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§209 奇跡・2 3/25 (mon)

時系列はこんな感じ。

なお、2019年のアメリカは3/19からサマータイムで、EDTとJSTの時差は13時間です。


日本      ワシントンD.C.

24日11時  23日22時(渋谷騒動)

24日22時  24日 9時(ハンドラーが報告を受けた)

25日 9時  24日20時(JDAで騒動が起こり始める)

  事務所の話はこのへん

25日14時  25日 1時(日本でDカードが出現)


 ダンジョン管理課には朝から怒涛の問い合わせが届いていた。

 最初は、朝早く代々木に潜った探索者たちからの報告だった。


「モンスターがいない?」


 代々木ダンジョンの様々な層から、突然モンスターが消えて居なくなったというのだ。歩き回ってもまったく遭遇しないという。

 

 モンスターを捕食する、強烈なユニーク個体が現れた可能性もある。事故が起こる前に立ち入りを禁止するべきだろうか。しかし、複数層に渡って同じことが起こるのはどうにも変だ。

 通常モンスターは階層を移動しない。同時に複数層でそういったユニークが登場するという可能性は……ゼロではないか限りなく低いだろう。


「1層のスライムは?」

「今のところ見に行った探索者がいないので報告は上がってきていませんが、もしかしたら」

「18層のマイニングチームのどれかに連絡してみてくれ」

「了解です」


 ダンジョン内で携帯電話が使えるようになって本当に助かったなと斎賀は思った。

 

 しかし、もしも18層の無限に湧き出すかのようなゲノーモスまで消失していたとしたら、代々木ダンジョン全体からモンスターが消えたことになる。一体何の前触れだろう?


「課長!」


 主任の坂井が、慌てた様子で課長室のドアから身を乗り出していた。


「どうした? 何かあったのか?」

「ま、魔結晶が消失したそうです!」

「また、筑波か!?」

「いえ、それが――」


 坂井の報告によると、JDAの倉庫内の魔結晶がきれいに失われていたことが、発覚の発端だったらしい。

 つくばのことを知っていた職員が、それを見て、各地のJDA支部や企業の研究機関に連絡をとってみたところ――


「どうも日本中の魔結晶が消失しているようなんです」

「日本中……?」


 日本中に例のミカンがばらまかれたとでも言うのだろうか?

 それとも他の……モンスターの消失と何か関係が?


「他のダンジョンにも、モンスターがどうなっているのかを問い合わせてみろ!」

「分かりました」


 ダンジョン内で携帯が使えないダンジョンは、情報が伝わるのに時間が掛かるだろうが、それでも1層がどうなったかはすぐに調べられるはずだ。


 何かが起こっている――それは確かだ。

 だが、それがなんなのかは、未だに見当もつかなかった。


 ダンジョン管理課の職員は、それぞれが各地のダンジョン入り口を管理している部署や、研究所等への問い合わせを引き続き行った。

 

 そうして数時間が経つ頃には、起こったことの全貌が明らかになった。

 

 結果は予想していたとおり、日本中のダンジョンから一時的にモンスターが消えて、ついでに日本中の魔結晶が消失していたのだ。


「いったい何が起こってるんだ?」


 まさか昨日の報告にあった、渋谷の騒動と何か関連が……斎賀はスマホを取り出すと、鳴瀬美晴と書かれた番号をタップした。

 

 丁度その頃、日本中でDカードの出現騒ぎが起こっていたのだが、研修で取得させられるJDA職員にDカードを持っていないものはいない。


 そのため、外部からそれが知らされるまで、しばらくの間、誰も奇跡には気が付かなかった。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


 DADは大統領直属の機関で、その報告は首席補佐官から直接届けられるが、日本の監視チームは混成チームとはいえ所属はCIAだ。

 渋谷騒動が起こった翌朝、CIA長官のジーン・カスペルが携えてきた報告に、ハンドラー大統領は、冷たい汗が背中を流れるような気がした。


「日本に、タイラー博士が現れたそうです」

「は?」


 その一報を聞いた彼は、ダンジョン発生に関する機密情報がつまびらかにされる日が来たのだと覚悟した。

 ところが、ジーンが行った報告の詳細は、大統領の想像の斜め上を行っていた。


「日本の政府機関が、ダンジョンの向こう側の何かをデートに誘って、それが白昼堂々渋谷に現れたかと思ったらタイラー博士だった?」


 彼は冷や汗から一転、目を白黒させるしかなかった。


「すまないがジーン。君が何を言っているのか、私にはまるで理解できないんだ」

「大丈夫よ、アルバート。私も報告を見たとき同じ気持ちになったから」


 彼女は書類で口を隠すようにして笑うと、砕けた態度でハンドラーに応えた。

 そこに書かれている言葉の意味は分かっても、それが何を言っているのかは理解の埒外だったのだ。

 

「だけど、放置はできないわね」


 ジーンが差し出した資料には、監視チームが捉えた男の写真が添付されていた。それは確かに、ザ・リングで行方不明になった男のように見えた。


「それで、このタイラー博士らしき男は確保したのか?」

「いえ――」


 この情報がもたらされたのは、日本政府が新設したD交流準備室とかいう名称の機関から、護衛対象が判然としないにもかかわらず警備部に依頼が来たことに端を発していた。

 あまりに状況がはっきりしなかったとはいえ、新設部署はダンジョンの向こう側とのやりとりを行うために生まれた部署のはずだ、これはあくまで、念のための監視ミッションだったのだ。

 

 そのため、突然発生した、各国のエージェントらしき連中のタイラー争奪戦を、ただ横から眺めていることしかできなかったらしい。


「行動指針をしっかりと指示できなかった我々のミスね」

「リソースは有限だ。すべてに全力を投入することはできないさ。だいたい、白昼堂々、東京有数の繁華街のど真ん中でスモークグレネードをぶっ放すバカがいるなんて誰に想像できる?」


 報告書の詳細を読みながら、それを持った両手を開いて肩をすくめたハンドラーは、一体どこのバカがそんなことをやらかすのかと口をへの字に曲げた。


「それで、クローゼットの中の骨(*1)を持って行ったのは、どこの誰なんだ?」

「大騒ぎを演出した黒服面の連中だったそうだけど――」


 ジーンは、その報告のあまりのばかばかしさに、一瞬言いよどんだが、諦めたようにそれを口にした。


「骨は誰にも拾われることなく、突然消えて、いなくなったそうよ」

「消えた?」


 周囲から駆け寄ってくるいくつかのチームを尻目に、スモークを打ち込んだチームは、真っ先にタイラー博士まで駆け寄ると、手際よくそれを拉致しようとしたらしい。

 張っていた各国のチームも、まさか東京のど真ん中でそんなことを実行する組織があるとは思わず、一瞬対応に躊躇した。それが明暗を分けたのだ。

 

 黒服面たちが、両側からタイラー博士を拘束して、やってきた車に押し込めようとしたところで、彼は、まるで空気に溶けるようにいなくなったのだそうだ。

 拉致しようとしていた連中が呆然として動きを止めたところで、日本の当局が何人かを取り押さえたということだ。

 

「騒ぎを起こしたもののうち、何人かは日本の当局に取り押さえられたそうだから、日本に問い合わせればもう少し詳しいことも分かるでしょうけど……」

「我が国の国民に犠牲が出たわけでもないし、死者が出たわけでもない他国の騒動に、わざわざホットラインを使う訳にはいかんか」


 それは、ステイツがこの事件に大きな関心を寄せているという大きな証拠になるだろう。最悪、足下を見られかねない。


「テロだということにして、大使にお見舞いの言葉を送らせるというのはどう?」

「それだ」


 大統領は、秘書にアポイントと手続きを依頼すると、印刷された写真をもう一度取り上げて言った。


「これをタイラー博士だと認識した国があると思うか?」

「彼はそれなりに有名人だったから。仮にその場にいなかった国でも、場所は東京有数の繁華街の駅前。監視カメラには事欠かないわ。それを押さえたとしても――」

「なんだ?」

「SNSへ投稿された数も結構なものでしたよ」

「相当数の映像が残っているということか」

「時代ね」

「圧力をかけて削除させることは?」

「ようこそ、民主主義の国へ(*2)」


 ジェシーの言い草に苦笑したハンドラーは、予想される各国の問い合わせに対して、どのように言いつくろうべきなのか逡巡した後、インターホンに向かって言った


「ジョーに連絡を取ってくれ」

「承知しました。大統領」


 ジョー・ボルトンは、国家安全保障問題担当大統領補佐官だ。これは、もはや、国家安全保障会議の助言を仰ぐ必要がある事柄だろう。


「それじゃあ、情報はレイに引き継いでおくわ」


 国家安全保障会議に参加する情報関係のアドバイザーは国家情報長官だ。


 以前は、CIA長官が兼任していたが、現在では国防総省との軋轢などが原因で別の人物がその職に就いていたため、ジーン・カスペルは参加できない。現在の長官は、ダニー・レイ・コーツだ。

 

「ああ、すまない。しかし、消えた、か」

 

 ハンドラーは、どうしてそんな場所にタイラー博士が現れたのかや、今までどうしていたのかなどの尽きない疑問はさておいて、いきなり空中から現れたり、いきなり消えてしまったりすることの方が重要だと考えていた。

 

 突然現れることができるというなら、突然消えることもできるのかもしれない。だがそれは――


「フーディーニやカッパーフィールドなら種もあるんだろうが……こいつは、安全保障上の危機ってやつかな?」

「危機ね」


 当面、JDAが発表した転移石がテロリストたちに利用できないことは、ハガティからの連絡で分かっている。だが、ダンジョンの向こうにいる連中が、何処にでも現れることができるというなら、潜在的な脅威としては同じことだ。

 ましてや、どういうわけか、()()はタイラー博士の姿をしていたのだ。他の誰かの姿になれない理由があるとは思えなかった。例えば大統領たる()の。


「とはいえ、対抗手段はなし。できるだけ友好的な関係を築くしかないってところか?」

「ダンジョンの入り口を何かの手段で閉じたとしても意味はなさそうね」

「件の転移石とやらの研究をさせるしかないだろうな」


 そうすれば、なんらかの対応策を取れるかもしれない。

 

 彼らに今のところ表立って人類と敵対するような行動はない。

 我々よりもずっと進んだ科学力を持った何かなら、ずっと進んだ倫理観も持っておいてほしいものだと、彼は祈った。

 

 幸いと言っていいのか、どうやら日本が先鞭をつけたようだ。

 

 彼の国は同盟国だ。

 彼らの行く末を見守りつつ、時代の流れに取り残されないよう、微妙で難しい舵取りが要求されることにはなるだろうが、未知の知的生命体を直接相手にするよりはましかもしれないなとハンドラーは前向きに考えることにした。

 できるだけ美味しい分け前さえ手に入れられるなら、無理をする必要はないだろう。何しろ相手は武力を盾にした、ごり押しが通用しないのだ。

 

 フロンティア精神には反するがね、と彼は内心苦笑した。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


「いやー、昨日は参ったな」


 昼飯の後始末をした俺は、事務所のソファーにだらしなく寝そべりながらそう言った。

 頭の上で我がもの顔にそこを占有していたグラスだかグレイサットだかが、邪魔そうな目つきで、俺の頭を尻尾ではたいていた。こういうふてぶてしい態度を取るのは、たぶんグラスだろう。

 

 鳴瀬さんは、昨日の事後処理でどうやら天手古舞らしく、うちでのんびりしている余裕はないようだった。


「結構ニュースになってますし、SNSは渋谷の映像で埋まってますよ。そりゃもう凄い数です」

「あそこにいた全員がカメラマンになってたもんなぁ」

「スモークグレネードが飛んできても誰も逃げませんでしたからね。きっと銃撃戦になっても踏みとどまってましたよ、あれ」

「歴戦の戦場カメラマンかよ……」


 悪く言えば平和ボケだろうが、見方を変えれば、日本がそれだけ平和だということだ。それは悪いことばかりではないだろう。

 政治家を始めとする国を動かす人たちがそれでは困るだろうが。

 

「しかし、これだとタイラー博士だって絶対にバレただろ。どうすんだ?」

「それはアメリカが考えることですからねぇ」


 三好は、知りませんよとばかりに、わざとらしく腕を組んで頭を振った。

 それもそうか。


 三好はソファから立ち上がると、ダイニングテーブル上に広げたきれいな布の上に、ダンジョンの石と魔結晶を取り出して、ああでもないこうでもないと百面相を始めた。

 例の祈りバージョンは、未だに作成に成功していないのだ。自らの神に祈るってのは、本当に難しいようだ。


「やっぱ、あのおっさんくらい信仰がなきゃだめってことかな」

「おっさん?」

「ほら、昨日の怪しげな」


 俺たちが乗ったエレベーターのケージに飛び込んできて、フランス語でまくし立てた、あのおっさんだ。


「あれって信仰心ですか?」

「そう言われれば微妙かもしれないが、あれは本物っぽかったろ?」

「狂信的って意味でですか?」

「そうだ。だけど信仰ってそう言うものだろ」


 神の存在を確信することを信仰と呼ぶなら、あれは確かに信仰と言えるだろう。

 多分に欲と俗にまみれてはいたようだが。


「ちょっと怖かったですけど」

「神は畏れるべきものだからな」

「なんです、その、いいこと言った的なドヤ顔は」


「だけど、どうして急に姿を現したりしたんでしょうね?」

「そうだな――俺たちとの関わりは、所詮個人的レベル。せいぜいが友人ってところだろ?」

「そうですね。先輩のスキルの効果を無視すれば、ですけど」

「まあ、それは分からないことが多い話だから置いておこう。ともかく、彼だか彼女だかは知らないが、それが欲しいのは奉仕する対象だ」

「はい」

「こっちの世界の社会構造を学習しているとしたら、こないだの準備許可といい、国家からのお願いは渡りに船だったろうな」


 日本人だけでも世界の人口の1.7%(*3)、一億二千万人以上いる。とっかかりとしては十分だろう。


「だけど、奉仕って具体的に何をするんです?」

「そこだよ」


 俺たちは、すでにダンジョンの向こう側の連中が起こす、奇跡のような事象について多少の知見を持っている。

 それがすべて奉仕により可能になるのだとすると――


「ダンジョンのように別の空間を作ったり、人間をテレポートさせたり、オレンジやサーモンや無限に回収できる麦や鉱石からも分かるとおり、有機物や無機物を作り出したりもできそうじゃないか?」


 ついでにエネルギーまでそれで作り出せる感じだ。


「高度な技術と、素晴らしい茶葉を用いて淹れるのと同じお茶を、その場で作り出したりできるわけですね」

「最終的に、経済や貨幣なんて概念はなくなるかな?」

「それは分かりませんよ」

「まあ、そうか」


 AさんとBさんが同じものを作り出せるなら価値の移動は不要だが、その品質に差があるなら、いいものを作り出した人間はそれを売ることができるだろう。

 価値の尺度であり、交換の媒介であり、蓄蔵できるなにかを貨幣と呼ぶなら、貨幣は存在し続けるはずだ。


「でも、そうなったとしたら、人間は普段、一体何をすればいいんですかね?」


 生きていくために仕事をする、が、文明が生まれる以前から動物たる人間の行動原理だ。

 何もしなくても十分満足感を得られるレベルで生きていけるとしたら、人は一体何をするのだろうか。


「そりゃもう、真理の探究と、芸術や娯楽の探求と、後は、昼寝かな」


「貴族制時代の貴族ですか? なんとも腐敗した楽園が生まれそうな気が……」

「あれは特権を有する人が、全体のごく一部だったからああなったわけだけど、こいつはフラットなんだぜ」


 芸術家はパトロンを求める必要がないし、研究者も同様だ。

 誰かに援助されるなんて概念は存在しないのだ。

 

 どんな機材も自由に手に入るし、どんな研究も誰にも邪魔されず行える。それはものすごく危険なことのような気もしないでもないが。


「すべてがDファクターに還元するというのなら、ごみ問題も発生しないし、環境問題も解決だ」

「それって楽園だと思います?」


 すべての人間が、なんでもかんでも自由に作り出せる世界。


「楽園かどうかはともかく、問題は、人類にとって、それは突然のパラダイムシフトだってことだな」


 ある日突然、すべての物欲が満たされる世界が訪れる。

 ほとんどの人類は、その力を利用して、旧来の世界での行動をトレースするに違いない。そうしたら――


「まずは、通貨の暴落が発生しそうだよな」

「テロが横行したり、経済活動が停止してですか?」

「その可能性もあるが、最初はそんな影響は微々たるものさ。最大の要因は全員が通貨を大量に作り出し始めるからだよ」

「ああ……」


 車が欲しいなら車を作り出せばいいわけだが、おそらく最初は通貨を作り出して買おうとするんじゃないだろうか。

 

 念じれば一万円札が手に入るのだ。大富豪ならともかく、そうしない人間がいるとは思えなかった。

 ものすごいスピードでインフレが加速するだろう。

 

 その次は経済活動の停滞だろうか。高額な宝くじに当選したら仕事を辞めるという、あの心理だ。


「そして、ダンジョンめいた亜空間が大量に作り出され、国家が意味をなさなくなり、民族や氏族が勝手に独立を宣言して、世界が細分化されていく」


 なにしろ、ひとりで孤立したとしても、不便なく生きていけるのだ。しかも予算は無限大。

 

 物欲のすべてが満たされ、愛する人間すらコピーを作成することができるようになるかもしれない。だが、作り出した彼女が自分を好きになってくれるかどうかはわからない。

 彼は彼女を閉じ込めて自由にするかもしれないが、コピーで作り出された彼女の人権は一体どう扱われるのだろう?


「そうしたら武器も大量に作られるだろ。他のコミュニティからの攻撃を恐れて」


 相手のコミュニティから何かを奪う必要なんて、まったくないのだが、おそらくそんなことは考えもされないだろう。

 二つのコミュニティがあれば、相手を恐れるのが人間だ。銃社会から銃がなくならないのは、伊達じゃないのだ。


「そして大量に、薬物にふける連中が生まれるだろうな」


 最も単純かつ気持ちがいい探求は、快楽の探求だ。それに溺れる者は少なくないだろう。


「そして人類なら――娯楽で戦争を始めそうな気がする」


「なんだか、お先真っ暗じゃないですか」

「まあ、一般人が今すぐ突然ダンジョンの力を持ったらって話だからな。いくらなんでも現代日本の舵を取るような連中が、いきなりそんなバカなことを認めるはずが――」


 ないかな? 結構怪しそうな人がいないかな?

 俺が知っている偉い人を思い浮かべて検討し始めたとき、三好が珍しく素っ頓狂で裏返ったような声を上げた。


「あ、あれ?」


 俺は、頭の上のグラスをつまんでどけると、体を起こして「どした?」と聞いた。


「せ、先輩! これ、これ、これ!!」

「ん?」


 俺は、彼女が指さしているダイニングテーブルの上を確認しようと移動すると、敷かれた布の上には、石ころが一つ乗っていた。


「なんだ?」


「で、できちゃったかもしれません……」

「なんだと!? 相手は誰だよ?」


「はっ?」

「はっ?」


 一瞬顔を見合わせたあと、三好は突然鋭いアッパーを繰り出してきた。


「ごはっ!」


「何を考えてるんですか! バカですか、先輩!?」

「あ、あたた。暴力反対。いや、紛らわしいことを言うお前が悪いと思うんだが、で、何ができたって?」


「転移石……かもしれないものでしょうか」

「まさか、祈りバージョンか?!」

「ええ、まあ……」


 どうやら机の上には魔結晶と石が置いてあったらしい。

 それで、なんとなく祈りの練習みたいなものをしていたのだそうだ。そしたら、突然魔結晶が溶けたのだとか。


「そうか、ついに……って、かもしれないってなんだよ。お前、仮にもワイズマンなんだから鑑定してみればいいだろ」

「あ、そうか!」


 三好がそれを見つめた瞬間、一気に微妙な顔になった。


「で?」

「石(ダンジョン産)、だそうです」

「全然できてないじゃん」

「あれぇ? じゃあ魔結晶はどこに?」


 その時ロザリオが突然綺麗な鳴き声を上げた。

 ふとそちらを見上げると、壁の時計が14時を指していた。


「今までの例から行くと、近場で誰かがDファクターを消費した影響ってのが一番ありそうだが……」

「この近くですか? 代々木で何かあったとか?」


 三好が、新しい魔結晶を〈収納庫〉から取り出して石の傍に置いたが、それは勝手に溶けたりしなかった。


「なにかあったとしても、一瞬だったってことかな?」

「そうですね。ちぇっ、ぬか喜びしちゃいましたよ」


 そう言って彼女がツンと魔結晶をつつくと、それが光と共に音もなく空気に溶けて、机の上の石ころがかすかに光を帯びた。


「え?」


 それは一瞬の出来事だったが、以前俺たちがダンジョンの一層で初めて転移石を作った時と同じ現象だったように思えた。


「み、三好。鑑定」


 しばらくそれをじっと見ていた三好が、微妙な顔を俺に向けた。


「で、できちゃったかもしれません……」

「相手は――」

「それはもういいですから」


 俺のセリフをすっぱりと遮った三好が言うには、鑑定すると確かに『転移石』と書かれているそうだが、俺が作ったものとは表記が違うらしい。


「表記が違う?」


「はい。先輩のは転移先だとか、最近の奴は細かいルールだとかが明文化されてるんです」

「え? 本当に?」

「はい。ところがこれは、『転移石』としか書かれていないんです。使ったら、なんだか分からない世界に飛ばされそうな、やな感じがしません?」


 うーん。しません? と、聞かれてもなぁ……


「普通に考えたら、使用時にとび先やルールを決められる超フレキシブルな転移石なんじゃないか?」

「じゃ先輩、帰還石を持って、これを使ってみます?」


 帰還石があれば、どこに転移しても戻ってこられるってことだろうが……

 転移した先が、星の中心部や、マリアナ海溝の底や、何もない宇宙空間や、ついでに原子炉の中だったりしたら帰還石を使う暇があるとは思えない。*いしのなかにいる*ってやつだ。


「いや、ちょっとそれは……」

「でしょ?」


 物語なら、死刑囚に使わせてみるというところだろうが、この場合は、もしもどこかに正常に転移しても、そのまま逃げて戻ってこないって可能性が高い。というよりも戻ってこないだろう。

 つまり、行った先に問題があったのか、自らの意思で戻ってこないのかが分からないわけだ。

 

 強力な発信機を身に付けさせて、世界中の協力を得た上での実験なら可能かもしれないが、現実には難しいだろう。大騒ぎになって収拾がつきそうにない。


「だけどなんで突然?」


 俺たちは首を傾げながら追試を始めた。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


『くそっ、なぜ私がこんなところに軟禁されなければならんのだ!』


 フランス大使館から程近い、それほど高品質とはいえない狭い部屋に、彼は閉じ込められていた。

 

 抵抗したにもかかわらず、彼は、任意という名の強制で、あの忌々しい中佐に連れて来られて、CDコマンデ・ドンジョンにしたオーダーについて詳しく聞き取りをされたのだ。

 

 今日も14時半から昨日の続きがあるらしい。

 

 部屋に備え付けられていた、忌々しいティーバッグという名のダストの牢獄から絞り出した茶を口にしながら、やはりCTC(*4)など茶ではないなと眉をひそめていた。


『しかし、やはり神はいたのだ』


 彼は味もそっけもない紙コップをテーブルに置くと、熱に浮かされたように宙を見つめた。


『ああ、願わくばもう一度!』


 彼がそう願った時、部屋の時計の長身が12の位置を指して、彼の目の前に光の粒が集まった。

 それを驚くように見つめながら、彼は歓喜の声を上げた。

 

『おお! おおっ!』


 三十分後、ブーランジェ中佐の部下がその部屋を訪れたとき、彼は人が違ったかのようににこやかで協力的になっていた。


*1) クローゼットの中の骨

"skeleton in the closet" は、"良くない秘密"を表す英語圏の表現。

boneには、争いの元などの意味もある(犬が骨を取り合う様から)ex."a bone of contention"


*2) ようこそ民主主義の国へ

1997年、江沢民総書記が訪米した際に起こったは在米チベット人のデモを受けて、中国側がその取り締まりを要請したことを記者会見時に聞かれた報道官が言った言葉。


*3)1.7%

2017年調べ。


*4)CTC

紅茶の製法のひとつ。Crush Tear Curl の略で、主にティーバッグ用に細かく茶葉を裁断しておくことで素早く抽出することができるようになっている。

セイロンやダージリンでほとんど使われていないが、産地の歴史が浅い地方や、アッサムの一部では積極的に導入されている。

対して、昔ながらの製法は、オーソドックスと呼ぶ。まんまだな。


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昨日から、Dジェネシス3巻の予約がamazonで始まりました。

発売は、来年1月26日です!


これもひとえに購入してくださった皆様のお陰です。ありがとうございました。


詳細は、https://d-powers.com からどうぞ。


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書籍情報
KADOKAWA様から2巻まで発売されています。
2020/08/26 コンプエースでコミックの連載始まりました。
作者のtwitterは、こちら
― 新着の感想 ―
日本国籍を持ってない狂信者のおっさんも奇跡を起こせたのは何で? D=ka-doは持ってたからか?
大統領って酒で交渉とかしてた有能な人物じゃなかった???
[気になる点] 展開は面白いけどとんでもなくグダってダンジョン行く暇なさそうな気がしてる 転移石はアヌビスあたりに実験台になってもらえば良いんじゃなかろうか [一言] アルスルズ「嗜好品が欲しい」
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