§019 なに、この落札価格?! 11/4 (sun)
シャワーを浴びて、目を覚まし、風呂から出たところで突然玄関のドアが開いて、三好が飛び込んできた。
俺は慌ててバスタオルで体を覆った。
「いや、事務所然としてきたとはいえ、ここは俺の家なんだが……合い鍵は仕方ないとしても、ノックくらいしろよ」
「せせせせ、先輩! それどころじゃないんですよ!」
「それどころってなぁ……」
「ほら、みて、みて、これ!」
差し出されたスマホを見ると、それはDパワーズの販売サイトだった。
そういえば今日の0時(日本時間)が〆切りだっけ。
そこにはオーブの最終落札価格が表示されていた。
えーっと……
「2億!? って、凄いな、予想の3倍じゃん」
「先輩、桁。桁、間違ってるから!」
「ん?……イチジュウヒャクセン……はぁ? にじゅうよんおくはっせんにひゃくまんえん?」
2,482,000,000 JPY
2,643,000,000 JPY
2,562,000,000 JPY
そこに表示されている、3個の水魔法オーブには、それぞれ24億円を越える値段が付いていた。
「しかも3個とも落札者が同じ……って、政府関連IDか」
WDAIDは4ブロックからなるIDで、左端のブロックは、種別+エリアID+国IDというフォーマットになっている。
Pで始まるのはパーソナル、つまり個人のIDを意味していて、Cが会社組織、Gが政府関連、DがWDA関連組織を意味していた。
例えば、JDAの個人でエリア12のコードは、P12JP-... となるわけだ。
「防衛省ですね」
なんとまあ。
そりゃ、戦闘機がメンテ込みとはいえ1機百億円時代だから、それに匹敵するような戦士が作れるなら、もしかしたら安いのかも知れないけど……
「それより、こっちですよ!」
三好が指さした場所には物理耐性の落札価格があった。
3,547,000,000 JPY
「さんじゅうごおく?」
未知スキルだというのに名前だけでこの価格。しかも、IDが個人だ。一体どこの大富豪だよ……
「フィルタが変換してくれるくらい有名なIDですよ。ほら。Simon Gershwin さんですね」
「有名? どっかの大富豪か? 確かにどっかで聞いたような……」
「なにいってんですか、この人ですよ、この人」
三好がWDARLの世界ランク3位の所を指さした。
「エバンスダンジョン攻略チームのリーダーじゃねーか! ガーシュウィンっていうのか」
なにもかもが予想外の事ばかりで、俺は、どかりとダイニングの椅子に腰を下ろすと深く息を吐いた。
「税引き後で、8,987,200,000円の儲けですけど、どうします?」
「基本、仕入れはエイリアンのよだれ代くらいなものだもんな。で、どうするって言われても、次はお前の翠先輩のところで検査だろ?」
そういうと三好はくすりと笑った。
「先輩って……結構凄いですよね」
「なにが?」
「だって、文無しのピンチから、一転100億円近い資産家ですよ? 頭がパーになってもおかしくないでしょう?」
「何言ってんだ、それはパーティのカネだろ。俺は変わらずピーピーだ」
従業員が会社の金を自由に出来るはずがない。
「メンバーは、私と先輩だけですから、これ、半分は確実に先輩のお金です」
「そう言われてもな。別に何をするわけでもないし……あ、そうだ。会社の場所だけはちゃんとした場所に移した方が良いな」
いつまでも俺の部屋じゃ困るよ。主に俺が。
「そんなのビル毎買えますよ」
「あ、それはいいな。ちょっと秘密基地みたいで、そそる」
「子供ですか……あ、そうだ。先輩のパーティカードが出来てますから、お渡ししておきますね」
それは、マットなカーボンブラックをベースに金色の文字でパーティIDとメンバーIDが小さく刻まれたICカードだった。
なかなかシンプルでカッコイイ。
「Dカードに、WDAのライセンスカードに、パーティカードか。これって纏められないの?」
「Dカードは人智の及ばないアイテムですし、パーティは変動しますからね。それにライセンスカードと統一したら、使用時に身バレしますよ?」
パーティIDは単なる連番だが、ライセンスカードと統一したら、WDAのIDと紐づけ出来ちゃうわけだ。
「人に言えない企みは、手間と時間がかかるねえって?」
俺はパーティカードをもてあそびながら、ふと気になったことを聞いてみた。
「ところで、これ、月いくら使っていいの?」
「先輩も私も月給じゃありませんよ?」
「ほへ?」
「そのカードは法人のキャッシュカードに法人のクレジットカードが合体したみたいなものです。基本的にWDAの発行なので、クレカ部分はアメックスみたいですが、審査は今回の入金後になります。で、利用の上限/下限はありません」
「つまり?」
「お金は、口座にあるだけ引き出せます。クレカの限度額は設定されてないので。テキトーに使って下さい」
「いや、それって、まずいだろ」
「どうせ税引き後ですし、二人しかいませんし。まあ、なにか大きな買い物をするときは相談することにしましょう。1千万くらいなら自由に使っていいってことにしておきましょう」
「いや、貯金したいんだけど」
「私もそう思ったんですけど、そのカード自体が銀行の口座ですから貯金しているようなものなんですよ」
「ああ、そうか……」
そこで俺たちはお互いに吹き出した。
「小市民ここに極まれりって感じだな」
「小市民だから仕方ないですよ。後の細かい処理はこちらでやっておきますから、先輩はダンジョンでもりもり稼いで下さい!」
「よろしくー。いや、エージェントがいるのって、楽でいいな」
「でしょ? 近江商人も寄生しがいがあって嬉しいです」
そうして俺たちはもう一度笑い合った。
「だけど、家賃や月々の支払いなんかがあるから、個人の資産もないと困らないか?」
「JDA経由でパーティ口座に入金されるとき、パーティ登録されているメンバーのWDAカードと連動している口座へ分割することができるので、そのシステムを利用して、当面は自動分割で1%を振り込むようにしてあります。直接現金を下ろして他の口座へ入金すると税務署に怒られる可能性があるのでやめて下さい」
ああ、税引き後のお金をパーティと個人に分けるわけか。そりゃ当然あるだろう。
だけど……
「1%? 俺、月10万以上かかるけど、大丈夫かな?」
「先輩。1%って、最初のオーブの入金だけで9000万円弱ですよ? しかも税引き後です」
「え……俺、月収9千万なの?」
今月はそうですね、と三好が笑う。
それを聞いて、なんというか、ちょっと目眩がしたが、このことは忘れよう。とにかく支払いに困ることはなさそうだ。大事なのはそこだけだ。
「それで、受け渡しの日程は決まってるのか?」
「防衛省のものは明日ですね」
「早っ! 準備とか大丈夫なのか?」
「ふっふっふ。カッコイイ、チタン製の箱を作りましたよ! 密度の高い絹のベルベットの内敷で、ほら」
三好が台所に積まれたダンボールから取り出して見せてくれた箱は、ちょうどオーブが入るサイズで、内部はほとんど黒に近いダークブルーと彩度低めのクリムゾンの絹のベルベットで埋められていた。
蓋の内側と、箱の底には、対になる怪しげな魔法陣が刻まれている。
「そこのダンボール、箱だったのか。しかし、なんだか高そうだな」
「ええ、そりゃあもう。特注ですし、1ロット100個で、1個12万円です」
「箱が12万!? そりゃ凄い」
「支払いがオーブ売買の後じゃなかったら、絶対に買えません」
「で、この魔法陣はなんなんだ?」
「ハッタリですよ、ハッタリ。これ、いろんな線が数学的に面白い値になるように作ったんです。どこかの研究機関が、この魔法陣をまじめな顔で解析しているのを想像したら吹き出しません?」
「お前……趣味悪いぞ」
「いや~。で、先輩には、受け渡し直前に、これにオーブを入れて貰いたいわけです」
「了解。場所は?」
「JDAの貸し会議室を11時から押さえてあります。あ、それで思い出しました」
「なんだ?」
「先日JDAから連絡があって、私たちに会いたいってことです」
「保存の件かな」
「でしょうね」
「受け渡し日時は決まってましたので、ついでに明日の午後からJDA本部で会うってことにしてあります。先輩も来ますか?」
そうだな。いくら身バレしたくないと言っても、JDA本部じゃパーティメンバーは知られてるだろうし、そんくらいはいいか。
三好一人だと心配だしな。
「じゃあ、一応、パーティメンバーってことで同席するよ」
「了解です」
「よし、じゃあ、明日に備えて寝るか」
「まだ朝ですよ」
三好が呆れたように言った。
「仕方ないな、なら、ダンジョンにでも行ってくるかな」
「私は会社の事務と、あといくつか不動産で住居やビルを見てきます。どの辺が良いですか?」
「そうだなぁ、この辺にも愛着があるし、代々木まで近いし。この辺で良いんじゃない?」
「了解です」
◇◇◇◇◇◇◇◇
昼頃からちょっとだけダンジョンに潜った俺が、戻ってきて自宅のドアを開けると、そこにはダイニングのテーブルに突っ伏した三好がいた。
「せんぱあい」
「どうした?」
「ビルって高いんだか安いんだかわかりません」
「なんだそりゃ」
どうやら、三好は事務所と住む場所を決めるために、ネットで検索して当たりを付けた後、不動産屋をまわりまくったんだとか。
「ビルって、凄い巨大なものとか、銀座~とかを除けば、2億~10億くらいで大体買えちゃうんですけど、大抵テナントが入ってるんですよね」
「まあそうだろうな」
新築でもなきゃ、テナントの入っていないビルに価値はないだろう。
「で、色々みてるともう疲れちゃって……最後のほうは、ビルを一杯購入して、あとは不動産収入で生きていけばいいんじゃないの? なんて思うようになるんです。怖いですね」
「それで、もうセキュリティのしっかりしたオフィスビルのフロアでいいやと思ったわけですよ」
「そうだな。自社ビルの意味は秘密基地っぽくてカッコイイっていう、ただそれだけだったし」
「で、今度はそれを調べたんです。そしたら、セキュリティのしっかりしているビルは、300平米だの500平米だのって、一体何人雇えば良いんだよ、みたいなフロアばっかりなんです」
「100坪のフロアのまんなかで、二人でぽつんと仕事をするってのは、それはそれでカッコイイような淋しいような」
「先輩がダンジョンに出かけたら、私一人ですよ? 絶対無理、って思いました」
100坪の事務所の真ん中に2個だけ机があってひとりで仕事をするのか……確かにキツい。というか100坪意味ないな。
「それで、もう疲れたので、この裏にある、ちょっと大きなお家を買ってきました」
「買ってきた?」
「仮押さえですけど。土地は400㎡以上あるので、ちょっとお高いですが、もとは変わった形式の2世帯住宅で、1Fが共通、2Fに2LDKが2つあります。片方は私が、片方は先輩が住むことにしました」
「いや、まて。しましたって、おい」
「1Fは事務所ですね。1LDKで、16帖の洋室+LDKです。リビングは30帖以上あって広いですから充分事務所になりますよ。玄関は3つ、ちゃんと個別に分かれてます」
「はあ」
「もうここで良いです。疲れたんです。もう部屋は見たくなーい!」
三好がダイニングテーブルに突っ伏したまま、足をばたばたとさせている。
「わ、わかったわかった。じゃあ、引っ越し屋を頼むか?」
「先輩、どうしても持って行きたい思い入れのある家具とかありますか?」
「いや、うちの家具は基本的に、ぼろいコタツとベッドとハンガーだけだし、そんなものはないけど……」
「じゃあ、全部購入します。社宅扱いなのでそのほうがいいんですよ」
「じゃ、家具を買いにいくのか?」
がばっと顔を上げた三好が、酷くまじめな顔をして切り出した。
「先輩。私、世の中にコーディネーターなんて言う人達がなんでいるのか分からなかったんですが、今度のことではっきりわかりました」
「なにが?」
「何かを決めるとか選ぶとか、現代では物も情報も溢れすぎていて、ものすごおおおおおく大変なんです!」
「お、おお」
「だから、もう丸投げ! イメージだけ伝えたら後は全部丸投げで、コーディネートして貰って、こちらはちょっと文句を言うだけ! なんて素敵な世界!!」
「お、おお」
「というわけで、ネットで調べたら、そういう職種の人がちゃんといました。凄いですね。全部丸投げしてきましたから、先輩は上がってきた案を見て、好きに文句を言ってください」
「お、おお」
「はー、やっぱり研究職っていいですよねー。私と対象。その2つだけなんですよ? 余計なことはしばらく考えたくありません」
近江商人さんは近江商人さんでいろいろと苦労が多いようなのであった。
しかたがないので、午後の早い時間から買い物に出て、その日は三好の慰労会を行ったのだった。