§205 転移石の影響と野次馬根性 3/23 (sat)
その日の午後、私邸で昼食をとった井部首相は、グランドハイアットのフィットネスクラブ、NAGOMIにいた。
そこで、少しだけ運動をした後、汗を流すべく暗く静かで、檜の香りのするサウナルームの、2段になった座席の下段にゆっくりと座っていた時、誰かが扉を開けて入室して来た。
この時間は貸し切りのはずだし、不審者はSPが通すはずがない。
不思議に思いながら見上げた先では、足元の間接照明が、その男の顔を浮かび上がらせていた。
『伴も連れずに、こんな場所までいらっしゃるとは、一体何事です?』
扉を開けて入って来たハンサムな男は、駐日大使だったのだ。
『時間的余裕がなかったので、失礼を承知で無理を通させていただきました』
ビジネスで培われた、並外れた交渉力を期待されていた男は、前置き無しでいきなり本題を切り出してきた。
『ハンドラー大統領は、日本が秘密裏に別の世界と接触をして、良からぬことを考えていたりしないかと、深く憂慮していらっしゃいます』
そう言って、彼は、タブレットを差し出してきた。
もちろん、こんな場所に持ち込むことはできない代物だ。温度が上がれば防水機能も怪しいものだ。どうやって、ねじ込んだのか興味はあるが、井部は黙ってそれを受け取った。
掌にひんやりした筐体を感じるところをみると、冷たいタオルにくるんでいたらしい。
『あなたの裸体を撮影する趣味はないのでご安心を』
冗談なのか判断に困るセリフを吐きながら、彼は井部がそれを読むのを待っていた。
井部は見るまでもなく、それが帰還石・転移石のサイトだろうと予想していた。昨日の午後、村北内閣情報官から、今日公開されると言う知らせがあったのだ。
その後、ノーベル平和賞を受賞したマララさんとの会談があったため、詳細を詰める時間はなかったが、対応策はそれまでに検討されつくしていた。
『代々木では、ダンジョン内で携帯が使えるようになりました。それも突然に』
ハガティは額に浮かんだ汗をタオルでぬぐいながら言葉を継いだ。
『政府や省庁、そして経済界にとってそれが寝耳に水だったことは承知しています』
なにしろ、それはJDAも巻き込んだ大規模な通信基地建設プロジェクトの計画中に起こったのだ。
日本やJDAが、その実現そのものに関与していないことだけは明らかだった。
『いずれにしろ、こんなことが起こったのは、後にも先にも代々木だけです』
まるでそれがあり得ないことのように、ハガティは腕を広げて呆れたような様子を滲ませながら言った。
『そのことだけでも疑うには十分ですが、今度は「転移」ですって?』
井部は読むともなく目を通したタブレットを、ハガティに返した。
『この技術に関しては、世界中がその詳細を知りたがっています』
『軍事に利用できるか、ということでしたら、できないそうですよ』
井部は目を閉じて、両手で顔をぬぐいながらそう言った。
その答えには、日本政府があらかじめこのアイテムの情報をJDAから得ているという意味を含んでいた。
『技術の詳細が公開されていない以上、それをそのまま信じる国はないと思いますよ』
大使はやれやれとばかりにかぶりを振って、井部の言葉を否定した。
核爆弾を作っていないと言う証明のためには査察が必要だ。転移石に何ができるのかを知るためには、当然その技術の詳細が必要なのだ。
それは安全保障の観点からも、USが技術的な利益から取り残されないためにも必須の情報だった。
転移ができる場所というのならともかく、対象は石だと言う。
もしそれが本当ならば、転移ができること自体が重要なのであって、目的地の設定などは付属するプロパティにすぎない。
AからBへ転移できるなら、AからCへ転移できないと考える方がどうかしているのだ。いまここで話をしている間にも、世界は、その秘密に近づかんと活動を開始していた。
『なにしろ事態は、核の保有よりも深刻なのです』
仮に日本が核武装したとしても、一部の近隣諸国以外はそれほど大きく反対したりはしないだろう。
自国の防衛は自国で。それがハンドラー大統領の基本姿勢だからだ。
しかしこれは別だ。
従来の兵器が一瞬にして時代遅れになり、実用化した国は、一夜にして世界の覇権を握ることができる。そういう代物なのだ。
大陸間弾道ミサイルなんて重厚長大な兵器を使う必要などどこにもない。いつでも散歩に行く気軽さで、簡単に相手国の中枢を攻撃できて、しかも証拠は残らない。
国際的なテロ組織がこの技術を手に入れたりしたら最後、世界が混とんの極みに突き落とされることは確実だ。
なにしろ現在の地球の科学では、この攻撃を防ぐ手段はないのだ。それは、猛獣を前にして、無防備に裸で立っていることに等しかった。
『疑うなというほうが無理でしょう』
井部はもちろん彼の言うことを理解していたが、実際ここで話せるような技術の詳細についての情報はないのだ。
内調の話では、JDAにもその情報があるのかどうか怪しいと言うことだ。
では、一体誰が、どうやってこれを作っているのか?
井部の頭には、やらかし続けているひとつのパーティの名前が浮かんでいた。
諸外国に対するやり取りは十分以上に検討したが、日本人が作った、たったひとつのパーティに対する対応は、未だに決めかねていたのだ。
DADのサイモンたちを通じて、ハンドラー大統領、ひいてはUSが、Dパワーズの連中に接触していることは報告を受けている。
それは、非常に繊細だともいえるアプローチで、言い方を変えればUSらしくないアプローチだった。つまりはUSだって、その震源地について独自の見解を持っているはずなのだ。
『ここのところ、どうも日本ではありえないことが起こり続けている』
『我々としても、一驚を喫しているところです』
『それにしては、落ち着いておられる。始まりはスキルオーブのオークションでしたか』
『それを我々に言われても困りますよ』
あれはあくまでも民間の出来事だ。
ダンジョン庁にも詐欺ではないかと言う問い合わせがあったとは聞いたが、基本的にDA(ダンジョン協会)の管轄だ。
政府としていきなり何かが言えるわけではない。
『異界言語理解のときも、以上に迅速な発見と、まるで示し合わせていたかのような迅速な対応だ』
『どうやらスタッフに恵まれたようです』
『あれがオークションにかけられたことにも疑問が残る。我が国なら、発見者に国家が直接関与するでしょう』
まさか、スタッフの暴走で関与を自ら捨て去ったとは口にできず、井部は黙って彼の話に耳を傾けていた。
その沈黙をハガティは肯定の意味で受け取った。
『そして、突然現れたヘブンリークス。マイニングや食料ドロップやセーフエリアの話がいきなり公になるとは、大統領も驚きでした』
『しかし、あれは悪いことばかりとは言えないでしょう』
『そう。安全保障上の脅威はほぼなくなったと言っていいでしょう。同盟国が疑心暗鬼に襲われる可能性も激減しました』
『パーティシステムにマイニングにセーフエリア。あれが公になった瞬間に信じられない速度で進む代々木の攻略。21層で足踏みしていたダンジョンだとは思えませんな』
『JDAがマイニング取得者の新規フロア侵入を禁止したのにも驚きましたが――』
実際、JDAがWDAに提出したレポートによる勧告を無視した国が、マイニング取得者を自国のダンジョンで利用した例が報告されていた。
ドロップしたのは、もちろん「鉄」だったらしい。
『あれは、JDAの研究成果と聞いていますが?』
『マイニングのことが発表されてから、わずか1か月でどうやってそんな研究をやったのでしょう。我々が知る限りJDAに独自の攻略部隊は存在しません。日本政府や自衛隊が何らかの関与を?』
つまりはその辺りの関係で、ダンジョンの向こう側とコンタクトを取ったのかという意味が、その言葉には含まれていた。
『まさか。もしもそうなら、発表なんかしませんよ』
USもそうでしょうとばかりに、井部はハガティに視線をやった。
しかしそれは、もっと重要な情報を得ているからこそ、その程度の情報は「とるに足らないもの」だと考えているのかもしれない。なにしろ今度は「転移」なのだ。
『率直に言って、転移はダンジョンの向こうからもたらされた技術ですね?』
『大使。今回の件に関しましては、我々にとっても寝耳に水なところがありまして。はっきりしているのはそういうアイテムが見つかったと、ただそれだけなんですよ』
『詳細な調査はこれからであると?』
ハガティはやや疑わし気な視線を井部に向けたが、井部はそれを、顔を拭くことで受け流した。
『事はダンジョンの中の話ですから、我々がWDA管轄だと認めた領域なわけです。もちろん協力はしてもらえるでしょうが……』
『では、詳細が分かりましたら、当然我が国にも?』
『もちろん、お知らせいたします』
日本政府の情報提供に関する言質をとったハガティは、ここが引きどころかと乗り出した身を引いた。
ただし、最後にくぎを刺すことだけは忘れなかった。
『しかし、こういうことが続くと、我が国の政治家の中にも、日本に二心があるのではないかと疑うものも出ると言うものです』
訪れた沈黙を遮るように、オートロウリュが音を立てた。
落ち着いたフットライトに照らされた床に汗が滴ったのは、新たに加えられた蒸気のせいなのか、今の話のせいなのか、二人には判断がつかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「よ、芳村さん!」
相互監視実験の準備を終えて、事務所に戻ってくるとすぐに、鳴瀬さんが血相を変えて駆け寄ってきた。
「どうしました?」
「いえ、あの……ダンツクちゃん質問箱の政府版が……」
そう言って渡された質問箱の画面には、要約すれば日曜日に渋谷でデートしようと言うまるで個人的なお誘いが、まるで友達を誘うような文体で書かれていた。
あまりにあまりだったが、一方的な話だし、モデレートするような内容でもなさそうだったので、そのままスルーしていたらしいのだが――
「え?」
それに返事が付いていたのだ。一言「いいよー」と。
「え、これ、本当に?」
あまりに軽いその内容に、俺は思わず画面を見直したが、そこには厳然と「いいよー」の文字が輝いていた。
「ど、どうしましょう?」
「どうしましょうって……ええ?」
これってつまり、ダンツクちゃんが、政府のスタッフと渋谷でデートするってことか? しかし、一体どうやって?
顕現するにしたって、街中をうろうろできるほどあの辺にDファクターがあるとは思えない。
「渋谷に魔結晶がありそうな場所ってあったっけ?」
「渋谷周辺には結構な数の短大や大学がありますよ」
三好がすぐにマップで周辺を検索しながら言った。
「だが、ほとんど全部文系だろ。魔結晶が確保されているような……企業の研究施設は?」
「あの辺にあるのは、経営関係かデザイン、後はせいぜいがITでしょう」
んん? 顕現できないのでは??
「あとは、範囲ですかね」
「範囲か……」
つくばの時は、黄金の木から研究施設までは研修施設まではせいぜい2~3キロだが、件のミカン農園までは10キロ以上離れていたはずだ。
3キロでも代々木や目黒や六本木まで、もしも10キロなら山の手の内側は全部範囲内だ。
「東工大や理科大なんかはぎりぎり5キロ圏の外ですけど、慶応や早稲田や東大の駒場は枠内ですね。後は医科大が結構含まれます」
「医療機関が魔結晶を大量に持っていたりはしないだろ? ダンジョン研究をしているところか、エネルギー関連だけだが――」
「あっ」
「なんだよ」
「六本木や品川まで含まれるとなると、もしかしたら、ファンド系の倉庫が……」
「ファンド? なんだそれ?」
魔結晶が、筑波から消失したとき、将来の値上がりを見越して、それを買い占めたファンドがあるのだとか。
「ワインといい魔結晶といい、金融分野の人たちは、腰が軽くてたくましいな」
「人よりも一歩でも早く、が、成功の秘訣らしいですからね」
そう言えば、最近では、日本でも株式取引の多くの部分を、超高速取引が占めている。
なにしろ東証そのものが、アローヘッドの導入と共に、データセンターのあるサイトでコロケーションサービスの提供を行っているくらいだ。
そう言えばどこかで1ミリ秒だけ先に情報を流して問題になっていた事件とかがあったような気がするな。
「しかし、世間様から見れば、つくばで謎の消失現象だぞ? 自分たちの魔結晶が消失するとは考えないのか?」
「消える前に売ればいいんですよ」
「そんな目茶苦茶な……しかし、それで、あれから魔結晶が市場になかったのか。筑波の後遺症だとばかり思ってたよ」
「まあ、これもある意味では筑波の後遺症でしょうけど」
「しかし、もしもその魔結晶がダンツクちゃん顕現に利用されたりしたら、そのファンドってどうなるんだ?」
「そりゃあ、困ったことになるんじゃないですか?」
軽くそう言って肩をすくめるだけの三好に、鳴瀬さんが困惑顔で聞いた。
「え、本当にその危険があるのなら、勧告しなくていいんですか?」
俺と三好は思わず顔を見合わせるた。
三好の目が語っていたのは、「さすがは鳴瀬さん。ええこやー」だった。いや、俺もそう思うけどね。
「そうかもしれませんが、突然、明日魔結晶が消えてなくなりますから、移動させて下さいなんて言って信用しますか?」
「むしろ輸送中を狙う窃盗団の一味だと思われてもおかしくないですよね」
「そこはJDAからの勧告であれば……」
「こんな説明できそうにない根拠でJDAがそれを勧告したとしてですよ、もしも何も起こらなかったとしたら、移し替えるのに必要だったコストをだれが負担するのかとか、後でいろいろと面倒になりませんか?」
気象庁が災害警報を出したから移動させるなんてのとは意味が違うのだ。
ダンツクちゃんが顕現するかもしれないから移動させろ? こう言っては何だが、普通の人には意味不明だろう。説得できる気がまるでしない。
「確かにそうですね……」
「帰還石のこともありますから、今後魔結晶は大量に必要になりますよ。そんな時、買い占めて高騰を狙うような連中が痛い目に合えば、ちょっとした抑止力になりませんかね?」
「まあ、確かにそうですけど、いくらなんでもそれは……でも、仕方ありませんね」
鳴瀬さんは、上手い対案を思いつかなかったようで、仕方なさそうに肩を落とした。
「だけど、この人って、ダンツクちゃんに会ってどうするんですかね?」
話が一段落したと思ったのか、三好は質問箱が表示されているタブレットを持ち上げて、それを目で追いかけながらそう言った。
「え? 日本の要求を伝えるとかじゃないんですか?」
まあ、普通なら鳴瀬さんが言うとおりだ。
だが要求だけなら、この掲示板で伝えられる。それでもいきなり会うことを望むとしたら、それは――
「もしもこちらがモデレートしていることを知っていたとしたら、そうかもしれません」
俺は、その文面をもう一度見た。
「確かに、直接会われたらモデレートのしようがありません」
「しかし、まさかこんなアプローチを行って、しかもダンツクちゃんがそれに応えちゃうとは」
「驚きました。予想もしませんでした」
まあ、俺も予想はしてなかった。
「だけど、休日の渋谷でそんな話をしますか? そういうのって、迎賓館とか、首相官邸とか使いません?」
「ええ、だって???」
「休日の渋谷で会うなら普通はデートですよね」
「すみません、意味がちょっと……」
鳴瀬さんは頭痛をこらえるようにこめかみに指を当てた。
しかしこの文面。どう見ても個人的なデートのお誘いだよな……一体どんな奴が書いたのか、ちょっと興味があるな。
「どうやら、なかなか面白いスタッフを集めたみたいだな」
「それで……私たちも渋谷へ?」
鳴瀬さんが、覚悟を決めたような顔でそう言った。
もしも本当に顕現したら、日本とダンツクちゃんのファーストコンタクトだ。その結果がどうなるのかは分からないが、なにかすぐに行動できる場所に居たいと言う気持ちが伝わってくるようだった。
「どんな理由で介入するんです? 監視していることがはっきりしてしまうのもアレですけど」
「そこは、JDAからノートを貰った時点でばれてませんか?」
三好がそんなのとっくにバレてますよと突っ込みを入れた。
だが、そうだろうとは思っていることと、本当にそうであると知ることは違うのだ。
「そこは、秘すれば花ってやつだよ」
「それじゃあ、このまま放っておくんですか?」
鳴瀬さんが、少し心配そうな顔でそう尋ねた。
ダンツクちゃんも世界の常識について大分学んだようだし、とりあえず最初の27人分の知識もある程度有機的な結合を見せているはずだ。
ここまでくれば、事態はもう俺たちの手を離れたと考えてもいいような気もするが――
「まあでも、世界初の異世界人?とのデートがどんな展開になるのかは、目茶苦茶興味深いところだよな」
「ですよね!」
「ええ? それってつまり……覗き?」
「なんてことを言うんです! いいですか鳴瀬さん。我々には、ダンジョンとこの世界の行く末を見守る義務が――」
「先輩、いつからそんな責任感が!?」
「――あー、義務が……やっぱないよな、そんなもの」
「だと思いましたよ」
俺は、ゴホンと咳を一つすると仕切りなおした。
「ともかく! 明日は渋谷へ目立たない格好で見物に行こう。面白そうだから」
「おー!」
「お二人とも、お願いですから、騒ぎだけは避けてくださいよ? 頼みますよ? 相手は日本政府ですよ? 洒落になりませんからね?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
その返事を見た、杉田は一瞬自分の目を疑ったが、次の瞬間には思わずガッツポーズをとってソファーから飛びあがると、唖然としている同僚を全く無視して、「明日の準備があるので早退します!」と言って部屋を出て行った。
誰にも声をかけるタイミングすらない、見事な職場離脱だった。
「いったい、何があったんだ?」
「成宮さん、こ、これ……」
杉田が見ていた画面をのぞき込んだ村越が、震える指でそれが書かれていた部分を指さした。
「『いいよー』? って、まさか――?!」
その返事は、明日、杉田が渋谷でダンツクちゃんと会うと言うことを意味していた。
「おいおいおいおい、冗談だろ?!」
誰もその誘いに相手が答えるなどとは、心の底では思っていなかったのだ。
「け、警備は?!」
三井が思わずそう言った。
「そんなの無理に決まってます。国交がないんですよ?」
「それでも内調とか……そうだ内谷さんに連絡して、警備部に渡りをつけてもらおう!」
「それにしたって、今から明日の渋谷の立ち入りを禁止するなんてことはできませんよ」
村越と三井のやり取りを見ながら、成宮は頭を抱えていた。
まさか対象とのファーストコンタクトが、こんな意味不明な状況で発生するとは夢にも思っていなかったのだ。
相手は人の格好をしているかもしれないが人ではない。生き方も理念も道徳も常識も我々とは違うのだ。
それが日曜日の渋谷に現れる?
「虐殺だけは勘弁してくれよ……」
成宮は真剣にそれを心配していた。
「てか、杉田を呼び戻せ! せめて対策を話しておかないと!」
三井と村越がその声に反応して、同時に杉田を追いかけ始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なんだと? 明日神の眷属が渋谷に?」
自分の手ごまから突然かかって来た電話をとったデヴィッドは、そのあまりの突然さに、思わず面食らった。
非常に嬉しい情報ではあったのだが、傭兵連中が去り、スタッフを隠したり帰国させたりした今、手ごまが足りなかったのだ。
いまさらフランス政府筋には頼れないが、かといって日本の信者にすべてをゆだねるのも難しい。
イザベラやマリアンヌがどうなっているのか、すぐには分からない。
「くそっ、手が足りん!」
手ごまからの電話を切った後、デヴィッドは苦々し気にそう言い捨てて、しばらく考えた後、出かける準備を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「こちらへ」
暗い夜の闇の中、辺りには誰もいそうにない倉庫街で車を降りた男は、ごつい体格の軍人めいた所作の男二人に脇を取られると、そのまま引きずられるようにして、そのビルの中へと連れて行かれた。
男は、これが俺の見る最後の風景かと半ばあきらめながら、されるがままに身を任せていた。
正面に男が据わっている机を除くと、何もないコンクリートが打ちっぱなしにされた奇妙な部屋に案内された男は、その部屋のすえた臭いに拷問部屋と言う印象が頭をよぎった。
「どうして呼ばれたかは分かっているか?」
目の前の机の向こうに座っている人物の顔は影になって見えないが、それなりに年配らしい声でそう尋ねられた。
「ああ」
男は諦めたようにぶっきらぼうに答えた。
彼は、JDAから情報を取得し、御殿通工の株取引を仕掛けた責任者だった。
3月11日から予約の始まったDカードチェッカーは、すでにEMSでの生産が大々的に始まっていたが、硬軟織り交ぜ苦労してそこから引っ張り出した情報によると、調達部品の中に御殿通工の特殊なセンサーは含まれていなかったのだ。
実際御殿通工からそれらが出荷されている様子はなかった。
それを知った時、男は自分がすべてを失ったことを察したのだ。いずれ彼の株価は元の700円台に戻るだろう。
10倍以上の株価でそれを大量に購入した彼の罪は、その命一つで贖えるようなものではなかった。
「それで、御殿通工の株をどうするつもりかね?」
取得にかかった金額は1兆円に近い。上がる見込みがないからと、今すぐ一気に放出したりしたら、その損失は最大で90%にも上るだろう。
「好きにしろよ。見せしめに海にでも沈めるのか?」
「ははは。君の命で損失が贖えるとでも?」
面子は非常に重要だが、今回の損失は、面子に構っていられないほど大きいと言う事だ。
面子にこだわるなどと言うものは十分潤っているものか、そうでなければ何も持っていないものだけに許された特権だ。
「幸い米国から今朝こういうものが発表された」
男が机の上に放り投げた書類を、感情を表に出さない男が拾い上げて、断罪を受けている男の前に突き出した。
それには、魔結晶から電力が取り出される碑文の内容が書かれていた。
「この瞬間から魔結晶は暴騰している。君がやっている魔結晶ファンドも少しは損失の穴埋めになるだろう?」
男が集めた魔結晶は、青山の倉庫に相当数が積み上げられていた。
しかし、どんなに暴騰したところで、損失のせいぜいが数パーセントと言ったところだろう。
それは十分な大金ではあったが、損失と比べれば微々たるものと言われても仕方がなかった。
ゼロよりはマシとはいえ、それだけで許されるはずがない。
「他にやらせたいことがあるんだろ?」
そのあまりの言葉遣いに、男の側近だと思われる連中が怒気を高めたが、正面に座る男はそれを軽く手を挙げて制すると言った。
「我々の面子を潰した人間には、相応の罰が必要だと思わないか?」
男はその言葉を聞いて、彼らが自分を最終的には鉄砲玉に仕立て上げる気なのだと理解した。
対象が相手の財産なのか命なのかは分からないが。いや、きっとすべてなのだろう。彼らは相手を破滅させたいのだ。
「我々の気は、江(*1)のように長くはない。特に今はね」
見えないはずの顔の口元が三日月のように割れているように思えて、男はぶるりと身を震わせた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
アメリカの東部時間の朝。日本時間なら、その日の夜。
各国の政府には、フランスが代々木で発見した碑文の情報が、アメリカから届けられていた。
魔結晶から電力が取り出せるというその情報は、各国の驚きと共に受け止められ、そうして、即座に魔結晶の高騰が始まっていた。
*1) 江
「こう」と読む。古い固有名詞で、いわゆる長江(揚子江)のこと。
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そう言えば、8月26日発売のコンプエースから、Dジェネシスのコミック版がスタートしています。巻頭カラーですよ!
作画は、平未夜様です。三好可愛いです。
小説ともども、よろしくお願いいたします。
表紙はこちら
https://web-ace.jp/compace/backnumber/detail/311/
作画の平さんの連載開始報告のCG
https://twitter.com/Miya_Taira/status/1298394983611813889/photo/1