§061 三人目の異界翻訳者 12/2 (sun)
「あ、三好さん!」
俺達の姿を見つけた鳴瀬さんが駆け寄ってくる。
「なんだか表が大騒ぎになっているようですが、大丈夫でしたか?」
「まあ、無事です。一応」
ここで「狙撃されました」なんて言っても、無駄に大騒ぎになるだけだ。
もしも対象者が捕えられていれば、そこから先は某田中氏に任せるのが一番だろう。
とにかく取引をすませたい。オーブをDADに渡してしまえば、また平穏な日常が訪れると、そう思いたい。
『おにいさん、オーブの人?』
そのとき鳴瀬さんの後ろにいた、中学生くらいに見える女の子に話しかけられた。
『そうだよ。芳村って言うんだ。そういう君はDADの関係者?』
そう問い返すと、その子はニコっと笑って、『モニカ=クラーク です。よろしく』と挨拶した。
DADの関係者がここにいることは、オーブの受け渡しがあるんだから、驚くに当たらない。
しかし、この子は何だ? なんでこんな幼い子供がこの場にいるんだ? ってまさか……
「先輩。40代の研究者と、10代の研究者。家族に遺伝的な病歴がなければ、4000億円のオーブをどちらに使います?」
オーブの使用は、どんなに手間と金を掛けようが、使用者が死んだらそれまでだ。
より長く――その考えはわからないでもないが……
「いや、だって……どうみても中学生くらいだぞ?」
「あちらには、あちらの事情ってものがあるんですよ。私たちが口出しするような話ではありません」
それはまったく三好の言うとおりだった。
しかし、鳴瀬さんのようにこっそり使うならともかく、今、このオーブを使うということは、一生籠の鳥になると宣言することに等しい。
『よう、芳村』
俺が彼女に何かを言おうと、口を開きかけたとき、表の状況を確かめに行っていたらしいサイモンが、ロビーの自動ドアを開けて、片手をあげた。
『なんだかハリウッド顔負けの、奇跡のような立ち回りだったって?』
たぶんさっきのコンテナをくぐったアクションの事だろう。
『なぜそれを?』
そう聞いたとき、サイモンの後ろにいた、アッシュブロンドで背の高い細身の男が、サムズアップした。
ジョシュア=リッチ。サイモンチームの斥候だ。
『ああ、やっぱりこちらにも付いていてくれたんですか』
『まったく役に立たなかったけどな』
御苑で追いかけてきた連中とごたごたしたおかげで、そのまま俺達を見失ったそうだ。それであの連中、すぐに追いすがって来なかったんだな。
その足で、市ヶ谷まで来てみれば、トレーラーが飛んでくるところに出くわして、唖然としたということだった。
ガード対象を見失うとか失態もいいところだが、ステータスで抜きんでていたとしても、彼らはボディガードの専門家じゃない。
意外とUSも人材不足なのかもな。
『それにずいぶんと引っかき回してくれたそうじゃないか?』
サイモンが渋面を作ろうとして失敗していた。
『なんの話です?』
『ナインスフロアだよ』
それは9層の件だった。
なんでも各国の探索者チームは、9層のコロニアルワームセクションで、酷い目にあったらしい。
『うちもDoDのチームがあんたを追いかけていたらしくてな。強さはさほどでもなかったそうだが……あのルックスと数はトラウマものだったらしいぜ?』
サイモンがくっくっくと笑いをかみ殺しながらそう言うと、後ろでジョシュアが大げさに肩をすくめた。
『それで、コロニアルワームはなにかアイテムを落としましたか?』
三好がそう尋ねると、サイモンが目を光らせた。
『それはつまり、あいつが何か重要なアイテムをドロップするってことなのか?』
『え、ただの興味ですけど……どうしてそんな話に?』
『そりゃアズサが興味を示したからさ』
『はい?』
『おいおい。あんたは現在、世界で2番目にホットなエクスプローラなんだぜ?』
サイモンによると、三好は、もともとオーブのオークションで世界中の注目を集めていたが、今回の異界言語理解の販売で、世界一有名な商業ライセンス持ちになったそうだ。
WDA商業ライセンスランキングがあったら、ブッチ切りの1位だ、なんて言っている。
『世界中が血眼になって探していたオーブを、あっさり見つけてくるあんたの手腕に、商人連中はおろか軍や政治家までが注目してるのさ』
『偶然なんですけどねー』
『なわけないだろ』
サイモンは三好の意見を一蹴した。
余り突っ込まれるのも面白くないので、俺はさりげなく話題を変えた。
『三好が2番目なら、1番は? エバンスをクリアした、チームサイモン?』
『残念。俺達はすでに3番手以下だな。まさかエバンスのクリアが、一瞬で霞まされるとは思わなかったぜ』
『じゃあ?』
『決まってるだろ? 彗星のように現れた、世界ランク1位の誰かさんだ』
げっ、やぶ蛇。
『だが、こいつのことは何も分かっていない。代々木でも随分あれこれ尋ねてみたが、話をしたエクスプローラの誰もこいつのことを知らないどころか、予想すらつけられなかった』
『そりゃ、代々木にいないってだけでは?』
『そうかな? まあ、そうかもな。ともかくJDAの連中も、エクスプローラ連中も、誰もこいつの正体を知らないみたいだったぜ? ついたあだ名が、ザ・ファントム。Mr.Xってのもあったが、男とは限らないからな」
ああ、見かけ倒しってのは当たってる。
「先輩。キングサーモンと、どっちがカッコイイですかね? ザ・ファントム」
三好が笑いをこらえながら、そう言った。知るかっ!
『ま、そういうわけで、アズサはすでに世界のレジェンドだ。 No.1のオーブハンターだと思われてるからな』
もっともNo.2はいないんだがなとサイモンは笑った。
それって、世界唯一のオーブハンターってことかい。
『いずれにしても、最近のエリア12は話題に事欠かない』
そんな下らない俺達のやりとりを、モニカは興味深げな顔で、黙って聞いていた。
『そういや、サイモン。彼女は?』
『あー……ここで隠しても意味はないか。彼女がオーブの使用者、らしい』
想像通りの答えに、俺は少々憤慨した。
この際、社会正義がどうのなどという矮小で勘違いした庶民の正論を振りかざしたりはしないが、もしも彼女が騙されているのなら、言いたいことくらい、ある。
『その意味わかってるでしょう?』
『芳村が何を言いたいのかはわかる。だが、それは俺のあずかり知らない領域だ』
流石は軍人だ。
俺は腰を落として、彼女と目線をあわせてから尋ねた。
『なあ、モニカ』
『はい』
『君は、君が使うオーブのことを知っているのか?』
『もちろんです』
『君は、そのオーブを使うことに同意しているのか? どんな種類の圧力とも関係なく、自分の判断で?』
『人が社会の中で生きていくのに、そう言った類の圧力から完全に逃れることはできません。どんな自由も、なんらかのルールがあることで、そのすばらしさを享受できるんです』
モニカはそうして、少し大人びた微笑みを見せた。
『なあ、サイモン。この子、実は30とかいうオチは?』
『しらん。が、MITに9歳で入学、齢14になる直前に、最短でPh.D.を取得したキャリアの持ち主だとさ』
なんとまあ。
しかし、知的成長と心の成長は別の話だ。
『いいかい。人の心は論理では説明できないことがままあるんだ』
『はい』
『いまは覚悟していても、そのうちやりきれなくなるかも知れない』
『はい』
俺は彼女の目を見ながら、何を言えばいいのか逡巡した。だから、ただ思いついたことを笑みを浮かべてから言った。
『でも大丈夫。君が大人になる頃、君はいまよりもずっと自由になるよ』
なにしろ異界言語理解はダンジョンが広めようとしているからな。
何の根拠もなさそうな俺の言葉を、彼女は真剣な顔をして聞いていた。
その彼女に顔を近づけると、俺はそっと、他の人に聞こえないように、三好に聞いていたURLを教えた。
『今年のクリスマスの夜、そのサイトにアクセスしてごらん。ただし、それまでは内緒だ』
『わかりました! 秘密の呪文ですね!』
今度は子供らしく笑った彼女が、嬉しそうにそう言った。
『秘密の呪文?』
『サイモンさんが、あなたは魔法使いだと』
げっ、サイモン。何を知ってるんだ、あいつ……
このとき俺は、アーシャのせいで、インドーヨーロッパ方面の社交界で、日本の魔法使いが話題になっていたなんてまったく知らなかったのだ。
「先輩。Yesロリータ, Noタッチですよ」
「あのな。そんな趣味はないから」
◇◇◇◇◇◇◇◇
オーブの取引自体は、すぐに滞りなく終わった。
モニカはその場でオーブを使用した。そして、先方の大人が持ち込んだ資料を見て、何かを話し合っていた。
本当に内容が分かるようになったのかを確認したんだろう。
「先輩、先輩」
「なんだ?」
「さっき、鳴瀬さんに聞いたんですが、私の商業ライセンス、ランクが上がったとかで、新しいカードを貰いました」
「そらまぁ、レジェンドだし?」
「やめて下さいよ」
「で、一気に2段階アップくらいしたか?」
「それがですね……」
三好がそっと出してきたWDAライセンスカードは、なにか俺の持っているプラスティックのカードとちょっと違っていた。
黒一色でぱっと見た目にも重厚感がある。そこに燦然と輝く、パール仕様のSの文字が……
「7階級特進かよ!」
「いや、それ、なんだか死んだみたいでイヤです。せめてスキップとか昇進とか言ってくださいよ」
WDAのランク区分は、実力がどうとかじゃなくて、あくまでも各国のDAに対する貢献度でランク分けされる。
商業ランクなら、どんな商品を取り扱ったかや、JDAに納めた手数料が大きなウェイトを占めているんだろう。
なにしろ、たった1回の取引でJDAは400億も持って行ったのだ。考えてみたら酷いよな。
「たぶんこれは、あれですよ」
「あれ?」
「各地の規制されたダンジョンへの入場制限のクリアってやつですよ」
WDAのランク区分は、武器や防具の購入制限や、規制されたダンジョンの入場制限、それに企業がエクスプローラを雇う場合の支払いの目安などに使われる。
「なるほど、オーブハンターか?」
「ですです」
俺達は、基本気楽にのんびり生きて、好きな研究をしたいだけだ。
偉い人達に追い立てられて、いろんなオーブを採りに行かされるとか、絶対ムリ。
「そういう話は、基本断ろうな」
「了解です」
『Hi 芳村。三好』
部屋の向こう側では、未だにモニカがまわりの人間達と何かを話している。
暇をもてあましたのか、サイモンが話しかけてきた。
『あいつらは、そろそろ引き上げるが、俺達はちょっと本格的に代々木をアタックすることにしたから、もうしばらくはよろしくな』
ええ? 本国に帰って、まじめに仕事しろよ!
あ、そうだ。
『護衛は横田までですか?』
『ん? まあそうだが』
『実は……』
俺はサイモンを部屋の隅に連れていって、小声で、三好が狙撃された話をした。
『なんだと?! ……もしや、あのトレーラーも?』
『そこは断言できませんが、疑いはあります』
『それで犯人は?』
『狙撃したほうは、たぶん拘束したと思うんですが、横田に入るまでは、少し気をつけたほうがいいと思います』
『わかった。情報提供に感謝する』
そう言って、サイモンは、廊下へ出ていった。どこかへ携帯で連絡するんだろう。この部屋は電波を通さない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『芳村さん。いろいろとありがとうございました』
モニカが、会議室を出たところで、俺に手を差し出してそう言った。
俺はその手を握りながら、『ああ、何かあったらいつでも連絡してくれ』と、連絡先を彼女に教えた。
できれば彼女には幸せになって欲しい。その名前の通りに、何かに殉じて生きる必要なんてないんだから。(*1)
どうやら、帰りは、防衛省からヘリで横田に飛ぶらしい。国家権力使いまくりだな。
って、日本とEUも協力してたんだっけ、確か。
最後にサイモンが軽口を叩きに来た。
『あんた、イイヤツだな。少しお節介のようだが』
モニカを目で指しながら、サイモンが言った。
『そんなんじゃない』
俺はただ、できるだけ自分が思うとおりに生きようとしているだけだ。だから行動に無駄や矛盾が多いのは仕方がない。ブラックな職場のトラウマは伊達じゃないのだ。
『まあせいぜい気をつけな。ダンジョンじゃイイやつから死んでいく』
『あなたが生きてるんだから、まだまだ大丈夫ですよ』
そう言って、俺達は別れを告げた。
「終わりましたね」
「ああ、終わったな」
俺と三好は、肩の力を抜いて、彼女たちがロビーを出て行くのを見送っていた。
街路樹は鮮やかに色づき、冬の始まりを告げていた。
モニカは、SPに囲まれながら、表のリムジンに乗り込んだ。防衛省までは、僅かに1分だ。
正門をトレーラーのコンテナが塞いでいたりしなければ。
*1) クラーク Clark は、clericが語源の名字。clericは聖職者。