだが、そのフロアの何処かに隠されていたり、山岳地帯の地面に、ただ落ちていたといったようなものもあるそうだ。
「翻訳したもののプロパティを見る限り、エリアボスに準じるような特殊な個体周辺から得られたものが重要な要素であることが多いようです」
RU22-0012はエリアボスで、BF26-0003はヘカテのように突然現れたユニーク個体周辺で発見されたそうだ。
前者は鉱石ドロップ、後者は食料ドロップの情報が書かれていた碑文だ。
「これなんかもそうですね」
と鳴瀬さんが、あるページを表示した。そこには、GB26-0007 と書かれていた。
「これはマン島のダンジョンから出たものなのですが、なんとダンジョンのセーフエリアについて書かれていました」
そこにはダンジョン内の32層以降に発生する、セーフエリアと、セーフ層について書かれていた。
「セーフ層って、1層全体がセーフエリアって事ですかね?」
「そのようです」
「先輩。そんな層が見つかったら、街が出来ますよ、絶対」
電話が終わったのか、三好が会話に戻ってきた。
「翠さんなんだって?」
「例の機器の話です。とりあえず明日見に行きます」
俺はそれに頷くと、セーフエリアの話に戻った。
「ダンジョン内の土地利用に関する問題が再燃しそうですよね。鳴瀬さん、今のうちにルールを整備しておいた方が良いですよ」
鳴瀬さんはこくりと頷くと、「内々に上げてみます」と言った。
他にもダンジョン=パッセージ説を裏打ちした、US01-0001や、ダンジョンの役割について書かれていた、AU10-0003など重要な碑文は枚挙にいとまがなかった。
それらにざっと目を通すうち、現実にはあまり聞き慣れない単語が、何度も登場していることに気がついた。
「魔素ってなんだ?」
「フィクション的には魔力の素、ですかね?」
三好が即答したが、この単語は、異界言語理解を得た鳴瀬さんが、こちらの概念に置き換えた言葉だ。
だから鳴瀬さんの語彙が多分に関係しているはずだ。
「いや、鳴瀬さんのイメージを伺いたいんです」
「そうですねぇ……なにか、ダンジョンの力を具現化するための要素、と言った感じでしょうか」
アトムとかエレメントでも良いかと思ったんですけど、誤解されそうでと付け加えた。
ダンジョンの力を具現化する要素、ね。dungeon atom.略してダンアム。うーん、人気のあったロボットアニメみたいだ。
「ダンジョンの力を具現化するのなら、factorが良くないですか? D-factor。ラテン語の語源は『行為者』ですよ」
「いいな、それ。採用」
「あ、でも、今年の夏に発表された、Psychological Review に載ってますよ、D Factor」
三好が検索したそれは、コペンハーゲン大とウルム大とコブレンツ=ランダウ大の合同研究チームが発表した研究で、ダークな性格特性に共通の因子のことだそうだ。Dark Factorなんだろう。
「略語が被る事なんて普通にあるだろ。ATMなんか酷いもんだぞ?」
「まあそうですけどね」
「それで、AU10-0003によると、どうやらダンジョンはその魔素――Dファクターですか? を拡散するためのツールのようです」
「え、それって大丈夫なんですか?」
三好が不安そうな顔をして聞いた。
「Dファクターが存在するとして、ですね。それ自体が人体に与える影響は、公衆衛生という観点から言うと特に問題は起こっていません」
それはエクスプローラー全体の健康診断からもたらされた情報だ。
そうでない人と比べたとき、病気の罹患率に有意な差はなかったらしい。
「つまり、公衆衛生以外の観点から言うと、問題があるわけですね」
「問題というか……芳村さんは、レベルが上がるとかステータスだとか、そう言うものについて、どう思われます?」
「それは、探索者の強化とも言える現象について、レベルやステータスが関係していると思うか、という意味でしたら思いますよ。問題はそれですか?」
「はい。とはいえ、エクスプローラーが特に攻撃的であるとか、精神的な影響を受けているという証拠はありませんでした。それは単に力が強くなったとか、体力が付いたとかそういうことだったのですが――」
「度合いが飛びぬけていた」
鳴瀬さんは大きく頷いた。
「今や、ランキング上位の人達は、簡単に陸上競技の世界記録を塗り替えます」
確かにそうだろう。
AGI-200の今なら、100mを9秒どころか、たぶん2秒以下で走破出来そうな気がする。気をつけないと化け物扱いされかねない。
「ダンジョン内外で起こる不可思議な現象が、そのDファクターのせいだとしたら、スキルオーブもポーション類も、それなしでは何も起こらないってことなのかもな」
もしもそうだとしたら、ポーションの化学分析を必死でやったところで現象が解明できるはずがない。
なにしろ現象を起こす本体は、その中にはないか、あっても化学的な成分ではたぶんないからだ。
「じゃ、スキルオーブやポーションをダンジョンの中で使うと効果が大きいって言うのは……」
「あながちデマでもなさそうだ」
実際、アーシャの時の効果は凄かった。Dファクターの濃度は、ダンジョン内の方が遥かに高いからだろう。
3年で、世界にあまねく行き渡ったとはいえ、ダンジョンから遠く離れた場所で、しかもDカードを所有していない人間に適用するポーションの効果は、それに比べればずっと低いのかも知れなかった。
「モンスターはDファクターで出来ていて、倒すとそれが拡散するそうです。倒したときに出る黒い光がDファクターなんだとか……」と鳴瀬さんは続ける。
そういえば、スキルオーブを使ったときも、光が体の中に入っていく。
「ステータスは、体の中に取り込んだDファクターの量や、それをうまく使うための何か、なのかもなぁ……」
俺は、パンと手を叩いた。
「要するにDファクターとかいう謎の物質があって、ダンジョンの向こうじゃそれが当たり前に利用されているんだろう。だから繋がった世界にそれがないと向こうの人?が困るから、ダンジョンを作ってDファクターをばらまいて環境を整備しようとしている、ってことなんだろう」
「そんなことが出来るんなら、一気にどかんとばらまくことも出来そうなものですけど。なんでこんなに迂遠なことをしてるんですかね?」
「原住民と共存しようとしてるのかもな。なにしろ、いろいろな特典まで付けて、人類をダンジョンに依存させようとしているように見えるからなぁ……滅ぼす気ならこんな面倒なことはしないと思うぞ。たぶんだけど」
「先輩。滅ぼす気があろうと無かろうと、こんなことが現実に出来る何かに、人類がたてつけると思います?」
「全然」
「ですよねぇ」
つまりすべては、向こう側の胸先三寸なのだ。
「ま、俺達はダンジョン様の言うとおり、地道にそれを攻略して、ファーストコンタクトを待つしかないな」
「なんで、向こうからこちらに歩いてこないんでしょうね?」
「シャイなんだろ」
俺は冗談めかしてそう言ったが、鳴瀬さんの顔色は晴れなかった。
「これを見た人類がどんな反応を起こすのか……各国がロシアの情報を一般公開しない理由がちょっとだけわかりました」
「そんなのを公開しちゃっていいんですかね?」
「重要な判断を下さなければならないときは、それが正確な情報なら、どんなに酷い情報でも、ないよりあったほうがいいのさ」
俺は、そう言って、タブレットを置いた。
*1) ヘルシンキ宣言
1964年に採択され、現在までに何度も改訂されている、世界医師会によって作られた人体実験に関する倫理的原則。法的拘束力はありません。
*2) 品位
この場合は鉱業用語で、鉱石中に含まれる鉱物の含有率のことです。
人の品格とは違うので注意。