§201 SOS 3/21 (thu)
「これは何かの冗談か?」
提出された文章を読んだハンドラー大統領は、オーバルオフィスの大きな机に肘をついて頭を抱えていた。
「残念ながら」
その文書を持ってきた補佐官の一人が、遺憾な表情を作りながら短くそう答えた。
それは、DADから提出された、モニカが新たに日本で発見された碑文を翻訳した文書だった。問題はそこに書かれていた内容だ。
「魔結晶から電力が取り出せる?」
「実際の影響は、こちらにまとめてあります」
今どき石油で電力を作り出すなんてことをやっている発電所はほぼない。世界規模で見ても全電力生産の3%ほどだし、アメリカに限定すれば1%にも満たないのだ。
だが、天然ガスは別だ。アメリカは3割を超える電力が天然ガスから生産されている。エネルギー産業もこの影響から逃れられないだろう。
そうしてさらに大きな問題は原子力だ。
「原子力発電への風当たりが、さらに強まりそうだな……」
「どんなに優れた発電効率を持っていたとしても、実際に現在の発電設備をリプレースするようなことはできないと専門家は言っています」
「そりゃそうだろう、規模が違うからな。だが、問題は世論だ」
どんなに権力がある役職でも、民主主義は国民と向き合わなければ成立しない。
世論の大部分が右を向けと言うなら、それを説得するか、そうでなければ右を向かなければならないのだ。
もしも、ほぼ完ぺきなクリーン発電が可能になるとしたら、環境団体やマスコミはこぞってそれを推進しようとするだろう。そうしてそれは正義なのだ。
正義にひれ伏さない人間は、社会的なリンチを覚悟する必要がある。そうして喜々としてそんなことをする連中は、大抵聞く耳を持っていない。自らに被害が及ぶまで説得は難しいのだ。
いつか我が国はこれで痛い目にあうかもしれないなと、ハンドラー大統領は眉をしかめた。
「社会の雰囲気によるエネルギー産業への影響もさることながら、問題は、バッテリー産業です」
「テスラか?」
「ネバダにギガファクトリーがあります」
「あれはパナソニックとの協業だろう?」
それにネバダはパープル(*1)に分類されているとは言え、ここのところは、ほとんどブルーだ。そう言えば、旗も青い。
「自家製に切り替えるなんて話もあったが、あれはまだ未着手だと聞いた。もっとも、これがオープンになれば、日本・中国・韓国は大騒ぎだろうな」
この情報が明らかになった場合の、LIB(*2)メーカーに与えるインパクトは小さくない。
ことに生産拡大に注力した中国は、ただでさえ技術革新の速度が遅れると懸念されている。いきなり全く新しい技術に切り替えるには、投資された金額が大きすぎるのだ。
「我が国だと、ちょうど一昨日、ジョージアのコマースでSKイノベーションが起工式をやったばかりですよ。これが発表された場合、もしかしたら建設を中止するかもしれません」
「そりゃまずいな。クリントンの時に寝返られたとはいえ、今じゃ立派なレッドステートだぞ」
この起工式には、商務長官のウィルバー=ロスや、ジョージア州知事のブライアン=ケンプが出席し大々的に行われた。
ケンプのスピーチでは、ジョージア州では最大規模の投資だと持ち上げたらしい。
「しかし、公開しないわけにはいかないだろう」
「仮に我々がごまかしたとしても、ロシアにはいずれバレますし、必ずそれを使って攻撃してくるでしょう。仮に奇跡的に手が組めたとしても――」
「ヘブンリークスがあるからな」
ハンドラーは忌々し気にそう呟いたが、内心は、どこのどいつが思いついたのかは知らないが、うまく三すくみを利用した優れた安全保障システムだと考えていた。
なお、ヒブンリークスはあくまでも駄洒落だ。英語の綴りだと heaven leaks なのだ。
「唯一の希望は、この設備の難解さだな」
そこに書かれていた設備は、なんとも珍妙なものだった。
「それは、錬金術の道具だそうです」
「錬金術? フラメルとかホーエンハイムとかの、あの錬金術か?」
補佐官はその言葉にうなずくと、言葉を継いだ。
「もっとも、炉は使用するのに、石炭での加熱工程がないなど、意味が分からないそうですが」
「加熱して電気を取り出すなら、普通の火力発電で十分だしな」
ともかく細かいことは研究者連中に任せるしかないだろう。スタッフに錬金術の専門家がいるのかどうかは知らないが。
「公開はどうしますか?」
ハンドラー大統領はその言葉に少しだけ躊躇した後、椅子に深く座りなおして言った。
「2日後の朝、各国へ配信する」
「2日後ですか?」
「そうだ。今のうちに将来足りなくなりそうなものに備えておくのはいいが、他者への配慮も忘れないように。あとで後ろ指をさされたりしないよう気を付けたまえ」
その言葉に、納得したように頷いた補佐官は、「承知しました」と頭を下げて、部屋を出て行った。
過去の経験から、ヘブンリークスの連中が新規の碑文を翻訳するのは、それがある程度各国のデータベースに拡散するか、アクセスを辿るのが大変なくらい増えてからだ。データベースのアクセス記録から辿られるのを恐れているのだろう。
つまりはあと二日くらいの猶予ならあるはずだ。ロシアはロシアで同じような決断を下していることだろう。
ハンドラー大統領は静かに目を閉じて、そう自らに言い訳した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
あれ? ここは?
黒い背景に、白い線が引かれているそこは、以前、俺の頭の中の三好と一緒に来たワイヤーフレームの世界だった。
つまりこれは夢に違いない。
「やっと来たー!」
「は? ダンツクちゃん?」
そこには先日夢の中の酒場にいた、エプロン姿の美少女がいた。12歳くらいなんだから幼女はないよな。俺、そんな性癖はないはずだし。
NPCのふりをしたりして、何者かよくわからない子供だったが、たぶんダンツクちゃんが遊びに来たんだろうと、あれからそう考えていた。
「は? ダンツクちゃん?」
同じセリフを繰り返した少女は、あんた何言ってるのとばかりに、眉をひそめた。
「え?」
「え?」
俺たちは顔を見合わせながら、それぞれ相手が何を言っているのか意味が分からなかった。
「ま、まあ、そんなことはどうでもいいの。時間がないんだから」
「時間がないって?」
「いい、あなたはすぐに私を助けに来なさい」
「なんだこれ? 何かのゲームのイントロか?」
「いや、もうゲームはいいから。あんたのせいで、私、大変な目にあってるんだからね!」
「うーん。訳が分からん」
巻き込まれ型のストーリーなのだろうか。
良くある物語の導入だが、いくらなんでも説明が足りなすぎるだろう。
「いい? ちゃんと助けてくれたら、あなたたちに重要な情報を教えるから」
「重要な情報?」
「はっきり言って、あなたたち、ピンチなんだからね」
「ピンチ」
もはや訳が分からな過ぎて、俺はすっかりオウムになっていた。
「とにかく魔結晶も、もうほとんどないんだから、これからいうことを忘れないで」
「魔結晶?」
「いいから!」
「あ、ああ」
そうして彼女は、いくつかの固有名詞と説明を俺に残し、今すぐ起きて内容をメモしてと強調した。
「ああ、もう時間が! いい、夢は起きてしばらくたったら忘れちゃうんだから、すぐにメモしてよ! すぐによ?!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なあ三好」
「なんです?」
「フランスでCOSってなんだ? 余弦か?」
俺は手の中にある、自分が書いたと思われるメモを見ながらそう訊いた。
その最後には、『COSの中佐が嗅ぎまわってる。それより先に! 絶対先に来ること!』とあった。
「余弦はフランスじゃなくてもCOSですよ。聞いた感じだと、ファッションかコスメ関係って気もしますけど……」
「コスメの中佐ってなんだよ……」
三好が手早く検索している。便利な世の中になったものだ。
「あー……ロンドンのファッションブランド?」
「それのどこがフランスなんだ」
「うーん……あ、中佐って言うからには、これじゃないですかね」
三好がそう言って、タブレットを渡してくれた。
「コモーッデモン デソペラシオン スペシアラ?」
「特殊作戦司令部だそうですよ」
フランス4軍の特殊部隊を統合してできた機関で、フランスのダンジョン攻略部隊はこの旗下にあるらしい。
さすがゴーグル様。なんでも教えてくれるな。
「で、先輩、それがどうしたんです? まーた、厄介ごと?」
「いや、それがな……」
俺は三好に夢の中で発信されたSOSのことを話して、寝起きにメモした紙を差し出した。
彼女はそのメモを受け取ると、内容に目を通した。
「ビヤントゥ、エイデモワってなんです?」
「たぶん、bientôt, aidez-moi! じゃないかと思うんだが……『すぐ助けに来て』かな」
「なんでカタカナなんです?」
「目覚めてすぐ書き取ったから、彼女が言った音をメモするのが精いっぱい」
俺は手を広げて万歳のポーズを取りながらそう言った。
フランス語っぽいなと思ったのも後付けだ。
「じゃあ、彼女ってフランス人なんです? イザベラってイタリアっぽいですけど」
「イザベラはヨーロッパ中にいるよ。だけど、夢の中じゃ日本語話しているようにしか思えなかったからなぁ。消えるときに呪文を唱えたと思ったらフランス語だった、が俺の認識だ」
三好は、ふーむと唸りながら、難しい顔をしてそのメモをもう一度見直した。
「以前は確かに、科学者の直感は侮れないって言いましたけど――」
そうして、メモから顔を上げると、それをひらひらと振った。
「――今度のは転移石の時とは訳が違いますよ?」
それはそうだ。
科学者の直感だの、知見がどうのだの言う以前に、そこには具体的な住所が書かれているのだ。直観とか思い付きとか言うレベルの話ではない。
「他人の部屋に侵入して、その理由が夢のお告げがあったから? 警察が認めてくれると思います?」
まあ確かにその通りだ。
しかもこの住所、マップで調べた限りではホテルなどではなく、個人の家のようだった。
「それに、このデヴィッドさんって……」
「心当たりが?」
「先輩。アルトゥム・フォラミニスに在籍しているデヴィッドって名前で、よく知られている人は、一人しかいません」
「実在するのか?」
「教団の代表ですよ」
マジかよ。デヴィッドなんてありふれた名前、どこにでもいるかと思ったが、よりにもよって代表とは。
「その代表が、女性を監禁している? しかも、彼女が夢の中で先輩に助けを求めた?」
三好に突っ込まれれば突っ込まれるほど、バカなことを言っている気がしてきた。確かに彼女の言うとおりだからだ。
「何をバカな、と言いたいところですけど……」
「ん?」
「振り返ってみれば、この半年でバカなと思えるようなことを、散々やらかしてきましたからね」
「じゃあ」
「ちょっと、グラスに頼んで探らせてみましょう」
ああなるほど、そういう手があったが、つい自分で突撃しなけりゃいけない気分になっていた。
「だが相手はグラスのことを知らないし、グラスも相手がイザベラとかいう女かどうか分からないぞ?」
アヌビスならしゃべるが、アヌビスを借りて来たとしても、まさか目の前でしゃべらせるわけにもいかないだろう。
意思の相互疎通が可能なモンスター? そりゃ引く手あまただろう、各種の実験施設から。
彼らを人類の生贄にするわけにはいかないくらいには、すでに近しい存在になっている。
「スワップするわけじゃないですから、繋がってるスマホでも持たせますか?」
「直接送ってもらうのは?」
「第3者に見つかった時に、言い訳できるならそれでもいいですよ」
「スマホにしよう」
この住所ならすぐそこだ。というか、斜め向かいじゃないか?
「木曜日だが、グレイサットと入れ替わるまでには――まだ時間があるか」
俺は部屋の時計を見上げながら言った。ブートキャンプの終了は、早くても15時だろう。
「じゃあ、グラス。この家で女の人を探してくれる? 誰にも見つからないように」
「ケンッ!」
グラスは三好に撫でられながら、ふふーんというドヤ顔を俺に見せつけて影に潜って行った。首輪には小さなスマホが取り付けてあって、skypeのビデオ通話が起動してある。
「お、来たぞ」
グラスが潜って、しばらくすると、真っ暗だったskypeの画面に、突然、男が二人いる室内の様子が表示された。
「これどっから撮ってるんだ?」
「画角から見て、部屋の上側の角みたいですね」
こそっと頭だけ天井から出して、撮影してんのか。
「部屋の上の角とか、普通にしてたら視界に入るだろう?」
「たぶんカメラの大きさだけ空間に穴をあけてるんじゃないかと思いますけど」
「そりゃ凄い」
これがほんとのスニークビューだな。
「スパイも真っ青ですよね」
男たちは、座って食事をしているようだった。なんというか、休憩中の護衛と言った感じだ。
「なにか怪しい家だってことだけは確かそうだな。話してるのは……フランス語か?」
「先輩!」
「なんだよ?」
「今大変なことに気が付きました! もし、女の人が二人以上いたらどうします?」
「あ」
話しかけてみないと相手がイザベラかどうかは分からない。
だが人違いだったりしたら――
「騒ぎになるかな?」
「空中から現れた犬に話しかけられたら、普通の人は驚くと思いますよ」
そのまま抜けた隣の部屋には誰もいなかった。グラスの移す映像が、天井裏の狭い空間になった時、小さな声で、グラスを呼んだ。向こう側はスピーカーフォンになっているのだ。
「グラス、グラス」
「くん?」
「女の人がいても、しばらくは姿を見せないで」
「ケンッ」
そうして次の部屋は――
「バスルームか」
「トイレとお風呂に人がいなかったのは幸いでしたね」
「LUCは高いんだがなぁ」
「だからじゃないですか? だって、全員男ですよ」
「おお!」
俺は思わず膝を叩いた。男のバスルームなんか覗きたいわけないよな。
「しかしこれ、ホテルにでも持ち込んだりしたら、いろいろと盗撮し放題だな」
「召喚魔法を売れない理由が、ますます増えていきますねー。オーバルオフィスとか、首相の総理執務室とか覗きに行きます?」
「絶対やめとけ。フリじゃないからな?」
そういや、ストックが1個あるんだよな。誰に使わせるか結構問題だよなぁ。やっぱ鳴瀬さんあたりが妥当なのかな。
「しかし、思ったより部屋数の多い家ですね」
二階建てのその家は、7LDKほどの間取りだったが、4部屋目で、それらしき人間に遭遇した。
「もしかして、あれですかね?」
その部屋はベッドに誰かが転がされているようで、ベッドが盛り上がっていた。
時折動いているから、そこには何かがいるのだろう。しかも部屋の前には見張りっぽい男までいた。
「だけど顔が確認できないぞ」
「向こうからも見えませんから、いっそのこと耳元で話してみませんか?」
「お前、フランス語は?」
「こまんたれぶー。……どうです?」
「俺と大差ないことだけは、よくわかった」
布団の頭だと思われる部分の傍で、スマホのスピーカー部分まで露出させるように伝えると、モニターに布の塊が見えるようになった。
「ネルヴィ ぱ ら ヴォア」
『声を立てないで』と言うと、シーツの中身がビクンと動いた。
「お? 通じてますかね?」
だといいが、ただ、声が聞こえて来たから警戒しただけかもしれない。
「エトヴ イザベッラ?」
『イザベラか?』と聞くと、ごそごそとシーツが動いた。頷いているような気もするが、なんで話さないんだ?
「もしかして縛られているとかじゃないですか?」
「部屋の前に見張りを置いて?」
「じぇ すぃ ら プーフ ティデ」
『助けに来た』と言うと、さらに激しくシーツが動いた。
うーん。これ連れてっちゃっていいんだろうか……
だが、Do you want me to take you out of there? って、フランス語でどう言えばいいんだ? ま、困ったときはゴーグル様だな。否定と肯定が入れ替わったり、一人称と二人称が入れ替わったりして、まるで読めずに使うと誤訳が恐ろしいけれど。
「ブゥレーブゥ ケ ジェブゥゾメンヌ オードゥラ?」
シーツの中から、うぃ、うぃ、と声が聞こえる。
「これって、oui! oui! かな?」
「なんだか捕まってるのは確かっぽいですから、そのまま連れて行っちゃっていいんじゃないですか?」
だんだん飽きて来たのか、三好が投げやりにそう言った。
「よし、三好。いつもの侵入者を捕まえるやり方で、その人を捕まえてくれ」
「え? 麻痺させるんですか?」
「どうやって連れ出されたのか、本人に分からない方がいいだろ」
「ははぁ、了解です。いつからSになったのかと思っちゃいましたよ」
「あのな……」
はたして、救出というか奪還と言うか、はたまた誘拐と言うべきか……それ自体は上手くいった。
そうしてグラスが連れて来たのは――
「誰だ、これ? 見たことないな」
彼女は、つややかな長く黒い髪をした、スペイン系のとても整った顔立ちした女性だった。
人種を考えれば小柄な方だろう。
「全然知らない人が、先輩に夢の中で救助を求めますか?」
「もしかして無関係だったりしたら……これって、誘拐?」
「その時はこっそり元に戻しましょう」
「だな……って、鳴瀬さんが来たらどうするんだよ? そういや彼女は?」
いつもならすでにやって来ていて、ダンツクちゃんとやり取りをしているはずだ。一段落ついたのだろうか。
「なんでも、あの四角い課長さんのお手伝いで、代々木に行くとか言ってましたよ」
「へぇ。珍しいな」
昨日、十分な量の転移石をサンプルとして渡しておいたから、その関係だろうか。
「もしいらっしゃっても、お客さんだと言い張りましょう。さすがに鳴瀬さんでもフランス語は……もしかしたら話せるかもしれませんけど」
なにしろ彼女はJDAで取引の仲介をするのだ。外国語は堪能だろう。
「友人のツテをたどって、ソラホト文字の人にたどり着くくらいだからなぁ……」
「その時はその時で、ごまかすんですよ、先輩!」
「どうやって?」
「そりゃもう、先輩がどうにかするんですよ」
「鳴瀬さんの頭を左斜め45度からチョップしてみるとかか?」
「それ、おかしいのが治っちゃいませんか?」
そうして俺たちは、延々無駄な言い訳を考えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、課長!」
「ああ、忙しいところ悪いな」
その日、美晴は、斎賀の連絡を受けて、ダンジョンの1層の少し広い場所に言われたものを用意して斎賀を待っていた。
「課長が入ダンされるなんて、珍しいですね」
「いや、ちょっと例の石のテストをな」
「テスト?」
転移石のテストは、すでに21層で散々やったし、それを報告もしてある。
これ以上何を調べるんだろうと、美晴は首を傾げた。
「いや、転送時にどのくらいの荷物が持ち込めるかと思ってな」
「ああ、それでこんなものを」
美晴はあらかじめ一層の広めの場所に用意しておくように言われた、フォークリフトパレットの上に置かれた4つのドラム缶を叩いた。
ドラム缶の中身はA重油だったが、200Lの中身の詰まったドラム缶をダンジョンの中に持ち込むのは意外と大変だったのだ。
「まあな」
そう言って斎賀は、荷物の固定状況を確認し始めた。
「すこしだけはみ出すんだな」
フォークリフトパレットの一辺は、大体110センチで、標準的な200リットルのドラム缶の直径は、55~60センチくらいなのだ。
このサイズのパレットは、動的耐荷重は1トンくらいだから、そういう意味でもこのあたりが限界ってところだ。
「え? これごと転移される気ですか?」
体積としては、大体一辺が1メートルの立方体だ。大きいとはいえ、このくらいの荷物は認知できる範囲だろう。
だが質量は1トン近くありそうだ。そんな質量の転移は行われたことがないはずだ。
「まあな」
「まさかとは思いますが、課長がテストされるなんて言いませんよね?」
「言い出しっぺの法則ってやつさ」
「責任ある方が、そういうテストをされるのは、逆に無責任な気がしますけど」
少しくらい傾いたり落ちたりしても大丈夫そうなことを確認して満足した斎賀は腰を伸ばした。
「部長がやったらまずいだろうが、課長なんて現場の年長者ってだけみたいなものだよ(*3)。それに何かあっても坂井がいるから問題ない」
「課長?」
その言い草に呆れた美晴は、眉間にしわを寄せながら、私を無理やり病院に押し込んだくせに、自分でやる気満々なのはどういうことかと、視線で斎賀を非難した。
「いや、ほら、安全性は、鳴瀬君たちが十分確認してくれているから大丈夫だ」
何しろこれが上手くいくなら、燃料の補給に長大なキャラバンを作らなくて済む。
この荷物なら1回で800リットルだが、非常用発電設備なら、例えばカワサキPUシリーズの燃料は調べた限りでは標準タンクで、490・950・1950リットルの3種類だ。
2個口を一度に運べるなら、最大のタンクでも1度でほぼ満タンにすることができるわけだ。
問題はコストだが――
「32層までキャラバンを組むよりは、転移石の方が安上がりだよな?」
「卸値を聞いていないので分かりませんけど、あの人たちそういうところザルですから……」
美晴は、Dカードチェッカーの高機能版の価格に、ダミーでSMD-EASYの価格を張り付けたまま公開してしまって、予定していたのよりもはるかに高価格になってしまったという話を思い出した。
それでもバックオーダーが処理できないほど溜まってしまったため、結局価格改定は行われなかったらしい。価格を下げても意味がないからだ。
「そいつは拙いな。いい加減価格を決めないと。試算はしたんだろ?」
「はい。ただ結構幅が……」
32層は遠い。だから途中で何泊するのかでするのかでもコストがかなり違ってくる。
まるっきりの素人を護衛して32層まで下りることを考慮したりすれば、さらにコストは跳ね上がるのだ。
「まいったな。結局それを取り扱う新部署はダンジョン管理課から独立させられなかったしなぁ」
「確かにギルド課のサブディヴィジョンというのが収まりがいいですから、しかたありませんよ」
ダンジョン管理課から独立させてしまえば、斎賀の職権が及ばなくなる。ただしその分責任も負わなくて済むと言う野望も少しだけあったのだが、そうは問屋が卸さなかったのだ。
社内でも秘密裏に進めなければならなかった結果、かかわったのがダンジョン管理課を擁するセクションの大物ばかりで、現場の人員が手薄どころはほとんどいなかったことも影響した。
「ともあれ、そろそろ人事の移動と共に社内での公開だ。ま、その前にDADの発電機を使わせてもらうための根回しってところだな」
燃料の輸送さえ押さえてしまえば、要求はし放題……のはずだ。
輸送じゃアメリカに先を越されたが、さすがに向こうに転移石はないだろう。サイモンチームによるキャラバンにも限度があるだろうし、Dパワーズの連中をずっと使えるはずがない。ここは押しどころと言えるだろう。
「はぁ、わかりました。じゃあ代わりに私が――」
「いや、鳴瀬には先に32層へ転移して、転移場所の安全確保をやってほしいんだ」
「え、32層へ直接転移されるんですか?」
建前上、転移石は31層へ転移することになっている。
ただし、31層から32層へ下りる階段は、なかなか難所のようで、気を利かせたDパワーズが、大物を持ち込むために32層版もこっそりと渡してくれたのだ。
なにせ32層へ直接行けると分かったら、利用者は圧倒的にそれを使いたがるだろう。だが、セキュリティやイニシアチブのためにも、32層版はJDAの内部専用だ。
もちろん32層への搬入を引き受けることもあるだろう。特別に。
「32層への移動手段も、ないことはないことを、こっそりとアピールしておかないとな」
斎賀は意外と商売人だった。
「はあ、分かりました。じゃ先に向こうへ行って、問題なさそうなら電話します」
「よろしく頼む」
その日、極秘裏に行われたテストでは、1トン程度の物資は同時に転移できることがはっきりした。
しかし転移した先から移動させる道具が何もなかったため、筋肉痛を覚悟しつつ、斜めに立てたドラム缶を回転させて移動させるという、原始的な移動方法をとるしかなかった。
「こりゃ、次はフォークリフトを丸ごと転移させるのが先かな」
A重油を満載したドラム缶の重さは、ざっと200キロ程度。探索者のトップチームの連中なら持ち上げるだろうが、一般人にはとても無理だ。
通常、このくらいの荷物を持ち上げるためのフォークリフトの車重は、最大荷重+1トンちょっとと言ったところだ。
つまり最大荷重1.5トンのフォークリフトの重量は2.5トンちょっとくらいになる。2.5トンなら3.5トンちょっとだ。この質量を転移させられるかどうかはまだ分からなかった。
また、それらが一層の入り口をくぐることが出来るかどうかも調べる必要がある。
「まだまだやることは尽きんなぁ……」
斎賀は、簡単なクールダウンストレッチを行って、久しぶりに使った筋肉をほぐしながら、新部署の立ち上げを迅速にやって使える部下を増やさなければと考えていた。
お盆休みなんてありませんよ? TT)/
*1) パープル
パープルステート。
共和党を支持する傾向のある州をレッドステート。民主党を支持する傾向のある州はブルーステート。そしてどっちつかずの州はパープルステート、またはスイングステートと呼ばれる。
2000年の大統領選挙に由来する名称であるため、それ以降に作られた言葉。
なお、ハンドラー大統領は共和党の大統領です。
*2)LIB
リチウムイオンバッテリー(Lithium Ion Battery)の略。
*3) 個人の感想です。
本当はそんなわけありません。本当ですよ?
注)エネルギー関連の比率については、電気事業連合会の2017年資料に基づいています。
注)今回のダメなフランス語
n'élevez pas la voix. 声を立てないで。
êtes-vous Isabella? イザベラかい?
Je suis là pour t'aider. 助けに来た
Voulez-vous que je vous emmène hors de là? 連れ出してほしいか?