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§216 いや無理、もう無理、絶対無理! 3/28 (thu)

11/26の発売に合わせて投稿したのに、投稿できていないだと?!

twitterで教えていただき、初めて気が付きました。なんてこった。

もの凄く間抜けになりましたが、再投稿します……ぐっすん。

「いや無理、もう無理、絶対無理!」


 徹夜は能率も下がるし無意味だと、誰もがみんな知っているが、時にはそれを押しても期日までに何とかしなければならない現実がある。

 あの騒動からたった四日、Dカード出現騒動からは三日しか経ってないが、各国の圧力は相当なもので、それも日に日に増すばかりらしい。

 当然当該部署への問い合わせや対処の作成などが毎日積み上がっていた。


「しかも何ですかこれ? なんでこんなもんが回って来てるんです?」


 そこにはステータス保護法制定のための基礎資料提出の要求が書かれていた。

 余りにも影響範囲が広すぎて、どこから手を付けたらいいのか迷った挙句、一番詳しそうなここへ投げられたに違いない。


 24日は徹夜でファーストコンタクトの準備をし、25日はその大騒ぎで各所へのレポートで追われ、やっと休めると思ったら26日に発生したDカード事件で各所からの問い合わせや上から事実関係のレポートを命じられ、27日に徹夜でそれをまとめたところで、帰る間もなくステータス関連の問い合わせだ。


 すまじきものは宮仕えとはよく言ったものだが、緊急案件が五月雨式で、しかも雪崩のごとく襲い掛かってくるとなるとさすがの宮仕えでも切れるというものだ。


「これって、個人情報保護委員会の仕事じゃないですか?!」


 左手で持ったその書類をバンバンと右手で叩きながら村越が憤慨していた。


「あそこはなぁ……個人情報保護法の見直しとマイナンバー関連法のためにだけあるような部署だしなぁ……」


 成宮が目の下のクマをもみほぐしながら、顔を上げてそう言うと、三井がボールペンを人差し指と中指の間に挟んで振りながら補足した。


「個人情報取り扱いの国際的な窓口もやってますよ」

「つまり、個人情報以外はシラネってことじゃないですか? (*1)」


 杉田が身も蓋もないことを言いながら、ものすごい勢いでキーボードに指を走らせて、JDAによるファーストコンタクト以降、転移石のやりとりやダンジョン内における電波の開通、そして渋谷騒動までをJDA協力ででっち上げたカバーストーリーに肉付けしまくっていた。どうやらかな入力のときは一本指打法で、ローマ字入力のときはタッチタイピングらしい。

 本日の15:00までに送らなければならないとか、まったく何の冗談だと文句を言いながら、これに僕とダンツクちゃんの恋愛要素を盛り込んでもいいですかなどと冗談を飛ばす余裕はあるようだった。

 もちろん「出会う前から寝取られてたじゃないですか」と突込みを入れられて、至極まじめだった彼は凹むことになるのだが、なんにしても気分はもう小説家だ。


「そんなバカな……」


 村越はどさりと腰を下ろすと、がっくりと肩を落とした。


「そもそもそういった省庁じゃ、ステータスが何なのかもよく分かっていないでしょう」

「なら、ダンジョン庁にやらせてくださいよ!」

「あそこはダンジョン行政における各省庁の調整もやってますから、最終的には各省庁のガイドライン作成のとりまとめなんかもやるかもしれませんが、こいつはそれの前段階の資料ですからねぇ」


 うなだれている彼女のほつれ毛を見て、疲れた女性の横顔は結構エロティシズムに溢れてるなと益体もないことを考えながら、村越が放り投げた書類を拾い上げて目を通した杉田は、それを机の上に積み上げられている書類の山に戻して苦笑しながら言った。


「しかし、上はうちが4人しかいないってことを認識していませんよね、これ」

「言うなよ。泣きそうになるだろ」


 三井が頭を抱えながら机に目を落とした。

 

 もちろん村北内閣情報官は知っているだろうが、次から次へと問い合わせをしてくる外務省などは、自省の人間を二人も送り込んでいるからか、遠慮というものがまるでなかった。

 もちろんそれだけ諸外国に圧力を掛けられているのかもしれないが。

 

 外務省組の二人は苦笑を浮かべるしかなかったが、いずれにしても優先順位を整理しないと仕事の海に溺れかねない。

 問題はすべての作業がトップ・プライオリティ扱いなところだ。この瞬間、順位付けの意味は完全に崩壊していた。


 三井の嘆きに苦笑した成宮は、立ち上がって腰を伸ばした。


「よし、ちょっと休憩するか」


 ついでに昼食にしようと、彼らは出前を注文することにした。疲れて食事に出かけるのもおっくうになっていたのだ。

 一通り電話で注文が終わると、早速、頭の後ろで腕を組んでソファに座っていた杉田が成宮に尋ねた。


「そういや、あの屋上にいた二人って、結局どこの誰だったんです?」


 可能なら引っ張って来て手伝わせたいくらいには、あの事件に関わっていた二人だ。

 そもそもダンツクちゃんの懐き方が尋常じゃなかった。つまりは顔見知りだったという可能性は大きいだろう。それはつまり真のファーストコンタクトを果たした連中だという可能性でもあるのだ。


「一応JDAに問い合わせはしてみたんだが──」


 成宮は目の前の書類の山から、写真をプリントした用紙を拾い上げて指で弾いた。その用紙では、屋上から下りていく問題の二人組がこちらを見ていた。

 それはエレベーターがおり始めたのを見て、あわてて撮った一枚だった。あまり写りは良くないが知っている人が見れば区別できる程度の解像度はある。


「──プライバシーを盾に回答を拒否された」

「へえ、なら写真を持って代々木で聞いて回れば一発で分かりますね」


 回答が『分からない』じゃないってことは、写真だけで誰だか分かる程度には有名な探索者だということだ。

 成宮は、その写真を杉田に渡すと苦笑しながら頷いた。


「たぶんな。だが調べるまでもなく村北さんが知っていた」

「内閣情報官殿が?」


 政府の要人が普通の探索者と面識があるはずはない。

 自分の親戚や交友関係のある人物の関係者か、そうでなければ普通ではない探索者ってことだ。


「まあな。写真を見せたら苦言を呈されたよ。藪をつついて遊んでいると思われたらしい」

「藪? じゃあ、あの女性は──」

「そうだ。件の〈鑑定〉持ちだってことらしい」

「三好梓? じゃあ男の方は?」

「村北さんは知らないようだったが、状況から考えれば彼女のパーティメンバーだろう」


 ダンツクちゃんの懐き方を見ても、ただの知り合いだとは思えなかった。

 小数点以下0が限りなく続いたあとの1%くらいは、なにかフェロモンのようなものを放出している特殊な体質の男って線もあるかもしれないが。


「ふーん。こいつが芳村圭吾ってわけですか」


 杉田はそう呟きながら、まるでライバルを見るような目つきでその写真を見ていた。

 その写真を横からのぞき込んだ三井が、「TVと全然違うじゃないですか?!」と驚き、「女は化けるってホントだな」と呟いていた。


「いや、そういう話じゃないと思いますけど」


 あれは化粧じゃなくて変装だ。

 まあ、あれだけの有名人になれば、公の場に出る時にそうすることも分からないでもない。マスクを付けてサングラスを掛けなければならないような日常はごめんだろう。


「Dパワーズの連中に、どうしてあれほどダンツクちゃんが懐いていたのかも問題だが、JDAに聞いても素直に教えてくれそうにはないな」

「それで、軍人の方は?」


 杉田が写真をテーブルの上に置きながら成宮に尋ねた。


「フランス大使館から返答が来たそうだ。件の軍人二人は実際に在籍していて、提示された身分証も本物らしい」

「COS(特殊作戦司令部)の中佐が現場でうろうろしてたら十分怪しいですけどね。なら彼らが追いかけているように見えた男は? 犯罪者か何かですか?」


 本来この部署に身分証の提示を求めるような権限はない。

 軍人二人は事を荒立てたくないがゆえに、自らの身分をさらして場を収めたのだ。だから彼らはデヴィッドがどこの誰だかは知らなかった。

 だがちらりと聞いたやりとりでは、証言がどうの、血痕がどうのと言い争っていたはずだ。


「一部では有名人だったぞ。デヴィッド=ジャン・ピエ-ル=ガルシア。フランスのカルトの教祖らしい」

「へー。カルトの教祖を軍人が追いかけてるって、なんだか危なそうな話ですね」


 杉田がフィクションのような出来事に、眉を顰めるどころか目を輝かせた。

 村越が、それを横目に見て苦笑しながら尋ねた。


「じゃあ、本当に無関係だったんですか?」

「ところがそうとも言えないんだ。件のカルトは、ええっと──」


 成宮がだんだん混沌と化していっている机の上からメモを取り上げた。

 

「アルトゥム・フォラミニス・サクリ・エッセという名称らしいんだが──」

「深い穴教? 変な名前ですね? エロ系ですか?」


 妙なことを言い出した杉田に、三井が呆れながら口を挟んだ。


「おまえ、ラテン語もいけるのかよ? エロ系って発想はないが」

「ラテン語はヲタクのたしなみですよ、たしなみ」

「たしなみねぇ……エロ系はないですけど」


 エロはともかく、深い穴は十分ダンジョンを連想させる。

 その教団のトップが、ダンジョンの向こうの何かが顕現するはずの場所を、顕現するはずの時間に歩いていたなんて、偶然で片付けるのには無理がある。

 つまりその情報は漏れていたのだ。


「しかし、諜報機関でもないはずのカルトの教祖様が渋谷の情報を握ってたことの方が問題じゃないですか? まさか偶然とは言いませんよね」


 警備部からの漏洩だとしても、何をどうやったらカルトに行き着くのか。

 事はマスコミからビデオが流出したことがきっかけになった弁護士殺害事件よりも根が深そうだ。

 

 そもそもフランスが本拠地のカルトが、日本の公安に情報網を築いているなんて、それこそフィクションの世界でもありえなさそうな話なのだが。


「まさかこれの調査も?」

「いや、報告はしたし、上も動いているはずだ。結果が俺たちのところに下りて来るかどうかは怪しいがな」

「まあ、報告されても困りますから。しかし、いくつかの組織も張ってたみたいでしたし、やっぱ、日本の機密管理はザルなんですかねぇ……」


 分かっちゃいたけど、凹みますよと杉田がため息をついた。

 

「それで、結局Dパワーズには接触するんですか?」

「ダンジョン交流準備室として、いずれは避けられないと思うが──」


 成宮はうんざりした顔で、目の前の書類の山を指差した。


「──まずはこいつらをどうにかしないとな」

「他省庁への協力で本来の業務が滞るとか、バカの極みですね」


 杉田がソファをずずずと滑り、だらしなく腰で座りながら横柄に足を組んで毒を吐いたところで呼び鈴が鳴った。どうやら出前が到着したようだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 その日(*2)の15:30、井部首相は村北内閣情報官と短い面談を行った。

 そこで渡された資料は、今後の日本の外交の基盤になる重要な資料となるはずのものだ。


「これはなんとも……それで、これは調べられても大丈夫なのか?」

「嘘は書かれていないそうです。推測部分以外は解釈の違いだと突っぱねても問題ないということでした」


 さすがは選りすぐられた官僚の中から選抜された精鋭だ。そのあたりはぬかりがないのだろう。

 井部はその選抜がどのようなものか、具体的には知らなかった。もしも知っていたら不安になったに違いない。


「しかしこれでは、場合によってはDA(ダンジョン協会)が悪者扱いされないか?」

「DAに権限を委譲したのは世界の国家ですからね。この程度は許容範囲なのではないかと思いますが──」

「コンタクトが明らかになった以上、今後は分からんか」

「いつまでも野放しにしておくのは……なんて意見は出かねません」


 そんな話が出るようでは、またぞろ、WDAによる国家の樹立なんてヨタが真剣味をおびかねない。


「しかもこれで、日本は嫌でも世界の矢面に立たされるぞ」

「腕の見せ所ですね」

「そろそろ総裁選をやらないか?」

「去年三期目を決めてから、まだ半年しか経ってませんから無理でしょう。不祥事でも起こしますか?」

 

 井部は大げさなため息をつくと、資料の内容について簡単な質疑を行った。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 一時間後、内谷国家安全保障局長、道槌防衛政策局長、野河統合幕僚長を呼び出した村北は簡単なブリーフィングを行った後、井部はNSCの4大臣会合に出席し、その後新宿一丁目に向かった。

 

 日が沈んでしばらくしたころ、御苑前に立っているビルの八階で、そんな場所にいるはずがない人物と顔を突き合わせていた。

 表向きの理由のために連れ立って来た、山柴文部科学大臣、耕世経済産業大臣、藤衛総理大臣補佐官、生田萩幹事長代行、藤新政務調査会長代理は、隣室で事務所の持ち主と会食している。


「金さんの事務所に向かえとは、冗談にしてもきつすぎませんか?」

 

 好々爺然とした男が眼鏡の奥の瞳に憮然とした光を浮かべながら、開口一番そう言った。

 ここは長年台湾の独立運動に関わってきた女性の事務所だ。そこに駐日中国大使を呼び出すのは確かに洒落になっていない。秘密裏に訪れているところを関係者にでも目撃されたら9年以上にわたって務めてきた大使すら解任(*3)されかねないだろう。

 しかも隣には──

 

「先日のグランドハイアット以来ですね」

 

 リラックスした様子でそこに座っていたのは大使のハガティではなく、DMC(特命全権公使)のジョナス=ヤングだった。

 彼は経験豊かな職業外交官で、どんな人物が大使になろうと対日外交に問題が起こらないのは彼らDMCがいるからだと言われている。もちろん日本語は堪能だ。

 

 現れたのがカウンターパートではなく格下の公使だったのを見た時、それでも駐日中国大使の(チェン)華永(ファヨン)は軽く目を細めただけで、大使のハガティを少しだけ見直した。

 各国一人しか入室が許されない秘密会合だ。誰も知らないのだからメンツがつぶれることもないし、高度に外交的な話になると自分では足りない可能性があると判断したのだろう。ハガティは、カウンターパートへの配慮も躊躇もなくDMCのヤングを送り込んできた。彼は事実上、対日外交の現場指揮官なのだ。

 

「ほう。首相とホテルで何を? 秘密の会合ですかな」

「いや、大使がグランドハイアットのサウナで井部首相と一緒になっただけですよ。私は単なるお供です」

「大使と休日にサウナ? そんな関係でしたか?」

「なに、公邸で共に昼食をとられるほどではありません」


 日本語がペラペラな程は、かなり頻繁に井部と昼食を共にしていた。大使としては異例なほどだ。

 フフフ、ハハハと乾いた笑いで応酬している中国大使とアメリカ特命全権公使に冷や汗を流しながら、井部は中途半端な笑顔を張り付けていた。この二人は最も激しく説明を要求してきた国の代表なのだ。

 

 ひとしきり言葉のジャブで応酬しあった後、程が前置き無しに話を切り出した。

 

「色々と言いたいことはありますが、我が国としては日本国民にDカードが一斉に配布された秘密をお伺いしたい」

 

 すでに食糧輸入国になった中国は、無限の食料を期待して、現在国を挙げて探索者の登録を行っているがダンジョン過疎地域でもあり、その進行は遅々として進んでいない。

 

 それはそれなりにダンジョンの数があるアメリカにも興味のある話だった。

 現在FDA(アメリカ食品医薬品局)が躍起になって調べているが、どうやらダンジョン産の食料には人間の能力を伸ばす効果があるらしい。もしもそれが本当なら大変なことになるだろう。アメリカが後手に回るわけにはいかないのだ。

 

「今日は日本の状況を説明すると同時に、できるだけの質問にお答えするつもりではありましたが、それでもいきなりですね」

「我々には時間がありません。そうでしょう?」


 中国らしからぬセリフに、井部は内心苦笑を浮かべながら細かい経緯を飛ばして説明した。

 

「端的に言えば、先日の渋谷騒動のとき、少女に接触した政府関係者がお願いをしたのが発端だそうです」

「お願い?」

「というよりも許可でしょうか。『日本国民に奉仕する準備をすることを許可する』と、おおむねそういう許可を与えたそうです」


「政府の頭越しに、そんなことを決定できる権限のある機関があるとは知りませんでしたね」

「いや、そんなことより、どうやって渋谷の出現を知ったかの方が問題でしょう」


 ヤングの感想を遮って、程が言った。

 なんとか日本が接触している証拠を掴んで、そこに祖国を割り込ませるのが彼らの目的の一つだからだ。


 渋谷で接触したというのはいいが、そもそもどうやって渋谷に出現することを知ったのか、それは事前の接触がなければ不可能だとしか思えない状況で。

 突っ込まれれば困ることは間違いないのだが、井部はあらかじめこの質問への回答を用意していた。

 

「それはあなた方も同じでしょう、どうやってキャッチされたんです?」


 二人の外交官は口を閉ざした。

 渋谷の監視カメラ群には当然CIAの職員も、中国の特殊部隊員も映っている可能性がある。何しろ突然の大混乱だ、細かな状況までコントロールすることは不可能だったのだ。

 しかも民間のカメラは数知れず、そこで撮られた写真やムービーは今でもSNSを賑わしていた。

 

 中国側だと思われる何らかの組織は、同時に現れた老人の方を拉致するところまでいったのだ。一瞬目を離した隙に幻のように消えていたと報告が来たときは一体何を言っているんだと報告者の正気を疑ったものだ。

 

 しかしアメリカにしても中国にしても、まさか日本の警備部からのリークだとは言えない。そのためどこからだとは明言できなかった。

 もちろん二人とも「お前の国からだよ」と放言したいのはやまやまだったのだが。


「言葉は?」

「日本語が通じたらしいですよ」


 Dカードは世界中のネイティブ言語で表示されているし、ダンジョン内のアイテムについても同様だ。

 言語そのものは特に問題にならないらしい。


「しかしいきなり渋谷の騒動というのも納得しかねるものがあります。本当にそれ以前に接触は行われていないのですか?」


 ヤングが足を組み替えると、胸の前で両手を合わせテントを作りながら疑わしげな眼差しを向けた。


「実は、3月の12日に、とある報告がもたらされました」

「報告?」


 それが、ダンジョンの向こう側にいる何者かの目的は『人類に奉仕すること』だという報告だった。

 もしもそれが本当なら、報告書の先にいる誰かが、ダンジョンの向こう側の誰かと接触したか、そうでなければ決定的な証拠になる何かを手に入れたということだ。


「その報告書を書いたのは?」

「大元を辿ればJDAでしょう。詳細を調査した結果、今年の2月に、偶然デミウルゴス──ダンジョンの向こうの何かのことらしいです──に接触した探索者が、ダンジョンの目的を持ち帰ったということです」

「それを日本は今まで隠ぺいしていたのか!」


 ガタンと音をたてながら椅子から立ち上がった程が激高を装って言った。


「いや、証拠も何もなく、ただの証言で『人類に奉仕することが目的』などと言われて、まともに取り合えますか?」

「むぅ……」

「もちろん、そんな眉唾も甚だしい、噂レベルにすら満たない事案は、要調査の分類に放り込まれ当面何も進みませんでした」


 眉唾案件の数は多い。全部に労力を割いていては政府の機能がマヒしてしまうだろう。

 今回のようなケースなら、JDAに問い合わせをだして回答待ちが関の山だ。


「その探索者は一体どこで?」

「報告によると31層のとある部屋だそうです」

「ではその部屋へ行けば──」


 JDAではすでに転移石31が販売されている。つまり、31層なら危険を冒すことなく外交官を送り込めるのだ。

 隠しきれない喜色を浮かべた二人だったが、井部は悲しい顔で先を続けた。


「残念ながらその部屋はもうないのです」

「ない?」


 報告を受けてすぐ、自衛隊のダンジョン攻略群にその部屋の確認を行わせたが、そこには扉そのものがなかった。

 それが報告の調査を進めなかった原因だった。


「では、最初の報告が虚偽だった?」

「そう結論付けたいところですが、実際に渋谷事件は起こり、日本国民にDカードが配布されました」

「そこにはなんらかの真実があったと?」


 井部は小さく肩をすくめて見せただけだった。

 

 そのときヤングは、以前ハガティがワインを届けた家にいた男のことを思い出していた。

 渋谷の映像を分析した結果、あれはまず間違いなくあの男だった。

 記録によれば三好梓は自衛隊の騒動の際、31層にいたことになっている。男の記録はなかったが一緒にいたとしてもおかしくはない。そうしてこの物語には所属の分からない何者かが重要な役割で登場する。あとは簡単な算数の問題だ。

 サイモンたちから寄せられた情報を加味すれば信憑性はさらに増すだろう。

 

 ふと気が付くと、程がこちらに探るような目を向けていた。ヤングは微かに笑ってそれを躱した。

 

 どうやら中国はまだその情報に辿り着いていないようだ。

 民主主義国家の正義と人とカネを利用した()の国の篭絡テクニックは芸術の域に達している。正義を掲げ、それ利用した扇動だけでも大したものだ。

 行き過ぎた倫理やプライバシーの保護に拘泥させられている我が国では、向こう数年の間にAIや医療などの重要な部門で()の国に置いて行かれる可能性すらある。なにしろあちらは実質制限がないのだ。

 

 そんな国が気付いたとしたら、そこには必ず何かの平和的な接触が発生するはずだが、監視チームからその手の報告は上がって来ていなかった。

 ロシアとの接触はあったようだが、時期的にも無関係だろう。


「では我々が直接接触する手段はないと?」


 井部はそれに答えず、ブリーフケースから2部の書類を取り出して、二人の前に置いた。


「これは?」

「もしあなた方がそれを信用するなら、もう一つだけ接触する方法があります」

「なんですと?」


 二人は慌ててその書類を手に取った。

 それを見た程は、そこに書かれている文字を見て眉をひそめた。


「日本語とはまた、不親切ですな」

「漢字にはルビを振らせましたよ。これは命綱なしで綱を渡るような案件ですから、誤解を招くのはまずいでしょう? お二人が相手で助かります」


 先にそれを読んだヤングは、彼には珍しく呆けたような声を上げた」


「は? 井部首相。失礼ながら、正気ですか、これ……」


 そこに書かれていたのは、危険を冒してダンジョンに潜らなくてもいい上に、ウェブブラウザで簡単に接触できる方法だった。


「ダンツクちゃん質問箱?」

「ええ。JDAが開設したサイトの一つなんですが」


 確かにそんなものができたことは二人とも知っていた。

 とはいえ、それは単なるJDAが運営するサービスの一つに過ぎないという認識だった。だがここに書かれていることが本当だとしたら──


「ま、まさか……」

「ええ、そこに書きこむと話ができる──そうですよ」

「一般大衆と接触させたのか?!」


 程は思わずテーブルを叩いて腰を浮かせた。

 だが井部は苦笑いして言った。


「タウ・ケチ(*4)の友人と話ができるサイトが作られたら、それを国家が検閲するんですか?」

「むっ……」


 そんなサイトができたとしたら、利用者全員がネタサイトだと考えるだろう。

 以前ならリテラシーがまだ低い年代は夢を見られたかもしれない。川口浩探検隊を本物だと信じて楽しみにしていた少年少女たちのように。

 だが今や情報があふれる時代だ。そんな人間は絶滅危惧種だと言ってもいいだろう。

 

 そんな時代に、国家がそのサイトを閉鎖させたりしたら、実は本物だったのではなんて陰謀論が巻き起こることは間違いない。

 最近ならそこまで計算して遊ぶサイト開設者もいるかもしれないが、ダンジョンの正しい情報を伝えることが目的のJDAが、そんな真似をするはずはなかった。


「考えても見てください。本当にダンジョンの向こうにいる何かと話してるなんて、誰も信じませんよ」


 時折際どい話も持ち上がるが、ほとんどの利用者は今でもAIか中の人がいると思っていながら遊んでいるのだ。

 わざわざそこに波風を立てる必要はなかった。


「では日本もこれを?」

「これから活用することを考えています」


 実際は、D交流準備室の一人が彼女をデートに誘ったことが渋谷事件の発端だと聞いているが、そんな話をしても呆れられるだけだろう。

 それに専用のサイトは、日本の切り札にしておきたかった。なるべく長い間。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


「せせせ先輩!」


 がたりと音を立てて、自分の机椅子から立ち上がり、妙に焦っているような三好の声に、俺はソファに座って読んでいた資料から顔を上げた。


「なんだよ。SMDの高額転売の問題なら、今のところどうしようもないぞ」

「違いますよ! ブートキャンプの申し込みが──」

「?」

「100倍くらいになってます!」

「はぁ?」


 それは、さながらステータスバブルとでも言うしかない現象だった。

 Dカードが全国民に配られた瞬間、ステータスの利点やその増加方法についてのサイトにアクセスが集中し、なかでも成功体験しか綴られていないブートキャンプが最もクローズアップされたらしい。


 その結果、それまでも週5千人ほどあった申し込みが、一気に50万件になり、今後も増え続けることが予測される。

 何しろ世界人口の1.7%が、この狭い島国で事実上探索者になったのだ。その数1億2000万人オーバー。

 

「だが、応募が増えたところで、今までの基準で並べて上位から同じ人数を取ればいいだけだからさほど労力は変わらないだろ?」

「世間の圧力が違いますよ」


 あー、まあ確かにそうだよな。

 抽選と銘打っている以上、いつかは当たるかもと応募し続けるだろうが、そもそも足切りを受ける人たちは当選のしようがない。

 足切り後に抽選しているから嘘ではないのだけれど。


「それに小麦さんみたいな依頼が、もっと広範囲に渡って行われたらどうします? 何しろ前例を作っちゃいましたからね、私たち」

「む」


 確かにそれは問題だ。

 なにしろ一種の超人化だ。低ステータスの者は、どんなに努力しても高ステータスの者に勝つことは難しいだろう。同じ程度の努力をされたら絶対に勝てない。

 

 今までなら素質の違いという言葉で諦めることもできただろうが、こいつはその素質そのものを引き上げることに等しいのだ。この事実が浸透すれば全員がそうしたがることは想像に難くない。

 

 そうして、日本人にとってチャンスの平等は非常に重要視される要素だ。少なくとも建前上は。

 ステータスによる社会分断の兆しが見えたりしたら、マイナンバーカード取得者の中から毎週xx人に受講させるようになんてお達しが来かねない。


 もっとも実際にはアルスルズたちがいないと、効率の良く経験値を得ることは難しい。

 いちいち入り口なんて非効率を実直に守れるのは、大きな目的と強い意志があるものだけだろう。なにしろ効果があるのかどうかもすぐには実感できないのだ。

 そうして一層の人口密度が上がれば、それすらも難しくなる。結果、詐欺扱いされたりしたらたまらない。


「だがなぁ……仮に毎週100人を小麦さん化したとしても、全員に行きわたるには、えーっと……」

「2万3千年以上かかりますね」


 指折り数える俺を尻目に、三好が素早く暗算してそう答えた。

 

「2万3千年って……ぺトルコヴィチェのヴィーナスが作られたあたりから始めても現代までかかるってことだぞ?」

「なんですそれ?」

「チェコのブルーノの考古学研究所に所蔵されているヴィーナス像。だがあれは現代からの転移者が慰みに作ったエロ人形に違いない。なにしろ頭がない上に、プロポーションが現代的で、ショーツのラインが──なんというかグラビアっぽい」

「ニッチ過ぎて誰も知りませんって、そんなの。ともかく、私たちが責任を負えるのはせいぜいが70年後までですからね」


 それを聞いて俺は以前から考えていた疑問を口にした。


「なあ、三好」

「なんです?」

「〈超回復〉って、寿命、どうなると思う?」

「なるべく考えないようにはしてたんですけど……」


 小さな切り傷なんかが一瞬で治ってしまうことは分かっている。


「もしも体の修復が、代謝の加速によって行われているんだとしたら、確実に寿命が縮みそうですよね」


 体内を流れる時間が、他人の2倍だとしたら、外から見た寿命は半分になるのが道理だ。


「そうだな。だがもしそれが、単純に細胞を修復するような機能だった場合は?」


 時間が経ってがん化することもなく、いつまでも正常な細胞の機能を維持し続けたとしたら?


「先輩。さすがに不老だの不死だのは飛躍のし過ぎですよ」


 三好は苦笑しながらブートキャンプの申込管理ページを閉じた。

 

 医療機関で詳細な検査をしたところで、単に『正常だ』という結果が得られるだけだろうことは、常磐の医療ポッドから得られた情報でも明らかだ。

 だが、悩もうと悩むまいと、あと数十年も経てば、おぼろげに結果は見えて来るだろう。


「これもまた、結論の出ない問題か」

「もしも長生きしちゃったら、メトシェラの末裔でも名乗りましょう」

「そうして、宇宙へと逃げ出すのか?」


 長命な種や不老不死の種がそうでない者たちと争った結果、宇宙へ飛び出しちゃうのは、定番の展開だ。


「まあ、ハインラインでも超人ロックでもそうなってますけど。数十年の進歩で恒星間宇宙船を造るのは無理そうですよね」

「明日をも知れぬこの激動の最中に、数十年後のことを考えても仕方がないか」


 俺は頭の後ろで手を組むと、諦めるように脱力して、ソファに深く体をうずめた。


*1) 本作品はフィクションですよ!


*2) その日

Dジェネの総理登場回は、その日の首相動静に準じています。

例えば2019年の3月18日は、なんでそんなところへ大勢引き連れていって会食してんの?といった感じ。


*3) 解任

この2か月後、2019年の5月に大使を離任します。


*4) タウ・ケチ

SF作品ご用達の星、クジラ座タウ星のこと。

単独のG型主系列星(よーするに太陽みたいな星)では地球に一番近い星で、距離は約12光年。

ちなみに単独の最も遠い星は、2018年4月に発表されたイカロスで距離は90億光年。しし座方向にある。重力レンズ効果って凄い。




宣伝です。


Dジェネシス5巻、2021年11月26日(本日(だったのですが、予約投稿が失敗していたのに気が付いたのが3日後……涙))発売です。なんとコミックスの2巻も同時発売となります。

ついにファントム様が登場します。助ける相手はイギリス軍ではなくて──


もう大部分が書下ろしになっていますので、web版ともどもよろしくお願いします!

詳しくは、d-powers.com へGO!


そうそう、KADOKAWA様がオフィシャルサイトも作ってくださいましたよ。

https://product.kadokawa.co.jp/d-genesis/


オフィシャルのtwitterもあります。

https://twitter.com/Dgenesis_3years

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書籍情報
KADOKAWA様から2巻まで発売されています。
2020/08/26 コンプエースでコミックの連載始まりました。
作者のtwitterは、こちら
― 新着の感想 ―
面白い小説でしたが話を広げ過ぎてギブアップ? 残念です
[一言] スキル「超回復」は本人が自由に消せるからヨシ!
[一言] ありがとうございました♪ よん星また別作品探すが
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