§065 山上の神 12/11 (tue)
ご報告いただいていた、誤字脱字系をまとめて修正させていただきました。
なお、語尾の長音に関する表記揺れは修正していません。
将来的に統一するとは思いますが、どちらにするか思案中ですので。
パラメータからのMPの計算ですが、最初の係数表記に間違いがあったため(LUCの係数が0.0なのに0.2になっていた)現在の数値で合っています。なお計算は小数点以下3桁を四捨五入しています。
ご協力ありがとうございました。
回廊をしばらく進むと、部屋のような空間に突き当たった。
かなりの広さがあるその部屋には、大きな柱が整然と部屋中に立っていた。
「まるでアモン神殿の多柱室ですね」
それはエジプト王の権力の肥大化と共に拡大されていった、多柱室の集大成だ。
整然と並ぶ柱の影が、俺達が移動する度に揺れ動き、奇妙な生き物のように踊った。
ただし、生命探知に反応はない。アルスルズの鼻にも何も引っかからないようだった。
「もしもこの神殿が、エジプトの神殿と同じ構造なら――」
「なら?」
「この先はいずれ聖所にいたります」
「聖所ってなんだ?」
「さあ? 聖なる場所ってことでしょうけど……神の山の地下神殿にある聖なる場所ですよ? 今から期待に身が震えますね」
三好がことさらおどけたようにそう言った。
「俺は今にも、ちびりそうだよ」と、俺は苦笑でそれに答えた。
周囲を一回りしてみたが、この部屋にも側道はなく、道は奧へ続く1本しかなかった。
俺はちらりと時計を見た。
不思議なことに昼夜があるフロアは、外と時間が一致しているのだ。
「日没まで1時間もなさそうだ。まあ、行けるところまで行ってみるか」
◇◇◇◇◇◇◇◇
それからしばらく歩いたが、やはりモンスターはいなかった。流石は聖なる場所ということだろうか。
いくつかの柱廊と中庭を通り過ぎ、どん詰まりにあった、産道のように細い道を、身をかがめながら数メートル進んだ先にその部屋はあった。
「ここが聖所か?」
それは8畳間よりも少し大きい、4m四方くらいの8角形の部屋だった。
「意味的には子宮に当たる部分ですよね」
三好は興味深そうに、辺りを調べていたが、その部屋には何もなかった。
隠されていた奇妙な魔法陣以外は。
「うぉ?!」
ふたりでその部屋へ入ってしばらくした後、隠されていた魔法陣が発動した。続いて、気持ち悪い浮遊感に襲われた。
それはまさに――
「スカイツリーのエレベーターですね」
「それって、行き先は……」
俺は思わず上を見た。
「フラグってのは、偉大ですねぇ……」
三好が諦めたようにそう言った。
「もし、上で待ってるのがエンカイだとしたら――」
「?」
「マサイ族出身のナオミさんという文化人類学者が83年に上梓した本に、マサイ族から聞き取った話を纏めた本があるんですが、エンカイはそこに登場するんです」(*1)
なるほど。彼を知り己を知れば百戦殆うからずってやつだな。1戦で充分だけど。
「彼には、オラパっていう奥さんがいて、最初は仲良しなんですけど、彼女がちょっとしたミスをしたとき、エンカイが暴力を振るうんです」
三好は、"in just the same way women are beaten by their husbands."っていう一節を見て、ああ、マサイ族も男が女を殴る社会なんだなぁと思いました、なんて暢気に感想を述べていた。
いや、だからなんなんだよ。
「だけど、オラパさんも超短気な人で、エンカイに向かって反撃します。そのときエンカイは額に酷い傷を負うんです」
四角い灰皿でも投げつけられたかな。
続けて三好は、さらにその反撃で、オラパさんは片目を引き抜かれるんですけどね、と怖いことを言った。それが月のクレーターなのだそうだ。オラパとは月のことらしい。
「エンカイはその傷を恥じて、強く輝くことで人に見られないようにしたそうで、それが太陽なわけです」
「なるほど。いまだに太陽が輝いてるってことは、傷は癒えていない。つまり、額がアキレスの踵かもって話だな?」
「いえ。オラパ(olapa)のolなんですが、これって実は――」
「実は?」
弱点じゃないのか? いったい何の話なんだ?
「――男性を表す接頭辞なんだそうです! つまりBL!! いやー、マサイ族にもBLがあるんですかね?」
「しるか!」
まったく。まじめに聞いてた俺が、バカみたいじゃないか。
しかし、男の奥さんと夫婦げんかして、額を割られたからって目を引っこ抜くのか……酷い絵面だ。
ん? マサイ?
「いや、ちょっとまて、三好。マサイ族の山ったら、キリマンジャロじゃないのか?」
彼らの生活圏は、ケニアとタンザニアのちょうど境目だ。神が宿るほどの高山ったら、キリマンジャロしかない。
「あ、エンカイはマサイ語で、ンガイがキクユ語です。キリマンジャロとケニア山の上にいるのは、同じ神さまらしいですよ」
なるほど。まあ、近い地域の神話あるあるか。
「とにかく額を狙えばいいんだな」
「神話がそのまま反映されていれば、ですけどね」
その可能性は高い。ダンジョン内の他の事象がそう告げている。
すると、おちゃらけた空気を脱ぎ捨てた三好が、真剣な顔をして言った。
「2階級を飛び越えた自衛隊員は、エリアに入った瞬間にやられたそうです。エリアの手前で命拾いをした人は、目の前で何が起こったのか理解できなかったと述懐しています。何がいるにしろ、先手を取るべきです」
「了解。ああ、下二桁が……」
「先輩、もし僕がいたとしても、欲を出しちゃだめですよ」
「近江商人にそれを言われるとは……心配するな、命が一番大切だ」
永遠とも思える数分が経過して、上昇速度が落ちたような気がすると、すぐに冷たい空気が上から流れ込んできた。
見上げれば小さな穴の先に、赤く色づいた空が見えた。どうやらそろそろ日没らしい。
生命探知は、そこに何かがいると、ド派手な警告を鳴らし続けている。
三好は1頭づつ3頭の犬を首だけ呼び出し、ランタンをはずして、戦闘準備万端だ。
てか、身につけたものごと影に潜れるのか。知らなかった。
エレベーターが終点へと到着する。
そろそろ沈もうとしている太陽で、半逆光になった位置にそれはいた。
金色に輝く椅子に、ほおづえをついてゆったりと座るシルエットが、少しだけ顔を上げた気配がした。あれがエンカイか?
到着するやいなや、すかさず三好が、そのシルエットに向かって鉄球を放った。
次の瞬間に起こったことは、AGI-100の俺でも、それをギリギリ目で追うのが精一杯だった。
三好には、まったく認識できなかっただろう。おそらく初めてそれを見た自衛隊員のように。
それは、三好の撃ちだした鉄球を左手を軽く振るだけで弾くと、次の瞬間には三好の前まで移動して、振り上げた拳を振り下ろしていたのだ。
「三好!」
風前の灯火と化した三好の命を救ったのは、その拳と彼女の間に割り込んだ、黒い塊だった。
三好はそれに押されて、後ろへと突き飛ばされた。
身をひねった黒い塊は、それでも擦っただけの拳に吹き飛ばされて、派手に転がった後はぴくりとも動かなかった。
振り下ろされた拳は、そのまま地面に激突し、大きな音と共に、直径1mくらいあるクレーターを作った。
それを見た俺は、すばやくメイキングを起動して、自分のAGIにSPを100追加した。
今のままじゃ瞬殺されかねない。
「アイスレム!」
そういって黒い塊に駆け寄ろうとした三好に、エンカイが追い打ちを掛けようとしている。
俺は数本のウォーターランスをエンカイ向けて撃ち出すと、それを上回る速度でその横腹に力一杯蹴りを入れた。
ウォーターランスは、エンカイに当たって霧散した。
効果があるのか無いのか、いまいち分からなかったが、ヘイトはこちらに移ったようで、エンカイはこちらを振り返ると、そのまま拳を突き出してきた。
アイスレムやクレーターの状況を見る限り、アラミドの盾で受け流せるようなシロモノじゃなさそうだ。
ただ、AGI-100の時は、ギリギリ目で追うのが精一杯だったその攻撃は、AGI-200の今なら、早めのスローモーションになっていた。ステータス様々だ。
俺はその攻撃をするりと躱すと、そのまま後ろへ回り込み、近距離から力一杯エンカイの延髄に向かって鉄球を投げつけた。
ゴキャっと派手な音がした割に、エンカイは少しよろけただけだった。
すぐに立ち直ると、首をコキコキと慣らして調子を見ている。
その隙に撃った、極炎魔法のフレイムランスは、ウォーターランスと同様エンカイに当たって霧散した。
ダンジョンが作り上げたコピーとはいえ、流石は神様。魔法の耐性がべらぼうに高そうだ。
俺はさらにSTRに100を加えると、8cm鉄球を握りしめて真正面から突っ込んだ。
仮にも相手は神さまだ。戦闘を長引かせて、範囲に効果がある魔法でも使われたら対処のしようがない。
とにかく額だ、そこに賭けよう。
「うぉおおおお!」
戦闘中に大声を上げるのはバカのやることだと思っていた。だが、今は自然にその声があふれ出す。
鬨の声とか雄叫びとか、魂のプリミティブな部分に触れる何かがそこにはあった。
突っ込んでくる俺を狙いすましたように、エンカイの右ストレートが突き出される。
俺はそれを左手で、自分の右側に受け流し、全力で右手の掌底を、鉄球付きでエンカイの額へとカウンター気味に打ち込んだ。
衝撃でエンカイの顎が上がって、僅かに足が浮いた。。
スローモーションになった時間の中、俺はその勢いを利用して上に飛び、のけぞったエンカイと目があった瞬間、全力でその額をめがけて、鉄球を投げ下ろした。
その後を十数発の鉄球が追いかけたのは、チャンスだとみた三好の仕業か。足が浮いていたエンカイは、なすすべもなくその全てを自らの額で受け止めた。
遅れて俺の耳に、何かが潰れるような音か聞こえ、背中から地面に落ちたエンカイは、何度かバウンドした後動かなくなった。
その瞬間、雲海の向こうに沈んだ太陽の、最後の残照が静かに消えて、エンカイの体が黒い光に還元された。
「太陽神の死と夜の訪れって、なかなか詩的なシチュエーションですね」
息を荒げる俺の元へ、三好が3頭の僕を引き連れて近づいてきた。
どうやら、アイスレムは助かったらしい。ポーションを振りかけていたもんな。
「それって、明日の朝になったら復活するってことか?」
俺はエンカイが消えた地面を見つめながらそう言った。
「神話あるあるですよね」と三好は力なく笑った。
まったくもって冗談じゃない。
俺達はエンカイのドロップらしきものを集めると、ざっと山頂を調べてから、自衛隊が作成したマップに従って、すばやく頂上を後にした。
*1) Oral Literature of the Maasai / Naomi Kipury (1983: East African Educational Publishers Ltd.,)
マサイ族に関する、文化人類学的にも優れた本だと思います。著者による、すごく分かり易い英語が併記されているので安心です。
なお、スマホで井戸を掘ったマサイの Luka Sunte は、ムーのtwitter取材で、Enkai is one God.と言っています。
ついで、olapa は神じゃないのか?という質問に、Yes. と答えています。(2018)