§212 奉仕の兆し・2 3/26 (tue)
本当は、§211の後ろにくっつけるべき話だったんですが、いまさらくっつけるには長いので1話分使いますー。
「これがそのオーブなんですが……」
申し訳なさそうに鳴瀬さんが取り出したボックスは、うちがオーブを納品する際に使ったチタンのケースだった。中のオーブは既に使われたのだろう。
そこに収められていたのは、33層で出現したにもかかわらず、オーブカウントが僅か48という、今までの常識を覆すものだった。
出現後、携帯でJDAへ連絡、一気に帰還石で戻って来て、代々木で鳴瀬さんに預けられたものらしい。皆がその時、世界が変わったことを実感したようだった。
「いや、そのオーブって言われてもですね……」
俺は苦笑しながら頭を掻いた。
なんでも伊織さんが、三好に鑑定してもらってくれと依頼したらしい。
キメイエス戦の後、「門の鍵」をさらっと鑑定してしまったからだろう。実にストレートで表も裏もない依頼だった。なにしろ発見されてから48分しか経っていないのだ。何かを画策する暇なんかないはずだ。
「まあまあ先輩。伊織さんって、そんなに難しいことは考えてなさそうな人でしたよ」
「いや、お前、それはちょっと失礼じゃないか」
三好がペロリと舌を出す。
キメイエスの時会った印象では、やたらとクールなお姉さんって感じだった。
なにしろ手足がもげてるのに、他人事みたいに状況を説明したのだ。あれが訓練のたまものだというのなら、自衛隊って凄いんだな。
難しいことは――それほど話をしなかったから分からないな。
「それに国家権力に無駄に逆らってもいいことないですよ」
「甘いことを言ってると、ちょーしこいた国家権力が、なし崩し的に依頼を強要してくるぞ」
なにしろ、国家権力者の数は多い。一人から1件を頼まれたとしても、710人いれば、710件になるのだ。
「なんです、その具体的な数字」
「国会議員の定数(*1)」
日本の国会議員は、衆議院議員が465人、参議院議員が245人いる。人口に対して定数が少ないとはいえ、別々に相手をするには結構な数だ。
「地方議員まで入れたら、とんでもない数字になるぞ。でもって、陳情をよっしゃよっしゃと請け負った連中が大挙して押し寄せてくるのさ」
「そしたら商業展開して、鑑定1回100億えーんとか、バカみたいな値段を付けておけば誰も注文しませんって」
こいつ、どうでもいいからって、思い付きでテキトーなことを言ってやがるなぁ……
「それは止めておいた方がいいぞ」
「なんでです?」
「仮に自由を欲しての手段でも、いやらしく価格の部分で争っているように見せかけて、大衆を扇動して反感を買わせるのがひとつのテクニックだからさ」
大衆の目を分かりやすく反感を買いそうなものに向けさせて扇動するのは、扇動家の常とう手段だ。
「いや、分かりますけど、この場合それに何の意味があるんです?」
三好は不思議そうに首を傾げた。
気持ちは分かる。
通常、この場合の勝利とは三好に鑑定をさせることだ。
社会的に叩くことでその目的が達成できるならいいが、そうでなければ、鑑定料をタダにさせたところで、鑑定自体をしてもらえなければ目的は達成できない。売っていない商品は買えないなんて子供でも分かることが想像できないとなれば、バカのそしりを受けても仕方がないだろう。普通ならなんとか懐柔するところを、へそを曲げられるようなことをしてどーすんだって話だ。
だが――
「意味なんかないさ。極言してしまえば、そういうことをするやつは勝つか負けるかしか考えてないんだよ。目的がいつの間にか相手を遣り込めることにすり替わってしまい、否定されたら脊髄反射で反撃してしまうんだ」
「もしかして、バカなんですか?」
「いや、もっとオブラートに包もうよ」
俺たちの脱線に口を挟めず、黙って聞いていた鳴瀬さんだったが、一段落しそうなところで、すかさず割り込んできた。
「あのー」
「あ、すみません」
そう言った三好が、さらさらとメモを書き始めた。いや、お前、いままでの話はなんだったの。
俺の苦笑を尻目に、彼女は書き終えた紙を鳴瀬さんに渡した。
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スキルオーブ 機織り the gift of forming fabric.
布を作りだす。
汝の子孫も汝同様、同じ罰が下されるだろう。永遠に。
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「布を作り出す? って、なんですこの最後の行?」
「あー、最後のブロックは俺たちの経験上、フレーバーテキストみたいなものですから、あんまり気にしなくてもいいんですよ」
「フレーバーテキストって……」
鳴瀬さんは、そのメモにもう一度目を落として言った。
「もしかして出典は転身物語(*1)でしょうか」
「転身物語? どうしてです?」
どうやらこのオーブをドロップしたのは33層のトラップドアらしい。
トラップドアと言うのは、いわゆるトタテグモのことだが、33層のモンスターは巨大なジグモのような形をしていて、隠された巣穴に近づくと飛び出して巣に引きずり込もうとするのだとか。
「つまりアラクネの話ですか?」と俺が訊くと、彼女はこくりと頷いた。
「そうです。アラクネがアテナに叩かれて首を吊り、蜘蛛にされる直前に永劫の呪いがどうとかいう部分があるはずです」
「へー」
転身物語は、オウィディウスの代表作で、変身物語とも訳される。ギリシア・ローマ神話を題材にとった、何かに変えられてしまう人間の話を中心に取り扱った物語集だ。
その内容も一通りは知っているが、文章の詳細までは気にしたことがなかったな。
「もちろん、蜘蛛にされたから永遠に巣を作り続けることになるのを呪いと表現しただけでしょうけど……」
「そんな感じです。そこはあくまでも雰囲気なんですよ。重要なのは機能が書かれた名称の次のブロックなんです」
三好はそう言ったが、鳴瀬さんはそれでも気になっているようだった。まあ、子々孫々に渡って呪われるようなスキルはお断りだろう。俺だってそう思う。
だが――
「大丈夫だと思いますよ。今までだって、『その叡智に触れるものは、狂気に支配されるだろう』だとか、『地獄の扉を開いて眷属を呼び出せば、地上は闇の楽園と化すだろう』とかでしたから」
「え? それを使われたんですか?」
改めて驚いたようにそう言われると、若干?軽率だったような気もして、俺は少し言いよどんだが、三好は、今更のようにあっけらかんと言った。
「そういや、全然気にしませんでしたね」
まあ、気にしていたとは言えないよな。
「それを見たときの感想は『どこのカードゲームだよ、まったく』だった気がする」
「そうそう、そんな感じでした」
「はあ」
鳴瀬さんは呆れたようにため息を吐いたが、先駆者ってのはそう言うものだ。
各種茸を始めとする食べ物だって、食べて酷い目に遭った人たちの屍の上に、知識が積みあがっていったことは間違いない。
「ですから、このスキルの機能は、ただ『布を作る』だと思います」
「分かりました。でもどうやって作るんでしょうか?」
「それは使ってみないと分かりませんね」
スキルを取得すれば、ある日突然、なんとなく使い方が分かるようになるのだ。
「だけどさ。蜘蛛の作る布って……もしかして構造タンパク質ってことか?」
「まあ、レーヨンやポリエステルの布が造られても驚きはしませんが、ドロップ元を考えるとその可能性は高そうですよね」
「最新素材じゃん!」
世界で唯一、山形県のスパイバー社(*3)が量産化に成功している合成クモ糸繊維「QMONOS」に代表される、枯渇が心配される天然資源に頼らず、サスティナブルで超高機能な次世代素材を創り出すことを期待されいてるジャンルだ。
「それはともかくですね」
鳴瀬さんがにっこりと笑って、バッグの中から一枚の書類を取り出した。
「預かりですか?」
昨日予想した通り、それはオーブの預かり契約の書類だった。
「よろしくお願いします」
確かに攻略に使用するようなタイプのオーブではないから、誰に使われるのか、どう利用するのかは難しいところだろう。〈マイニング〉と同じだな。
ともあれ、すでに〈マイニング〉を預かった前例もあるし、約束していたものは仕方がない。
「分かりました、お預かりします」
鳴瀬さんはほっとしたように肩の力を抜いた。
「ただ――」
「え?」
身構えるように顔を上げた彼女に苦笑しながら、俺は代々木のオーブの出現率の上昇と、スキルの価格低下に伴う預かり価格の問題について話をした。
それを聞いた彼女は、頷きながら現状を告げた。
「……実はすでに報告があっただけでも、今日のスキルオーブ出現個数は10個を超えているんです」
「それってもしかして、マイニングじゃありませんか?」
「どうしてご存じなんです?」
「やっぱり……」
話を聞くと、オーストラリアとアメリカが、いくつもドロップさせたらしかった。
なにしろキャンベルの魔女たるエラと、サイモンチームのナタリーの広域殲滅能力は他を圧倒しているらしい。あそこじゃ無双していてもおかしくないな。
だが、ゲノーモスの出現数自体は、リセット前に比べれば減ったということだった。
「ともかく、こちらから条件の変更をお願いするようなことがあるかどうか、斎賀と話してみます」
そう言って、鳴瀬さんは足早に市ヶ谷へと向かって事務所を後にした。
「なあ三好」
彼女を玄関まで見送って、ダイニングに戻ってきた俺は、気になっていたことを打ち明けた。
「なんです?」
「さっきの〈機織り〉だけど、何かを作り出すっていうスキルは、もしかして初めてドロップしたんじゃないか?」
それを聞いた三好は、すぐにWDAのデータベースを呼び出して、しばらく一覧を確認した後頷いた。
「確かにそうみたいです。先輩が出したリストで、ラプドフィスパイソンに〈猛毒〉ってのがありますけど、これは毒を作るというよりはたぶん攻撃魔法の一種っぽいですよね」
ダイニングの椅子に腰かけて腕を組んだ俺は、天井を仰いで、独り言のようにつぶやいた。
「跳ね上がったオーブの取得率。そして登場した、無から何かを作り出せそうなスキル。もしかしたらこれが――」
そして、三好に目を向けて言った。
「奉仕の先鞭ってことじゃないか?」
「個人が祈りの力で何でも作れる社会の始まりへの予兆ってことですか?」
「考え過ぎかな」
「増えたと言っても、今のところ少数ですからね。実際、職人が少々増えたところで、職人社会の始まりとは言えないでしょうが――」
三好は収納庫から、転移石祈りバージョンを取り出して机の上に置いた。
「なにしろ、できちゃいましたからねぇ。虚空から耳かきが作り出されても驚きませんよ」
もちろんこれに成功した人間は、世界で三好だけだろう。何しろ俺にもできないのだ。もっとも俺の場合は、作り出されたものが、祈りの力か〈メイキング〉の能力か分からないからなのだが。
その言い草に苦笑した俺は、ふと思った。
「現時点で社会のどこかに、命を懸けるような強烈な望みを持った誰かがいて、その望みは具現化すると思うか?」
種はすでにまかれている。もしもそれが芽吹いたりしたら、それが新しい創世の始まりとなるわけだ。
「今のところ、魔結晶がないと転移石はできませんから、いきなりそんなことができる人はいないと思いますけど、今後も現れないかどうかは分かりませんね」
「それなりに、なにか訓練や慣れのようなものが必要ってことか」
「祈りだって、今までの経験や知識が邪魔をしていたのか、時期尚早だったのかわかりませんからね。そもそもどうしてできるようになったのかも説明できません」
三好は、なすすべ無しといった様子でそう言うと、転移石をしまって、お湯を沸かしにキッチンへと向かった。
「そうそう、先輩。明日のファインドマンさん向けに、何か和菓子を用意しようと思うんですけど」
「なんだよ。和のおもてなしか?」
「まあお気持ち程度ですけどね。岬屋に菱葩とか売ってますかね」
岬屋はうちから歩いて行ける距離にある京和菓子の銘店だ。
趣のある誂え菓子などもやっているが、さすがに今日の明日では無理がある。
店舗は小さいから、行ってみないと何が売られているのかは分からない。
「よーするにピンクで白あんの和菓子を買ってこいってことか」
「いざとなったら道明寺はあるんじゃないですかね、季節的に」
「どこが白あんなんだよ。あ、俺、舟和の芋ようかんが食べたい」
「浅草まで行く根性があったら、勝手に買ってきてください」
「へいへい。だけど明日の生菓子を今日買っていいものか? 上菓子の餅は硬くなりやすいぞ」(*4)
「わらび粉入りだから、大丈夫じゃないかとは思うんですが……大体岬屋さん10時からですから、下手したら間に合いませんよ」
「それもそうか。んじゃま、行ってくるよ」
「よろしくおねがいしまーす」
*1) 国会議員の定数
否定ばっかしている国会中継を見つつ、ネバーネバーで納豆(710)と覚えると忘れない。
粘着質な質問でも以下略。
*2) 転身物語
オウィディウスの代表作。変身物語とも言われるが、作者的には「変身物語」っていうとアプレイウスの伝奇小説で、「変身物語集」っていうとアントーニーヌス=リーベラーリスの著作だ。だからオウィディウスは「転身物語」でいいのだ。
ちなみにこの三冊の原題は全部 Metamorphoses(古ラテン語ならメタモルポーセースで、教会ラテン語ならメタモルフォーゼス)で同じです。
*3) スパイバー
合成クモ糸繊維「QMONOS」の量産化に成功した企業で、2015年からゴールドウインと事業提携契約を行い商品を開発している。
2021年初頭には「事業価値証券化」という無形資産への投資で250億円を調達した凄い会社。
これはトウモロコシ原料の人口タンパク質素材の原料プラントに投じられるらしいが、バイオマスエタノールと同様、将来的に食料との競合で問題が起こったりしないか心配だ。
*4) 上菓子の餅
求肥(餅粉に4倍くらいの砂糖を入れたり、水あめを混ぜたりしてつくる餅生地。時間が経っても柔らかい)と違って、砂糖の量が少ないため、時間と共に硬くなる傾向が強い。
岬屋ではそれを緩和するのに、わらび粉を使うらしい。