§020 防衛省との取引 11/5 (mon)
そうして迎えた次の日は、アホみたいに良い天気だった。
「こう、どこまでも見渡せるくらい空が青いと、なんだか自分が小さな虫になったみたいな気がしますね」
昨日、あれから行った三好の慰労会で、ワインをしこたま飲んで酔っぱらった三好が、まぶしそうに目をすがめてそんなことを言った。
お前のそれは、ただの飲みすぎだ。
「ピンクの頭とピンクの斑点に彩られた、光沢のある黒い虫か?」
「うちのオフィス?は2Fですけどねー」
「なら、下の花壇までつれていった僕のお守りで、友達だ。2Fに上がってくるのを待ってるよ。18Fよりはずっと近い」
「下に花壇、ないですけどね」
三好はさりげなくチャンドラーごっこに付き合ってくれるいいやつだ。(*1)
「残念ながらここも17Fまでしかない」
「いや、先輩、それはもういいですから」
JDAの変なビルを見上げながら、そう言った俺を、呆れたように遮った三好は、足早にロビーへ入って3Fを目指した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「では、こちらを」
精悍な、制服を着た30代くらいに見える寺沢と名乗った男が、メモリカードを差し出した。
三好はそれを受け取ると、モバイルノートのカードリーダーに差し込んで、素早く符丁を確認した。
「確認しました。ものはこちらになります」
そういって、3つのチタン製の蓋を開けて、オーブを見せた。
「ご確認下さい」
そういって、JDAの立会人――鳴瀬さんだ――に向かって、箱を並べた。
ここで直接相手に確認させたりはしない。何しろオーブは触れて使ってしまえばそれまでなのだ。なにをどう抗議しようと、ものは戻ってこない。
だから、立会人が内容を保証して、振り込みを確認後にオーブを渡すのが通常の流れだ。
鳴瀬さんは神妙な顔で、3つのオーブに順番にふれた。
「確認しました。JDAはこれを水魔法のスキルオーブだと保証します。オーブカウントは……すべて60未満」
その言葉を聞いた瞬間、相手方から小さなどよめきが聞こえた。
信じられないと言った空気が、その場に広がる。
「確認しても?」
「お振り込み後にお願いします。お金は取り戻せても、オーブの使用を無かったことにはできませんから」
三好がそう言うと、しっかりした人だと笑いながら、精悍な男が、支払い端末を操作した。
「ご確認下さい」
WDAライセンスで行うダンジョン関係の取引は、必ず管理機関――国内ならJDAだ――を通して行われる。支払われたお金は、JDA管理費とダンジョン税を引かれて、相手先のライセンスに紐づけられた口座へと入金されるのだ。税金の取りっぱぐれはない。
「確かに確認いたしました」
そう言って三好は、3つの箱を並べて相手に差し出した。
「どうぞご使用下さい」
さっそく寺沢と名乗った男が、それに触れて頷いた。
「確かに」
「ではこれで、取引は終了です。みなさまありがとうございました」
そう鳴瀬さんが宣言すると、室内は弛緩した空気に包まれた。
「それで、三好さん」
「はい」
「どうやって3個もの指定通りのオーブを、1時間以内にダンジョンからここへ? 時間内に運べそうなのは戦闘機でも使わなければ代々木だけだが……」
寺沢と名乗った男は、心底不思議そうに聞いてきた。
「企業秘密です」
と三好が微笑む。
「まあそうでしょうな」
男は腕を組んで難しそうな顔をした。
面倒なことになりそうな空気を感じた俺は、鳴瀬さんに話しかけた。
「では、次はJDAさんとの打ち合わせですね?」
「あ、はい」
それに寺沢と名乗った男が割り込んだ。
「お待ちを。今少し話があります。君」
そういって寺沢氏は、隣に座って、一言も発していない背広姿の男に話を振った。
それはこれと言って特徴のない男だった。
「始めまして。私のことは、田中とでもおよび下さい」
「はあ」
「私の所属を明かすことは出来ませんが、この席には、関係省庁の命をうけて座っています」
なんだそれ?
「つまり政府の偉い人ですか?」
俺は三好よりも先に話しかけた。
彼はそれに直接答えず、書類を差し出して、衝撃的な内容を告げた。
「三好梓、芳村圭吾の両名につきましては、ただ今をもって、海外渡航等の自粛要請が出されました」
「はい?」
渡された書類を確認すると、ダンジョン庁長官・外務大臣・国家公安委員長の連名になっていた。
いや、ちょっとまて。いくらなんでもメンバーが大げさすぎる。
「えーっと、何が何だかわからないのですが……」
「先日、Dパワーズで行われたスキルオーブのオークションをうけて、現在世界中の諜報機関が活性化しています」
「はい?」
「つまり、あなたたちが渡航すると、国家の安全保障に重大な問題が生じる可能性があるのです」
「いや、そんな大げさな。って、ヨーロッパやアメリカへも?」
「だめです」
「そんな、馬鹿な」
「もし、どうしても必要がある場合は、こちらまでご連絡下さい。警備部から人員が派遣されます」
そういって、名前とナンバーだけが書かれたカードが渡された。
「ええ? いや、私は民間人ですけど……」
警備部は、一般にVIPの警備を行う部署だ。しかし田中と名乗った男はそれには答えなかった。
「勧告は必ず守られるものと信じております。では、私はこれで」
一方的に要件を告げて立ち上がった男は、寺沢と名乗った男に黙礼して部屋を出て行った。
「えーっと、今のは?」
何が何だかわからなくて、残っていた寺沢氏に尋ねたが、答えはすげないものだった。
「私が関知することではありません。上から頼まれて同席を許しただけですので」
「はあ」
「それでは私もこれで。良い取引が出来てよかった。またなにかありましたらよろしくお願いします」
そう言って彼は三好に手を差し出した。
「こちらこそ。お買い上げありがとうございました」
三好はそう言ってその手を握った。握手をすませると、寺沢氏も足早に部屋を出て行った。
「結局、ここでは使わなかったな」
「そうですね。でも市ヶ谷本部はすぐそこですし。時間もたっぷり残ってましたから」
「まあな」
「それより先輩」
「ん?」
「ヨーロッパに美味しいものを食べに行く計画が……」
「SPに囲まれながら行きたいか?」
「ううう。さよなら、私のアンコールワット」
よよよと泣き真似をしながら、三好が会議室のテーブルに突っ伏した。
「えーっと。皆さん?」
「あ、鳴瀬さんもお疲れ様でした」
「あ、お疲れ様でした」
「考えてみれば凄いですよね」
「なにがです?」
鳴瀬さんが不思議そうな顔をして、頭をかしげた。
「鳴瀬さん、いましがたの30分で、7億6千万以上稼いだんですよ?」
「は?」
「うーん、手数料収入って美味しいですね」
「いえ、しかしそれは私のお金というわけじゃ……」
「こんなに稼いでるんですから、ボーナスがっぽり貰って下さい」
「はぁ……ところで、午後まで時間がありますから、お昼ご飯にでも行きませんか?」
そう話題を変えた鳴瀬さんに、三好はがばっと顔を上げて、元気に言った。
「はい! 南島亭ですか?」
「あのな……」
南島亭は四谷にある、とても男らしいフレンチを出す、ちょっとクセになるお店だ。おみやげも一杯くれる。
一応ランチもあることはあるのだが、漢らしくグランメニューもオーダーできる。三好と一緒にいくと、大変、大変危険なお店だ。
「そんなカネはない」
「え? お金はさっき稼ぎましたけど」
「あ、そうか……だが時間がない」
三好はちらっと自分のノートの時間表示をみたらしく、つまらなそうに頷いた。
「JDAの裏にある『すらがわ』でいいだろ」
「先輩、すらがわ好きですよね」
「実に普通で安心できる。まあまあお財布に優しいし、近いところも良い。後、ビルの名前とロゴが諸星先生のような雰囲気で大変よろしい」
「なんですそれ?」
ビルの名前が妖怪ハンターの主人公の名字と同じで、しかもそのロゴがカタカナで明朝体なんだけれど、ちょっとゆがんでいて大変味があるのだ。主にホノクライ世界方向に。
近くの人は是非行ってみてほしい。すらがわ全く関係ないけど。
「えーっと……」
申し訳なさそうに鳴瀬さんが言った。
「あの、よろしければ、うちの社食で」
JDAの社食は、職員が一緒でないと入れない。
なかなか美味しいという噂だったが、俺たちは利用したことがなかった。
俺と三好は顔を見合わせると、コクコクと頷いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「JDAってずるいですよね」
食事を終えた後、三好が廊下を歩きながら憤っていた。
「あーんなボリュームのあるトンカツ定食が、たった500円ですよ? ヤスウマの牛丼ですかっての」
「割とうまかったな」
「割とじゃないですよ。WDAライセンスで一般のエクスプローラにも解放して欲しいです。週3で通いますよ!」
「いや、うちからだと電車代で足が出るだろ」
八幡から市ヶ谷は小田原線と総武線を使えば290円、カードを使うなら278円だ。往復で556円。トンカツが1000円は高いとは言えないが週3に値するかは微妙なところだ。
「あ、そうか」
ついさっき億万長者になった女とは思えない発言に、鳴瀬さんもくすくす笑っていた。
「鳴瀬さん。JDAとのミーティングって、誰が相手なんですか?」
「私の上司の上司あたりだと思いますけど……私もちゃんとは聞いてないんですよね」
「へー。どんな人です?」
「斎賀さんと仰るダンジョン管理課の課長で、話の分かる方ですよ」
「どんな話になるにしろ、それならよかった」
そういって、俺たちが会議室への扉を開けると、そこには60くらいのオッサンが座っていた。
*1) Raymond Chandler. "Farewell, My Lovely"
主人公がロサンゼルス警察署の18Fにあるオフィスで見つけて、外の花壇にそっと放してやる虫。
主人公は、その虫が18Fに戻るのにどれくらいかかるんだろうと考えます。
突然の主人公の行動と台詞に、なにいってんだお前と、真顔で突っ込みを入れそうなシーンだけに印象に残ります。