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§213 ファインドマン氏の来日 3/27 (wed) 前編

先日、1月26日に、無事書籍版の3巻が発売されました。

物語はweb版と違う展開になっていきますが、後発だけあって、書籍版も面白い(はずな)ので、良かったらご購入下さい。


だらだらと日常を書いていたら2万文字を超えてしまったので、分割します。

後半は明日。

 その日、代々木の事務所には、リチャード=ファインドマン氏がはるばるボストンから訪れていた。例のスキル削除コマンドを発見した勇気ある彼だ。


『あなたがワイズマン? ワオ、初めまして、リチャードです!』


 ショートカーリーで背の高い細身の男が人懐こい笑みを浮かべながら、三好の手を取って、上下にぶんぶん振った。


『お疲れ様です。大変でしたか?』

『昨日の夕方日本に付いて、時差ボケも徹夜で解消しましたから大丈夫です。ホテルまで取っていただいてありがとうございました』

『こんにちは、ファインドマンさん。俺はヨシムラ。彼女のパーティメンバーです』

『おー、ヨッシーですね。僕が出入りしている研究室のセンサーも同じ名前ですよ』

『センサー?』


 いきなり慣れない愛称で呼ばれた俺は、内心苦笑しながら訊き返した。

 どうやら、アンダーワールドという下水の状態をリアルタイムに調査するプロジェクトに使われているサンプリングロボットの名前が、マリオだのルイージだのヨッシーだのという、どこかで聞いたようなキャラクターの名前なのだそうだ。(*1)


『どこですそれ。大丈夫なんですか?』

『MIT(マサチューセッツ工科大)のセンサブル・シテイ・ラボです。まだ怒られたことはないみたいですよ』


 まあ、研究室のロボットの名前にするくらいなら、厳しいことは言わないだろう。そもそもマリオとルイージじゃ、恐怖の報酬(*2)だってそうだしな。

 ヨッシーはごまかしようがないが。


『それにしてもワイズマンのパーティメンバーだとは実に羨ましい! あ、僕のことはリックと呼んでください』

『OKリック。俺は――まあ、ヨッシーでもいいか』


 俺が笑いながらそう言うと、彼は自分たちが作ったヨッシーに付いて話し始めた。

 どうやら彼はスマートシティと呼ばれる領域の研究を専門にしているらしく、その一環としてダンジョン内に興味を持ったのが探索者になった切っ掛けらしい。


『スマートシティ自体は、情報通信技術とデータサイエンスを活用して都市の問題を解決するためのアプローチと言えます。今も世界中でこの構想に向けてデジタルトランスフォーメーションのプロセスが進行中なんです』


 デジタル・トランスフォーメーションは、実に適当な言葉で定義は様々だが、おおむね、「デジタル化による変革によって何かをより良い方向に変化させる」程度の意味合いだ。

 結局、センサー技術によって大量の情報をリアルタイムに取集し、サービスやインフラの管理をより効率化して、環境問題の解決や生活の質を向上させるのが目的の研究なのだろう。

 

 なお、去年末に経済産業省がDXデジタル・トランスフォーメーション推進ガイドラインを発表したのは記憶に新しいが、その内容は、老朽化・ブラックボックス化した既存システムをどうにかしないと2025年には大損するからポイしてIT化を進めろやーという脅しのようなものだった。


『そして、現在ではAIのユビキタス化によって、より詳細な――』


 更に彼は大規模データを利用するAI以外に、センサー部にばらまかれたAIの活用による、都市サービスの変革に付いて滔々と語り始めた。


「やべ、三好。こいつも……」

「中島さんや榊さんのお仲間ですね……」


 俺たちは段々引きつりがちになる笑顔で固まりながら、彼の話を延々と聞かされていた。


「こいつ年を取ったら、名前の通り、リック=サンチェスになりそうな雰囲気だぞ」

「先輩、意外とフォローしてますよね」


 リック=サンチェスは、カートゥーンネットワークのアダルトスイムで放映された「リック・アンド・モーティ」に登場する主人公の一人で、言ってみればマッドなサイエンティストの典型だ。

 モデル?は、バック・トゥ・ザ・フューチャーのエメット=ブラウン博士。彼をアル中にして人間嫌いにして、ジコチュー、あ、これは元々か。にすればリック=サンチェスの出来上がり。

 

 こそこそ三好とそんな話をしている間も、彼の説明は続いていた。

 俺たちは、なんとか話に割り込もうと、額に汗を浮かべながら突っ込むタイミングを計っていた。


『それで丁度去年、AMS(アムステルダム先進都市ソリューション研究所)とうちの共同事業でアムステルダムの水路の3Dマップを作ったんですが、同様のシステムをダンジョンに持ち込んで――』

『あ、似たようなことはうちでもやってますよ』

『え?』


(ナイスだ三好!)

(放っておくと、いつまで続くか分かりませんからね!)

 

 なんとか話を引き取ることに成功した三好は、深度センサーで作成したダンジョンの3Dマップを彼に見せた。

 そして、代々木ダンジョン内で通信が行えることを聞くと、目を見開いて、「あれはデマじゃなかったんですね!」と驚いていた。

 

 彼の研究にとって通信技術は必須だろうから、従来のダンジョンでは多階層を対象に何かを行うことは難しかっただろう。だが、代々木なら別だ。彼は、興奮して俺たちが集めた公開データを舐めるように見ていた。


『それで、欲しいオーブは決まりました?』


 一向に進まない展開に、三好がさりげなくそう尋ねると、彼は思い出したようにデータが表示されているタブレットから顔を上げて、しまったとばかりに頭を掻いた。

 

『これ、本当にどれでもいいんですか? 何千万ドルもするものが含まれてますけど……僕が失ったのはスケルトンがドロップした〈生命探知〉ですよ?』

 

 今回彼に提供されるオーブは、あらかじめ送っておいたオーブリストから、好きなものを選んでいいことになっていた。

 そこには、攻撃魔法の〈火魔法〉や〈地魔法〉や〈水魔法〉、それ以外にも〈促成〉や〈生命探知〉や〈マイニング〉など、俺たちが所有しているか、すぐに取得可能なものだけがリストアップされていた。


『あなたが支払ったのは、本物の勇気ですからね。それはそれらのオーブ以上の価値があるでしょう?」


 三好がかっこつけてそう言うと、リックは感動したように目を見開いた。

 

 彼が自分のスキルに向かって、それを削除するようなコマンドを使ってみたからこそ、俺たちは〈マイニング〉の呪縛から逃れることができたのだ。

 それにスケルトンの〈生命探知〉だって、従来のドロップ率なら二千万分の一。年末ジャンボ宝くじの1等級であることは間違いない。もっとも従来のスキルオーブは大抵がそうなのだが。


『実は、〈マイニング〉を貰って、代々木のプラチナでひと儲けしようと思ったりもしたんですけど』

『今なら、24層のパラジウムの方が価値がありますよ』


 現在、プラチナはグラム3300円弱だが、パラジウムはグラム5900円弱だ。(*3)

 そこまで下りて戦えるなら、モンスター3体あたり59万円の収入になる。冷静に考えたら、結構凄いな。


『だけどあまり長くいられないし、帰国したときちょっとね。現在のBPTD(ブリージー・ポイント・チップ・ダンジョン。ロングアイランドの西の端にあるNY市が管理するダンジョン)の最下層は17層だから、20層まで行っても何が出るかは分かりませんし』


 ボストン周辺には適当なダンジョンがない。だから彼らが本格的にアタックするのは、休みの日のBPTDだということだ。

 どうやら彼らはBPTDの最前線組らしく、22層や24層で戦う自信はあるようだった。

 

 ケンブリッジからNYまでは、大体340キロ。車で3時間半といったところだ。日本で言うなら名古屋の手前当たりから代々木ダンジョンへ遠征するのと同じくらいだ。

 アメリカは飛行機代が安いから、ローガン国際空港からJFK国際空港なら大体100ドルで行ける、所要時間は1時間だ。しかもJFKからBPTDまでは30キロもないだろう。

 

 しかし、仮にBPTDが20層まで攻略されたとしても、二日の休みでそこまで潜るのは難しいだろう。転移石があれば別だが、今後BPTDで作られるかどうかは分からない。

 そう考えれば、彼の場合マイニングを持って帰国しても宝の持ち腐れになるわけだ。

 

『だから、〈火魔法〉にします』

『攻撃魔法なら水もありますよ。飲める水なので、魔法の中では結構人気です』


 三好がそう言うと、彼は照れたように頭を掻いて言った。


『実は僕、スチュワートさんのファンで』

『スチュワート?』


 誰だっけと首をひねった俺を見て、三好が日本語で教えてくれた。


「ナタリーさんですよ」

「ああ。彼女、スチュワートって言うんだっけ」

「今まで知らなかったことの方が驚きです」


 三好は呆れたようにそう言うが、ファミリーネームを聞いたことは……たぶんないはずだ。


「いや、だって、最初のオーブの受け渡しの時、名前しか名乗らなかったじゃん」


 あの時は、日本語で突っ込まれて、とぼけられずに困ったっけ。


「むしろお前はなんで知ってるんだよ?」

「超有名人じゃないですか……」


 三好はやれやれというポーズを取ったが、すぐに一転舌を出した。

 

「私もブートキャンプの申込書で、初めて見たんですけど」

「大して変わんないだろ!」


『?』

『ああ、失礼。ナタリーさんですよね』


 ナタリー=スチュワートは、サイモンのチームの紅一点で、炎の魔法を巧みに使うことで知られている。


『そうです、そうです! 今、代々木にいらっしゃると聞いて、どっかですれ違えないかなーと』


 リックは、きらきらしたような眼差しでそう言った。

 二十歳もとうに過ぎた男のキラキラって、誰得なんだよ。


「見たか三好。やっぱあいつらって、一般の探索者にとっちゃアイドルなんだな」


 そう言えば三代さんも、最初にあった時サイモンに手を取られて目をハートにしてたっけな。


「そりゃそうですよ。自分がやってるのと同じスポーツの世界ランカーに憧れない人は少ないと思いますよ?」

「だけどナタリーさんって、何と言うか……怖いだろ? 三代さんが最初にサイモンに会った時、不意打ちで奴の頭にかかと落としを決めてダウンさせるのを見て、ちょっとビビったぞ」

「まあ気は強そうな人ですけど、美人ですし。ともあれ、先輩くらいですよ、ナンバーワンチームをないがしろにしてるのは」

「ないがしろにはしてないだろ?!」

「ええ? サイモンさんの扱い、結構雑くないですか?」

「そんなことは……」


 ないはずだが、あんまりひょいひょい来るものだから、多少はテキトーになっていたのかもしれない。


「そうだ、先輩。サイモンさんに電話してアポとってください」

「なんの?」

「彼の、お・も・て・な・し、ですよ」

「はあ?」


 どうやらリックがファンだというナタリーに会わせてやろうという目論見らしいが、そのためにサイモンをパシリに使うとは、三好の方がよっぽど扱い雑くないか?


「だって先輩、ナタリーさんの連絡先知ってます?」

「いや。だけど、キャシーに訊けば分かるだろ?」

「いま、キャンプの真っ最中ですよ。でも先輩が、直接ナタリーさんに連絡して食事に誘えるほど親しかったとは知りませんでした」

「……すみません。電話させていただきます」


 俺は携帯を取り出して、電話帳からサイモンのアドレスを検索していると、三好が続けた。


「それに――」

「なんだ?」

「ここ二日の情勢を考えると、今頃、いろいろと仕事を押し付けられそうになって逃げだしたくなってるに決まってますって。ここは恩を売っときましょう」

「それを、恩って言うのかねぇ?」


 単なる仕事の邪魔じゃないのと思わないでもなかったが、とりあえず、サイモンの番号をコールしてみた。

 代々木の中にいても外にいても電話が繋がるようになったんだから、戦闘中でもない限り――


『よう、ヨシムラ。どうしたんだ?』


 ――繋がるよな。

 俺が事情を説明すると、彼は嬉しそうに笑って、二つ返事でそれを了承してくれた。


『じゃ、18時にそっちの事務所に行けばいいんだな?』

『それでお願いします』

『わかった。んじゃまた後でな』


 そう言って彼は通話を切った。


『ええっと?』


 しばらく蚊帳の外だったリックに、三好が、ナタリーを呼んで、リックの歓迎会をやるからと伝えると、彼は驚いたように、『ホントに?』を繰り返していた。


「じゃ、先輩は、〈火魔法〉をよろしくお願いします」

「いまからか? 6時間で11層に行って帰るなんて、無理――あ、今ならいけるのか」


 今は転移石があるから、大抵のフロアに行って帰ってくるだけなら一瞬だ。

 

 そう言えば今週から売り出された帰還石は爆発的に売れているらしい。

 転移石18と、転移石31も同様に需要が大きく、新しくダンジョン管理課の中に転移石を専門に扱う部署が作られたようだった。

 

 Dカード出現と被ったことでてんやわんやになるかとも思われたが、Dカード出現がJDAに与える影響はそれほどなかったようだ。

 

 俺たちにとって、実にありがたいことに、その部署が転移石に関するあらゆるテストをしてくれていた。

 その検証で、設計通り代々木から一定以上離れるとただの石ころになることが確認されていた。

 

 そのせいもあって、ダンジョンの裏側に現在建築中の建物の部屋の引き合いが世界中から凄い勢いで集まってきているらしい。

 

 転移石そのものの研究は、今のところダンジョン内でしかできないが、32層にいろいろな機械を持ち込むよりも地上に立てられる建物の一室が使えた方が圧倒的に便利だからだ。

 あろうことか、WDAのDFA(食品管理局)を始めとするWDA関連の組織からも強権が発動されたようで、「断りにくい組織を全部引き受けたら部屋がなくなっちゃいそうなんです」と、鳴瀬さんが苦笑していた。

 

「ま、こっそりすばやくお願いしますよ。私はこっちの準備をやっておきますから、先輩は、レッサー・サラマンドラってことで」

「了解。ドルトウィンを貸してくれよ。あいつら見つけにくいだろ」


 同じスキルを複数取得した今ならどうだかわからないが、以前のままだとしたら、レッサー・サラマンドラの擬態は、よっぽど注意していない限り〈生命探知〉にも引っかからない。

 だが、アルスルズはそれを簡単に見極めることができるのだ。


「尻尾が出たら、ちゃんとゲットしておいてくださいね」

「へいへい」


 装備は〈保管庫〉の中に揃っている。一瞬で装備を身に付けると、俺はそのまま代々木へと向かうために、玄関の扉を開けた。


「あ、ししょー」


 ポーチの階段を下りたところで、門の向こうから声をかけられた。


「あれ、斎藤さん?」


 彼女は小さく手を振って、アプローチを小走りに駆けてきた。

 そう言えば、21日から選考会(*4)がどうとか言ってたっけ。何かあったんだろうか?


「どもども。なに? これからダンジョンに行くの?」


 俺の格好を見た斎藤さんが、そう訊いた。


「まあね。で、どうしたの?」

「ほら、例の選考会で、24日まで嬬恋にいたんだけど、戻ってこれたと思ったら、あの騒ぎでさー」

「Dカード出現の?」

「そうそう、それでいろいろあって、報告が今日になっちゃったわけ。入れ違いにならなくて良かった」


 生放送中の番組内でDカードが出現するくらいなら放送事故で済むけれど、運転中に出現したカードに驚いて交通事故になるケースなんかも結構あったようだ。

 彼女の周りでも、色々とごたごたがあったのだろう。


「電話でも良かったのに」

「一応師匠への報告は、直でするのが礼儀ってもんでしょ」

「なに殊勝なこと言ってんの」

「私はいつも殊勝だから」

「はいはい。で、結局どうなったんだ?」

「もち、芳村さんに貰った弓で通過したよ」

「なぜそこを強調する」

「だってさー」


 どうやら、選考を通過してしまったために、スポンサーの申し入れが殺到したらしい。

 青田買いにも程があるが、プロスポーツの世界でも可愛いは正義だからなぁ。しかも非公認世界記録の噂が出回ってるし。


「契約の縛りとか、いろいろ面倒くさかったから、道具は『シショー印』のがあるからって、全部断っておいた」

「はぁ? なんだよ『シショー印』って?! 適当にショップの人と話して決めただけだろ!」


 偶然使っているメーカーが、よろこんで手を上げてきたのだが、使ってるパーツのメーカーがばらばらだったことが災いして、なんだかごちゃごちゃして良く分からなかったのだとか。


「スポンサーの申し入れなんか、事務所にぶん投げとけばいいんじゃないの?」

「まあ、そうなんだけどさ」


 そうすると今度はギャランティが面倒なことになるらしい。

 本来芸能事務所は、芸能人を売り出すためにお金をかける。その分ギャラの配分が低めになりがちだ。

 ところが最初から優秀なアスリートが、マネージメント会社に所属する場合は、アスリートの方に重きが置かれるため当然ギャラの配分は高額になる。


「私の場合は、線が引きにくくって」


 仕事をアスリートとしての仕事と芸能人としての仕事に分けることができるなら、ギャラの配分もスムースに契約できるだろうが、世の中そううまくはいかない。

 例えば、バラエティ番組に登場してアーチェリーを披露したとして、それは芸能ジャンルなのかアスリートジャンルなのか非常に分かりにくいことになるわけだ。かといって、出演させる方はそれを期待するだろうから、「今日は女優としての仕事ですから」とすべてを無視するわけにもいかないのだそうだ。


「めんどくさくなっちゃったから、全部断ることにした!」


 相変わらず男前なことを言う斎藤さんに苦笑しながら、俺はポーチの柱にもたれかかりながら腕を組んだ。


「いや、事務所がアスリートとしての活動を認めたってことは、そこに何かの利益がなきゃまずいんじゃないの?」

「近代五種ほどじゃないけど、日本じゃマイナースポーツだからTVCMって訳にもいかないしねぇ」


 アーチェリーの国内競技人口は、下手すれば1万人を割りかねない。

 ちなみに近代五種は50人を割っているらしい……そりゃ、ランニングと水泳はともかく、日本に、馬術とフェンシングとアーチェリーを全部やってる選手は少ないだろう。


 どこで稼ぐつもりなんだろと、彼女は首をひねっていたが、そりゃスポンサー料とかだろうと俺は頬を掻いた。それを勝手に断られちゃ事務所としても涙目だろう。


「でもまあ、私は女優で行くよ!」


 間違ってCMが来たら出るけどねと彼女は笑ったが、弓道具のCMだって見たことがないのだ、アーチェリー用具のCMは日本にはない(*5)だろう。


「でね、4月にある第1回ワールドカップ・メデジン大会の上位3名が、6月にオランダで行われる世界選手権の日本代表になるんだってさ」

(せわ)しないな」

「そうなんだよ。2か月に1回渡航しちゃうんじゃ、ドラマのオファーが来ても受けにくいじゃんね」


 すでに選考に残る自信が満々なのは、さすが斎藤さんと言ったところか。


「でもって、世界選手権でメダルを取ると自動的にオリンピックの1次と2次の選考会はパスできるんだって。で、来年4月の最終選考会に出て上位3名になるとオリンピックに出られるんだってさ」

「凄いじゃん」


 渋チーの連中に次いで、オリンピックに出場しそうなダンジョン勢の嚆矢だな。向こうは陸連の褒賞の話がこじれそうな気もするが……


「でもねぇ……なんだかちょっとめんどくさいんだ」


 またかよ、と一瞬呆れたが、話を聞いてみれば人間関係のごたごたに対する警戒のようだった。

 どうやら仕事の関係で、強化合宿だのなんだのを全部キャンセルして大会にだけ出るようなスケジュールになってしまうのだが、それだとやはり選手の印象が悪い。


「なんだか事務所のごり押しで役に割り込む俳優みたいでねぇ」


 俺はその例えに思わず吹き出しかけた。

 だが確かに彼女が売り出し中の女優でなければ、これほど物事が素早く展開したかどうかは分からない。


「実力があれば関係ないだろ」

「そりゃそうかもしれないけど。これって実力かなぁ……」


 彼女は、首を傾げながら腕を組んで、アプローチから俺を見上げるように覗き込んだ。


「だっておかしいでしょ。演技はともかくアーチェリーだってピアノだって」

「さ、才能ってそういうもんじゃないの?」

「二十歳も過ぎてから突然開花するわけ?」

「遅咲きなんだろ」


 ふーっとため息を吐いた彼女は、ちょいちょいと指を曲げて俺を呼んだ。


「な、なんだよ?」


 おそるおそるポーチの階段を下りると、斎藤さんがぐっと胸ぐらをつかんで俺の頭を引き寄せ、触れんばかりに顔を寄せた。

 おいおい、ここでこの構図はヤバいだろ。


「はるちゃんとも話したんだけど、どう考えても芳村さんたちのせいでしょ、これって」


 まあ、俺たちのせいと言えば、俺たちのせいだろうが……


「すごく感謝はしてるんだけどさ、ちょっとは不安もあるわけ。だからなんかあったら、ちゃーんと責任を取ってよね」

「なんかって?」

「それはよく分かんないけど」

「責任って?」

「それもよく分かんないけど」

「おい」


 寄せた顔を元に戻すと、彼女は、ポンポンと俺の胸を叩いて言った。


「大丈夫大丈夫。何があっても芳村さんだったら女の子の二人くらい簡単に養えちゃうでしょ?」

「いや、あのね……」

「あ、三好さんも入れたら三人か。でもまあ、平気だよね」

「いや、だからね……」

「他にもまだいるわけ?」

「いや、そうじゃなくてね……」


 どう見てもからかわれているのだが、もしかしたら、本当に不安があるのかもしれない。養う云々はともかく。

 しかし、彼女たちもずっぽり足を踏み込んでるからなぁ……完全に関係者だよな。


「まあ、何か? あったらちゃんとフォロー? するから」

「よろしい」


 満足したようにそう言った彼女は、持っていたバッグの中から紙の袋を取り出した。

 どうやらそれが、直接あいさつに来たひとつの原因だったようだ。


「はい、嬬恋のお土産。あの辺って日本茶の産地なんだってね」

「お、サンキュー」


 と言うからにはお茶だろう。あの辺は掛川茶の産地だ。深蒸しが多いが、浅蒸しや極浅蒸しも作られていて、いろいろと楽しめるお茶が多い。


「しかし、芳村さん日本茶マニアなんだって? なんだかじじむさい」

「……お前は今、確実に世の日本茶ファンを敵に回したぞ? 人気商売なんだから言動に……って、なんだこりゃ?」


 包装を解いて出てきたパッケージには茶師の名前と共に、手摘み玉露と書かれていた。そこまではいいだろう。


「え? どっか変だった? 結構高い奴だよ?」


 有名茶師が『さえみどり』だけで作った手摘み玉露(*6)だ、そりゃ高かっただろう。たぶん1グラム100円級だ。お店で飲んだら1000円級だな。

 だけどな……


「宇治田原茶って書いてあるぞ」

「んん? それって美味しいの?」


 いや、そりゃ美味しいだろうよ。ただな……


「宇治田原町は京都だろ!? 嬬恋土産なら掛川茶じゃないのかよ、普通」

「ええー、掛川で買ったのに?」

「なんで、わざわざ静岡茶の生産地のお土産に宇治茶を買う?!」


 宇治茶と静岡茶は、日本の二大茶だ。その片方のど真ん中で、もう片方を買ってくるとは……成田空港でハワイアンホーストのマカデミアナッツチョコレートを買うより酷い。

 

 彼女はぷーっと膨れながら、パッケージの左上に貼られたシールに小さく書かれた文字を指差して言った。

 

「こんな小さな字なんか気が付かないって。大体、売ってる方が悪くない? 掛川で買ったら地元のお茶だと思うよね?」

「うーん……」


 沖縄の「紅いもタルト」や二鶴堂の「博多の(ひと)」を東京駅で買って、それを東京土産だという奴はいないんじゃないかなぁ……しかし鳩サブレなら勘違いする奴もいるかも……(*7)


「まあ、そう言われればそうかもな。まあ斎藤さんらしくっていいか。ありがとう、大事に飲むよ」

「私らしくってってところがちょっと引っかかるけど、まあ許して進ぜよう」


 その時三好が玄関から顔を出した。


「玄関先でいつまでも何をやってるんですか? あ、斎藤さんいらっしゃい。せっかくだからお茶でも飲んでいきます?」

「飲みまーす。じゃ、ししょー、代々木、頑張ってくださいね」

「お、おお。そうだ三好、これ彼女からいただいた、嬬恋のお土産」


 それを受け取った三好が、一瞬変な顔をした後、「嬬恋が京都にあったなんて知りませんでした」と言って笑うと、斎藤さんは、「ひとつ賢くなれて良かったねー」と嘯いてポーチを駆け上がった。


*1) MIT Senseable City Lab. の underworlds プロジェクト。

実際に 2015-16にMARIOが、2016-17にLUIGI IとIIが、2017-19にはYOSHIが導入されている。


*2) 恐怖の報酬 / LE SALAIRE DE LA PEUR

1953年のフランス・イタリア合作映画。

主人公がマリオで、運び屋に選ばれるのが、マリオ、ジョー、ビンバ、ルイージ。

ルイージ役のフォルコ・ルリが、実にマリオっぽい顔で、初めて見たとき、こっから名前を付けたのかと思った。


*3) 2019年3月27日現在の買取価格

それまで高価だったプラチナが、2015年にフォルクスワーゲンがやらかした擬装によってディーゼルの需要が落ち込んで暴落したように、

プラチナもパラジウムも宝飾品と言うより、排ガスのための触媒という側面が大きいため、車業界の需要によって価値が大きく変動する。


*4) 21日から選考会

現実では、2月22日の開催要項で、3月20日(水)~23日(土)になったのだが、芳村はこの時点でこのことを知らない。

戻ってきたのが24日なのは、23日の終わりが17時前になるので一泊したに違いない。


*5) 日本にはアーチェリーのCMはない

実は2019年の春に、パナソニックが綾瀬はるかさんをフィーチャーしてアーチェリー編を作成した。

もっともこの時点ではまだ作られていない。そもそもアーチェリーのCMでもないのだけれど。

なお、アーチェリーが小道具として使われているTVCMは、非常にまれだが存在はしている。


*6) さえみどり

やぶきた(母)×あさつゆ(父)。鹿児島で作られた品種。

本来は主に煎茶に使われる茶葉だが、ただでさえ渋みが少なく甘みとまろやかさが特徴の茶葉だし、「あさつゆ」に似たフレーバーも相まって、玉露に仕立てればきっと渋みゼロかつ旨味抜群の茶葉になるに違いない。

なお、玉露・てん茶用に「さみどり」という品種もあるので注意が必要。

ちなみに掛川の推奨品種は、「やぶきた」と「つゆひかり」、それに「さえみどり」だ。

ところで、日本のお茶の品種は60種類以上あって、全部を区別して飲むだけでも大変だ。なにしろ「やぶきた」だけで7割を超えるように栽培面積が偏っていて、それぞれがどこで作られているのかを探すだけでも難しい。やったことはもちろんない。てか無理。


*7) 鳩サブレ

本来は鎌倉の名物だが、都内でも簡単に買えることと「はとバス」のイメージから東京のお土産だと思っている人が結構いる。

店の名前が豊島屋だから余計なのかもしれない。(豊島区は池袋のある場所。そういや豊島区の形は羽を広げた鳩に見えなくもないかも)


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書籍情報
KADOKAWA様から2巻まで発売されています。
2020/08/26 コンプエースでコミックの連載始まりました。
作者のtwitterは、こちら
― 新着の感想 ―
鳩サブレ〝ー〟...
斎藤さんに 「他にもまだいるわけ?」っと言われて、一瞬アーシャの顔が脳裏に浮かんだ芳村であった、、、ってね~
[気になる点] ひよことばな奈しか思いつかんかった
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